揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

とりあえず長崎に行った:蛍茶屋先のかっぱ石

まとめるのはいつになるやらだが(そもそもフリッカにたまってる写真すら整理してないのに)GWはカクレキリシタンについて調べる名目で長崎へ行った。結果、天候などの問題で志半ばなまま帰ってきたのでイマイチやる気にならない。軍艦島に渡れなかったのは返す返す残念。

蛍茶屋跡から少し川を遡ると水神神社(水神社)がある。扁額が落っこちてたけど、立派な石鳥居の内側に代々神社を守ってきたおうち(しぶいさんだったかな)があり、右手上に弁才天のような水をめぐらせた本殿があります。中には前の川にかつてたくさんいて悪さをしたという河童による証文があるといいます(但し神社自体は大正時代に移転しており、現在は開発され住宅地になっています)。
とりあえず長崎に行った:蛍茶屋先のかっぱ石_b0116271_1534156.jpg

とりあえず長崎に行った:蛍茶屋先のかっぱ石_b0116271_15432938.jpg

証文に河童の書いた文字は二種くらいあるようです。「黒札」と呼ばれる水難除けのお札とともに「写し」を授けてもらえます(細長いのが黒札、封内に貼り付けてあるのが河童文字)。
とりあえず長崎に行った:蛍茶屋先のかっぱ石_b0116271_1538555.jpg
とりあえず長崎に行った:蛍茶屋先のかっぱ石_b0116271_15382452.jpg

北九州には非常に多い河童の伝説ですが、長崎では実在の人間たちであった可能性が高いようにも思います。しかしながら他の地域同様「狐」のような憑き物としても現れていたようでもあり、ここでは一部の人にしか見えない河童が策略でこらしめられてのち、良いものに転じた話が有名。その霊のやどる石が「どんく石(蛙石、河童石)」です。本殿の脇にあります。旧軍時代は「無事帰る(蛙)」とかけて轟沈にあわないということで海軍の兵隊さんがたくさん信心して撫でていったそうです。
とりあえず長崎に行った:蛍茶屋先のかっぱ石_b0116271_15454244.jpg

河童(もしくは蛙)と猿は対義的存在でした。水害の象徴としての河童を退けるため、貯め池やダムに猿の置物が置かれた例が多くあります。しかしながら猿が河童と混同されることもあり、河童像や、「河童石」という一種の水神様が鎮めの弁財天とともに祀られたりもしたようです(長崎では井戸や墓に水(だけでもないですが)神がよく祀られています)。いやむしろ災厄の象徴が転じて護りとなる、ここはそういった祀り方のようです。ちなみにどんくとは蛙のことです。「どんく石」はじつは河童石というより「蛙石」、形が蛙に似ているから、とは掲示されたいわれによります。椀貸し伝説のような話も伝わっていますが、このあたりが実在の人間・・・水場仕事をした一族?渡来人?・・・ぽいところです。
とりあえず長崎に行った:蛍茶屋先のかっぱ石_b0116271_15532261.jpg

現在の社地のすぐ上がダムになっています。ダムの建設時期は良く知りませんが、ダムに河童石を置く、という典型のうちにあるのかもしれません。正式には川立神という名を使っているようです。
とりあえず長崎に行った:蛍茶屋先のかっぱ石_b0116271_1559485.jpg


・・・ほらー、書き出すととまらない。

これが旅行のしょっぱなどす。東京からと言ったらえらくびっくりされた。そりゃ初めての長崎でここ来る人はいないでしょう。

それでは、また。

つづき
by r_o_k | 2010-05-10 16:02 | 旅行 | Comments(0)

by ryookabayashi