揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆Twitterまとめ日記。過去旅行の整理、歴史・絵画など。

島津家犬猫墓標、オットセイ、羽犬塚、猫塚、安養院狆墓、仁徳天皇陵古塔、東京都三田、島津家墓域内狗墓群、猫神・回向院猫塚・小石川猫又橋・動物の個別墓塔を戒名入りで建てるようになったのはいつからか

島津家犬猫墓標、オットセイ、羽犬塚、猫塚、安養院狆墓、仁徳天皇陵古塔、東京都三田、島津家墓域内狗墓群、猫神・回向院猫塚・小石川猫又橋・動物の個別墓塔を戒名入りで建てるようになったのはいつからか_b0116271_13482763.jpg

〜豪徳寺の猫供養塔
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〜ひらかな盛衰記より神崎揚屋の場面の猫化パロディ。傾城に身を貶した腰元の千鶴こと梅が枝が夫の梶原源太のため、富を得られるが死後無間地獄に落ちるという「無間の鐘」とみなし手水鉢を必死に叩くと小判が降ってくる有名な場面。しかし猫なので小判は無用(猫に小判)。降ってきたのはアジの開きということで、手水鉢もタコ。

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〜はなぐり塚(岡山)肉牛供養をする施設。食肉に供された「鼻ぐり」を山積みにしている場所をはなぐり塚と呼ぶ。ちなみに有名な田倉牛神社の備前焼牛馬を山積みにした神座は、もともと家畜の病気平癒のための祈願で供養ではない(参考)
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〜家畜を神にまつる例は個別にもよくある(馬頭観音のようなもの以外にも)。後ろにも掲載。鹿児島

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〜狆図(江戸時代)犬は狆(矮犬)、和犬、唐犬、洋犬の区別がされていたが、狆は別の種類とされることが多かった(他にも怪しげな分類がされることもあった)。ブランド犬でなければ体格も大きい洋犬が大名のステータスとなっており贈答用にもなった。狆はもっぱら室内犬で大名の奥にあったが、幕末には一般化したようである。北斎漫画におそらく写しも含めて分類がみられる。その一部。
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〜大久保利通紀尾井坂の変にて、大久保利通の巻き添えをくった馬や従者の供養墓(大久保利通墓)
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〜猫幽霊(黄表紙・見立て)

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本編。
犬猫供養は仏教的にどうなんかという感じもするが、初めから誰でも何でも供養のために設立された両国回向院には将軍自ら愛馬供養を依頼し、豪徳寺は井伊家ゆかりの猫の墓を作り以後どちらも貴賤問わずのペット供養のメッカとなっていたようだ。家畜の死骸を処理してもらうため持っていく場所だった小塚原刑場も、同じ回向院として猫の墓が作られ、吉田松陰や高橋お伝などと同列に並べられていたと明治中期の記録にある。しかしながらそういう行為はしばしば馬鹿にされ、戒名までもらって個別に墓石を建てられることはさすがにあまりみられないように思う。

イチコに愛犬の口寄せをさせ皆に呆れられる滑稽話が出るくらいである。(式亭三馬「浮世床後叙」あるじが檀那寺からブチイヌに「斑犬(はんけん)」の戒名を頂き石塔を立てたあと巫女に梓弓を引かせるさま、それを覗き見て笑う様子が滑稽として書かれている)
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将軍家の持ち馬でさえ小塚原の牛馬捨て場に持っていかれたもので、供養と埋葬・さらに石塔は別のものである。石塔は庶民ですら元禄時代くらいまでは許されない場合が多く、江戸初期を除けば大名ですら大きな石塔の建立は禁じられたと聞く。江戸の墓がみな小さいのはスペースや衛生上の問題でも火葬が一般化した以外にそういう理由もあろう。乗馬の供養塔は万延年間に表向き馬頭観音と書かれ裏にひっそり乗馬供養とした石塔が小塚原に残る※。そんなとき島津家が菩提寺の墓地に残した石塔の中に犬猫のものがあったと聞いた。犬は戒名と没年が刻まれ(4基)、猫はただ猫塔(1基)とある。縄文遺跡で知られる伊皿子遺跡の斜面の貝塚上にあったものである。今は杉並にある大圓寺の移転時に残され、屋敷の隅に積んであったものを電電公社が斜面部をまるごとさらって壊滅するさい調査が入り、近所の三田資料館に保存されていたが、資料館移転にさいしていったん、今年は多摩の埋蔵文化財センターに犬猫埋葬例の説明とともに猫の塔だけ展示されている。(追記)白金移転後、犬塔2基と猫塔が常設展示されている。

