



20160515平尾十三塚・入定塚 #flickr https://flic.kr/s/aHskwAuDTJ三徳山三仏寺の修験道っぷりったら結構なもので、距離はそんなでもないが足元の悪い時は多分無理。藤原時代のお堂は最奥の投入堂のみ(脚は大正時代に交換)ですが文殊堂とか、岩の上に小さな舞台みたいになってて縁側でゆっくり景色を堪能できます。 pic.twitter.com/2Sl6eeE8R6
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月30日
※神奈川県川崎市平尾の爆竹場にある地蔵堂内(塞の神)今日の丸石道祖神。奥の窪みがある石は石塔の頂部流用かも。狭いお堂の奥に挟まってるので写真がうまく撮れなかった。まさに三叉路の辻にあり、どんど焼きも。このての素朴な塞ノ神は、立派な石塔が来ると虐げられますなあ。数も減ってるようです。 pic.twitter.com/xU9G0EV4tX
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
こういうのは丸石道祖神とは言わないんだろうな。丸石を魂とか宝珠にみたてて祀るようなことなんだろう。自分の過去写真を見てて山梨じゃなくても丸石祀ってる例が全国にあると知る。赤岡。観音寺。後者は句碑塚の前の祠で何なのかわからない。 pic.twitter.com/o6WtCTFTxd
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
そういや石積の壇というと儒教墓。棺が潰れて石がめり込むというね。ごめんなさい最初のはミャーカという宮古群島の古式墓です。最後のは神道墓。山内家が維新後仏教式の墓標を止めて作ったものですが、土饅頭に墓碑という形は儒教墓を想起させます。 pic.twitter.com/mFmkli8rdT
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
平尾。鎌倉僧の入定塚と都下唯一の十三塚。岬の突端に鍵状に並び、江戸時代村境とされました。前者は形を成していましたが後者は竹と枯葉で覆われ、雑木林よりは入りやすいものの尾根が在る、という事実以外確認不可能。整備すべき。共に中世のもの。 pic.twitter.com/j7JoOGuVN8
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
入定って近代的にわかりやすく言えば即身仏になるってことです。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
頂部からやや偏ったところ、四隅に置かれたと思われる石が出土したとのことですが、鎌倉時代のことなので朽ちてしまったようですね。名前はわかっていますが何故ここに来て入定したのかはよくわかりません。十三塚はくれぐれも何にも出土してません。 pic.twitter.com/pCgPUsuq1Z
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
十三塚、群集墳と似ているものの何も出ない。中世以降の宗教施設とされますが、大抵土地の伝承に結びつけられてます(多くは戦死者)。文化的価値が無いと壊滅されまくり。関東で遺ってるのは横浜の六ツ塚(小さいが渦状の筋がある)、千葉の七天王塚(妙見信仰)そして川崎の五所塚くらいですかね。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
まーなんか、こういうのを好奇心でしらべてると罪悪感からでしょうね、体がおかしくなります。体だけじゃなく、むかし五所塚でカメラが壊れたこともありました(フルオートで露光不足シャッター下りず、なんてアホな理由じゃなかった)が、山ほど色んなとこ行った中での一つなので、たまたまでしょう。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
ようは風邪引いたってことです。(五所塚) pic.twitter.com/T9he2xDiBL
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
※別記の通り十三塚の正中線が県境になっており、東京都側は壊滅し公園化(公開されてないけど)、神奈川県側が藪になっています。平尾の十三塚について、一つ示唆的なのは、尾根には二重フェンスがあるのですが、よく見るとフェンスは手前斜面を細丸く囲うようになっていて、尾根自体には端から入れます。崖が危ないからフェンスを立てた、ということでも無い。手前斜面が十三塚? pic.twitter.com/TWTFEXdgBv
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
入り口があるから間違いないな、この斜面が十三塚の残滓なんだろう。竹林で右往左往したのは何だったんだw pic.twitter.com/8qMzMOZval
