江戸怪談 おめでた話の天狗僧
2017年 08月 01日
ある夜、またも姿を現した僧、ばつが悪そうに言う。
「今日は酒代が無いのだが、飲ませてくださいませんか」
「ああ、いいですよ」男は愛想良く答えた。「気にしない気にしない」縁台に酒と肴を出した。
腰を下ろした僧は会釈して一献傾け、虫の音に耳を傾けながらしばし悦に入った様子であったが、ふと振り返ると男に話しかけた。
「あなたは未だ妻を娶らず独り身と見ました」
「私よりあなたに妻を差し上げましょう」
「私は未だ独り身です」男はいつもの軽口だろう、と思った。
「いただけるものならいただきたいですな」
僧は了解した、と胸をたたくと、「それなら明日、夕方に連れて来ましょう」と言って立ち上がり、宵闇に消えた。
翌日の夕方、約束どおり、僧は店に現れた。僧の横にもう一人人影があった。
男は驚いた。裸の美女だった。
「昨日約束したあなたが妻とすべき女は、これです」
「夫婦になりなさい」
それだけ言い残すと、僧は酒も飲まず、立ち去っていった。
男は呆気にとられ立ちすくんだが、やがて女をしげしげと眺めた。腰巻を締めただけの丸裸であった。しっとりとした肌からは湯気がたっている。
「ええと、あんた」
女は呆けたような顔をしている。
「一体そんな格好で、どこからいらっしゃった」
女は呆けたような顔をしている。
「このへんの顔じゃないな。あの坊さんとどういう関係で」
女は呆けたような顔をしている。
まるで正気が無い。傍らに包みがあることに気がつく。開くと金子が入っていた。
「嫁入りするような格好じゃないが・・・」
そうしていると近所の人々が集まってきた。男やもめに裸身の美女を任せるわけにもいかず、とりあえず隣の家が引き取ることになった。翌日、その翌日もさまざまに介抱し、三日ほどするとやっと正気を取り戻した。
「どこの国の人じゃ」
「・・・我が身は江戸吉原町の某家に仕える遊女である」
「湯に入り出てそのまま二階の縁先で涼んでいたところに」
「何か恐ろしいものが飛び来て、我が体に当たり」
「そのものに身を掴まれたと思ったとたん、そのまま正気を失って」
「・・・すこしも覚えていない。ここはどこの国ぞ」
問い返す女に人々怪しみつつ答える。
「ここは相州小田原近くの某村という所だが、近頃見慣れぬ僧が一人、数度酒を飲みに来ることがあり・・・」いきさつを説明すると、
「その身をここに連れ来て、そのまま去っていった。」
と語って聞かせた。
そうして、その旨を領主に訴え出ると、領主から公に訴え、詳しく糺されたが、女は間違いなく吉原町の遊女であった。
「天狗のたぐいでもあったのだろう。これも何かの縁、好きにするがよい」とのお達しが下った。
女も抗わず、男は仮親として女を身請けそのまま、妻に賜り、夫婦になった。
僧は二度と現れなかった。
~宮負定雄「奇談雑史」安政年間 より編