歳時記:2017年春〜夏 深川、駒込、赤羽、日本橋、茅場町、調布、目黒、谷中、維新の動乱追記
2017年 08月 29日

紀尾井坂の大久保利通暗殺の前哨ともいえる事件。明治七年一月十四日岩倉具視を狙った旧土佐藩士による暗殺未遂事件。武市熊吉をはじめ9人が検挙され、江戸以来の武士の方法で伝馬町において処刑されている。九烈士の墓は後になって高知の名士により建てられたもので現在は寺院とともに移転し中野上高田にある。前年の征韓論争で西郷隆盛、板垣退助らが退陣したことが、征韓論にとどまらず常日頃より不満を持つ士族の不満を昂ぶらせた。特に西郷板垣らと共に軍官職を降りた一部土佐藩士より岩倉、大久保は恨みを買い、うち岩倉が赤坂離宮帰りの喰違坂で襲われることになった。夜間のことで狙いが定まらず軽傷を負わせるにとどまり見失った結果命拾いした。岩倉は精神的にダメージを負ったといわれるが、大久保は不平分子の排除を重んじすぐに事態を収拾すべきと3日で九人を検挙させた。銘文によれば西郷隆盛などは死は免れえないまでも、寛大な処置を望んだという。だが刑死者の墓標を建てることははばかられ、遺体は戻されなかったと聞く。正式にはこの九士之墓が同事件に連座した者の供養塔となっているが、しばらく時をおいてそれぞれの遺族がそれぞれの田舎に墓標を建てている(調べてらっしゃるホームページがあった)。しかし、九人全員に身寄りがあったわけでもない。当時は身寄りのないものが率先して死ににいくような時代の気風が残っていた。最初の写真はうちの墓にある「岩田さんの墓」。ここに連座している「岩田正彦」の墓として、先祖が建てたと聞いている。「彦」を「寅」とし少し削っているのは、この墓標を建てる時点でまだ供養が許されていなかったのか、烈士の最年少であることから正しい名前が伝わっていなかったのか、理由ははっきりしない。身寄りなく天涯孤独とのことだったが最近親戚筋であることがわかった。ここに記録しておく。





明治時代の霊厳寺地蔵(後者は造作が少し疑問)
清澄庭園も深川資料館も寄らずに、霊厳寺や出世不動の桜をめで、空襲あと痛々しい石碑群がなんか少しひっそりとしていたり、春の日差しに初々しい狐塚の苔を眺めていく。紀伊国屋文左衛門墓が立入禁止になっていた。なんでだろう。紀州と木場のたくさんの名前。傍らに三好全滅の3月10日空襲慰霊碑。 pic.twitter.com/QmfRkN48FA
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年4月15日桜の最後に間に合ったかんじ。すこしぽつぽつした。九品仏はここに移転してから作られたのかな。 pic.twitter.com/eIFL5KN0ic
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年4月15日
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— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年4月15日
うまそう pic.twitter.com/pLXDA8zZ1V
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年4月15日
江戸六地蔵(霊厳寺)蓮座の穴(東京大空襲破損か?) 20170415深川で最後の花見 #flickr https://t.co/wKhFJlgIwy
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年4月15日
深川資料館通りの佃煮屋で買ってた浅利の佃煮がもう味が変わって辛く硬くなってしまいもう行かないなと思って、改めて少し大きめのカメラで撮ってまわった。終わりの桜も見つつ、スライドショウ https://t.co/MpGPO5p1Yf
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年4月15日
5/27駒込妙義坂・染井(セーラー服地蔵、大ムカデの絵馬)
登校姿地蔵(東京都豊島区駒込妙義坂子育地蔵域内)昭和八年某日登校途中の村木美代子、深見喜久子両名が交通事故で死亡、まだ十一歳の若き身空に哀れに思った有志が菩提を弔うため建立した素人手のセーラー服童女二人像浮彫。こちらですね。 https://t.co/G7XbMOhUaF pic.twitter.com/WMGOx0Iwce
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妙義坂子育地蔵堂 https://t.co/ZQ78s9vWHD
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
駒込までエビフライ食べに行きがてら妙義坂に寄りましたよ。はい、セーラー服双体地蔵(俗称)綺麗に整備されたのね。 pic.twitter.com/mmPIUkbRZ5
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
「私が主役よ」そうでございました、妙義坂子育地蔵尊さま。 pic.twitter.com/RtaZgohbnK
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
「深見喜久」で「喜久子」ではないね。参考資料の見誤りの模様。 pic.twitter.com/giS5PYhxoK
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
太田道灌戦勝祈念伝承の妙義神社は不在で勝守や絵馬は手に出来なかったざんねん。染井も近いので少し寄りました。植木商の末裔が土地で物納したらしい公園に国指定の近代土蔵が、今日は風通し。入口に大理石を使ってますがこの家、江戸屋敷譲りの門含め戦災に遭わず、修復の結果極めて綺麗に残ってます pic.twitter.com/dAz9YJGbN9
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
前の辻の日月宵待庚申塔残欠は染井霊園のものかこのあたり田畑に残っていた古庵のものか、左右に可憐な蓮が彫刻され普通の庶民作りではない。のぼって上駒込の鎮守染井稲荷神社は開けっぴろげ、しかし上がろうとすると脇の屋から怒られた。俵藤太の百足退治絵馬を遠く見る。恐らく近在社を合祀してる。 pic.twitter.com/Chlm1zv7zL
