2010/7オキナワ神秘考4 伊平屋島で伝承を検証できるかな
2010年 08月 20日
さあて。

中心地の我喜屋集落は東岸の港から少し南に下ったところに位置しますが、まるで内地のような田んぼが広がり対岸まで見渡せるほどの平地になっています。元々内海で埋め立てたか何かしたらしい。こういう平地が北の内陸に位置する田名集落にもあり、「田名の田圃」として地図にも記されていますが、田名のほうが沖縄最大の池といわれる田名池があり、その干上がった部分を田圃にしていったようです。現在も池はありますがかなり縮小・分断されていて、また昔から浮き草の島が多く、私は水面を視認できませんでした(天気のせいもあるけど)。いずれ今は田圃の拡がる南国には珍しい風景になっています。

田名池には大ウナギの伝説があります。なんと牛を呑み込んだ、という。今でも大ウナギはいるそうで、但し、これは南国特有の大ウナギという種です(ウナギとは違うんです)。もちろん牛は呑めません。
山、と書きましたが平地にもましてこの島は山です。山と山の間、山のへり(東側)にのみ集落や田畑があるのです。名のある山だけで7つ、背骨のように島を縦斬りにしていてとても高く森深く見えます。天気が悪いと尚更。季節風が当たりはね返る力も強く、とくに北の端、クマヤ洞窟あたりは砂が吹き上がり沖縄には珍しい吹上砂丘が形成されています(もっとも夏時分は黒々としちゃってましたが)。
小さい島にしては変化に富んだ環境が、文化の奥深さを生んだもう一つの原因と言えるでしょう。ちなみにこの島の文化については、民俗資料館に行くのが一番です。余りたくさんはありませんが、必要な情報は揃っている。資料としては肝心の祭祀についての記述は余り無いもののハードカバーの立派なものが手に入ります。カラーガイドのみCD-Rでも販売しています。時間があるならこれらを一通り見てからのほうがいいでしょうね。
祝女の祭祀については資料館でしか学べません。メモとっておけばよかった。この島には祝女ゆかりの史跡がいくつもありますが、伊良部石や墓など、よその島や集落から寄り来た祝女に関する伝承に基づくものが目立ち、どのように歓待したり丁重に扱ったかが言い伝えられているのが面白い。島内では現存する最も古い田名集落が聖なる格式も高いとされてきて、ほかの集落では田名祝女を歓待し、南端の島尻集落には田名祝女の馬乗り岩(乗馬するときに使った岩)なるものも史跡として残っていて、如何に扱われていたかがわかります(降り岩もあるとか)。

豊年祭にまつわる施設として目立つのは神殿前に置かれる「神アサギ(アシャギ)」という建物です。とくに民俗文化財指定を受けている我喜屋と島尻の、竪穴式住居のような極端に軒の低い萱葺き屋根の建物が目をひきます(我喜屋は集落から外れたところにありわかりにくいので注意、決められた聖地巡拝コースの一部なのです)。


元々首里より招来した祝女のお休み処としての機能を持っていました。「神足上げ」というのが語源です。「神」の顔を見せないよう・・・実際には着替えたり一息ついたりするところを覗かせないよう、軒を低くしたと推定されています。残る祭祀としては神職との一対一の接待など行っているようです。

我喜屋から島尻、日本最長の砂嘴といわれ現在は橋でつながった野甫島までの南方面は開放的で晴れていれば清清しくサイクリングも楽しめる道ですが、北上する道は内陸から迫る山の間を突っ切って、今度は険しい海に面した道をゆく、雨中自転車では気がめいるような道になります。翻って北のほうが原風景に近く開発された南のほうはリゾートに向く、ともいえます。
北上します。

田名集落は現存する最も古い集落で、やはり空気が違う。暴風雨と雷の中でそう思いました。建物も赤瓦ではなく黒くて心持古い(赤瓦の使用はそもそも琉球朝期には貴人にしか許されなかった)。有名な神事ウンジャミの舞台となる田名神社は集落の奥の高台で山懐に包まれるようにある。神社というのは神道式で元田名屋という名が正式なものだ。ガイドブックなどには古い社屋が載っている。現在は小さいもののがっしりしたコンクリの神社だ。
田名は北限の集落と書きましたが、ここを境に北側は人気がなく(たまに車は通るけど)険しくなる。
祝女はひとまず置いておくと、もっと土俗に根付いた祖霊信仰やもっと古い自然信仰を思わせるものが見えてくる。念頭平松公園を過ぎ(後述)上は雷、下は濁流と化した道路をカッパ一枚で自転車こぎこぎしていくと、急に目の前が開けて、海水浴場でもあるさんご礁の海(南よりこっちのが大人はいいと思う)に迫る巨大な岩、北端の緑の岬が見えてくる。



北端の岬は久葉山という低い山だが、初めて見た。全山がクバ(ビロウ椰子、葉を笠や団扇にする)で覆われている。沖縄県北端にもかかわらず椰子の密生する岬。かつて沖縄にはこのようなクバ林が各所にあったが、伐採などで数を減らし、今では保護されている地域を除いてはめったにお目にかかれない。しかしそれにしても、林というより密林の名にふさわしい。比較的新しい灯台まで舗装道路が敷かれており、容易に上ることができるが、こういう道を敷くのすら憚られたんだろうなあ・・・



・・・じつはここには島で最も神聖な神がいる。古い神・・・田名の先祖が住んでいたという。道から見渡すに信じられないがこの密林の中にウタキがある。

灯台から海を見渡して思った。与論島まで見渡せる(らしい)景観は、「高いところに神がやどる」沖縄の信仰のかたちが、軍事的な「監視台」も兼ねていたんじゃないか、という気分にさせた。
<写真アップロード数の都合によりエントリ分けます、つづく!>

