
豪雨ですわ


2015年9月1日 12:33
船の上で昼飯。ヒレが壊れシュノーケルが水漏れして踏んだり蹴ったり



















































最近はどちらも観光コースに組み込まれ、夕焼けエステをやったり結婚式をあげたり、旅情も秘境感もへったくれもなくしょーもないのだが、むかしの八重山離島情報(新城島のリゾート施設がまだ現役で載ってるくらい昔)を見ると、当時今よりまだ開けていた新城島の近海にも、バラス島の文字が見える。
バラスというのは瓦礫の意味があって、つまり死んだサンゴの欠片でできた島ということだ。固有名詞ではない。で、こんかいそれを思い出し、新城島から対岸の西表島方面をよーく観察していると、確かにあった!ま白く輝くバラス島!
西表島の大原は比較的新しい入植地で、あまり見るものがないと言われるが、最近は新城島方面へダイビング船「など」を出したりしている(というか軍艦島同様こういう島には例え行政が何を言おうとも近隣の島民が自分の船でどんどん行くもので、目的はたいがい釣りだ)。ということはこちらのバラス島も観光化されるのは時間の問題かもしれない。その前に一度行ってみたいと思ったのだった。

上地島の通称「人魚神社」。正式名称は御嶽としてとうぜん別にある。巫女以外は入れないが石積みで道が作られており、前に来た時は迷路のように見えた。人魚というのはジュゴンであり、琉球王府へおさめる特産品としてその肉を輸出していた。ザンと呼ばれ、やはり少し他の魚やイルカなどとは違う感覚でとらえられており、下地島のほうは神として祀られた跡しかないが、こちら上地島の御嶽の奥には昔の話によればザンの頭骨がたくさん積まれており、一種の供養場のようになっているという。
アカマタクロマタの豊年祭とは関係ない(どうも色んな信仰が混在している二島でそれも個人が祀っていたものが遺されたりと謂れもはっきりしないものがあるらしい)。
乱獲もあったのか、ザンも滅多に見られなくなったという。
ほそく。新城島は二つの島から成り、極めて接近していることからパナリ(二つに離れた島というような意味)と通称される。各々は上地島と下地島という。よくあることではあるが近いのに言葉も風習も違う。ただ、豊年祭は似たものであったらしい。言葉や風習から、別の各地より移住してきたらしい、と考えられている。一説には済州島からの移民が元になっているともいうが眉唾と思う。
豊かな土地で焼畑で生計を立てられていたが、下地島は過疎化が早く、内地の人間に多くの土地を買収され開墾、牧場になってしまった。それも今はやっていないらしい。









つかこの遠浅の海岸で天候不順やや高波、リーフのへりまで行ってシュノーケリングするのって危ないよなあ、、近くまでは行ったけど
おじさん、生きてる珊瑚を踏むのは止めようね


こんなの至る所にいたのに、最近はツアーでインストラクターがわざわざ連れてくような貴重品?になってるみたいだ。足のつくくらい浅い海でもイソギンチャクのカタマリにカクレクマノミが群れてる光景は八重山では普通だったのに、足のつかない所に点在するようになった。ニモのせいで乱獲されたのか。西表島では今でもよく見るけどねえ。




