揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

2021/3/26 木娘(木むすめ、いちょう娘):明治44年夏・京都大阪都市伝説 ※古写真, 情報追加

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ここではまず古典的な怪木、「木娘」から。

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佐和山城関連の伝説で清涼寺七不思議の一つとなっている。彦根清涼寺は石田三成家老島左近屋敷跡であり、井伊家菩提寺でもある。木娘は夜な夜な女に化けたという椨の老木の化身。数百年激動を見てきたが、参詣客を脅かすので鉄面和尚に封じられて、現在は魂の抜かれた古木として庭に堂々と聳えている。樹齢750年。この寺の七不思議はいずれも陰惨で怪しい。(別冊歴史読本)
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向かって左は左近の南天(樹齢500年、触ると腹痛を起こすという)右の手前樹叢と被り、切れてしまっているものが木娘。
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グーグルマップ(写真リンク)貼っときます。iframe使えないので埋め込めません。。

以下は近世の噂話や都市伝説としての木娘について。

(1)いちょう娘は大阪浄福寺(引用注:下記資料上は浄光寺(西区)となっている)(江戸堀川)にあった銀杏の大木で、女性のようなシルエットだったことから江戸後期大評判となり狐の祟や情死者などと瓦版にもかき立てられたという(国会図書館レファレンス調査結果より)。

三善貞司「大阪伝承地誌集成」h20によれば江戸初期に江戸堀に移転してきた浄光寺境内にあった夫婦銀杏の雄株を西本願寺へ分け植え直したところ、この寺に植えられた雌株が島田髷のかっこうで拝む形に変化したといい、お化け銀杏として物見だらけ。人心を惑わすと奉行が胸から上の部分を切らせたところ植木屋は急死、奉行は高熱を出して辞めてしまう。この娘は和光寺にある3本の銀杏にも乗り移り、髷が崩れて髪振り乱した姿を樹上にあらわす。さらに大評判となって却って土産物屋が増える。しかし新しい奉行が詳しく調べたところ、このもとの話は寺の執事の作り話で住職以下お咎めがあった。騒動はそこでおさまった。
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「おおさか図像学」より当時の瓦版
〜同書から郷土研究「上方」通巻100巻「子供時代の思出」宗田桂堂「晩夏か初秋の葉が繁茂せる頃に月光を浴びた銀杏樹の形が恰も娘の立ち姿に見えるので銀杏娘と云ってゐます。之には色々の伝説があり、悲恋物㹕狐の祟りなどさまざまの巷説を遺しております。私も子供 の頃に道修町の家から、夏の夜を屋根の物干台に涼んでいると、西方に此の銀杏の樹を屢々見ました」

〜キムスメという呼称ではなかったようだ。そのひびきに処女という意味を含ませて(髪型から判別することも)好奇の目を誘ったのは時代が下るのではないか。※「木娘」「木息子」等を「木真面目」とならべて書いている江戸随筆があり、すでに「生」と同意だったことがわかる。

※この源の話として速水春暁斎「絵本小夜時雨」に、京都大仏大仏殿が寛政十年七月落雷で焼失したあと、大阪寺町の松の茂みの影が京都大仏に見えると話題になった。せめて面影だけでも偲びたいと元々物見高い土地柄、夜毎寺前は大混雑。一本高いもみの木の頭に茂みの身体という形だった。「摂陽奇観」に見える記事では翌年夏、生玉神社北の真言坂とあり、大仏の話はないそうだ(近藤瑞木「百鬼繚乱」2002)。
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(2)郷土研究「上方」通巻31巻(昭和8年7月)に「木むすめ」という"光学幽霊"に関する3ページの考察が載っているが未確認(一部googlebooksで閲覧可能)。
大阪で真昼の病院に白髪の老人が出現すると噂になり見物で人だかりとなることがあった。高原慶三氏は光の加減、硝子の曇りが人のように見えるだけだと推測する。木娘は自然相の代名詞として使われている。上方郷土研究会刊行(国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」参照)