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
20160518柏・藤ヶ谷十三塚 #flickr https://flic.kr/s/aHskwNcLkHこの親切な「すばる」さんによると斜面のうしろの竹林内すなわち尾根筋に十三塚があると。。確かに尾根の上に作らないと境神の意味が無い。うーん。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月15日
村の境界を定める指標として江戸時代お上が裁定したと記録にあるそうですが普通尾根が境界だよな pic.twitter.com/0E2lZEGiJm
柏って遠いな
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
丸石道祖神
違う pic.twitter.com/8XTbuvxOQ5
柏の十三塚に行って驚いた。ここはほとんど原型を留めている。五所塚ほどには整備されていないが、最近樹木が取り払われたようで(塚の指標になっていたと思われ賛否あろう)、大きな塚を中心に一直線に並ぶ僅か50センチ高の塚六基ずつが俯瞰可能。 pic.twitter.com/Pe8sM6DYk2
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
柏と平尾は直線70メートルくらい、同じ規模だと思う 平尾に中心があったかは不明。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
藤ヶ谷十三塚の30メートル先にもう一基塚があったのか。位置的に別と考えられているとはいえ、それだけ近いなら見ておきたかった。山林内なんだろうなあ。残念。どっちみち私有地らしいからあまり立ち入らなくて正解だろう。あと、忌み地だったようだ。神奈川大資料(平凡社)きた。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月21日
十三塚は隠れキリシタン遺構なんだけどね(白目 pic.twitter.com/p3Qlgq9l20
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
※たしか鏡石と呼ばれて、大阪城のものが日本最大と思う。城に巨石、という文化。石垣に威圧的な巨石を嵌める。わざわざ遠くから稀に見る石を運ばせて、城主の力を誇示する。城自体が巨石の採れる岩盤上に置かれることもあるけど。上田城の真田石は父上の遺産で、重くて持っていくことができず遺された、と。 pic.twitter.com/a8Ug8VZGv7
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
櫻山神社の兜岩。八幡社の小岩(昔磐座か)だったのが盛岡城築城時に二の丸より低くせよとのお達しが出され、掘り起こそうとしたところいくら掘ってもどんどん大きく、とうとう周囲20mの大岩となり、諦め崇められるようになった。要石系の伝承か。 pic.twitter.com/L3G7hFkIgO
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
※別項に掲載。まあ山梨の大石神社の神体石は周囲60メートル以上なんだけどね。ツイートしたかどうか忘れたのでいつか改めてあげます。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
鹿島神宮の要石(最初の写真)〜高千穂神社の札にあるとおり「鎮石」なのでしょうが、水戸黄門が掘らせてみると掘っても掘っても掘っても底が見えなかった、という俗説が生まれることになりましたと。鹿島から高千穂まで地下で繋がってるとか無理 pic.twitter.com/P6FhgBxmle
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
※新潟酒呑童子の墓だった(酒呑童子岩室村出身説に基づく根拠希薄な話)右側の石塔転用地蔵ね。 pic.twitter.com/Zov22zqJq4
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
力石:若衆の力比べで持ち上げ、日と名を刻み奉納した。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月31日
畠山重忠の石(隣村と騒動になった時怒って投げたが届かず落ちた。無下に扱うと祟るといい祀っていた。畠山郷)典型的な群(三囲神社、浅草)祀っている例(江島神社)イメージ(天岩戸神社) pic.twitter.com/yVy4OqkBis
立石が巨石信仰だと…(白目
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
近所の安倍晴明創建(の熊野から勧進したのあろう)熊野神社に石棒があるそうで関連性は?
