江戸怪談 妖刀のはなし

b0116271_14581838.jpg
目黒在住の百姓たちが鳥の死んだのを捨てに行って、夜四時帰るところ、長い大小を差した侍に行き会った。百姓たちが手に手に棒を持っているのを見て、この侍は大いに驚いた様子で、二三間飛び後ずさり、手早く股立を取って高声で呼ばわるには、 

お前ら人を見違えたか。日頃物騒だと言われるこの道を、一人で通る者に腕に覚えがないわけがない。望みあらば刀の切れ味をふるまってやる。命が惜しいなら立ち去れ 

と、はったと白眼を剥いて言った。 

百姓どもは口々に、 

私ども全くそのような者ではありません。この辺りの百姓です 

と言ったけれども合点しない。 

そんなことを申すな。油断大敵だ。先んずる者は人を制す 

と言うままに氷のような刀を抜き放つと見えたら、電光のようにして、即座に三人まで斬り倒した。残る者どもは思いもよらぬことなので、わっと言って逃げ出す。 

この侍、なおその辺りを徘徊して、また三人を斬り殺した。 

夜が明けても未だ立ち去らず居るので、親兄弟を殺された者たちは在所の人を多く集めて敵を討とうと追い取り巻いた。そのうち一人が進み出て、鳶口をもって打ち倒そうとしたのを、飛び越えて真っ二つに打ち殺した。残る百姓どもは梯子で捕まえようと進んだが、切り抜けて走って行ったので、早拍子木で知らせ合い、前後の道を塞いだところ、逃げられないと思ったのだろう。 

竹藪の中に入り切腹して死んだ。 

この者、小川町猿楽町の伊東播磨守長寛の家来で、剣術師範をしていた者だった。この日は新田神社へ参詣したところ、その途中から乱心したに違いない。 

村人を多く斬った刀は、粟田口康綱といって比類ない名刀だった。しかし刀鍛冶康綱が後に乱心したからであろうか、その作を帯刀する者は乱心して、人を殺める事があると伝えられていた。今もってこのようなことが起こる。刀によって善悪もあるということであろうか。 

(著者不詳「梅翁随筆」) 

最後にごにょごにょ考察があったのは全部削除しました。訳出したあとでネットに既に訳出してる人がいたのでちょっと落胆しました。(笑)

2013年01月18日16:48mixiサルベージ
※ググると私のブログが一番に出てくる(苦笑)
有名な話らしいですね。「寛政紀聞」にも似た話が見えるとのことで、そちらでは下手人は最後までわからなかったことになっています。

※抜丸などといった伝説的な名刀(大蛇や猿が主人を襲おうとしたところ自然に抜けて斬り捨てようとした)の話と組み合わせようと思ったんですが、余りに時代が違いすぎるのと方向性が違うのでやめました。粟田口もまたよく知られ、百姓が持ち歩いていたらにわかに雷に襲われたところ、自然に抜け龍を斬ったという話を、怪物図録のどこかに載せた記憶があります。いずれも名刀にまつわるよくある俗説です。

写真は目黒のものか刀を載せるべきところ、たまたま彰義隊の碑に怪しげな光が写り込んだ写真があったので、サムライの象徴として載せました。

by r_o_k | 2017-07-20 14:57 | 不思議
<< 江戸怪談 ねこのはなし 江戸怪談 懐中に石入れし事 >>