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
ちな扁額は伊藤博文の字。青々とした注連縄が目に眩しい。脇にも稲荷が近年移築されたようでこんな灯籠も。染井吉野の古里散歩の人々を尻目に踵を返して駒込へ戻り、チロリアンのお店で饅頭買って帰るのだ。してる。 pic.twitter.com/ty1lg8SxUz
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
石仏好きには比較的著名なセーラー服双体地蔵ですが昔ぞんざいに置かれていたのを思い出して見に行ってみましたら、地蔵堂の中に入れてもらっていました。昭和初期に交通事故で亡くなった女学生二人が錫杖と宝… https://t.co/WZIz26KSLs
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年5月27日
7/29赤羽(お竹墓、旧岩淵水門(赤水門))
豪雨吹き付けて花火なんか無理だろ! pic.twitter.com/TQbxkWfYta
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年7月29日
江戸三大流行神を収集しよう(追記)お竹墓、国芳浮世絵など追記 を投稿しました。 #エキサイトブログhttps://t.co/QMnH65S2T3 pic.twitter.com/tJiUvflgB7
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年7月29日
雨が降っても花火はできた。七番目が一押しだったんだけどなあ。ことしの隅田川花火大会はしっとりしててテレビで見てるぶんには楽しめたよ。コンクールで雨上がったのは奇跡。ところで荒川水門でズブヌレになってたのがまだ乾かん。カツオのたたきを自炊してイマイチ締まらない。貢太郎随筆沢山届く。 pic.twitter.com/JmkeTvFkms
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年7月29日
あ、赤水門なんだけど、荒川から一直線に流れ込んでくるのは自明な位置にあるので、水死体が引っかかるの、つか水死体以外ひっくるめて、あたりまえでしょ。ここしかないんだから。隅田川は拓けてるが荒川はおもっきし建物も何もない暴れ川のまんまの状態で、最近の青水門までよくもったよ大正期から。 pic.twitter.com/YPO58OcL4C
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年7月29日
心霊じゃなくてバックパッカーと得体の知れないサイクラーばっかだったよ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年7月29日
そんな連中だから誤認されたり誤認したりすんだろ pic.twitter.com/Y4cTfxTOCJ
紀行作家というのがどうにも好きで、戦後の豊かになった時代ではなく戦前の野蛮な時代の、短な随筆を読むのは愉しい。貢太郎も桂月師の跡をおって紀行文を書いたのだろうけど、なんでだか、絵と句があってない。同行者がたまたま描いたにしては何でだこれとか。(JKは無関係) pic.twitter.com/jQYQyAsuJZ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年7月30日
8/9地獄絵ワンダーランド展・現行日本橋開通時の写真位置は?・翁稲荷(明徳稲荷、日枝神社内)
赤紙不動さんのとこにあんなとんでもない十王図があったとは!切支丹?指定文化財無くて拍子抜けするだろうが「地獄絵ワンダーランド」の題が終わってみればよくわかる。白隠さんや鳥羽絵のラクガキ的のんびり地獄絵、今回一番の目玉か木喰彫刻、その他近世のものの面白さを感じる展覧会。水木工房作〜 pic.twitter.com/Ke2dxtRcx2
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月9日
たぶんどっちかだ。日本橋今昔。つか街路樹が高速以上にじゃま!(三越は大正年間建築) pic.twitter.com/fJS5KJxF0Y
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月9日
近いので翁稲荷まで。境内を借りている摂社日枝神社さんに詳しくお伺いすることができました。つまり、魂はあっても物理的なものは何一つ残ってない!まあ、燃えたそうなので。。こちらにあった富士塚も見てみたかった。明徳稲荷は50年代近辺の証券会社が整備したものの移転して町会が護ってるそう。 pic.twitter.com/oYdiaiIL8P
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月9日
関東大震災後に鉄筋にして固めといたから三月十日ガラだけでも残って、最近きれいに直せたとおっしゃっていたな。でももともと神仏習合で(別けられた薬師さんは事務所みたいになって裏に。寂しく無住ぽい)色々あったのに、今や境内で古いものは関東大震災前だと神木一本と払下げ?江戸前期の鳥居だけ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月9日
ちなみに山型の鳥居ステッカーを配ったりしているが山王神社でそういった山王鳥居を設けているほうが少ないとのこと。
江戸名所図会に出てこない木花咲耶姫(今は合祀)すなわち富士塚もあったと。関東大震災で崩れたそうだが富士塚築造は明治以降も続いてるので、江戸名所図会の終わる明治初期より新しいものだったのだろう。そういうのは時折聞く。パンフの図会にそれらしき塚が見えたけど。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月9日
スマホカメラが予想以上にカスカスだったけど、記録として、薬師さんにうっかり残されてしまった日枝神社のおさるさん。 pic.twitter.com/LNV5ORgcy7
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月9日
8/12目黒大円寺五百羅漢 キリシタン羅漢?
