



五、七日ほど過ぎた頃のことである。
門前に蟻が夥しく出て、柱を伝い燕の巣に群れ入っているところが見つかった。
燕の子は全て死んでいた。
蟻の来る方をたどると、右門から割下水の方へ長い列をなしている。割下水を覗き込むと、捨てた蛇の朽ち果てた全身があり、そこから無数の蟻が湧き出ていた。
全く蛇の遺念が蟻と化してついに燕子をとったのだと、芹沢の語ったのを記しておく。
(根岸鎮衛「耳袋」巻之九)
天野城州が日光奉行勤めの折に話したことだ。日光に在勤の時、今市という所で長持の売り払い物が出たが、誰も買おうと言う者がいない。
近在の者にいわれを尋ねると、元は東照宮御神領の内の村で、富貴な家がこの長持を所持していたのを、今市に住む身上のよくない者が、何とぞ富貴にならんことをと祈って買い受けた。それより日増しに富貴となって、今は裕福な家になっているという。
それならば長持を売り払おうという理由がわからない。
長持の中には三尺ばかりの蛇が飼い置かれているのです
四季の草を入れ、二度の食事を与え、とりわけ難儀なのは二、三ケ月に一度ずつ、家の主が全裸になって長持に入り、布をもって蛇の全身をくまなく拭き、清めてやらなければならない
・・・決してこの事を怠ってはならない
うんざりして、人に譲ってしまいたいということなのです。
しかし手放してしまっては富貴が去るのではないか?
確かに富貴を求めたい心からこのような事にも耐えてきたのですが、どうも巷の噂話を耳にしたようなのです。
あの蛇は人間なのだと。
昔、ある者の妻が懐妊して、出産とあいなったところ、蛇が出てきた。
恐れて長持に押し込めたが、殺して捨てるには忍びない。そこで人に譲った。それが流れ流れてきたのだということです。
事実かどうかはわかりません。いずれ、余りの忌わしさに売る気になったのでしょう。
長持は今も今市にあるという。
(根岸鎮衛「耳袋」巻之三)
江戸山王永田町辺りの事というが、赤坂・芝ともいって正確な場所はわからない。御三卿方を勤める人に、苗字は伝わっていないが、清左衛門と名乗る人がいた。どういうわけか、小蛇を養い、夫婦共寵愛して、箱に入れ、縁の下に置いて食事を与えていた。
天明二年まで十一年養ううちに、段々成長して殊の外大きくなった。見るもおぞましいものであった。だが夫婦は愛する心から共に朝夕の食事の時も、床を叩くならば縁の上に頭を上げるので、自分の箸をもって食事を与えた。
下男らも始めは恐れおののいていたが、しまいには慣れてしまった。夫婦は
縁遠い女子などはこの蛇にお願いしなさい
と言った。そこでさっそく食事など与えて祈念をなすと、御利益というべきかその願いが叶うこともあったという。
天明二年三月に大嵐の来ることがあったが、その朝もいつものように呼んで食事を与えようとすると、縁の上に上がりこみ、何かとても苦しむ様子だった。
どうしたのだろう
と夫婦も一心に介抱していると、雲が起こり激しい雨が降り出した。
蛇は始めは縁側にうなだれていたが、頭を上げ空を眺め、やがて庭のすぐ上まで雲が下りてきたと見るや、縁から庭へ一身を伸ばした。一段と雨が強くなり、そのまま昇天してしまった。
(根岸鎮衛「耳袋」巻之二)
江州の富農の石亭は、名石を集め好む癖があった。既に雲根志という奇石の書を綴ったことは誰一人知らぬ者はいない。ある年行脚の僧がこの元に泊まり、石亭の愛石を見せてもらった。石亭が
貴方も珍石を集めていらっしゃるのですか
と尋ねると、
私は行脚の身ゆえ集めているものなどございませんが、一つの石を拾って常に荷の中に蔵しております。特に不思議もないものですが、水気を生ずるので愛玩しております
という。それを聞いた石亭は強く心惹かれ、ぜひにと所望してこれを見せてもらった。
色は黒く拳一個くらいの大きさで、窪んでいるところに水気があった。
石亭は限りなく感心し、
あなたに相応のお礼はいたしますから、なにとぞこれを譲ってください
と心底求めた。僧は
我が愛する石とはいえども私は僧ですからあえて執着する心はありません。打敷の布でもこしらえていただければ結構です
と言ったので石亭は大変喜んで金襴の打敷をこしらえて、かの石と交換した。
さて机の上に出し、硯の上に置くと、清浄な水が硯中に満ちて、えもいわれぬ様子。以後厚く寵愛していたが、ある老人が訪ね来て、隅々まで見、深く考え込むと、
このような水気を生ずる石には必ず竜が潜んでいる。破裂して昇天でもすれば大損害を与えかねない。遠くに捨てなさい
と言った。常にもっとも愛してきた石だったので、むろん意見には従わなかったが、ある時曇って空が薄暗くなった折、この石の内側から気を吐くこと尋常な量ではなかったので、大いに驚いて、言われたことを思い出し、村の老人や近隣の者を集め、
遠い人家のない所へ持っていこう
と言うと、席上にいたある人が、
かような怪しい石ならばどんな害を及ぼすか知れたもんじゃない。焼き捨ててしまえ!
と言った。石亭は、
それはひどい
と一蹴して、人里離れた所に一宇の堂社があったので、皆でそこへ出向くと納め置いて帰った。
夜になって風雨強く雷鳴がする。かの堂の方から雲が起こると雨が一層激しくなり、中から天へ向けて昇るものが見えた。
行ってみると、かの石は真っ二つに砕けており、堂の様子からもまったくこれは竜の昇天した跡であると、村中の者が奇異の思いに駆られた。
そのとき村の方で大きな落雷の音がした。
戻ってみると、焼き捨てよと言った者の家が、微塵に砕かれていた。
(根岸鎮衛「耳袋」巻之八)
耳袋からだけ書きまとめてみましたが、うわばみ退治の話など蛇の話は多くあり、類する竜の話もまた同じような話がまま見られます。木の根方が爆発した、蝦蟇が龍となって昇天したのだ、の類が多いです。人が龍となって昇天する話もあります。好きな話に、小日向で墨を乞う僧侶がいて、与えたところ豪雨と共に昇天する竜が目撃されたが、その降る雨が墨汁であったため、あたり一面が墨だらけとなった、というのがあります。これは原典がはっきりしないのと私の中で変容している可能性があるので省略します(昔のエントリ参照)。