古墳時代から明治時代まで石材採掘場となっていた安房の鋸山の石らしいです pic.twitter.com/BsJB50kSJF
神社に因縁石が持ち込まれるのなんてザラで、丸石やら石棺やら、寛容な一方、逆に因縁石が神体になる、立石はそのパターンでしょね(立石様という祠になってる)立石はこのへんの古墳の石棺を中世に転用したらしい。参考に飛鳥の石棺転用例(左上2つ pic.twitter.com/OuWhq3fzaG
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月18日
宮島・弥山頂上から尾根筋に分布する 仏教系(習合してたでしょうが)の信仰を集める巨石群で、やはり花崗岩です。 pic.twitter.com/pHNxbwt6fd
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月14日
純信お馬(はりまや橋)のコソコソ岩。五台山裏を見渡すことのできる大岩で、二人の人目を忍んだ逢瀬、コソコソ話したから、という命名だが、喋る岩、って噂も。石仏があるのも伝承(といっても新しい話だが)以外に民間信仰の存在を感じさせる。 pic.twitter.com/h7TldJTD1p
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
はりまや橋だけの検証本とかある。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
深浦神社。桟橋のある珍しい神社。自殺の名所となるほど森深く行きづらい。この横に縁切りさんと眷属の祠がある。長者の娘が邪恋した山伏に追い詰められ姥と沼に入水、山伏も悔いて後を追った。夜中刃物を供えて縁切りを願う。震洋の格納庫等もある。 pic.twitter.com/mAYLqcjsBy
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月21日
写真が余ったので。別荘廃墟。岩的には以前、袂石をのせたが、この孕あたり伝説の沈んだ島もある。寺田寅彦は怪異「ジャン」の原因を地質に求めた。またいつか。震洋のレールとされるものも。(近くに漁船修理場跡がありそのレールのような気もする) pic.twitter.com/er9pQfugYK
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月21日
なんかフリッカーがうまく動かん(絵金まつり(宵宮)in赤岡 ここは酒が旨いっす、シラスで呑みまっす) pic.twitter.com/08cN3Otoxj
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
高知ネタがつづいたのでベタなしゃしんを貼って今日はおひらき。城。龍馬。武市。カッパ。おわり。 pic.twitter.com/oJHq0WI4Ci
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
下諏訪のジジ穴、ババ穴。火の雨が降ったとき、男はジジ穴、女はババ穴に逃げ込んだ者だけが生き残った、今住む者は皆その子孫である、という。よくある地方群集墳の素朴な石室だけれど諏訪という土地柄、伝承自体は何か古い話に由来しているような。 pic.twitter.com/5aBjpkouFR
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
万治の石仏
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月21日
諏訪でも著名な「日本のモアイ」岡本太郎氏絶賛でも知られる。彫刻自体は他所にも見られる江戸期の地方仏の相貌で、やや長細い巨石の前方に後から追補されたと思われる(首が伸びて話題になった)。彫刻には札のような妖しい伝承がある。 pic.twitter.com/pJD1H72rZp
諏訪大社(上社本宮)の磐座、というと語弊があるかもしれない硯石。背後の守屋山と共に神体だそうだが、位置的に??磐座なのに移動させられたりしているのはおかしい、て点は移動自体はありうるので可。一の柱背後の御沓石は諏訪七石。最後の石何? pic.twitter.com/ajDQwso7PI
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月29日
観世寺(二本松)、鬼の岩屋(笠石)ほか。安達ケ原の鬼婆伝説で知られるが、分布する岩塊は鬼婆と関係ないものも多い(胎内くぐりなど)。鬼婆の墓としては近所の黒塚が知られる。こちらには供養石と称する墓がある(最後の写真)。資料館撮影不可。 pic.twitter.com/ir4Y3sfVeL
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
おまけ、安達ケ原。鬼婆の喰らった赤子の泣き声がする夜泣き石(岩屋前にある)。こういう物騒なものと、信仰にかんするもの(胎内くぐり)、街道沿いのお寺であることを伺わせる岩(休み石)が混在している。鬼婆の埋められたとされる、有名な黒塚。 pic.twitter.com/ZqmmvQhcfe
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
鬼の岩屋は明治時代のガイドブックにもしっかり載ってた(銅版画)なあ。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
