江戸怪談 建物奇妙のはなし

2013年03月14日
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文化の頃、下町の房斎という菓子屋が色々と趣向を凝らした菓子をこしらえ、ことのほか流行したが、数寄屋橋外へ同九年八月の頃に引っ越しした。そこでの出来事である。

召使いの者が二階の戸を開けようとすると、半分は開くが、それ以上開かなかった。手に力をこめて強く引いても開ける事が出来なかった。

ガタン、ガタン

その音を亭主が聞きつけて、

何故そんなに手荒くしているのか。壊れるではないか

と言って上がってきて、同じように開こうとするが少しも動かない。閉じるのには支障はなかったが、再び召使いが上がって開けようとするとやっぱり開かない。

翌日、またこの戸を開けようとすると半分しか開かなかったので、力いっぱい押してから勢いよく閉めたところ、戸袋の中から女がひとり、

ズルリ

と出て、男に掴みかかった。驚き慌てて突き返すと消え失せた。

その翌日、この召使いが用事から帰ってくるときに、自分の見た女の着ていたのと同じ着物が一重、軒口に引っかかり張り付いているのを見つけた。亭主が二階に上がり取り除けようとすると、ひらりと消え失せてしまった。

先に住んでいた者も、このような怪異があったので、房斎に譲ったのだろうと、人は語った。

戸袋の女はその後も時々姿を現した。

菓子屋は益々繁盛した。

(根岸鎮衛「耳袋」巻之九)

中川家領分豊州の城でのこと。城内であれ家中の長屋であれ祟りがあるというので、ある窓に囲いがしつらえられ封印して置いてあった。文化九年七月頃に城の修復があったとき、作事方を勤める役人が、

この窓は無用なので、塞ぐべきではないですか

と言った。作事奉行の頭は、

元からここにある窓で、怪異があるというので久しくこのまま置いてある。城地のことでありお伺いをたてなければ何もできない。江戸表の主人へ申し立て、その状況によって公儀へも伺いをたてるべき事である

と答えたのを、

そのように難しく考えるとできることもできなくなってしまう。普請の設計を変えるにあたっては、貴殿と私で内々にて話を進め注意深く直せばよいのです

と言ったので、その意向に任せてこの窓を塞いだ。

その夜のこと、作事奉行の頭が目を覚ますと、

視界の隅に怪しいものがいた。

身体は小さいが頭は恐ろしく大きく、眼は凄まじい光を放っていた。

「出ラレナイ」

ドタン!

大きな物音に気付いた者たちが駆けつけてみると、そこにはノドを食い破られ、血だまりの中でもがき苦しむ頭がいた。

その傷によって程なく死んでしまった。

このことが江戸表へも伝わり、元のように窓を取り付けたという。

(根岸鎮衛「耳袋」巻之九)

伊予国宇間郡竜の池の庄屋、竜池忠右衛門の屋敷のあった場所は昔は竜の棲むと言われた淵だった。それを村人総出で埋め立てたのだが、庭には四方三、四尺の池が残り常に水を湛えて、日照りのときにも乾くことが無かった。

寛永十五年七月十五日、地元の者が村の恒例の踊りを忠右衛門の庭で執り行った。ところが何があったのか夫婦は口論を始めてしまい、忠右衛門はすっかり腹を立て、宵から奥の間に入り八歳になる子を抱いて寝てしまった。

しばらくして子供が

アッ

と泣いたので驚いて見ると、枕もとの暗がりに誰とも知れない者が正座し、子の片腕を両手で引き掴み呑んでいた。ノドと見える所をひしと握ると、忠右衛門は声を上げたが、踊りの最中なので誰も気が付かない。掴む腕にはどんどん重みがのしかかり、かの者の大口に子はずるずると呑み込まれていく。

だ、誰かーッ

その声がついに届いたのかしばらくしてばたばたと人々が駆け入る音がし、振り向けば皆が異変に気づき刀を抜いて散々斬りつけた。怪しい者はごろんと横たわると次第次第に拡がってゆき、しまいには座敷一杯に広がった。燈火を掲げ改めて照らしてみれば、それは大きな蛇であった。半身を呑まれた子を大勢で引き出すと、髪の毛が全て抜け落ちて、顔は耳鼻もわからず半ばとろけたようになっていた。夫婦は狂乱し介抱したが、既に息はなかった。

他の者がどこから入ったのだろうと調べると床の脇にミミズの出入りできるほどの穴があった。またその外の水溜りの砂上に這い入ったような細い筋が見つかった。さてはこれだろうということになった。

蛇の死骸は溶けるように床に染み込んで消えた。

程なく忠右衛門は患いつき死んでしまった。

まるで水中の鯉のようにぱくぱくと口を開け閉めして溺れるように水を吐き死んだ。

妻は庭の池に頭を漬けたまま死んでいるのが発見された。

それより兄弟、その子供、伯父、伯母、従弟に至るまで、一族七十余人が次々と死んだ。

人気の無くなった屋敷は池より溢れ出る水で水浸しとなり腐り果て、いつしか元の淵のように深く水を湛える中に沈んでしまった。

同じ一族の此都という座頭が、当時十八歳で唯一死を免れ、のちに阿州に来て語ったことである。

「何故あなただけが生き残られた」

問われると決まって此都は衣を脱いだ。

背から腰にかけて一面びっしりと、鱗に覆い尽くされているのであった。

(神谷養勇軒「新著聞集」)
(mixiサルベージ)

by r_o_k | 2017-07-18 19:30 | 不思議
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