(大火の火元として長らく堂宇を作ることを禁じられ、五百羅漢レリーフも被災者の冥福を祈る目的ははっきりしているが誰が作ったものか、配置も含めて変更や追加もあったよう謎が残る。堂内に入らないとはっきり見えないが、(元)吉三の彫ったお七地蔵は拝見できるものの、元大円寺下に庵を営み今は大円寺に併合された(元)吉三の像もあるとされる。但し本尊右手にあるというが外から見ることができない。その他、大黒天は家康の顔をまねた功徳あるものとして非常に有名だった。背後に平安仏の顔も見える。国重文の清凉寺式(鎌倉時代前期)は正月のみ開帳だが他はいつでも外からなら覗ける。墓地は檀家以外不可。キリシタン羅漢については以下参照。例の記号論的なキリシタン炙り出しなのでかなり疑わしいところもあるが、以前「目黒キリシタン」について項をあげたとおりたとえば権之助坂にキリシタンが潜伏していた話があり、早い時期に行人坂上の高台(大円寺を見下ろす位置)に刑場と投げ込み寺が作られた可能性があるという。造成時に大量の骨が出土したからである。
もっともわかりやすい「切支丹羅漢」錫杖の円環の真ん中に歪んだ十字が見える(維新後補作の可能性もあるが権之助坂の摘発潜伏切支丹の供養説もある。実際はこの五百羅漢は大火で亡くなった実在の人物の供養の… #flickr https://t.co/FprdYEm1rd
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月16日
「切支丹羅漢」の疑いのある女性羅漢、羅怙羅尊者の形式をとっているが仏性というより西洋人が現れているように見える(維新後補作の可能性もあるが権之助坂の摘発潜伏切支丹の供養説もある。実際はこの五百羅… #flickr https://t.co/CTZfJ75aCg
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月16日
「切支丹羅漢」の疑いのある羅漢(中央)、錫杖の円環部分に十字があるというが不明。鎮魂が目的の羅漢のため錫杖を持つ地蔵菩薩と習合したようなものが非常に多く、錫杖のバリエーションで判断するのも疑問(… #flickr https://t.co/pNWYb4htcw
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月16日
「切支丹羅漢」の疑いのある変形錫杖を持つ羅漢、壁際中央(維新後補作の可能性もあるが権之助坂の摘発潜伏切支丹の供養説もある。実際はこの五百羅漢は大火で亡くなった実在の人物の供養のため通常の五百羅漢… #flickr https://t.co/vChVfBZgyA
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月16日
「切支丹羅漢」の疑いのある母子羅漢、これは色も黒く少し大きいので目立つ。鎮魂なので母子像でもおかしくはないし慈母観音というより町人の母子だが、慈母観音を切支丹由来とする説に基づけば典型的な例とみ… #flickr https://t.co/xZZFlM7PYX
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月16日
目黒大圓寺の五百羅漢の女性について。伝承に基づき大火の犠牲者追悼のため犠牲者を模した、は置いておいて(ならなぜ爺さんだらけなのか)最初の方は慈母観音的なものかなと思っていたが、平手を見せる右手には最初、仏果を持っていたのでは?この2つは鬼子母神、谷中同様日蓮宗が入っていたのでは? pic.twitter.com/Gl0UZStfep
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月27日
巨大仏(観音)を小さく撮るとかっこいいけど、巨大なんだから巨大に撮るとこうなる pic.twitter.com/bbvPPbN5Za
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月27日
かっこいい三遊亭圓朝墓の角度を考えてた pic.twitter.com/wSDeBV1KNX
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月27日
わりと顔が長かった圓朝さんにごあいさつして金の観音さんのとこ登ってみたら少し疲れが出てきた。帰途に原宿、うーん、、、太田記念美術館、、、 pic.twitter.com/kKjkIrV7xq
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
大観音さんのおおきさはだいたいこんなです。 pic.twitter.com/eJZwRQECNb
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
8月中、なおかつ借用品なので今後出るかどうかわかりません(図録にはありませぬ)どうぞ。他にも借用品など出してるようですね。 pic.twitter.com/Yf3g011S4s
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
なぞの井戸 pic.twitter.com/cgJFxYRCPQ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
笠森お仙の墓いったし、二軒となりなので覗きました、お仙春信の石碑(お仙稲荷はこちらにありましたが元位置(茶屋跡)に戻っています)。永井荷風の建てた石碑だけです。大きな春信碑は以前アップしました。笹川臨風のほう。 pic.twitter.com/VqyRSeejkD
