江戸怪談 殿様と狐

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丹波亀山の城主松平伊賀守殿、ある時、御仏殿をごらんになったところ、スッポンが食い散らかしてあった。

詮議の上で、狐のやったことに違いない、たとえ畜生だったとしても、御代々の位牌の前に、このようなこと、堪忍ならない。明日は、早々に狐狩りをせよと怒りなさった。

その夜、殿の居間の前に、物音がしたのを怪しいとして、戸をあけて見たところ、狐を蔓で縛った友狐二匹がいて、その蔓の端を咥えていた。

よく連れて来た。「それ」を取らせるぞ。

とおっしゃったところ、即その場で、喰らい殺してしまったという。



藤堂大学頭殿が飼っておられた孔雀を、安藤対馬守殿が借りなさって、蠣殻町の屋敷で籠に入れおいていたところ、ある時、狐が取って、頭と尾だけを残して行った。

対馬守殿は大層立腹なさって、そのまま屋敷にあった稲荷の社を破壊なさってしまった。

その夜、対馬守殿の夢に狐が来て、

今度のことは、全く私の知らないところだ。おそらく、よその狐のやったことであろう。三日のうちに証拠を見せよう。

と言ったところで目を覚まされた。

三日目の夢にくだんの狐が来た。

このほど下手人を突き止め、刑罰した。

と言ったところで驚いて起き縁側にお出になったところ、大きな老狐が殺されていた。

殿は深く感心して、すぐに社を造営なさった。



尾州竹腰山城守殿の飼われていた鷺を狐が取って食ったので、茶坊主に申しつけて、狐の穴のところへ行き

急いで鷺を返せ、さもなくば、狐狩りをするぞ

と言わせたところ翌朝庭の籠に生きた鷺が入れてあった。

不思議なことだ。

そうしているうちに、これはどこから取って来たのだろうと詮議するところとなり、その頃、遠山彦左衛門の飼っておられた鷺がいなくなっていたことがわかった。怪しいと言って、それを見せたところ、その鳥に間違いないということになった。



尾張大納言殿、津島で鷹狩りをなさっていたときに、烏犀円(薬)を調合するために狐の生き胆を取らせよと、加島道円におっしゃられたため、餌刺(鷹の生き餌の小鳥を取る職業)の市兵衛が承って、狐を捕えたものの、私用のことがあって帰宅したいと思ったが、生き胆を抜かなければならない人は他にはいなかったので、しばし仕方なく立っていた。すると御台所の中間が声をかけ、そのことだが私がやっておきますから、肉と皮を下さいと言ったので、それは目的の外のことだから簡単なことだ、全部あなたに頼むと言って帰った。

中間はすぐに肝を取った。すると同じ頃、清州にいた彼の妻が、にわかに物狂って、

その役人でもないのに、それがしを殺すいわれはないではないか。これによりこの者を取り殺し、くだんの恨みを晴らそう

と罵った。人々は驚き、

それはお前の間違いだ。そうならば、何故殺した者には憑きもせず、仔細も知らない妻を、このように悩ませるのだ

と言ったところ、

いや、彼のような、それがしを殺すばかりか、肉まで喰らうような強敵の者ならば、我が憑くことも難しい。夫婦の仲なのであるから、この者を殺そう

と、さまざまに狂った。この事が上の耳に入り、太守がお聞きになって、

狐は霊のあるものなので、道理を詰めて言って聞かせれば、必ず聞き入れることだろう

と言って、真島権左衛門を呼び、お前が行ってこう言えとおっしゃった。

なにゆえその者を悩ませるのか。当方より言い付けて殺させたのだ。また私は遊びで狐狩りをして殺したのではなく、このたびの事は、特に薬を調合したいという事だったのだ、同じ死すべき命を、人のために捧げたことは、悦ばしいことではないのか。早々に退くべきだ。

仰せのままに申し聞かせたところ、憑き物は涙を流し、

何たること、我らごときの畜類が、大君の厳命をこのように承る事、有難く存じます

と言うや否や、たちまちに物の怪は去って行った。

(神谷養勇軒「新著聞集」)

mixiサルベージ
古今著聞集にならい説話集として、仏教や封建体制に立った書き方をしているが、内容はけしてその窮屈な範疇にとどまらないものとなっている。武家は屋敷内に稲荷を置き町民の参詣を許すことも多かったが、しばしばそのような稲荷には特殊な力を持つ狐が宿るとされ、幕末には流行神として武家にとっても収入となった。しかし、けしてウソを喧伝されていたわけではなく、広大な屋敷には狐が住んだり、慣れたりもしたようである。大洲加藤家上屋敷には加藤稲荷という怖い狐が人を馬鹿した。この写真は旧屋敷そばにある町会のものだが、加藤家自体はじつは大洲八幡を勧請した八幡社を建てていたのであり(復元されている)下谷稲荷の関係と混同されていた可能性がある。

by r_o_k | 2017-07-19 16:09 | 不思議
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