仙台高尾の足跡を追え!(出身地、昭和明治写真追加、高尾考挿絵追加、仙台の高尾門、通称高尾墓写真、昭和初期写真を追記)ついでに薄雲太夫の墓参り。→結論めいたことまで(追記あり)→明治中期のお品の資料追加

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〜仙台堀のあたり(伊達綱宗公が命じられたものの日本橋の芸者にいれこみ永の揉め事の発端となった大工事の現場。駿河台は深く掘られた神田川の土を積み上げたものと言われる。日本橋がいつしか新吉原となり三浦屋高尾という伝説となったのだが、、、)井上安治
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:二代高尾出身地とされる那須塩原温泉元湯の記念碑「高尾塚」。今はホテルの敷地にあるそうです。文化13年没後150周年を記念し本家末裔という太七を施主としてお寺と当時有力楼閣が建立しました。
(引用)高尾(幼名アキ)は寛永18年(1641)湯本村(現在の塩原温泉元湯)に生まれ、江戸浜松の遊廓「三浦屋」の四郎左衛門の養女となる。明暦3年(1657)の大火により三浦屋は全焼、三浦屋再興のため太夫となり、「二代目高尾」を襲名するも、辞世の句「寒風にもろくもくつる紅葉かな」を残し19歳で亡くなった。

才色兼備の名妓ゆえに「伽羅先代萩」「高尾ざんげ」「紺屋高尾」等の主役に擬せられ、諸説を生み、「塩原高尾」「万治高尾」「妙身高尾」とも称された。(引用おわり)

〜仙台のお殿様(三代伊達綱宗)が入れあげるも靡かず誰かに操を立て、ついに隅田川中州あたりで吊るし斬られた二代高尾太夫(仙台高尾、万治年間没)。その漂着頭蓋骨をまつるという高尾稲荷神社の話を聞いて、それは芝居噺と思いつつ、万治の大昔の伝説的な花魁の影を地霊に問いました。ついでに、仙台高尾から打掛継いで三浦屋を代表する花魁となった薄雲太夫、商売繁盛の招き猫の起源となった説もある方(元禄時代に活躍)の墓参りもいたしましたよ。各コース半日ずつ。;
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一日目コース:出発点:西巣鴨駅近く、西方寺(浅草聖天町より移転、日本堤縁にあって投げ込み寺としても有名だった。開山ないし開山二代の道哲和尚が二代高尾太夫を弔って自らも時をおかず亡くなった結果、二人が並んだ形の墓石が置かれており、実際に骨壺が二つ移埋されてあるそうです。共に石仏で、高尾のものは損傷が激しいです。また、現在は広大な共同墓地になっている中に童子塚、いわゆる投げ込み時代の遊女を弔った無縁塔があります)

→都営バス浅草雷門行
→吉原大門下車(柳跡、奥に大門跡)

→春慶院(ここにもぽつんと二代高尾太夫の墓があります。文化財標識のある立派な笠塔婆で陣笠部分に紅葉紋まであしらわれていますが(そのため仙台公(伊達家)のゆかりの者が建てたという説もある)、ここは場所を移動しなかったため戦災でひどくやられ西方寺同様墓石も欠けています。境内自体整然として往時の雰囲気はありません)
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:「燕石十種」〜高尾考(中公版)より2つの墓石。道哲庵のボロボロの石仏の方は戦前までこのように紅葉と辞世が刻まれ、春慶院と一年違いのことを除けば全く同じ刻銘とあって、この本では道哲を写し、もしくは共に浄瑠璃や芝居となってのち作られたと推定している。さらに万治高尾が二人いて、仙台高尾の方は吊るし切りされたから墓はない云々と推定を重ねている。江戸時代の本なのでそれほど調べ尽くしてはいません。参考。
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昭和四十年代には西方寺万治高尾墓はまだ折れた跡がきれいで、左紅葉を残していたようです。(「江戸 石仏の詩(上)」より)

→(往復)元・西方寺跡地(葛飾北斎が亡くなった遍照院元境内の隣!)

