1998/11:立川(途中)〜富士塚公園(修正・アルバム追記)
2017年 08月 17日
西立川に立った。青梅線の、とば口ちかくだ。
秋霞とでもいうのだろうか。晴天も続きすぎると空気がなんとなく舫いでくる。雨の多かった夏のせいで、紅葉もうら寂しく只枯れ葉となるばかりの昭和記念公園には、一見して入るのをやめた。(400円という入園料のせいもあるが)
線路をまたぎ東へむかうと、たちまち富士塚公園だ。
江戸名所図絵に記された富士見塚はもうすこし東の国分寺にあるが、この富士塚も立派な小山を成しており、小さな社殿を頂にもち、江戸初期に
溯る武蔵野の昔流行を今に伝えている。
図絵によると国分寺の塚上からは天と地が触れるまで何も無い原野が見渡せたらしい。富士山もおおきく見えたろう。武蔵野の原風景が
みえると図絵は詠う。多摩川と迫る山並み、そして富士山を一望にして、この塚も物見高い旅人の足を止めたに違いない。
社殿に場違いの人形がある。インド風の座像はおそらく素朴に過ぎる若者が最近据えたものだろう。一緒にある生糸もオシラサマのような意味があるのかもしれない。「民間信仰」の雑多な混交のありようが、現在進行形で見られるようで面白い。と横を見ると小さな七福神まである。
…仏教、ヒンズー、そして神道の奇妙な同居は、富士講という民間信仰のうえに慎ましく続く。
狭い一角だが、えもいわれぬ雰囲気がある。日だまりに若者が座って只たのしんでいる。
東京は10キロ中心からとおざかる毎に、5年ずつ溯っていくようなところがある。このごろ武蔵野をうろつくことが多いのは、ひとえにこのノスタルジーのためだ。
国分寺には非常に懐かしい空気があった。それからさほど離れていない立川もまた、15年程前まだバブルの来ていないころの落ち着いた東京の空気を保っている。