201605GW山梨巨石丸石の旅・観音崎おりょうさんの墓 など
2016年 12月 09日

アルバム:20160429観音崎・浦賀・おりょうさんの墓 #flickr
誰も乗っとらんやんけ pic.twitter.com/YAx9eds2IK
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年4月29日
おりょうさんのお墓参りでした。 pic.twitter.com/6xrHjSSLwq
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年4月29日
このお寺にお骨がおさめられたのは事実のようですが、坂本龍馬の奥さんだったと認識されて個別にお墓が建てられたのは(のち別のところに嫁いでますが色々あったそうで)大正時代になってからのようです pic.twitter.com/kbgHE3CizI
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年4月29日

(20161217横須賀お龍さん晩年住まい・信楽寺再訪)

(20161219北品川拾遺(法禅寺等)戦災で失せたお龍さん妹家の痕跡を探して)

サムライ幕末大嫌いだけど。海援隊士に嫌われ横浜の料亭に流れ着くもプライドが邪魔し、池田屋より懇意の西村氏と再婚したら酒に溺れ実妹に取られ、転居して亡くなった。のち夫が賛助、妹が建立、墓石は海軍工廠寄贈で坂本龍馬の妻として墓石が立った pic.twitter.com/aqs59qPEKn
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月26日
晩年の複雑な事情は明らかではなく、離婚しないまま実妹と夫が懇意になり、別の退役軍人に引き取られて市街に蟄居した。お骨は何の経緯か一時期住んだ大津の寺に流れてきて、それがだいぶんに時間のかかったあと、軍港のドックから石材を頂き、妹と夫が墓石を立てた。小石の龍馬の顔が塗り潰されてる。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月26日
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月4日
アルバム:20160430五所塚・つつじ寺 #flickr778枚撮ったって…
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年4月29日
(ゴジラの足あと(ゴジラ上陸の浜)) pic.twitter.com/gNPQ3VUvVn
晴れていると出かけてしまう pic.twitter.com/7s4t5Qmwjv
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年4月30日
意外とまだつつじが残ってた pic.twitter.com/5lKKRcyaa5
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年4月30日
20160501日本にもマウントはあったんだ!
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年4月30日
(整備されててビックリ) pic.twitter.com/hYM2WBhkSI
※アルバム:20160505-06山梨市・勝沼 #flickr ※きょうはこんなかんじですた。山藤が咲いてる、もっと増やしたらいいのに、蔓だから木を枯らすのかな
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月1日
鴉の季節 pic.twitter.com/E35MDeRmm3
大月で降りる人が多いね すわれた
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月4日
だれもいない温泉あがり裸でゆっくり扇風機にあたりながらツイート。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月5日
♨
夕暮れのおんせん @ 石和常磐ホテル https://t.co/mDzLyBPZEi
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月5日
寺の鐘といい匂い。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月5日
夕暮れ。
♨
あの橋脚はリニアモーターカーの橋脚だったのか?!
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月5日
石和温泉、軒並み休み
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月5日
木曜だからか連休最終日だからか温泉街軒並み休業というか、温泉街長すぎ…外国人さんたちも長々と歩いて結局戻ってくる https://t.co/pLucGnZYBq
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月5日
5時から子供は元気だな
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月5日
武田家一色の土地柄に異質なものを感じた。同じ様式の五輪塔なのに、鎌倉とは違う。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
丸石神はサイノカミ!
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
山梨市の古蹟に遺された石刻が指定文化財となっていたが、左端に相輪宝珠のみが見られる。右側には無縫塔二体があるが、通説では僧侶のものとみられるものの、ここは不明としている。 pic.twitter.com/tok5wkyaQX
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
ちなみに古蹟とは住居で、甲斐ではたまに見られる丸石積の低い石塀のみのこっている(寺院跡と考えたいところだが、現在も住まっている方のものだそうで違うらしい)。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
笛吹川の自然石から丸いものを持ってくるのはよくあるみたいで、丸石神なのか単なる丸石溜めなのか最初はよくわからなかった。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
例によって巨石系の神社もふたつ見ておいたけれど(三輪山みたいなもんじゃなく小山程度のもの)、遊歩道が荒廃して藪漕ぎして上り降りしてたいへんなとこ、村まつりで騒がしくてよくわからなくなってるとこ、、、、、前者の磐座(としておく)は確かに巨大なもので、比べると後者は纏まって石庭の様。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
