歳時記:藤沢宿 遊行寺の小栗判官遺跡(明治初期写真、同一アングル追加)と江ノ島展、義経の首洗井戸など-2017/10/8

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葛飾北斎の略画、小栗判官

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白旗神社

秋の日が長いうちに藤沢へ行きました。
同じ判官ということで義経伝承と小栗代々遺跡が近くあるのがおもしろいなと思って出かけました。
(参考)戦前の小栗判官墓、水輪が抜かれたのがわかる。宝篋印塔に水輪を継ぐのは格好だけではなく、武家の墓たる五輪塔の形を残したかったのかも。前の妙な灯籠(万治三年十二月三日寄進)は現存しますが背は低くなってます。入口の手水鉢の橘紋と、鉢状穴が目を引きます(賑わった証拠ですね)。こうして見るとまあまあ景観は保たれている感があります。
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※鬼栗毛⇒鬼鹿毛 ※江戸時代につづき明治の大災厄で徳川家ゆかりの立派な建造物のほとんどを失った遊行寺最古の内門(中雀門)の彫刻で、質素だが意匠が面白い。倒れたものを引き起こしたとか。
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(上が復刻版、下が「文明開化期の横浜・東京」掲載、一番下は現在(近世再建、木々と階段のため同アングルは無理でした)
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(上に同じ)
※明治初頭の遊行寺(清浄光寺)ザ・ファー・イースト明治4年5月14日、3月27日掲載(復刻版より)代々徳川将軍の庇護を受けていたため現在とほぼ変わらないように見える。綺麗な状態を保っている(というような記載もある)。藤沢寺としている。

※江嶋縁起の伝わる3巻同時開帳は今回が初だそうです。天部が鬼龍を引き連れて江ノ島を作り上げ近在の者を畏れさせるという、役行者も出てくるなかなか宗教的に混沌とした内容を最古の真名本が文章で、残りの二巻が絵で伝えています。室町時代のものを中心とした前期、江戸時代のものを中心とした後期で江戸時代のものは弁天さんが邪悪な顔に見えるなど面白そうなので後期おすすめ。古物好き珍品好きは前期で中世の江ノ島がいかにいろんな宗派の混沌とした中にあり、弁天もまた近世と違っていたのかがわかります。規模が小さいので近所ならどうぞ。展示目録は言えばいただけます。 ※白幡神社などによると、奥州より取り寄せた義経弁慶(他に4名いたとは首洗い井戸の石碑)の首実検後、後を任された者たちが酒宴している間に首が飛び去り、当時は寒川神社と呼ばれた白幡神社におりたという(目を離した隙に行方不明となり、遊行寺門前も通る境川で拾われ(亀が背負って現れたという話も)、井戸で洗って幕府に伺いをたてたところ確かに義経である、そこへ祀れと言われ白旗神社(「幡」という表記も見ましたが兄の白旗神社と同じ名前)として祀られた話のほうがメジャー)。頼朝に伝えると社名を現在のものに変えて祀れといった。おそらく弁慶もいっしょに祀られたが、伝承では街道の逆側の小山に八王子社として祀ったとある。八王子社は現存せず、弁慶塚という名の土盛りだけあるが、かんじんの証拠は石碑一つで、周囲を鬱蒼とした古木とたくさんの近世の庚申塔(と一つの石祠、小さな石仏いくつか)に囲まれ、ここで庚申の夜明かしをしたのだろうが、いずれ弁慶とは何の関係もなく、弁慶の石碑がそもそも近代庶民造の質素なもの。一応木の祠でおおわれているが、文字が不自然に摩耗している点からもこれは何かあるような気がする。いずれ、義経伝承に付随しただけで、弁慶の首の話は最初の首実検だけなので、そも顔も知られぬ弁慶やさらにそれ以外の者の首までもわざわざ取り寄せたか、含めて弁慶塚はミステリーである。ここの石段が摩耗し苔に覆われ、写真で見るより疲弊しており、短い間にこんなになるかという感じで、結果転げてカメラは凹み体は傷だらけで服を着替えるはめになった。祟るのかなここは。
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義経の首繋ぎの記念碑。こちらは現実的ないわれが書いてある。白旗神社石段脇。


by r_o_k | 2017-10-10 11:11 | 旅行 | Comments(0)

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