2017/8/23波の伊八と笠森観音、いすみ鉄道のたび。(笠森観音浮世絵追加)
2017年 08月 24日
日帰りバスツアーで勝浦の方まで行ってまいりました。目的は北斎も参考にしたといわれる「初代波の伊八」のホンモノしかも代表作を見ること。なかなかでした。ほとんど堂内のため撮影禁止でしたので、いすみ市のサイトから。(しかしこういうものは特に立体物で他の物との組み合わせなので、現地で見ないとわかりづらくて・・・とはいえもうちょっとサイトに写真を載せてくれてもいいのに。伊八会より現役では2冊写真集が出ており、手元にあります。修善寺にも伊八手があるようです)
飯縄寺(牛若丸と大天狗ほか)
しゅっぱつ(妙齢だらけ) pic.twitter.com/G4YQywfUXu
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月22日
満席だが窓際でよかった pic.twitter.com/LVEDAI0rim
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シャッター音より遅いスマホカメラ…こればっかりは国内メーカーだなあ(国内メーカーは余計な機能つけすぎて却って写りが悪いのでiPhoneに勝てるわけはないのだが) pic.twitter.com/dwRCELQqPG
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月23日
千葉県いすみ市 飯縄寺
飯縄寺は堂宇は小さいのに豪勢な彫刻寺で、木製マリア観音まで持っているとのこと(陶器製なら証拠隠滅しやすいので潜伏切支丹によく使われたと言われ、古いと考えられているそう)
初代伊八のすごさがわかった
板を合わせて作るのではなく一木で彫ってると、波を
のんびり(というかさきほどのイヅナさんがすごかったので) pic.twitter.com/Gwm9gM7H18
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運転手さんのんびり pic.twitter.com/yBpS1ErdbF
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めづらしいディーゼル(架線なし)
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鉄じゃないので座席でぐだー pic.twitter.com/s19FFDGhzW
行元寺
行元寺書院の欄間、「波に宝珠」は48、といってももう恐らく自刻としては最後じゃないかという伊八手の、、、たぶんイヅナさんよりも上の最高傑作じゃないかな。組み木が一流、一木彫りが二流という考え方があるそうで波の伊八も二流扱いだったそうだが、融通無碍唯一無二。影響与えるも何もだ。 pic.twitter.com/E4goHV11Nf
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月23日
伊八会さまの資料によると48→58歳作品でした。以後有銘作はなくなるようです。
但し書院自体が小さいうえ欄間彫刻としては華美な彩色の(現在は修復済のピアピカな状態)本堂内陣にくらべ地味さは否めない。前室の上の欄間は人物刻でさきほどの飯綱寺の「牛若丸」を単純化したような感じで正直あれほどの密度も力もなく荒く作った感すら覚えると同時に、中へ入ると欄間の裏が見える。片面彫りなのだ。これは一般的な欄間彫刻では普通なのかもしれないが、室内からは彫るとき地面に置いたほうの面を見ることになる。これはあくまで外から入るときの期待感を煽る造作との説明もあるが、東国天台宗第一の寺として天海僧正はもとより特に綱吉に多大な援助を受けた(ちいさいけど)大学坊であり、内陣(もともとの本堂)に東照宮と同じ装飾を同じ職人により施すことを許され(高松又八は今も続く流派にいたが東京大空襲により作品はここにしか残っていないとのこと)徳川本家の葵の紋を左右柱に掲示した格式高い寺において、幕府公認の流派を築いたでもない江戸職人はそれ以上のものを作ることも許されなかったろうし、あくまで学坊で儲かるような寺院ではないので、書院のほうにはそれほど金を出せなかったのかもしれない(総門は巨大だが本堂と同じ職人による彫刻はわずか。本堂も現在外から見えるいわば覆堂の入口には、柱上等に獅子と獏と龍が小さく彫られているのみである)。奥すぐ右手の間(三間しかない)との間にある「波に宝珠」に目をやると余りの彫りの繊細さに舌を巻く。同じ人の同じときの作品とは思えない(飯綱寺の飛龍のしぶきの飛ぶような波とも屋外に彫るおおざっぱな波とも違う、北斎の後年普通に描いた波はここまでの細かさはなくむしろ飯綱寺の飛龍の左の押し寄せる筋波と右の襲い掛かる波頭に近いようにすら思う)。実物はぐにゃぐにゃの波。ありえない噴水のような盛り上がりや柔らかく有機的な波頭、そこに無数の(無数の!)宝珠が乗っているという非常に前衛的な作品で、さきほどの入り口の欄間は裏のど真ん中にきちんと作者名札があり(浪ではなく良と書くのが特徴らしい。弟子の名もちゃんと書いてある)室内から丸見えだが、こちらは小ぶりのためか名前をしっかり示す気が無いようにすら思える。たぶん長らく浮世絵を片付けていた北斎同様、あくまで依頼仕事をやる職人であったのだろう、48歳のそろそろ作家として引退を考える時期に初めて、表に出ない書院の室内欄間で、その名にしおうものを自由にやっていいとなり、覗と呼ばれる図法(波を彫るのにかぶさる裏側の筋まで見上げるように彫る、実際九十九里で馬を駆り大波の)をさらに進化させてこれをしつらえたのだろう。テレビで見るとこの裏面の左端が北斎の「神奈川沖浪裏」の構図そっくりということになるが、実際には両面立体的に彫られてはおらず、一応彫線はしっかり表より続いて裏まで下りているものの、平面であり、もし影響を指摘するとしたら覗画法の極みに達した表面の、あくまで方法論ということになると思う。浪裏って、別に波の背中をいうわけではないのだ。裏面がほぼ平面というのはちょっと意外だった。表面の艶の出るうねりが無い、これは裏面を見せない堂の欄間彫りを手掛けてきた「波の伊八」のやり方がけして、「立体彫刻」を志向するものではなくあくまで寺院装飾のための(誤解を恐れずに言えば)地方に伝統的な技術にのっとった、寺社彫刻に流派をもっていた房総の風土から出た江戸の職人だった、という気がした。代替わりもし、名前の記されない真贋のわからないものも多い人だそうだが、外連味の強いものなら「牛若丸と大天狗(眼球ももとのままとのこと)」最も腕が出ると言われる龍(髭までもピンと彫りあげてあり屋内欄間だからこその作りこみがある)、そして波のオーソドックスに凄いものならその左右の「飛龍」の下のもの。だが別格として、この寺の「波に宝珠」これで尖った作風は網羅された。屋外向けの彫刻も素晴らしいが、巧緻であるという以外に目につく特徴はすくない。まあ、いいものを見た。素っ気ない藁葺の書院というのがいい。