丸石神を信濃系道祖神が征服したみたいでわろた(道祖神の場所に神体の丸石(小さな石祠内の場合もあり)が載ってる丸石神例もいくつかあるみたいだが今回は見つけられなかった) pic.twitter.com/uKgQOWRyC9
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
前の庇がどんどん張ってくるのが甲斐の国の流儀らしく、農家の屋敷神として軒の長い小祠がおかれているとこは多いです pic.twitter.com/Bn1UvesOSW
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
伝勝頼遺児の芍薬塚(後年改葬)脇の木祠には丸石が供えられている pic.twitter.com/edcgFegMGy
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
見つけづらいことでおなじみ?鎮目の丸石神だが(アパート前にこじんまりとある)、現在は綺麗に整備された環境なのでわかりづらいが、川向こうの廃寺(奈良〜明治)跡に石仏が並んでおり、そこから流れてきたような感もある。何故って欠けた仏と印塔 pic.twitter.com/89Lt0NsrlD
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
廃寺奥の保雲寺境内右手樹藪内の丸石神(大善寺もそうだった)、群石系のものは持ち去られてしまうので仕方ないし、寺にとっては異質な民間信仰なので隅っこでほったらかしなのも仕方ないが、ここまで無くなってしまうとわけわからない pic.twitter.com/XjsZAGxItI
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
まあ普通は神社にありますわな(このあたりの石神は真球でコスタリカ風味)辻にありますわな pic.twitter.com/DUWbgmgb0k
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
壇をもつ丸石神の周囲はよく丸い孔が穿たれてる。先の鎮目のボコボコ石仏はたぶん同じ理由でボコボコされたのだろう
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
子供が草を叩き付けて色汁を出すのが流行ったとか、もしくは鼠小僧系のボコボコとかそんな pic.twitter.com/IQm4M0KmRE
盃状穴という言葉は丸石神と同様、秘密めいた儀式の存在を暗喩する。でも、考古学的な観点を導入するには余りにシンプルだ。弥生時代?古代ヨーロッパ?偶然では?シンプル→ https://t.co/j6VYfCC16J 右2つはサヌカイト。 pic.twitter.com/rnv3zN4b9p
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月27日
春日居の丸石神は群石系だが、道祖神の主張がはげしい。近所の用水脇に観音石塔と陰石が人知れずあるのもなんか意味ありげ(宅地開発でもう一つの群石系丸石神は消えたらしい) pic.twitter.com/nkdmshfiPk
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
18世紀ころ武田家の人が創建した神社、裏の兜岩が頂上にして本来の磐座。道すがら七日市の大型丸石神ふたつ見て、この山をのぼれ。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
三輪山ぽい吉備中山の磐座群より凄まじく大きいが、山自体は規模が小さい。アプローチのない急峻な小山だ。 pic.twitter.com/rF8LaXL5rd
山梨、大石神社の話です。小さな山中腹の周回路(荒廃)沿いに半端な岩が配置されております。配置?摩耗した岩による磐座というのはあんまりピンときません。割れ岩が多いのは何かありそう。伐採木を挟んだのはまさか性神じゃないよね。 pic.twitter.com/qSrb1dQ0Ma
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
デッドリースポーンがいました
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
これも割れてる、摩耗してる
兜岩は裏に手入れ用梯子が隠してあって、上に登れるのは自明だったが、こんな丸岩には載れないよね pic.twitter.com/03UJ0mDHY6
お供え物によってその神体の扱われ方がわかるよね
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
祭のためかもしれないがワンカップずらり。
割れ茶碗とかよくある。先の芍薬塚はゼンマイ玩具がそなえてあって、武田勝頼の幼子に現代のオモチャというのが現在進行形感。廃民家(転用?)の脇。 pic.twitter.com/YiZ7YqqJcF
転びました pic.twitter.com/dUG3pZ65y3
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
創建の古さを主張する山梨岡神社の小丘のふもと(同名の神社あり)頂上には大石の上の平に小祠がのっている。人は乗れる。磐座ぽい。参道右脇の巨石群は圧巻だが大山阿夫利神社の石碑があるので、このへんでさかんな富士講とは違うようだ。 pic.twitter.com/CSKQDs0noI
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
山梨岡神社の丘はダイダラボッチの摘んだ土を落として作ったといわれ、近年までダイダラボッチの草履を作っていた。中山のダイポー(浅くて広い窪みだが何故残ってるのかなあ)はダイダラボッチの足あととされている。
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月6日
大善寺の藤切り祭は明日。あらかじめ神木の藤の根っこを掘り起こして、茅の輪のように丸く捻り縛って先を割って、素朴な蛇の顔を形作る。稚子舞のあと、この藤根を巻いた棒の上から落として奪い合うとか。役行者の見守る前でやる、大陸には無い文化。 pic.twitter.com/VoSrEBZpiv
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月7日
地蔵も藤で戦闘服。 pic.twitter.com/z35wDl7ze3
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月7日
季節外れのほうとう。山梨かえり。 https://t.co/weWFfWJKbT
— 岡林リョウ (@ryookabayashi) 2016年5月7日