ちょっと前につぶやいた、フォボスみたいな岩ってこれ(西表島)。巨岩が摩耗してると妙な存在感が出てくる。(安物フィルムスキャンだとこれが限界だな・・・) pic.twitter.com/PH5jIzrKMJ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
白い岩の海岸。唐桑半島の大理石海岸(折石ほか)、粟国島の凝灰岩の崖から転げ落ちた岩、、、 (最後は気仙沼の五十鈴神社) pic.twitter.com/vtD6vQzaPR
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
神社明るくない(ムツカシイ)のに神社写真がつづいてしまったよ(神社というか、鳥居の立ってるナニカという、なんでも鳥居建てときゃお上が認めてくれるみたいなのばかりだが) 五十鈴神社はその名の通りお伊勢さん。八幡太郎義家由来あり。無残写真なので遠景にしておきました。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月19日
山寺(立石寺)。凝灰岩質の崖面に集中して貼り付くように分布する小堂宇群は山岳仏教の典型的な行場を形成している。駅から見上げる所に全てあるが、崖から川岸へ転げ落ちた巨岩がまず目に入る(対面石)。 pic.twitter.com/TBLsg5rqzj
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月31日
久米島。ミーフガー、耳岩は各地に見られますね。ウティダ石(太陽石)超古代ではなく近世まで使われていた重要な日時計で、収穫時期等を示すカレンダーが刻まれてます。奥武島の畳石、柱状節理が平らに鞣され亀の甲状になってます。他、山に岩が多い pic.twitter.com/x0D29qBoVG
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
※溶岩がゆっくり冷やされて結晶化したもの。誤記があったので再投稿しました。柱状節理は溶岩が急に※冷やされて結晶化したもので、大小たくさん各地にみられ、庭石にも使われます pic.twitter.com/k8C0qmxEnR
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
柱状節理(女木島) pic.twitter.com/DxpQtaktSY
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月28日
溶岩に覆われた町、三島。楽寿園、溶岩を庭園に使った珍しい園地。溶岩塚、溶岩の流れる先が盛り上がって出来た塚。 pic.twitter.com/4zLe2ttLaU
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
三嶋大社の岩塊群。たたり石、本来やしろ前の往来を別ける役割だった石が、一種の霊力を持つようになったとされる。境内の岩塊群。社前に置かれた椅子のような石は源頼朝と政子が平家追討の願を掛けて百日座ったとされる。伊豆神奈川は頼朝遺跡だらけ pic.twitter.com/JiKjvZkKfm
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
伊豆七不思議のひとつ、函南のこだま石。道から手を叩くとこだまが響き渡ったという。地元でも知られていないのは、大正時代の地震でズレたため音がしなくなったからという。蔦に覆われ人知れず立っている。函南は別荘地で、磐座のような岩が多く出た pic.twitter.com/qeJzbUvRZl
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
柏谷横穴墓群。古墳時代から奈良時代に至る群集墳の一形態とされるが、西日本に分布する石室を模したようなものと異なり元から洞窟墓として作られたものが多い気がする。この奥壁に木棺を嵌めるテトリス的な形は鎌倉のカプセルホテル式やぐらを想起。 pic.twitter.com/hFlvysHIf9
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
吉見の百穴は有名だけれど、元々森林の中にあったものを顕にして整備したから蜂の巣的な風情になった。右下の黒岩横穴墓群の方が原風景をとどめ規模も同等に大きい。このてのものはかなり長い期間作られ、型式が変化している。最初のは岩窟ホテル。 pic.twitter.com/4cFxA4VEe3
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
いやなんだ、人工洞窟マニアという分野もあるのだ。何かというと人を田谷の瑜伽洞に連れてってた。キロメートル単位の人工洞は他に無い。地下伽藍として使われているため撮影はできないが、観光的には整備されており、仏教テーマパークとなったのは江戸時代。横穴墓を掘り進めたものとも言われている。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
田谷の洞窟は昔は撮影可能でテレビもガイドブックも堂々と写していた。しかし仏教テーマパークといってもけして「大衆化」しているわけではないので、霊気のようなものが漂っているというか、奥の大洞窟の上の方には墓石のようなものも見える。「三途の川」では新種の洞窟エビが見つかっている。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