猫の塔が最も古く明和3年(1766)、犬は文政10年〜天保6年(1827-1835)に集中して作られており幕末の鹿児島同様、特定の人物にまつわるペットだった可能性があると思う。文政13年2塔のうち「素毛脱狗之霊」と霊位のつけられた俗名「白」(左側面に御狆白事と刻まれる)の墓石は下に掲載した通り彫刻が明瞭だが、他は猫も含めて切石にそのまま文字を刻んだ簡素なもので、破損しているものもある。
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:色はスキャナーのせいで赤っぽくなっているが緑。2番目の左に大奥の記載がある。染という(正面に天保6年の年号と離染脱毛狗之墓 三田御屋舖大奥御狆 名染)※当時一般的には犬と狆は種として区別されたがここでは戒名には狗、俗名には狆と記載されている。
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「江戸動物図鑑」より。珍しく俗名戒名ともに亀という。亀毛俊狗之霊、俊狗なのに亀という矛盾はあるがこれは狆ではないと思われる。
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折れており、年号は推定可能だそうだが他はほぼ不明。「○橋御狆 ○鼻養狗之霊」鼻というのは珍しい戒名だが鼻が利くということだろうか。
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島津は動物については特殊な感覚があり、琉球や南蛮の影響から犬を含む肉食を早くから復活させたが、一方で大奥では非常にペットを愛していたことも記録より伺える。犬追物の古式ゆかしい中世儀式の維持も(その殺めない方法も含めて)関係しているかもしれない。また飛脚代わりとして通信犬(お伊勢さん代参の犬みたいな方法で飛脚のように使った)というものを早くから利用し各地の情報収集にあてたともいう(これは維新前後という時期ゆえか立派な墓があるとのこと)。ここにあるものは墓石としては粗末だが、回向院の猫塚と比べても本式の印象があり、また、あちら(伝承でしかなくはなはだ疑わしい面もある)が人間の名前で戒名を刻んでいるのに対しこちらははっきり動物として葬っていたのはめずらしいことだ。この件はいわゆる名犬・妖猫という物語性のあるものとは切り離して永に考えていきたいです。
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:猫の塔

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:武家屋敷への埋葬事例は多いものの、埋葬方法は家によりさまざまだったようです。横たえてそのまま埋めるもの、木槨の残骸のようなものが見られるもの、また白金館跡では三途の川の六文銭を載せた犬の骨が出ている。類例もある。
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伊達屋敷(大井町)埋葬の大型洋犬の復元骨格(品川歴史博物館)
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:猫もそれぞれの屋敷で同様に埋葬されている。これは汐留遺跡。犬、猫とも一方では肉を削ぎ切った跡のある骨が出ている。多くは犬が食用とされた時代を象徴したものだが、猫は三味線の皮を取るため損壊された可能性もあるそう。




※こちら。
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鹿児島県鹿児島市
福昌寺跡島津家墓所
この中に婦女子を集めて祀った場所があり、もともと別の寺のものだったといい、そこの一番うしろに愛玩犬墓が密集している。おそらく一部を除き幕末明治初期に一気に作られたもので、神道式?(頭が尖る、しかし前面には卒塔婆型の窪みがあり戒名を刻む)の墓石に霊位ないし位として戒名もしくは戒名的な尊称をつけた俗名を置いている。一番右に同じ形大きさで尼と結ぶ戒名(同じく霊位と置き字)の墓石が並び、この人の縁の犬だったのかもしれない。あるいは犬の乳母のような人がいたのか?どれが犬の墓かは戒名に「狗」の文字が(維新後の新しいものを除き)必ず入っているのでわかります。一番右の墓所奥、亀の右手奥です。迷ったので。
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:ボケボケですが右端が尼とされる墓石。
詳細情報は以下ページを分けました。



