歳時記:写真でたどる日本橋今昔-2017/9(写真さらに追加)

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:19代日本橋

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:震災復興後の日本橋(背後の白いビルが三越)昭和七年

日本橋はお江戸から現代まで(今や橋じゃなく地名としてかもしれないけど)東京の中心。運河だらけの江戸の日本橋川という川にかかっており五街道の起点となっていました。明治44年に真白い石橋に架け替えられたのが現在の国重文の眼鏡橋になります。街燈や銅像など和洋折衷の見事なものが装飾的に配置され今も保存よく残っています。国重文というとお雇い外国人ぽいですが日本人が設計しました。徳川慶喜の揮毫による銘板も見えます。
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ちなみに橋のたもと(三越の向かい側)に近年記念碑と案内所ができましたが、20代目という説明がされています(くわしくは別の場所にこのあたり区の案内所があるそうです)。日本橋川クルーズの発着点の向かい側(三越側)が昭和初期築地に移る前の魚河岸跡で、記念像が残されてます。そのためこの部分はちょっと景観は変わってます。下記写真にスロープ状の橋の構造が断ち切れて残ってます。ツイートの写真と見比べてくださいな。これらのことを記したと思われる銅板は水に向かっており、橋の上から見ることは難しいです。
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というわけでわりと三越にはよく来てたせいか見て回ったりもしてるんですが、改めて絵葉書写真を中心に、それについて。明治5年架橋の木造橋(二枚の写真のとおり架け替え前には都電が走っていますので、都電(市電)を通すため石橋に架け替えたというのは厳密には誤りです。ただ、理由の一つにはなったと思います。また明治初期から石橋だったという説は写真の橋脚構造を見る限りでも明確に誤りです。都電が通った後にもしばらく木造だったわけです)


道路元標碑のこと。元標そのものは地面に埋め込まれている。
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<開通記念絵葉書の構図>


最初の写真のほうですね

あ、さきほどの日本橋の件は現役書籍にちゃんと書いてあるので、ネットより書籍を信じましょう。

昔の日本橋の話をしていて、どの時代に主眼を置いてるかをハッキリさせてからでないとだめだと。魚河岸が日本橋にあって賑やかだったが末期はあんまりいい雰囲気じゃなく、移転してなんもなくなったてのはまあ聞いた話(関東大震災で壊滅後、大都市計画により昭和初期には築地に移った。江戸名物がまた消えたと言われた)。
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:築地魚河岸(昭和七年)

問題は都電は日本橋を通ってる一本だけって話で、地図や写真の電柱から逆川沿いにも走ってた話が。買い出しは日本橋の魚河岸だったそうだが、写真からするとそんな大きな感じはしないんだよなあ。その対面に川沿いに都電が走り、日本橋手前で交差するようになってるのが手元の大正くらいの地図。地図もいーかげんなこともあるので、写真を見ると今の日本橋開通時の写真に川沿いズラッと電柱が写ってる。ちな、木橋のころの写真(明治初期架橋のもの)だと日本橋が今の感覚から言ってけして大きなものではないように思う。先の石造日本橋開通写真も割と残ってるが、しょうじき今の感覚からするとみすぼらしい電飾を小さい橋にかけてるよな、、、まーそれでも木橋のころから都電は走ってるんだけど。
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by r_o_k | 2017-10-12 10:56 | 旅行 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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