2006/5/1-4GW:高知松山怪の爪あと〜赤岡絵金蔵、五台山、仁井田(田中貢太郎)、桂浜、室戸岬人面岩、野根山街道笑い栂、道後石手寺、松山太山寺地獄絵、大山祇神社、尾道
2021年 02月 14日

まずは赤岡町。



絵金と絵金まつりについてはソレ関係の書籍でもあたってください。「血赤」を駆使した残酷庶民画で知られる幕末のすぐれた絵師です。怪異絵師としては同門の後輩河鍋暁斎とはまた違ったアングラ的というか直接的なサイケ芝居絵を得意としました。どぎつい。だから海から上がってくる死者を追い払うために「使われる」ようになったのです。地歌舞伎のかわりとして富裕庶民に愛好された芝居屏風を各家に残しただけでなく、夏まつりで鎮守の参道や相撲土俵脇に置かれる大絵馬提灯なども残しています(というか廃棄が惜しいので残された)。この町には他にも奇なものがあるようですけど、時期外れはちょっとさみしい感じ。廃寺あとに墓石が乱立する薄気味悪い場所もあるとききましたが(秀吉朝鮮出兵のさいの死者を弔ったものだそう)時間がありませんでした。
高知市内です。時間の都合で廻れなかった場所は敢えて示さずにさくっと。

風光明媚な五台山。
ここに明治初頭設立された西洋式医院。もともと攘夷論さかんな山間地で「あの蛮人医は若者を殺し油を搾り取っている」という風説が流れ、あるいは魔術で「ヘイムシ」という吸血虫にされてしまうといわれ、遂に一揆が起こった、これが有名な「脂取一揆」です。田中貢太郎も実録を残している。
五台山にはいくつか史跡がありますが、何故かここに興味をひかれました。あきらかにイワクラです。

大岩から泉が湧き出ていますが弘法大師ゆかりとか?

じつに神秘的でした。なんのへんてつもない場所なんですが。
五台山頂にある八十八ヶ所で知られる竹林寺、ここには猫関連のものがあります。



アラーの名の入った魚とか、このての話は世界中にありますが、「なんでこの古寺に招き猫が???」という意味でも面白かった。

いかにも古寺ふうで、いいお寺です。夢窓国師の庭にも南国の植物が使われている。
さて、川の多い土地ですが、いくつかの川の交錯する八洲は今はちょっと残念なところもありますが、かつては風光明媚で知られた場所でした。
今は弁天観音さんの仁王扱いですが、これが怪奇ものを得意とした実録作家田中貢太郎の一派が意気をあげたことで名を残す「八洲さま」、おたぬきさんです。
博浪会の面々がこの川辺に集まったわけですね。
高知でいちばん有名な怪異は?地元出身の物理学者寺田寅彦が書き記したことで有名な「ジャン」ではないでしょうかね。
この湾口(正確には外海への湾口ではなく浦戸湾の「くびれ」にあたる狭い部分)が渡合もしくは孕と呼ばれる場所で、シンバルを打ち鳴らしたような、あるいは空鉄砲を打ち上げたような「じゃん」という謎の音が響いたという。これが鳴ると魚が一切とれなくなる。田中貢太郎もそれらしいものにあったとある。今でも浦戸のここより外は良い釣り場となっていて、釣果はみな気にします。
このかなり「工業化」された埋め立て地は砂浜でした。「自由の松原」と呼ばれた場所がこの先にありますが今は完全に壊滅しています。
非常に狭い湾口で、寅彦が指摘した海底地形の変異現象の他にも原因を探れそうな気がします。今回行けなかった向かい側の岸にもいくつかふしぎポイントがあります。(別項)
このさらに先に行くと海岸はかなり埋め立てられ新興住宅も増えてはいますが、浦戸湾口の整えられた人工的な海際までは行かず依然古い雰囲気を残した仁井田に入ります。








何かあるんでしょうね。


猫が古株でしきりに爪を研ぐ。










実はここはもう田中貢太郎の生地のすぐそばなのでした。地元ネタを書き留めたものなんですね。


墓もすぐそばに設けられましたが、戦時中土地接収され、移転を繰り返して今はさんごセンターの手前の砂地に乱雑に集められた中にひっそりとあります。墓地名ははっきり決まっていないようで、事前に探すのに少し苦労しました。墓地公園と称していますが、たんなる砂浜です(海側は埋め立てられているので海に面してはいません)。実際行ってみると場所は幹線沿いでわかりやすい。中でも背の低い古い墓石を探せば南西寄りにすぐ見つけられるでしょう。




武市姓が見えますが、聖神より更にしばらく東へ行くと武市瑞山生家があります。
ある意味怖かった浦戸大橋。ここが浦戸湾口になります。








次は室戸岬です。空海関連のものが多いですが。かなり荒々しくまた観光化がされていない地域で静かに歩けます。















ここに室戸でも指折りの不思議物体が。鐘石です。


こちらは室戸で一番哀しく怖かった。










まさにガイジンさんみたいでいかにも天狗です。明治時代の写真名所絵はがきにもなっていました。外国人も目を引かれたようです。人面にも程が有る。しかし、

今度は奈半利に戻って徳島との境目のほうへ。参勤交代の野根山街道、険しい林道を途中まで車で登り、引き返す形で歩き下ります。



三里塚。この街道(というには余りに細くて淋しい山道ですが)にはきっちり塚が残っています。霧に包まれた異様な雰囲気の中では数々の怪異が報告されていたというのも頷けるものがあります。そもそもこんな不思議な道は犬が切り開いたといわれており、そま人でも恐ろしがったというのもわかる気がします。たとえばこの塚(道の両脇の石積みと切り株)には「骨になっても闘い続けた狼と猪」の伝説があります。大きな虻がまとわりついてきました。その底深い音はまるで坊さんのお経のように聞こえた。室戸でも感じたのですが、「お経怪談」はこのような雰囲気の中で飛虫がかなでる「羽音」が正体なのかもしれない。しかし羽音であっても、それは幽玄の感を強くするものに変わりはありませんね。















道後の石手寺は怪異好きも珍奇好きも国宝文化財好きももちろんお遍路さんも注目のスポットであります。





















珍奇の目からすればまだまだたくさん物件を秘めた仏教アミューズメントパークですが、こんなところにしておきます。












地獄絵の脇に鬼面をつけた竹節が飾られている。恐らく何かの病気の節に面を彫りこんだものだろう。しかしこれは、子供にとっては恐怖である。この堂は近在の子供には、恐ろしい魔界に思えたことだろう。私が見ている間も子供が覗き込んでは、怖いといって出て行っていた。鬼面と地獄絵と一面の墨書きの落書きには、日本という国の古さ深さと恐ろしさを改めて認識させるものがある。地獄絵がこんなに身近にはっきり見られる場所もないだろう。鐘楼の薄暗がりは彼岸との接点を演出して、頭上に仰ぎ見える鐘は魔を払うのか、呼ぶのか。綱を引くと、低く深い音色がひびきわたった。













松山三つ目の国宝の寺、大宝寺は駅裏すぐの山際にある。







おまけ。
大三島宮(大山祇神社)は武士の信仰厚く国宝武具を多く所蔵している。斎田はそれほど珍しいものではないが、神と相撲をとる「一人相撲」はいかにも戦いの神社というふうの習俗だ。しかし現代では珍奇の目を向けられるものでもある。






尾道。






