長崎(8)生月島、カクレキリシタンの島その2
2010年 05月 16日


険しくも牧歌的な牧場が広がる道。島は中稜で完全に東西に分断されているが、この外側は人が住む場所ではないという。島は水不足にも悩まされ、二つのダムが作られた今も時々困ることがあるそうだ。ダムにはガッパの像が祀られているという。集落には河童石もあると聞いた。

鷹が多いことからその名がついた鷹ノ巣トンネル周辺はダイナミックだが車を止めるような場所ではないので通過。自動車のCMをはじめ撮影の名所。崖地の下はよい釣り場であり先はよい漁場でもある。数年前沈んだ船はこのあたりで三角波にあったという。

方倉神社(ホウクラと読む)は99人の河童の伝説で知られる。砂利で海と仕切られた不思議な三日月池を祀る水天宮だ。この池は河童たちが毎晩石を取り除いて作った住居であり、どんな嵐の日でも石ころ一つ転げ落ちることがないという。河童を水神の使いとみた島人たちが祠を作り、河童たちも以後眷属として常に99人の数を保った。詳しくは祠横の石に書かれているが詳細は省く。漁師の崇敬高く、祈願のときは99回の相撲を奉納する。今は河童は大ウナギとなって潜んでいるといわれ、参詣のときに現れると霊験あらたかというが・・・このとき余りに水量が少なく、ウナギのウの字も見られなかった。もういないのかもしれない。水不足か。









潮俵断崖は柱状節理が見られる溶岩海岸である。それほど規模は大きくはないが晴れていれば気持ちのいい園地だろう。



道は東西から合わさり最北端の灯台への道へ続く。東側に捕鯨納屋跡が名前だけあるが、海は遠く堤防の外。

大バエ灯台は半ば観光用灯台。まあカップルが多い。最北西の灯台の気分を曇天の下。






島の東から内側を南へ戻る。いくつかカクレキリシタンの聖地を巡る。

幸四郎山は幸四郎様のなまった言い方とも教会の跡とも言われる。幸四郎は踏み絵を踏ませる役人であったが事故で失明したのを切支丹によって療治してもらい、切支丹となった(聖パウロの話と換骨奪胎されたのではないかという説もある。切支丹に放った矢が返って自分に当たったというのが原話らしい)。のち殉教しここに祀られている。松の大木が昭和初期まであり、この山へは履物を履いて入ってはならず、焚き木の一本も取ってはならないという禁忌があった。幸四郎様講もある。


ガスパル様はこの島最大の聖地である。松浦鎮信にはむかい島の切支丹信仰を護ろうとした西玄可の殉教地であり、かつて十字架が掲げられていた丘であったことから今このとおり復元されている。


その奥にひっそりと祠がある。もともと木が植えられていた。


山田教会は大正元年の建築だが補修が多いため文化財指定されないそうである。カクレキリシタンとカトリックが別の宗教なのは周知のとおり。

生月観音は新しいはずだが錆びてる。


生月大橋を遠目に港の道の駅へ。そばに千人塚という千人の殉教切支丹をまつった場所がある。元は千人松という松が目印の海岸砂丘だった。じっさい骨が出たそうだが先史時代のものである可能性もあるらしい。



小さな鄙びた道の駅からバスで平戸へ戻る。遠目に中江ノ島。ここは禁教後のカミロ神父(平戸で焼殺)による布教に絡み生月・平戸の切支丹の凄惨な処刑が行われた聖地。岬の谷の清水が聖水として使われている。


生月島はほんとうに何にもないが、橋でつながっているにもかかわらず離島情趣は他にないものがある。時間が2時間弱しかなかったので壱部の聖地は廻れなかったが、滞在して、西側の海をゆっくり愉しむのもいいだろうなあ。晴れてれば。
さて、次は平戸。旅も終盤です。天気も悪化の一方。
つづき