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(追記)東京都目黒区
こちら気づかなかった。もともと目黒不動尊の塔頭だったようですが今は天台宗の古刹、「寝釈迦」安養院。とくに石仏の寺として古くから威容を誇っていたが、近代建築の寺として整備され最近はコマーシャルなどでもおなじみの納骨施設を伴うビルとして建て直され、境内も結構変化しました。それで気づいたんですが、お寺の直接の施設でもないかもしれませんが、ペット供養塔の向かって右側に文政十一年に没した洋犬の大きな墓があります。裏面に長い文章が掘られてますが位置的に読めません。
「和蘭矮狗玄雋之霊」
オランダ小犬「玄雋」の霊、立派な犬の墓です。江戸後期と島津のものでも古い墓と同じ頃でしょうか。この寺は赤穂浅野本家が大檀家だったそうで、側室とゆかりがあることから、この「狆」もそのあたりと関係があるでしょうか。ほんとのところは聞いてみればいいのですがとりあえず。

両国回向院
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慶應2年というから幕末の唐犬八之塚。「は組新吉」が施主とある。生き写しの姿は近代以降はまま見られる。
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動物供養碑は多くあるが、名前を刻んだものは少ない。こちらは近世のもの。馬は馬頭観音として回向院では篤く葬った。
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大正末年のオットセイ供養塔。こちらは曲芸のオットセイで、葬式自体も興行化したというが、ソースを知らない。そんなに古いものでもない。

(脱線)
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旧二子新地花街の「ねこ塚」
二子玉川(瀬田)の丘陵上の古刹、行善寺に移築されている。三味線に使われた猫の供養塔。二子新地自体が最盛期大正と新しいためこの石碑も新しいとおもわれる。冒頭に揚げた写真も四谷津の守の花街にあった三味線屋。


鹿児島県鹿児島市
仙巌園内の「猫神」
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庭園内におかれた島津家縁の江戸前期の祠とされるが、昭和四十年代に整備したようで今の祀り方はそう古くはない模様。十七代義弘の慶長の役での「時刻計測」からきているという(瞳孔の開閉)。猫が祀られるのはそう珍しくなく、特に東国では養蚕の展開とともに鼠取として一般化した。階級関係なく重宝された益獣であり、ここでは猫の目の変化によって時を測るということに結びつけて時の神様としている。百日咳に益あるとも言われたようである(江戸時代は一般人が立ち入れた場所でもなかろうので詳しくは不明)。
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さて妖猫や怪犬の墓はどこまで本気かわかりません。例として有馬屋敷の猫塚(石塔は近世のもの、元々の標石は自衛隊施設内にあります、別記)、羽犬塚(筑後、別記)を下に貼っておきます。前者は古墳を使ったもので江戸屋敷にあった。確かな伝承はなく、原話とは違うぽい。芝居がかっています。後者は名犬の系譜に連ねてもいいかもしれない。名犬の墓は研究されているかたがネットにも論文を出しています。
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こちらは香川の鬼無、桃太郎神社の犬の墓。猿、雉も並んでいる。こういうところは完全に後付けの民話系でしょうね。
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その他、犬猫供養をいろいろと。回向院。
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谷中の仮名垣魯文関連、猫塚の数々。興行も関連している。灯籠内に眠り猫がいる。
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六世中村歌右衛門墓前の犬
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忠犬ハチ公墓(飼い主の墓前)
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個人墓の例。幕末明治の浮世絵師にも愛猫家がおり猫供養塔を設えているところもある。
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現代の例

