2010/7オキナワ神秘考6 伊平屋島・幻の城砦、岩のいわれ・・・
2010年 08月 20日

更に南(西)に霞んで大きく見える、まるで海中の城砦のような岩。ひときわ威容をはなち荒海を片面に受けている。これがヤヘ岩です。潮干狩りや釣りをする地元のかたが1人,2人いて、今まで余りに人気がなかったので、ほっとした。上げ潮なら十分歩いて渡れるけど足元が滑ったり鋭い岩・・・珊瑚岩だけでなくいろんな種類の岩が削られ転がりまるで城を護る盾のように並んでいる・・・だらけなので、注意。



個人的にここが、この島で最も神威を感じた。壷のかけらや石積みの跡があるといい、中国からの軍船をここで食い止めた伝説が残る。「壷に灰を詰めて岩の上にのぼり、風に流して目潰しをして」退けたという。ただ、中国が今帰仁になったり、壷の欠片なるものが現存しなかったり、石垣にも人工物かどうか疑問が投げかけられたり、形状は見事な城であるにもかかわらずグスクの確証はなく、臨時の砦と考えられているようだ。


・・・ここからは幻想・・・
無蔵水の岩を上から見たとき、あれと思った。中段まで、左右から石段が刻まれているように見えたのだ(実際にはそんなものはない)。ヤヘ岩まで来たとき、無蔵水の岩は監視台だったのでは、という考えがよぎった。あそこを出城とした本陣がこのヤヘ岩で、この上の平らな部分には木で建物がくまれ、何らかの遠隔攻撃の手段が備えられていたのではないだろうか・・・海からだけではなく、陸からの攻撃に対しても・・・一応ツツジで上り道のようなものがぐるっと示されて入るものの無蔵石にもまして崩れやすい岩ゆえ、上りはしなかったが、上る気もおきなかった。しばらく脇から荒れる波を見て、何か強いものをひしひしと感じながら陸地へ戻ろうとして、ふと振り向いたヤヘ岩には・・・たくさんの男の顔がはりついて見えた・・・怒りも歓迎もしておらず・・・勇猛な顔つきが一つ一つどんどんと姿を明らかにしていく・・・鉢巻を巻いたり髪を結ったり・・・ただこの岩を護っているような感じだった。けして、悪くはないかんじだった。先の戦争がかかわっているのかどうかは知らない。


伝承の余り無い西側の海岸。ちょっと東の真裏くらいに戻って、念頭平松に触れておく。田名からまっすぐ走るといったん山懐の森に入るが、すぐに開けた草原に出る。

今は何故か中国風の公園施設になっており、その奥に傘というには樹勢が余りに強い巨樹が見える。盆栽ではなく自然の力を感じさせる枝ぶりだ。この原っぱはネント原と呼ばれていて、そこの松だからネント平松、という。500年前に植えた松を伊是名の者が盗伐したところ、松の精霊に祟られ一族に不幸が相次いだ。ユタのお告げで代わりの松を植えることになり、それが今のもの、260歳ほどであるという。古いものを兄松、新しいものを弟松といった。ユタが自然精霊の口よせをするところがミソだ。



西岸の田名漁港のあたりまでくれば人気が増えて一安心。その手前あたりずっと、さんご礁の綺麗な海がつづく。シュノーケルなら二箇所の海水浴場ではなくこのあたりがいいのだろう。

山の上を見ると二つほど大岩が見える。タンメー石、タンメーとは爺さんのこと。丸く肩肘を出したような形で、そのまま海岸近くまで、森の中、岩が続いているらしい。海ぎわのところはスーガー石といって、その近くに洞窟があり、爺さんがハブと暮らしていた。ある日いつものようにハブに留守番をまかせ出かけたが、飲んでしまい、帰ってきたときうっかり合図を忘れたものだから、ハブは泥棒と勘違い、爺さんを噛み殺してしまった。その骨が今でも残っている・・・というが、これは沖縄八重山全般に多いことだけど、血統の絶えたもしくは移住し戻らなかった先祖の洗骨遺骨がガマに残っている状態に、想像の物語をかぶせたものだと思う。ただし神聖な場所だから、諌めのためにハブを出したのだろう。

タンメー石の南側にも骨が沢山出る場所があるという。チョンピ(丁髷)石もしくはタシカシヌ石というとんがった石の見えるところで、伝染病患者の隔離場所だったそうだが。。

岩というと最初にあげた港の写真にも写っている我喜屋の虎頭岩で、上からの景色が素晴らしく、また池があったりなど箱庭的な景観をていしているそうだが、ここにも砦を作り本島と戦った話がある。一説には知らない内地からの移民が棲み、いさかいなどあってそのまま死んだなど。骨や剣が沢山残っていたらしいが、ここのところも歴史の空白なのである。

つづく!