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
お仙稲荷て誰やねん笠森稲荷ね。疱瘡よけの笠森稲荷はよく信仰されたので茶屋が出て、そこにバイトで入ったのがお仙さん。こちら名残になります。 pic.twitter.com/QbdelrszPH
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
バイトじゃなかった、主人の娘だったのね。ちっちゃい頃から手伝って、年頃になって春信が描くほどの美女になった。嫁いで(古い家とは読んだが江戸の御庭番だったのか…)子をさずかったのに、病気ではかなくなったのは諸行無常。。でも立派にこの家の後継ぎを産んだから今も続いているのですね。 pic.twitter.com/wGjExyaWxV
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
ここが本当の笠森稲荷の位置。稲荷にしてはけっこうな規模と聞きましたがさきほどのお寺にいったん合併させられました。突き当りに笠森稲荷、復元されました。見えますね。 pic.twitter.com/ryyMb6ahPk
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
説明板も。 pic.twitter.com/ezpcA9G8Id
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
フランス人と若者がおおかった。芳年も作風が変化してて、構図を凝りすぎてゴチャゴチャしたり詰め込みすぎたり整理されない頃のものは、凄いけど凄く見にくい。妖怪画というか画題として物語の妖怪を描いたというふうで、根っからの独創性はなかった。やはり晩年が好き。 pic.twitter.com/OvfznrvaHO
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
地下まで展示があったのが計算違いで体力と時間に制約。まあ、見てよかったのは奇しくも圓朝コレクション(後から加わったようだが)と芳年展(事実上前期ということらしい、後期はまたテーマが変わる)のともに画題としては余り見ない「鵜飼」があったこと。日蓮が成仏させた男を圓朝の方は描かず暗喩 pic.twitter.com/XK68Xn0pTM
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
ついでに表参道の左の大灯籠にある戦災痕(右にはない)ほんとかな、欠けてるのは焼夷弾が刺さって砕けたらしい。裏面から道路側の一面の崩落は横倒しになったか何かだと思う。 pic.twitter.com/ufctiGhK0y
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月25日
8/15水木しげる先生お墓参り
墓参り
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月15日
やっと行ける pic.twitter.com/MxcdXotujH
…と、いうわけで初めてお参りにきました
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月15日
花がちと派手すぎた
時期外れでも一応東京の盆ということで菊がお供えされておりました
(着色してるけど一応こちらも菊)
やはり、威張るような大塔でもなく、しかし細かな彫刻が施され、
本堂の奉納画は見れなかったけど満足
終戦記念日です。安らかに pic.twitter.com/f9j2yBF5kH
文章通りすぐ脇のご自宅はひっそり
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月15日
半端な郊外というか、古い住宅に囲まれた交通不便な場所で、増築増築型の邸宅だから使い勝手もどうなんだろう、心なしか雑草も目立ち
今後ここを本宅とされることはないのかなあと。。(ちなうちの墓地にけっこう近い地域だった、ついでに来れた) pic.twitter.com/Eyb2KODTdX
調布をうろつく余裕はなかった(暴風雨)が小さな稲荷が目立つ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月15日
畑の隅か、家の隅に祀っていたものが
そのまま残されたんだろう
結構立派で、住民は変わっても信仰は続いてるんだよな pic.twitter.com/snIcMuMluH
調布に那覇発見! #でもテナント募集中の張り紙 https://t.co/MFuGGDaZbA pic.twitter.com/Crd28WkLig
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月15日
少なくともいざ紛争となって徴兵なんかする国になってはダメだ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月15日
そのための技術力、二番じゃダメだったのだろう、人命で何とかすればよい、という建前であれ宗教国家ではないのだ、隣のお父さんが死の行軍に連れてかれる国じゃあっちゃならんし、職業軍人は素人を盾に後方に立っちゃならんわ pic.twitter.com/n3jaj8wPme
ミサイル飛んでこなきゃいいですね。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2017年8月15日
盆だからここにゃいないかもしれないけど、戦友と見守っててくださいな。
水木先生。 pic.twitter.com/tulMWYKpqC