→三ノ輪駅→日比谷線
→茅場町駅

→湊橋南東詰(高尾稲荷神社・日本銀行跡標識説明板)→日本橋川南沿い(頭蓋骨が拾われたという場所)

→★高尾稲荷神社(説明版あり。1970年代に移築されたときに頭蓋骨をおさめた壺が発掘、現在は半分建物の小社の中に収められているとのこと。頭痛にきくとして戦前まで民間信仰を集めたらしい)

→元高尾稲荷神社(日本橋川(新堀川)河口(隅田川へ出る)豊海橋南西詰(現在は小さな三井倉庫が建っているが説明版あり。徳川家の船手組持ち場であったが、宝永年間(1708年)元旦に下役が見回り中、一帯の新堀川岸に首級が打ち上げられているのを発見、高尾太夫惨殺の都市伝説と結び付けて近在の庵の僧侶が手厚く葬ったのを稲荷と習合して建てられた(明治五年日銀建設により河口側に一度移転した)と一番真相に近そうなことが書いてある。社殿は3月20日空襲で焼失していた)今でもとても広々と景色が良くいかにも江戸時代遊興の船がまわりそう

→茅場町駅
→広尾駅

→仙台坂上(仙台公(伊達家)麻布屋敷近辺)
→麻布氷川神社末社高尾稲荷神社(石材が後ろに少し残っているが現在は非常に小さな社、別の場所で維持されていたものの移築。さきほどの仙台坂上の逆側が屋敷隅にあたり江戸時代の切絵図で「イナリ」となっているが、それが同じものかどうかは明確な証拠はない、ただ、高尾という漢字をあてる神社は全国に極めて少なく高尾山のような地名由来のものしかない以上、伊達家との関係は否定できない)

→仙台坂下り向い韓国領事館一帯が伊達家下屋敷敷地
→麻布十番駅で終了。

二日目コース:出発点:大井町駅

→仙台坂上
→仙台坂のタブノキ(仙台公下屋敷の裏玄関に植えられていたという)

→大井公園(切通しの仙台坂側に伊達家下屋敷跡石碑、説明版。高尾塚が存在していたことが書かれている。逆側高台に小さな古墳が一つある。万治年間にはこの一帯全域が伊達家の下屋敷であったことも書かれているので、高尾惨殺の噂をたてられるくらい遊興にふけり2年で隠居となり、以後伊達騒動のきっかけとなった綱宗公が側室二人と後年を過ごしたまさにその場所ということになる。死去後は遺体は仙台に運ばれ厚く葬られた。側室のひとり品は仙台出身で、仙台に戻り余生をおくって伊達家ゆかりの寺に葬られたが、この人が伝承上高尾太夫と混同されたらしい。ちなみに若き綱宗公のいれあげた太夫も現在は高尾とは別の店の別人と推定されているとのこと。公園は屋敷の角近くにあたる。ちなみに仙台坂と逆側に山内容堂公墓域もある見晴らしの良い場所)

→旧仙台坂下(「くらやみ坂」標識)

→(往復)
→青物横丁駅近く、幸稲荷(別項の話ですが、芝の幸稲荷の下社の可能性が高いように見える新しい社)

→新馬場駅近く、妙蓮寺(薄雲太夫の墓。非常に立派な傘塔婆(少し欠けている)で典型的な江戸後期の様式だが、没年銘刻は元禄時代から少し下った年月となり猫の薄雲(身請けされた公式記録のみ残るので)の供養墓であることは確かか。題目と没年・戒名以外銘刻は一切ない。左脇の上の欠けた尼僧墓と関連がありそう)。ほか丸橋忠也首塚)