jakuchu! pic.twitter.com/tGUHfsJodY
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月21日
遠野の山中にある線刻五百羅漢。天明大飢饉の犠牲者を悼むため大慈寺の住職が自然石群に刻んだもの。苔に侵食されよくわからなくなっているものも多いが、逆に異様な印象もあたえる。近辺に金精様信仰が残り、巨大な陰陽石が散在。 pic.twitter.com/jxvtCNJcoC
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月20日
遠野 さすらい地蔵
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月21日
神社の境内に置かれている。女という。かつては各家に回され奉られていたのだろうか、伝説では自ら歩き回っていたという。一説に若衆に力石として投げられたり(丸石信仰の要素)玩ばれていたのを諌めた方が祟られたつー類型話。 pic.twitter.com/zpCHSmaBdi
千葉県鋸山、石材採掘場跡展望台、百尺観音(戦後30年代になって個人により刻まれ、当初カラフルなペンキ彩色がなされていた)、日本寺大仏(荒廃し大改修されたが、明治以前の大仏としては日本最大、丸彫石仏)。写真が古いのは勘弁ください。。 pic.twitter.com/qMjn832H17
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月22日
栃木県大谷、平和観音。寺の道を挟んで逆側にあり、高価な大谷石を贅沢に使ってつくられたもの。その他凝灰岩の軟質をいかした石彫が新旧分布しており、おおかたは仏像だが、白蛇のような不可解なものも、近年の無邪気なものもある。 pic.twitter.com/6oberRd65T
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月22日
徳川治世にて千葉から倉吉に封じられた里見忠義公はこの地で亡くなった。そのさい八人の忠臣が殉死を遂げた。遺言で居館前の大岳院に埋葬されたが、戒名に「賢」の文字が入っており、忠臣全員に同じく賢の字がある。これが八犬伝の由来と言われる。 pic.twitter.com/y6V7lpjkNS
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月22日
丸石4。常泉寺の玉石。さすって子授け、周囲にも丸石が集積(田谷)澤蔵司稲荷の小社、綺麗な丸石を収めた石祠が他にも(小石川)桃太郎神社の犬猿雉の墓、石祠に丸石という典型(鬼無)千光寺の玉の岩、海を照らしたという宝玉。これは復刻(尾道) pic.twitter.com/9iDrdxwC14
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月22日
阿武隈神社の巨石 日本屈指の鍾乳洞あぶくま洞駐車場脇の採石場跡に屹立している 神社は後から作られた模様、横が展望台になっている pic.twitter.com/seCZW5LCNP
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月23日
千光寺巨石群。坂のまち尾道を形成する小山ひとつが岩塊となっており、手頃な規模であること、古くより信仰や伝承を持つ場所だったことからも注目を浴びている。中心となっているのは石鎚山を模した鎖場を持つ石鎚神社周りの大岩。 pic.twitter.com/H0w7V24mKo
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月27日
続)鏡岩、今は鏡を模したギラギラが貼られている(玉の岩にも玉を模した電灯が載せられている)。古代巨石文明の存在を主張する人々の間では方位石、鏡石などが指標とされているようです。千光寺本堂裏は巨岩で、そのまま奥の石鎚神社に続く。 pic.twitter.com/8fnasvmlym
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月27日
琴弾公園の磐座。問答石、上に座して瞑想していた日証上人が前の海を行く舟の老人と問答したところ宇佐八幡大神とわかり舟を揚げて社を設立したという。象ケ鼻岩。ここより銭形をのぞむ。周囲に似たような平岩が点在しご利益が謳われる。観音寺。 pic.twitter.com/i20AqyAXMY
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月27日
北海道大沼公園、駒ヶ岳神社。今も活動中の駒ヶ岳からの噴石だという。一周廻って願をかける。 pic.twitter.com/YVEfLIljzJ
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月27日
北山崎。三陸海岸を代表するリアス式海岸。蒼い海の底には昆布が揺らぎ、200メートルの崖面には靄が揺らぐ。海岸まで降りる階段でカモシカに出会った。 pic.twitter.com/KPxPuyjlNm
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月29日
