2010/8/20オキナワ神秘考7 伊平屋島・その他伝承、キジムナー・・・終
2010年 08月 20日


田名漁港から山際の道を一頑張り南下すれば我喜屋への道があり、海岸では何か大規模な工事もやっている。道を聞いたが島外の人だったようだ。この島は島外の人が働きに来ている例が多いようにおもう。農地委託の制度を記した看板を横目に越えるとすぐ、我喜屋の田圃の逆側である。

この田園地帯は始祖伝説をもつ。薩摩の大規模な侵攻にさいし、逃げ延びられたのは隠れていた兄と妹であった。このあたりの海でウージ(うつぼ)をとって暮らし、生き残ることができた。兄妹についての伝説はこの田圃まわりにぽつぽつとある。いずれも良港だったころをしのばせるとともに、じゃ、いつ埋め立てられたんだろう?薩摩が侵攻してきたのってずいぶん新しい話だけど始祖伝説と結びつけるのには無理がないか?いろいろ疑問が出てくるが、同時にこの島の過酷な歴史の断片を見る思いだ。

そんな田園地帯ののどかな風景を見下ろすところに片隈神社がある。神道式の田名神社同様紅白に塗られた小さな社だ。ここは屋蔵大主をまつるカタクマウタキであった。厳密にはこの小山が信仰の対象でウタキ自体は下にあったのだろうか(もしくは背後のもっと大きな山を祀っていたのか)。


我喜屋はよくよく見て廻ると興味深い史跡や信仰地が散在している。八重口はかなり雰囲気があったが後から調べると我喜屋の祝女や貴人の共同墓地だったという。洞窟だったそうだが今は大きな岩の壁のように見える。集落の入り口近くにあるわりに、ここだけが異空間のように力をはなっている。そしてここへ繋がる森の小道が、すごく綺麗なかんじがした。じっさいに天気が好転し雰囲気もよかったのだが、後から「神の道」ということを知った。祝女がここで神をやどして通るのだという。

市街地の中の異空間という意味では「龍宮」も海神社にしては不思議な御嶽ふうの空間を保っていたが、特別な意味があるわけではないようだ。

じつは山中にはもっといろいろ、ミステリアスなものがあるようだが、ハブがいるし、よそ者がそこまで突っ込んではいけない。最後にキジムナーと野甫島についてだけ付け加えて終わりにする。我喜屋の賀陽山にはキジムンガマという洞窟があるという(ガマは洞窟の意)。アカカナジャー(赤い体)と呼ばれ木の精とされた。島尻、野甫島にも同様の場所がある。野甫島の橋下すぐから干潮時は歩いて渡れるジューマ(小島)には、フィーフィーガマという小さな海岸洞窟がある。野甫島はかつて砂嘴によって伊平屋本島と繋がったり繋がらなかったりした島で言葉も違い、フィーフィーとは野甫ことばでアカカナジャーのこと。けっこう中は広いらしいが、近づくと人一人這って入る必要があるくらい小さく思えた。



山の中にあることの多いキジムナの穴が海岸にある、ちょっと不思議な感じがする。そもそも穴に暮らすのであれば木の精というより穴の精である。ガンギコゾウみたいな魚食の何かを想起させる。島へ渡る手前の野甫島の岸辺、平らな珊瑚岩に子供の足跡のようなくぼみが点々としていた。水がたまっていてまさに歩いた跡のように見えた。不思議だった。


このジューマとの間だけでも大きな生きたエビスガイが拾えるくらいゆたかな磯。珊瑚はないかもしれないけど海の色と生き物のゆたかさはすばらしい。ゆたかな生き物の中にはフィーフィーもいるのか。かつては夜になると穴からぞろぞろ出てきては、海上を素早く歩いたり、火の玉を飛ばしたりした。だがタコと屁は大嫌いだったというから、むしろ河童に近いのかもしれない。

ジューマの裏、伊平屋側は伊平屋島一の海の色を誇る。本島周辺でも今は一番透明度があると言われることがあるようだ。流れが速い部分もあるので泳ぐのには適さないところもある。あれだけ曇っていてもスカイブルーだったのが印象的だった。海中はウニだらけだった。珊瑚もありそうだったけど、ヒレを忘れてたいして泳がなかったのが失敗。

たぶん、この余りに美しい海には龍宮があったのだろう。そこからジューマに女神が降り立ったといい、野甫の始祖伝説となっている。フィーフィーガマは神の骨が沢山納められた。のちに場所をうつして祀ったというが、フィーフィーはそれなら何なのだろう。式神なのだろうか??先の大戦では島民はここに隠れたそうだ。
以上。
え?まとまりがないって?
伊平屋の海の綺麗さが引き立ってこない?
このブログはそういうブログです。
だからちゅら海水族館も渡嘉敷島も伝説に欠けるので(ひとまずは)載せません。
てことで、でも、改訂もあるかも。
おわり。
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