→旧東海道を戻る

→天妙国寺の剣豪伊東一刀斎墓(かなり昔の別項の話ですが、もともと品川区の文化財となっていた無縁塔にあったもので銘刻からすると弟子筋のものの模様。刀を構えた影が見えるということで再訪、たしかに。)
→戻る
→仙台坂を過ぎてしばらく

→山手に参道、来福寺(きれい。阿波の藍商人の石塔)

→裏口から山の手の道を戻って二本目でまた右折、右側に梶原稲荷神社(住宅街の中の小さい社なのに塚があり、梶原景時一族の墓という。半分社に覆われているが周回道とお百度石があることから狐塚信仰でぐるぐる回ったものと思われます)

→さきほどの道に戻り道なりにいって左に行くと大井町駅。おわり。余計な場所に寄ると半日かかりますが(縛られ地蔵などまわってたら一日がかり)仙台屋敷と薄雲だけなら二時間ですね。>>>

新吉原大門跡


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「明治の東京写真」より竹屋の渡し(対岸の向島から)


※浄閑寺、土手の道哲(西方寺)ともうひとつあったと思います。


20170129大井・新馬場・品川:仙台伊達下屋敷跡・薄雲太夫墓・梶原景時塚など
品川近辺のアルバム(仙台高尾のほうは引用ツイート内にリンクあります)


<仙台市へ>
風雅人である綱宗公が作って「高尾」に贈った雪薄紋(近年、綱宗廟もある瑞鳳殿施設脇の瑞鳳寺に移設された通称高尾門に掲示(三沢初子死去後もっとも寵愛され続けたといわれる側室の椙原品が、綱宗死去後住んだ屋敷門といわれる、恐らく仙台市中にあったもの。ただし剃髪したはずなので草庵の門と言うべきか、紋も後で掲示されたものだろう))
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※別の権威者の説は鴎外より前だった(高尾太夫の名を継ぐ者が綱宗の吉原通いの時期に存在しなかったという説)
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記録がないためこの姿はあくまで最近再建したときにふさわしい装飾を施したもの。

追記:昭和初期ごろの通称高尾墓(40年ほど前までの姿)三沢初子墓と共に名所絵葉書シリーズとなっている
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(後補)結局、浄瑠璃を始めとする創作話しが様々な変容を遂げて、特に庶民に墓石を建てることが許されるようになった元禄時代頃から各伝説に従った記念物や墓石などが作られたと思われる。高尾の名が伝説上は十代余りにも続いたため混乱があり、江戸後期には既に高尾考として考証学の題となり、山東京伝の兄弟も詳細を推測し、姫路の榊原公が謀あって身請けしたために幕府より叱られたもととなった通称「榊原高尾」のことが、どうやら名高い薄命の美女二代万治高尾とたまたま同時代の伊達三代公(別の店の妓に通ったとの説が濃厚)、土手の道哲(実際は日本堤(元々そんなに大きくはなく、山谷堀沿いを含めた「二本堤」が訛っただけとの説がある)近所に江戸初期存在した狭いお仕置き場の死者、その他身寄りのない全ての者を弔うため、土手下に庵を営んだもので新吉原と直接は関係がなく、日がな鳴り続ける鉦が土地の有名だったのである※)に遡って投影され、またそれを縁とされる者や寺が売りにもしたため、すっかり真実とされた話が幾つも生まれたということのようだ。そして、高尾の名は江戸一番の花魁の大名跡であり、美女の代名詞にもなり、それならということで伊達屋敷にも、高尾の名を頂いた者との縁がありそうだということでずっと後になって(あるいは伊達の手から離れた後で残された古跡の通称として)高尾を祀る社や紅葉塚などが作られたのだろう。あるいは綱宗公自身、蟄居の前か後に名高くも儚くなった二代高尾のことを聞き及んでいて、風雅の心地に屋敷内名所として塚を作ったのかもしれない。伊達騒動のきっかけではあったがけして犯人ではなく、大井の豪華な屋敷の内に風雅人を招きあるいは狩野派の文人画家としても能書家としても相当の腕前を磨いた。最後は左下顎が大きく抉れるほどの癌で苦しみ亡くなったが、禁制の欧風をも取り入れ秘蔵した、伊達ごとというようなお洒落を好み眼鏡や煙管を棺に収めた事実、殉死を初めて止めた(あくまで幕命ではあるが)ことも、面白い人物であったろうことは、鴎外が興を惹かれたゆえんであろう。
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「東京名所図会」(明治中期)より移転前の土手の道哲
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同、日本堤

