





























































日本橋興亡:架け替え前木橋、石橋開通、関東大震災焼跡、逆側から俯瞰 pic.twitter.com/d0mkgLL59L
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月6日
日本橋興亡2:日本橋魚河岸(現三越対面岸、戦前まで築地の役割を果たしていた)焼失二葉、日本橋上から三越、復興日本橋と三越俯瞰 pic.twitter.com/qcZ6NgY5IU
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年10月6日






ずうずうしいのです #ハト #逃げない #日本橋 #昼 https://t.co/UhZaj3EEtA
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年6月7日
日本橋DSC_0457 #flickr https://t.co/haXz6BouNY
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年6月10日
日本橋を覆う首都高速、これが地下に潜ると一気に川の両岸が繋がる感がしますね。真ん中の宙吊りの標識も(本物は三越側に移築)地面に降りられる。DSC_0489 #flickr https://t.co/kUv1G2AAsv
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月1日
道路元標碑のこと。元標そのものは地面に埋め込まれている。



<開通記念絵葉書の構図>
昨日の処方が悪かったらしく調子悪くてねむれない。絵ハガキをバカ買いしてしまう。日本橋の上を高速が通る云々のずっと前、現日本橋がピカピカの真っ白で開通したはがきを買った。裏面には短い日記が書いてある。祝典で配られたようで、そのあと友人と銀座で飲んで帰ったとある。 pic.twitter.com/sOiw0qEy64
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月1日
たぶんどっちかだ。日本橋今昔。つか街路樹が高速以上にじゃま!(三越は大正年間建築) pic.twitter.com/fJS5KJxF0Y
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月9日
判明。やはり魚河岸側(むっちゃ街路樹で邪魔されてる北詰)からの写真。対岸のほうが開発が早く、既に銀行が何軒も。決定的なのは南岸沿いに日本橋市電とクロスして市電が走っており大きな電柱が対岸に沿って並んでいる。対岸に写るビルはここに→ https://t.co/2hVgqDsE6k https://t.co/PNJsoTNmLl
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月10日
最初の写真のほうですね
日本橋20170809_153334.jpg #flickr https://t.co/6o6boF46Gt
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月18日
1903年11月25日、新橋?(日本橋)?上野間に路面電車開通の新聞記事があるので、路面電車のために現行の石造りに変えたかのような記述は誤りか。また、明治初期に架け替えられたのがこれだと思われるが、wikiに早々に石造りに変えられたという記述がある。根拠が知りたい。これは木造だ。 pic.twitter.com/pPbK0FVTu6
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月30日
あ、さきほどの日本橋の件は現役書籍にちゃんと書いてあるので、ネットより書籍を信じましょう。
昔の日本橋の話をしていて、どの時代に主眼を置いてるかをハッキリさせてからでないとだめだと。魚河岸が日本橋にあって賑やかだったが末期はあんまりいい雰囲気じゃなく、移転してなんもなくなったてのはまあ聞いた話(関東大震災で壊滅後、大都市計画により昭和初期には築地に移った。江戸名物がまた消えたと言われた)。