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昭和以降と思われる。現代はどこの寺院でも受け入れる傾向にある。無縁塔の脇に多い。
その他
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戦争関連。
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戦争ではないが神馬像(住吉大社)
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2017年7月11日

覚書。藤岡屋日記に文化十三年三月頃、深川の裕福な時田喜三郎の飼猫、出入りの魚屋利兵衛は魚をやって可愛がっていたが体を壊し困窮する。猫、時田家から一両小判を盗み置いていく。利兵衛持ち直す。十三両持ち出そうとした時、叩き殺される。話が明らかになると回向院に「値善畜男」と小墓を立てた。立てたのはむろん喜三郎の方。

回向院水子墓の脇とあるので人間と畜生の間のもの、と名目を立てて猫の墓を建てたのか(脇に時田喜三郎猫と彫ったと)。回向院がペット供養のメッカとなるのも遠い先ではなく、その先がけだったのだろう。ペット墓へ仏教的に合理性を持たせた例として興味深い。

あれ?これ猫塚のことだとする説あるの?猫塚はいくつか造立者の名が推定されていて、考えてみれば同じような話だ。奇異なものだと思って見ていた(先年まで気づかなかったのはさいきん位置が移動しガラス張り&標識がついあかららしい)



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下にも引いた昭和二年「墓碑史蹟研究」第二巻に掲載された「銀猫墓」。台座から同じものだが、欠けた墓石の後ろに石を貼り補強しているのがわかる。前面には少し文字が見えるように思うが、戦災の酷かったこの辺では状態も仕方ないだろう。この猫塚については鼠小僧次郎吉の墓の横にあることから、鼠小僧と間違えて掻いていかれたため無残な姿になったともいう。豪徳寺の猫塚が金運祈願で欠かれてしまったのを思うと、鼠小僧は関係ないかもしれない。

猫また橋の異聞に鎌倉屋喜平の猫の話が出てきてよく似ている。寛永年間、小石川の話。これは恐らく芝居を底本とした仇討ち話のアクセントに取り入れられたもので本当の名前ではないだろう。(佐藤龍三「江戸伝説」)


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簸川神社下の猫又橋(張交絵「江戸の花名勝会〜ね」より左下)元治2年版。幕末なので北斎は原版の意味?単にウソだろうか。猫狸橋の表記は明治時代もみられる。猫股橋とも。
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文化6年(江戸名所図会と同じくらい)草双紙「復仇猫股橋由来」勝川春扇画から。仇討話を黄表紙で。角度の類似を見よ。
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江戸名所図会より(東京名所図会はこれの模写)
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、二股で渡れる木股橋(根っこ股)と唄われた
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現代だとこういう方向か
明治時代の積石橋写真が「礫川要覧」に掲載されているというが、手元のものを含め3冊確認できず。この本は写真が脱落もしくは版により変わる可能性はあり、後年の合本を見たほうが良いかも。ただ、元の誤記の可能性が高いと思われる。(二次資料をもとにしているなら二次資料の参考先の誤り)
→猫又橋の写真をあっさり見つける。小石川区史、昭和5年1月着手10年発行、したがってここで猫又橋(猫狸橋)の写真とされる石橋は大正7年3月にコンクリ橋となり昭和9年暗渠になったため既に存在せず、着手以前に撮影されたものだろう。この前には木橋だったとあり伊藤晴雨が明治末期に絵に描いている。親柱と袖石は庭石となり、残り現地に袖石二本移されたようだ。
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伊藤晴雨(氷川田圃)
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氷川神社(近世に出雲の出の別系統という説にもとづき簸川神社と改称、今の小石川植物園の縄文遺跡あたりにあったものを江戸前期に移築、小石川の川を見下ろす高台で見晴らしがよい。寛永年間、川越の彦兵衛という絹商人が亡くなった男児のかわりとして拾った男児を大事に育てるが、塚山新八という浪人に金をせびられ断ったがために殺された。妻お波と義理の息子門二郎は武芸で父の敵をうたんと彦兵衛の愛猫である斑猫を連れてこの氷川神社の辺りに来て住んだ。門二郎は近所の武芸者のもと腕を磨きお波は安心していたが肺病にかかりたくわえも尽きて貧乏となる。門二郎はいろいろ働くが猫だけは父の形見と大事に飼っていた。その猫がある晩、お波の枕元に小判を一枚咥えてきた。二人して猫を叱るも、小判を咥えてくることをやめなかった。近所に鎌倉屋喜平という金貸しの金持ちがいた。しかしこのところ帳簿が合わない。ある夜気配がして喜平見ると猫が箪笥の引き出しから小判を咥えて去ろうとしている。叩き殺し、後ろの小石川に捨てた。お波門二郎はうわさを聞き残念に思い、小判一そろいを持って涙ながらに鎌倉屋を訪ねた。喜平は門二郎の顔かたちが亡妻と瓜二つなのにびっくりした。聞くと拾われた子という。奇遇なり我もと武士で旅先で産気だった妻が死んでしまい乳にこまって捨てた子がある、それが彦兵衛の家で、門二郎は実子だとわかる。三人はうれし涙、後見として門二郎に仇を討たせお波を引き取り家を門二郎に譲った。猫のおかげと小石川を探したが死骸は見つからず、記念のためとして橋を架けた。そして猫また橋と名付けたのである、という芝居がかった話も佐藤隆三「江戸伝説」に記されている。門二郎の子孫は今は岸野姓として巣鴨に住んでいるとは当時の話。)


