長崎(7)生月島、カクレキリシタンの島その1(補筆)
2010年 05月 16日




松浦電鉄たびら平戸口駅。日本最西端の駅(那覇モノレールを除く)。まさにほんとに最果ての雰囲気がある。バスに接続。バス停混乱するけど駅前で大丈夫ぽい。ま、平戸までそんなに遠くないのでバスじゃなくても大丈夫。

平戸大橋をバスで渡ると広大な平戸島。ずいぶんと高い橋。昔はほんとに離島ってかんじだったんだろうなあ。
終点の平戸桟橋、平戸駅BTでタクシー。一時間に一本バスが通りますが、この日は時間があわないので急行しました。このあたりのタクシーはとても良心的。

ダイナミックな海山の風景を横目に西へ。右目に聖地中江ノ島を見ながら生月大橋を渡ると更に最西端の島、生月島。かつては捕鯨で名を馳せた島。このさいはて感はすごい。ただ、車があれば佐賀から来ても雑作ないだろう。カクレキリシタンの息づく最後の場所として戦後大きく取り上げられ、それでも現在はさすがに衰退を余儀なくされているようだが、この日、一年に一度のオラシオが博物館で上演されるという。

「海の館」はなかなか立派な博物館で民俗資料が充実している。海峡を見渡す見晴らしよい高台にあるがこの日の曇天では今ひとつ。捕鯨資料が一階に、二階にはその他民俗資料がわかりやすく並んでいる。興味深いものがいくつか。

虫送りの実盛さまの人形が変わっている。オバサンの嬌声が響き渡るのを背に奥に入ると、聖堂を模した別室がある。カクレキリシタンにかんする展示がここまで充実してるところは研究機関を除けば大浦天主堂くらいだろう。


このような絵は一年に一度描き直された。禁教時代の証拠隠滅用のやり方か。記憶は破却されない。素朴なタッチは昭和に下るものが多い。
更にその奥に農家を模した薄暗いコーナーがある。ここがカクレキリシタンの間で、オラシオ上演の場所だ。



この島のカクレキリシタンについてはきりがないので細かくはかかない。講のような形ではあるが今も堂々としっかり行事が行われているのはここくらいだと聞いた。そもそも生月を知ったのは昭和30年代の文献で今回の旅を長崎に決めたのもここが目的だったのだが、なにぶん資料が古かった。長崎市街や福江島で覚悟はしていたが、ここまで綺麗に整理されていると拍子抜けしてしまう。納戸神という独特の祀り方があり、それは農機具などを置く狭い納戸の扉奥に和装の聖母子像を飾り(神棚や荒神様などは当然のように各所に祀られている・・・カクレキリシタンは多神教なのだ)、隣の部屋で車座になって、襖を閉め、わざと納戸の方向に背を向けた恰好で祈祷文を暗誦する。口伝で密かに伝えられた祈祷文、賛美歌〜オラショは生月島でも特にカクレキリシタンが多い壱部集落に伝わる方法、「一通り」で演じられた。一通りとは全部の祈祷文を詠むということだろう。

テキストを手に混雑する板の間で、5名の方による祭文含1時間近くにわたるオラシオを聴いた。びっくりするほどカトリックのミサで謳われる唄に忠実なものが多い。現在普通に教会で唱えられるものと殆ど同じものが混ざる。言葉や形式は和風に翻訳されているし謡いはほとんどご詠歌だが(島ではご詠歌も盛んだというから韻律はそこからとっているのかもしれない)これが16世紀に布教されたとおりとしたら物凄い口伝の力だ。ただ、明治時代禁教が解かれて以降にリフレッシュされている可能性もあると思う。突然、ご詠歌やお経のような曲調の中に、異質のものが現れる。これか・・・グレゴリオ聖歌だ。これは明治時代以降に入ってきたことはありえない。信徒発見時、既にヨーロッパでは忘れられた聖歌なのである。招かれて歌ったこともあるという。聞くところによれば計3つのオラシオがヨーロッパ直伝の聖歌として確認され、2つはポルトガルからのものだったが、残る1つが該当する歌詞のものがなく謎とされていた。近年になって、スペインの図書館で古書の中に発見されたが、題名はほとんどそのままだった。いいものを聴いた。言語が三つも四つも入り混じった、知らない人ならまず呪文と思うであろうような声が耳から離れないままに、博物館を後にした。



観光タクシーを頼んでいた。博物館に近い小川の河口にハッタイ様という祠がある。神様の川を渡ろうとして死んだ切支丹の娘と思われる水死体があがったと言われている。この島にも切支丹弾圧の手は非情に伸び、様々な残酷な仕打ちが繰り返された。娘の死んだ本当の理由は恐らく処刑か逃亡の果てだったのだろう。ただこの名前が曲者である。この島に八体様という名の祠は他にもある。そちらでは七人の切支丹が処刑されるさい、妊婦が胎内の子の助命を願い出たが聞き入れられず、実際には八人の処刑となったことからハッタイの名がついたとされるが、お産の神様になっている。ハッタイ様という名はよそにも見られる。8(7)という数字自体が日本の海ではポピュラーだ。八大竜王、龍神の名前なのである。恵比寿神なんかに近いものなのかな、とも思う。近くに伝わる切支丹と関係のない話の類話という推測もある。いずれカトリックは神道とも仏教とも混交して土俗化している。もちろん、本地はイエス(でうす、ゼウス?)と考えられていたのだが。余りに綺麗に整備されているのがちょっと拍子抜けではあった。

天気が悪く夕景が望めないので、先に島の西側、外洋側の道を北上する。ダンジュク(ダンジク、暖竹)様はまさにこの島における聖家族を祀る祠である。急峻な崖地を海岸まで降りると鬱蒼とした細い竹藪の中に巡礼地としてある。弥市兵衛という切支丹が妻子と共に隠れ居たものの、子が声をあげ見つかって虐殺された場所という(但、追われる家族が子供の無邪気な振る舞いで見つかり虐殺される話は古くからの類型ではある)。とても険しい場所だが、海からだと見つかりやすい場所かもしれない。ダンジュク講というものが存在し、そこで三人はキリストの家族と同一視されている。禁教時代の方法の一つとしてあくまで殉教者一家を悼む形態をとりながら、実際は聖家族を拝んでいたということかもしれない。この島では殉教者を神様とみる祀り方がポピュラーである。取り潰された屋敷を聖地としたり、護符が見つかって虐殺された人の身体の一部を入手し埋めて屋敷神のように祀ったり、大航海時代のカトリックの特定宗派布教の凄絶なさまにある意味忠実な形態かもしれない。そういう殉教切支丹の聖地が散在している。




つづく。
つづき