瀧原宮の巨木
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月23日
湿度の高い土地柄からか杉の生育が良く独特の雰囲気を醸している
え、オチ無いですよ
スマホにあったからアップしただけですね pic.twitter.com/yhWvmkmSsR
粟国島の洞寺。沖縄本島から逃げてきた僧侶が鍾乳洞を仏殿として住まった。白亜の海岸、岩の白波。白色凝灰岩の崖が波で削られ大きく抉られたような姿を見せる。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月23日
今はけっこう行く人おおいみたいなので機会があれば潮をみて是非。 pic.twitter.com/KTOHOeJUKW
マムヤの墓でも。宮古島の景勝地、東平安名崎の先にぽつんと津波石らしき大岩が残っている。裏の凹みに墓標と色褪せた肖像画。平家落人らしきマムヤというナイチャーが余りの美人で男どもの諍いが絶えず悲嘆して身を投げた。累型話多し。 pic.twitter.com/1tdO1m6x3L
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月26日
阿波の土柱。砂礫による岩が侵食されてできたもので、日本では「世界三大土柱」と称する。残り二つの「ミニチュア」のような様相。国の天然記念物だが最近は侵食が激しいのとあまり観光が呼べていないと聞いた。電車ではすごく行きづらい。 pic.twitter.com/HLdWYA0BCU
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月24日
六郷満山文化の象徴的な、熊野磨崖仏。巨大な不動明王の異様な相貌から有名。ここおよび奥のお堂にいたる石段は鬼が積んだといういわゆる「鬼の石段」伝説をもつ。平安末期~鎌倉時代か。 pic.twitter.com/VqoGvbq22h
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月24日
なかよし。 pic.twitter.com/6TC8MkCYlY
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月24日
房総はおもしろい。鎌倉の影響を直にうけているので、横穴墓を掘り進めたようなやぐらも割りと多い。やぐらを江戸時代に流用した小規模な回廊式仏殿。社殿の後ろを巡るようになっています。やぐらは十王が彫られることが多いです、追補されることも。 pic.twitter.com/P7jiQKLk6P
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月30日
天上界にて待ってるzzz pic.twitter.com/4JkodkmELV
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月23日
京都の奇石巨石物件を少し。弁慶石(戦死した弁慶が宿り怪しをなしたため奥州から三条京極へ移したという)。今宮神社のあほかんさん(軽重で占う)。蛇塚古墳石室(石舞台レベルの巨石)。班女塚(棄てても棄てても戻ってくる)のキリシタン灯篭。 pic.twitter.com/Cp9Hc0piGN
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月25日
比叡山の奇石など。狩籠の丘。サークル状に配置された石。真ん中に魔が封じられているという話も。千日回峰行の重要なポイントにもあたる。横川中堂の護法石。延暦寺を護る鹿島明神と赤山明神が影向したという磐座。仏足石。 pic.twitter.com/hs8kncXUHs
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月25日
京都のスナップから。最初の革堂(行願寺)の大きな五輪塔は供養墓として作られたものではなく、何でもありな江戸時代ならいざ知らず、室町時代まで遡るものとしては珍しくおもいます。水輪を刳り抜き加茂大明神の石彫を祀っているものです。 pic.twitter.com/BQYRC2ap8V
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月30日
箱根の六道地蔵。関東の大規模磨崖仏では最古。ほか八尾比丘尼墓、曽我兄弟塔(神奈川に沢山)等。地獄に興味のある方、原風景は損なわれてますがそれでも、素晴らしいものがみられます。永仁年間の石仏など当尾の石仏を彷彿と。傍の精進池はあの世。 pic.twitter.com/yE9RWchSU8
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月26日
当時はなんて綺麗な色なんだろうフィルムイラネ、となっていたのが、色は出てるけど何この画素数、フィルムマンセー、となる今日この頃。現像してないフィルムの山、もはやオブジェ(昔は旅先の土や砂をフィルムケースに容れて持ち帰ったものですね) pic.twitter.com/W9TE8Grcy1
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月26日
地獄で待ってるzzz pic.twitter.com/sYkhhz1peF
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月24日