2010/5長崎(6)南九十九島でやんす
2010年 05月 14日

軍港佐世保から峠一つ越えた向こう、西海国立公園として観光整備されている九十九島の南側、西海パールシーリゾートが豪華な観光船パールクィーンで案内している「南九十九島」。ちょっと天気がもやっていましたが朝一の運航(9時、季節運航)で見てきました。写真も撮りづらい朝より、日が高くなる昼の時間をお勧めしますが、時期によって混むだろうなー。子供向け海賊船は朝から予約たいへんみたい。時間によってコースが違い、この時間帯はやや短いAコースになります。潮の関係でしょうか。

この日向かう平戸島側から出航する北九十九島は険しい様相をていするとのことですが、こちら南側はじつにのんびりした風景でした。暖かく拓けた松島というか、空気の開放感は鳥羽とかあのへんに近い雰囲気があります。リアス式の入り組んだ島々は密集度では日本一とのことで、この観光コースも松浦島の深い入り江での切り返し、斧落としと丈ケ島の間を擦り抜けるところが最大の見せ場。この二箇所だけでも十分元はとれます。船慣れしている向きは島々の見た目にはそれほど新味を感じないかもしれませんが、大型船でのこの動きはなかなか体験できないでしょうね。

右手、殆ど地続きのような元の島は二尾の大蛇の伝説があり、弓うち退治されるとき飛び散った体がそれぞれ岩や地名となって残っているといいます。




左手、牧の島は舟幽霊伝説があり近海が「魔の浦」と呼ばれていたようです。海賊が棲んでいて、一説には平家の末裔ともいわれています。財宝を護っていた海賊を地元の人が残酷に殺したところ、七代後まで祟ってやるとの言葉どおり身体が不自由な子ばかり生まれるようになった、という入り江があります。前記サイトには「馬鹿」の起源話もあるといいますがこれは後世の付け足しでしょう。

右手、横島はライオンが横たわっているように見えるということで、スフィンクスなんて言われ方をすることも。



その先、桂島は神功皇后が三韓征伐のさい帰国途中に男物のカツラを脱ぎ捨てた、その流れ着いた先と言われています。

割島は島が割れている。典型的な九十九島の風景が拡がります。











非常に大きな松浦島は平戸藩松浦家の所有になり、罪人を流したとも言われています。ここで入り江に入り、豪快なターンをします。とても静かでミステリアスな深い色の入り江です。






斧落とし(ヨギオトシ)と丈ケ島は一つの島の岬が寸断されたような形をしています。こういう形は他にも見られます。この間を擦り抜けます。松浦侯が釣りに邪魔な枝を斧で切ろうとして落としてしまったことから斧落としといいます。丈ケ島は竜の征伐伝説があり、元の島同様弓で退治され立ち上がったまま力尽きたその姿が竜岩(立岩)という岩になったとされています。








長南風島は潮が引くと千畳敷という岩床がどこまでも広がることから「長生え島」と呼ばれたそうですが、この日の天気ではそれほど物凄く伸びたようには見えませんでした;;南風(はえ)は島では広く使われる言葉ですね。この島と向かい合わせの諸島の双方に狛犬のような岩がそれぞれあり目を引きます。





グヮタグヮンは面白い名前ですが干潮で潟が干上がることからの命名です。黒子島は三つの島が干潮時にはひとつになる、九十九島でよくあるかんじです。砂洲が繋がるのではなく岩床から繋がるのがここの特徴なんでしょうね。





鞍掛島は馬の鞍に似ているから、あるいは神功皇后の時代より七郎神社に詣でるため鞍を木に掛ける習慣があったことからその名がついたとか。枕島はV字型をしており昔の枕に似ている、もしくは神功皇后が捨てた枕が流れ着いた、といわれます。それ以上にここには遭難者の墓や火葬場があり、昭和初期にも浜から人骨が八体(8という数字はなかなか示唆的)出て祟りを防ぐため山に葬ったことがあるとか。こういう群島では葬送のための島がままありますね。

オジカ瀬は潜水艦のように見えることから先の戦争でよく誤爆されたそうです。

重文の教会で知られる黒島や高島は遠いのでコースに入りません。






以上45分。シャトルバスに接続します。朝一はそんなに混んでませんでした、GWでも。

さて、佐世保バーガーを頬張り、単線の松浦電鉄快速に乗って平戸へ向かいます。山を突きぬけ谷を越え、わりと地元のかたが多く感じましたが、さすが本州最西端の電車(沖縄のモノレールを除けば日本最西端の電車)、電車マニアも乗ってました。天気がよければ楽しいと思う。この日は晴れたり曇ったり。社内アナウンスには観光案内も入ります。
いずれ長崎からこちら方面は、思ったよりも時間がかかるので注意。。
つづきます。
つづき

