2010/7オキナワ神秘考3 伊平屋島で物思おうとする前口上
2010年 08月 19日
源為朝伝説の残る運天港からしばしフェリーの旅。
※運天港までは公共交通手段がほぼないに等しいので注意。シーズンは那覇くもじから直行バスが出る(行きは要予約)。名護からタクシーで1000円台ギリギリくらい。
※為朝と実朝まちがえちゃった。伊豆から更に流れて舜天王の父親になったという伝説です。「運を天にまかせる」と言い放って辿りついたことからこの名がついたという。けども今は東郷元帥の手による「為朝上陸の碑」のほうが人気になっちゃってる。手形のついた鍾乳石とかあったと思う。


琉球のアダムとイブ伝説で知られる古宇利島のながーーーーーい橋を横目に外海へ。

「日本最南端の天の岩戸」へ。
伊平屋島。与論島より北の沖縄県最北端に位置し伊是名島らと群島をなしている。交通の要衝で古くから内外の国々とつながりを持ってきた。じっさい距離ほどに各島からの遠さを感じさせず、本部半島や伊江島など望める距離のまま到着する。

ただ、伝えられる歴史が途切れ途切れで、史書や遺物に明確なものがみられ無いため、現時点で確実に遡れるのは紀元前2~3世紀の貝塚くらいだ。
にもかかわらず「日本皇紀・琉球王朝のルーツ」とうたわれる。
琉球王朝のルーツというわけはまずは目と鼻の先にある伊是名島が琉球王朝第二尚氏尚円王のふるさとであることが大きいかと思う。琉球王朝初代、第一尚氏2代尚巴志の祖父の佐銘川大主(鮫川大主、初代尚思紹の父)が伊平屋の出身で、屋蔵大主(鮫川大主の父)とともに祀られた「屋蔵墓」の存在が「伊平屋は琉球王朝の祖」という言葉の論拠となっている。


しかし、この祭祀施設、諸説あるらしく、納骨施設があることは確かなのだけれど、誰と誰が入っているのか確かな記録がないようで、石碑や彫刻も混乱している。屋蔵大主もまた伊平屋に渡って長者となった(”屋蔵”)よその人物である。しかしいずれにせよ、伊平屋伊是名は琉球王朝の「リアル世界での」ルーツとしてよかろう。直轄領として首里との密接な関係が築かれ、(この島の島尻ではなく)神聖な本島南部の島尻に組み込まれた。ちなみに尚巴志の母は祝女だそうです。王統と祝女の密接な関係。リアルとバーチャルの融合。何を言ってんだ。
このあたりがちゃんと書かれている参考サイト(h埋めてね)
ttp://h19n3.seesaa.net/article/45429481.html
ここは歴史ブログではございませんので、細かいとこは省略します。第一尚氏始祖にまつわる伝説が尚円王に流用されていることもあるようなので、そのへんも斟酌して。

日本皇紀のルーツというのはどうなってそうなったんだろう。これは完全に後付けだろう。内地でいう江戸時代中期に活躍した考証学者藤貞幹(藤井貞幹)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E8%B2%9E%E5%B9%B9 が、著書「衝口発」の中でこの島最大の洞窟であり聖地である「クマヤー洞窟(籠屋洞窟)」を「天の岩戸」とし、神武天皇出生地こそ伊平屋島である、という説を発表したことから始まったようだ。かねてから論敵であった国学者たちとここでも対立を促すような事態になったものの、論拠となるものは偽書だったとか。「篭り屋」という意味をもつ方言からあながち嘘とも言えない、という人たちが今も訪ね来ては色々囁いているらしく、じっさい12月には「岩戸開き」が祭りとして行われている。何しろ300年前から言われてきた話なので地元でも「昔からの言い伝え」化して仕方ない。天の岩戸の話とは一応別に、「神々が戦をしたとき一人の神が篭った」なる民間伝承も、果たしていつからのものかわからないのだ。もはや取り返しのつかない歴史の上塗りなわけだけど、30年前、洞窟内でずっと信仰の対象とされてきた石が勝手に除かれ、神道式の社を置かれたことなど、反発を呼んでいる。


前泊の岬の山中には「鏡石」があり、これも天照大神の八咫鏡だという人がいた。鏡石という名を聞いて「日本のピラミッド」を思い浮かべる好事家は多いだろうけど、伝説上はまったく関係がない。まだ木々が茂らず海空からの光を反射し、女が鏡として使った程度の伝承であり、近年やっと再発見されたというものだ。アプローチの道はなく、私も行かなかった。行けなかった。

民俗学的に貴重な、ガラパゴス的というか、琉球朝期の文化遺産が残っていて、特に祝女制度の名残がしっかり祭祀や伝承としてある。史跡が外目には特異で面白い。でも、まるで東北のピラミッドのように、どこからかやってきたよそ者の学者が歴史の上塗りをしてしまったのが残念であり、文化的変容の事例としては、面白い、ともいえる。混乱をきたす混交振りは琉球朝以前の土俗的信仰との間にも発生しているようで、もはや「正解」がわからなくなっている遺物遺跡もあるみたいだ。

その便利な位置から各地からの流民や開拓民が寄り来て島を変えていった経緯もあり、本島や遠く中国、もちろん内地からも侵攻の手が伸びて激しい戦闘や住民の変化があったと思われるような伝承が多々ある。とくに侵略戦争や、島外からの移住者との戦争にまつわるもの、そして野ざらしの「骨」の話が多いように感じた。最も大きな「戦闘」はむろん先の大戦での米国とのものだろう。このあたりは民族資料館の展示に詳しい。書きたくない内容なので書かない。ごみ処理問題は近い「戦闘」かもしれない。「環境協力税」100円にはその背景がある。
以上wiki参照ね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%B9%B3%E5%B1%8B%E5%B3%B6
前置きばっかり長くなってしまう。伊平屋の前知識でエントリを一たん切ろう。この島は脊梁山脈とその周辺の平地で成り立っているようなかんじ。ちょっと長崎の生月島を思わせる沖縄では見かけないタイプの小島。それは大きく褶曲した地層をさらけ出した大岩がそこかしこに見られることと関係があり。隆起珊瑚礁じゃなく固いチャート層などで構成される古い島だということのような。いま思った。このブログってそういうこと書くとこじゃなかった。ようは岩だらけの天然の要塞のような島でした。
というわけで、またリンクを。こちらのかたが非常に精緻にまとめてらっしゃいます。また行きたくなるな。h入れてね。
ttp://nami5963.exblog.jp/page/37/
じゃ、次回より集落に沿って写真などまじえ書いていきます。すいません今回エントリ。

つづく。
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