もちろんもちろん撮影はおろか、解説書の一つも(昔は置いてたみたいだが)なくパンフのみで、あとは丁寧な説明。伊八よりも天海僧正からの徳川とのつながり、左甚五郎という架空の存在を形作る一角であった彫刻師の話が大半だった。住職さんではなかったが、学坊だった雰囲気が残る。教室みたい(笑) pic.twitter.com/S1J0oP4Vs7
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月23日
激しくも繊細な、だがあくまで具体的な江戸欄間彫刻が、ここへきて抽象化し、ただうねり筋を描き波頭すら猫足のように収まりつつ全体としてはありえない形状を示す有機的なものになる、思想を形にしたような宝珠との対比。裏面左端が神奈川沖波裏に似るが伊八は表裏を明確に意識し、裏は平ら。形だけ。 pic.twitter.com/7vg8yo7l4K
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月23日
なぜか笠森観音さんが招き猫だらけになってた。何もいわれはなく、流行神的なものらしい。17,8年前飼ってた黒猫が良縁だの金運だの運んでくれたといって拝まれるようになり、今もこんな形で崇敬されているという。逆手の招き猫が欲しかっただけだが、黒にしてしまった。 pic.twitter.com/9OH8zCtrho
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くぐると子供を授かるというのでおばあさんたちがくぐってた pic.twitter.com/otQOVkNqjE
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帰途はアクアライン経由。渋滞しまくった内房周りの往路より一気に近くなる感。 pic.twitter.com/9ueLTZZTxI
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逆手って言ったのにおもっきし順手やないかい。。左手上げてるのがほしいんや。。 pic.twitter.com/1zbJwRqmlm
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山登ってないから山が清潔に見える
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海はベトベトする
汗は前者は蓄積される一方なのだが pic.twitter.com/FBxphvfxdt
九十九里はすっかりサーファー天国だったなあ(といっても死ぬほど広いのでショップ間の距離がそこそこあるが)海水浴には向いてないので(もってかれる)波打ち際でみんな足首海水浴してたposted at 01:05:02
製図用具を使って絵を描く方法が、対象物のデザイン化を産んだ、そのやり方は彫刻からきている、という話だったな pic.twitter.com/hlBYIFj0oS
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千葉は早稲だからすでに黄色いとこけっこうあった ちょっと背が低いのね pic.twitter.com/qvvMGEg42K
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行元寺DSC00256.JPG 関東初の天台宗寺院として格式があり徳川家の庇護を受け、本来の室町時代建築の本堂であった内陣(取り込まれている)に最近修復された絢爛豪華な装飾がみられる。彫刻は全て… #flickr https://t.co/QOwr1Plngv
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飯縄寺 本地は不動明王、天狗信仰、源義経が縁を持ち奥州へ落ち延びる途中海路寄ったという(房総半島最南端)かなり江戸から崇敬を集め財政も潤っていたがなぜか堂宇は小さめで細部に凝るタイプ。初代波の伊… #flickr https://t.co/wyfNmvsgys
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飯縄寺境内、元が飯綱権現ということで神仏習合の名残をのこし、本堂前に障壁がある。翻って山門、そのさらに外側にこのときは行かなかったが鳥居の足だけが残っていて、神域の結界を示しているのは仏教的では… #flickr https://t.co/yjASF5vuFI
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飯縄寺山門、波乗り天狗 このあたりの寺院の山門彫刻はこのようにごく小さい。こちらは名はわからない。DSC00130.JPG #flickr https://t.co/nkbAuaxBQg
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笠森観音堂(国重文)DSC00422.JPG #flickr https://t.co/Lwpq71jhLS
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笠森観音堂(四方掛造(岩峰の上に堂を置き四方に舞台造の懸崖を立てる)国重文、室町時代創建)DSC00317.JPG #flickr https://t.co/wWehHkJVgn
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いすみ鉄道 鉄橋DSC00210.JPG #flickr https://t.co/IkbuEQtovH
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飯縄寺本堂・内部も外部も彫刻はすべて初代伊八といわれる(1年滞在し2000両でやったという)DSC00143.JPG #flickr https://t.co/b5aRl1wmsE
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