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いうまでもなくこういうことはよくある。よそから勝手に話をもってきてしまう江戸以前の伝承の在り方です。渡辺綱(自身が東武士で三田の生まれで晩年戻ったというのも思いっきり異説がある模様)土蜘蛛退治の伝承も、昭和初期くらいまで語られたが今は現地にも地名しか残っていない(取るに足らない話と明治には既に書かれていた)。その位の信憑性。

ちなみに昭和二年「墓碑史蹟研究第六巻(正規出版版)」はこの五輪塔を仁徳天皇陵塔としている。説明はない。

(追記)十方庵「遊歴雑記」2編下巻(文化13年)に訪問記がある。大円寺の古塔は檀家の牛込御門内石古甚太郎が納めたもので、先土佐守在世時のことである。知行所大和摂津の間であろうか、昔から領内にあったものでただ仁徳天皇の陵とだけ伝わり、粗末にするのは心配だということで境内へ引き移し建てたのだろう、とある。既に少し火にやられ現状のような爛れ方はしていた模様。このような五輪塔は鎌倉時代以降。基台まで完形なら大和式かどうか型式的な追求もできるがこの時にも御影石の部分は全部ではないとあり、梵字の刻銘はあったというが、結局何のための何だったのか推定は困難と思われる。

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豪徳寺の猫については別項も参照。もともと竹林中に井伊直孝の愛猫、ないし雨宿りを促した招き猫を葬った塚があったと江戸名所図会などにあり、江戸後期にはあやかって愛猫供養に持ち込む町人が跡を絶たず回向院とならんで猫供養(寺として正式な埋葬ではなかったようだが)で知られるようになった。石塔残欠や謎の石塊が戦後まで猫塚としてのこされたが、これが今の招き猫のお堂の元となっている。三重塔まで建ち寺には恩猫以外の何者でもあるまい。あくまで境内祠の形をとっているが、今やシーズン以外も奉納招き猫だらけの中にひっそり、さらに規模の矮小化した石塊の塚がのこっている。
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:つい最近まで普通に露出していたが今は木の根方に垣間見えるのみ。
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:昭和三十九年
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:同時期。鼠小僧墓同様、金銭利益のため欠いていかれて無くなったのが実情のようだ。
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おまけ:白山神社の各町会の神輿蔵。ばらばら。


by r_o_k | 2017-07-17 13:46 | 旅行 | Comments(0)
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