江戸怪談 葬式儀礼のこと二題

2012年12月13日・2013年03月04日
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商人の亀山伊兵衛という者、自分をはじめ和徳町の近江屋久兵衛、越後屋伊三郎、粘屋某の計四人で案内の男一人に弁当を持たせて大沢山に栗を拾おうとして行ったことがあるが、だんだん時がたって昼ごろとなったので、さあ酒を汲もう、といい場所を探してあちらこちらを探していた。

すると少し平らなところに一本の杉の木があって、その下にとても垢染みた小皿に燈火を点して、古びた吉野蒔絵の盆の縁が少し欠けたものに団子を盛り、網の目の模様が描いてある仏茶碗というものに水を汲んで一枚の板の上に備えてあったので、これは最近死んだ者の墓だろうと何と無く気味が悪かった。

折から小雨が降ってきて早く止むような空とも見えなかったため、村に降りて弁当を開こうと皆々山を下りて大沢の村に至り、とある家に寄って雨宿りを頼んだ。六十余りの老婆が一人出てきて快く受け容れたので、すぐに中に入って四方を見やると、最近の不幸と見えて仏壇に位牌を飾ってあるがその手向けてあるものは垢染みた小皿に燈火を点して、古びた吉野蒔絵の盆の縁が少し欠けたものに団子を盛り、網の目の仏茶碗に水を入れてあるなど、即ち今山で見た物に露も違わない。大変いぶかしく不幸のゆかりを尋ねるに老婆が言うには、

さればとよ、息子が何日か前に後ろの山で馬に胸を踏まれてはかなくもそこでにわかに果ててしまったが、今日はその十七日だ

と涙ながらに語る。それはまことに不憫なことだ、私らが先刻山をまわったとき平らな杉の木の下に今仏壇に供えてあるものと同じものを手向けてあるのを見て来たが、それならばそこに葬ったのだろうと言えば、老婆が言うには、

いかにも平らな杉の木の下で死んだけれど亡骸は代々の墓所に納めたので、杉の木の下には重ねて何も手向けてなどいない、ただ家の仏壇にのみこのように手向けているまでです

と語った。

皆々とても怪しみ戸惑って狐に化かされたように、そこに居るのも躊躇われて挨拶もそこそこに他の家に移って食事をしたためて帰った。実に世に言うことわざに、手向ける物は必ず仏に届くというのは偽りではないと、この伊兵衛が語った。

(平尾魯遷「谷の響」)

天保年間の話。 周防国熊毛郡島田村の農家に兼清重五郎蔭正という者がいた。本居大平の門人として名高く、少々著書もあった。

この人が二、三年前に亡くなって、その墓に仏式に梻(しきみ)七本と卒塔婆などを共に立ててあったのが、夜の間に抜いて投げ捨ててあることがあった。立て直して置いたが、また夜の間に投げ捨ててあった。こうして七日目にあたる夜、母と妻の夢に出て、

かの二品は目障りなので立て置き直すな

と言った。翌日母も妻も墓に詣でて生きた人に言うように言うには、

七本卒塔婆も梻も立てるのは世の習わしですから、取り捨てなどしたら人聞きが悪くございます。梻は今から除きましょう。榊に改めます。七本卒塔婆は四十九日の間はこらえて下さい。その後は取り除きますから

と断った。その夜からは投げ捨てられなくなったという。

(岩政信比古談・松壷あろじ千家尊澄筆「桜の林」)
(mixiサルベージ)

by r_o_k | 2017-07-18 23:09 | 不思議 | Comments(0)

岡林リョウの日記☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi