

いずれまとめますが、ゴールデンウィークに宮崎を訪ねたんですね。
で、予定にはなかったんですが、高千穂観光が早く終わったので、日向市に寄ることにしたんです。
レンタサイクルの是非はともかく(疲れた)、日向市の名所細島という半島へ向かい結果として楽しめたんですが。
ひとつ、不気味な偶然がありまして。
たまたまガイドに軽くかかれていた「黒田の墓」という名所に下りたんです。綺麗な水の岩礁の中に、満潮では渡れなくなるという小さな島がありました。
貝拾いをする人達を尻目に、島の上に上がると、立て札があり、何気に読んでびっくり。
参考サイト
http://www.pmiyazaki.com/hyugamisaki/kurodanokasin.htm
田中河内介のエントリを見ていただけるとわかりやすいのですが、薩摩藩士の内紛「寺田屋騒動」。島津久光の先導する公武合体派に対して尊皇攘夷の急進派として蜂起しようとした中に、首謀格の河内介や数人の他藩士が混ざっていた。とりあえずみな薩摩藩に送られることになるも、気分が晴れず鬱憤の溜まる船内、一説には薩士の罪を他藩に被せるため上意として、彼等は虐殺され、海に投棄された。
諸説は省くが、個人的には京都を出た直後に既に虐殺がなされ瀬戸内に投棄されたという上意説を支持し、実際小豆島に河内介が流れ着いたという話もあるのだが、
すっかり忘れていた、日向灘で虐殺投棄されたという説の存在を。
ここに並ぶ墓は・・・河内介以外の三名の漂着を悼んで建てられた墓だったのだ。。木に縛り付けなぶり殺しになったともいわれているのだが。。
しかもかつて古島と呼ばれた小島はある一族が今も黒田藩士他の墓として大事に護っている。
その墓の横には新しい木の供養墓標があり、
田中河内介親子の遺言伝来旨がかかれている(と思う、字が消えかかっていた)。
正月の伏見での寺田屋騒動戦死者の墓も同じようにたまたま入った寺にあったっけ。
この件、もっと調べなきゃいけないのかなあ。ゆるい呪いが、かかっている。