








浅草十二階「凌雲閣」は明治23年に浅草寺北西の六区の北、千束に建てられた当時としては日本一の民営の高層タワー。当初周囲に何も高い建築物が無く、夜はまばゆい無数のアーク灯がぐるりをめぐる窓のすべてから光を放ち(いつもではない)、見た目の突飛さ、上階景色の秀麗さ、周辺風俗の華やかさから数々の文学・絵画作品に取り上げられた。
























































































もちろん当初の目的である、かつてない高所から低い建物しかない下町ひいては関東平野を見晴らし筑波山関八州までのぞめる、という売りはしばらく人気を呼んだ。

























※こちらでした。隅田川のむこうの煙突群まで見える克明なものになっています。新吉原がはっきりしないほど建物が建て込んでおります。時期は下るでしょうが、大池の手前にはまだ国技館はありません。「博覧都市江戸東京」江戸東京博物館h5より









































































































関東大震災は浅草一帯にも壊滅的打撃を与え、十二階も免れえなかった。煉瓦のため火災による焼失を免れた一方、地震には弱く上半分が折れ落ち観覧客らを巻き込んだ(明治時代の大地震で既に亀裂が入っていたという)。営業側では復旧不可能と判断され、ぼろぼろと崩れゆく状態に危険性をかんがみて軍により二回かけ爆破された。これは映像が残っている※。これもまた画家の格好の題材となっている。バベルの塔になぞらえるような表現も見られるが、写真のとおり周辺の大建築が皆燃えてしまったから当初の単独峰の姿が復活しただけである。







































花屋敷側からの十二階












2017/8/31浅草十二階跡地・ひょうたん池跡地・瓦礫処理地(朝日弁天池)
浅草タワー揃い踏み(但し仁丹は除く)
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月31日
花やしき(残骸?)スカイツリー、そして正面四つ角の右側に凌雲閣こと十二階(裏側)、空き地に煉瓦が落ちてたのは違うよね?、ひさご通り(ひょうたん池の埋立地のアーケード)と花やしき裏口の間のパチンコ屋にある十二階標識、瓦礫と運搬獣を埋めた朝日弁天 pic.twitter.com/UmB7RmjIa0
十二階いろいろ(時代によって変わります、場所は浅草寺西北で六区に入りません、今でも花やしきの向こうのはずれのほうになります) pic.twitter.com/uGTnaACKlJ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月31日
十二階幻影(Flickr動画)

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