(参考)明治中期の仙台高尾(お品)についての記事、お品は実際に身揚げされた高尾ということになっている。万治高尾ではない説による。杉原家について突っ込んだことも書いてある。
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※西方寺について戦後の本にこれも信ぴょう性はどの程度かわからないが書かれていることによれば、絵にも書かれた庵は道哲の前、創建の僧侶のものであり、道哲の代で既に立派な堂宇を構え新吉原遊女の信仰を集めており、背の高い遊女供養塔も立て(巣鴨のものは再現だろう)投げ込み寺の名で呼ばれ、三浦屋の万治高尾も道哲に深く帰依しその死を悼むも四日後に自分も病で亡くなった。二人は当時現物のボロボロの過去帳に並べて記されていたそうである。そのため道ならぬ恋の相手は道哲という説が出た。四日という短さから殉死説も出た。さらにかなり時代が下ってからのことだと思うが、道哲と万治高尾の墓石は向かい合わせに配置された。関東大震災とその後の都市計画で移転のおり、掘り返すと両者それぞれを土葬した大きな水龜が出て、一枚の石板で蓋していたという(向かい合わせだと不自然で、隣の間違いかもしれない)。巣鴨では今の形に一箇所にまとめられ、住職の図らいで一つの骨壷に収められ埋められたとかかれている(火葬し直した筈である)。これは俗説によるものだろう。ちなみに噂として幕末には文字通り投げ込み寺として金をもらえば穴に遺体を放り込む強欲の話もあるが境内は狭くそんなに多くの土葬を受け入れた感じはしない。確かに山谷橋近辺は北斎が貧乏長屋に流れ着くくらい荒れた土地になっていたが、明治時代に大いに浅草名所とされたのも不自然ではある。また、薄雲は同じ三浦屋の大名跡であったが、招き猫のいわれとなった話が書かれている。昔話の類型ではあるが、三毛猫を寵愛していたが、一時も離れなくなり、雪隠まで入ってこられてさすがに男衆を呼び、化け猫と首をはねたところ雪隠下で鎌首をもたげていた大蛇の首根っこに噛みつき共に息絶えた。猫の忠義に心打たれた薄雲太夫は西方寺で盛大な供養を行い施主となって塚をこしらえた。これが猫塚で、身をひさぐ商売に左手を挙げる招き猫がつきものだったことから(江戸の商売招き猫は浅草に起源説がいくつかあるが両国回向院門前にあった淫売旅籠二軒の金銀招き猫を起源とする説がある、ただ時代的に遅すぎる、これは心中事件を起こし評判をとったので後付けされた説のようにも思われる)この寺を招き猫ゆかりとし遊女ますます崇敬をあつめ、関東大震災で破壊された塚の名残として巣鴨移転時に書かれた当時はまだ健在だった住職が門柱上に招き猫石像を置いて、そのじつ人を呼ぼうとした、それが最近落下し壊れたのを万治高尾墓前に置いたのが今の状態となっている。薄雲太夫の猫好きは浮世絵にもなり、上記伝説はなく、仏教的に、しかも元禄時代にはまずありえなかった愛玩動物供養、「ペット墓」の元祖であった可能性の方が高いだろう。薄雲太夫にあやかりたいなどあったかもしれない。


これにていったん終わりとする。
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仙台写真アルバム(福島など無関係の写真を含みます)
20170501-3仙台福島

by r_o_k | 2017-07-25 00:08 | 旅行 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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