以下は時代の下る京都の話。

(3)京を語る会(田中緑紅)「京の怪談」s32「木娘現わる」より
〜榎木や椋などの大木がどちらかの方角から見ますと何やら髷を結うた女が立っているように見えます。それを木娘といいまして夏の夜の景物として人気のあったものでありました。いつ頃からこんなことをいい出したのでしょうか文献は知りません、が瓦版に屋根の上にヌーと木娘が立ち多くの見物人がおります図を持っておりますが、これは大阪江戸堀一丁目いちようの大木で、しぜんと女の形ありと記し年号はありませんが幕末のものと見ています。
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祇園下河原に木娘が出て見に行ったといわれます。昭和二十四年八月鞍馬口通堀川東入大応寺の境内の大木、島田髷、前髪、矢の字の帯を結んだ女に見えました。毎夜々々見物で大賑い自警団が警戒に出たほど、処がこれに近くの糸屋の娘が継母にいじめられて自殺した、その娘 の怨霊が大樹にのらうつって木娘となって、その家を上からにらみつけているのだといい出し糸屋の娘の怨霊だといいました。(前掲写真(原本分冊・復刻版分冊の表紙))

翌二十五年の六月には上ノ下立売紙屋川西入建具屋古谷松太郎方の庭にある直径約一米、高さ約十五米の欅の大木で桃割の娘のような姿に見えるといい出し、毎夜この淋しい町は大賑いとなったといいます。この家に以前住んでいた娘さんが死んだのが仏事もせないので姿を現わしたのだといいました。(下、京都新聞s25/6/16夕刊より)
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同年七月左京区田中西河原町の干菜寺墓地に椋の大木が日本髪の娘に 見えると附近の娘が夜おそく戻って来る中月光にボンヤリ見えた木娘に悲鳴をあげて逃げて戾った話から噂が拡がったといいます。それから後はトント聞きません。それと噂が拡がると迷惑だとその一部を切って木娘退治したようにもきいております。 (ここまで)







(4)京都の木娘は明治44年晩夏に遡るという。紫野の雲林院の杉の木が夜になったら島田髷の娘に見えると怪談的な評判が立った。これは謡曲にもされ、また芝居など作られたものが検索すれば当たる。木娘は戦中戦後にも出現の噂がたった。寺社にとどまらず個人宅にも現れ、都度さながら流行神のように物見高い人々が押しかけることになった。その家の死んだ娘だという怪談めいた話もまことしやかに語られ、押し寄せる人波に自警団も出たという。見える見えないと言っては楽しむ、遊びのようなものだったようだ。(同上、参考文献はリンク先参照)
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〜上京区新町頭鞍馬口下る下清蔵口町(上御霊前通堀川東入る)具足山妙覚寺に現れた「木娘」

(追加情報)「グラヒック」明治44年10月1日に京都の木娘の記事が出ていた。画像は絵葉書流用(左は前掲)だが、はっきりたわいもない影絵として茶化して書いている。大木のシルエットを何かに見立てて大勢で見に行くのは考え方によっては風流かもしれない。
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同年の風俗画報にも言及がある。「京都流行の木娘 八月以來京都市中にては。木娘といふこと大に流行するよし。木娘といふは紫野大德寺内の大木が美人の後姿に見ゆるとか。太秦の太皷堂にて三丈餘りの團栗の木が坊主に見ゆるとか。烏丸鎯池下る東側角より東南を見れば。老爺の首より上の姿が判然と見るとか。果は此處の樹がハイカラの木娘。此處の林が丸髷の木娘なりと騒ぎ立て。日暮前より老若男女所々に寄り集りて見物す。之が爲めに其の繪葉書が流行するといふありさま。昨今京都市中は此木娘の話にて持ち切り居るといふ。妙な流行もあるものなり。東京市中にても薄暮淡々たる内に遥かに林木を見れば。種々の形に見ゆるものあり。特にめづらしきものにはあらず。」(風俗画報425号M44/10/5)

近代歌舞伎年表京都編の明治44年9月1日~十日明治座公演として「自覚術・魔術」が記録されている。当時超能力者として評判だった三田光一(福来友吉博士による実験、月の裏の念写で有名)のショー。京都日出新聞9月4日の記事に2日ここに挙げた「例の」妙覚寺の木娘の絵葉書など紙に包んで透視、喝さいを浴びたとある。

折口信夫「万葉集に現れた古代信仰~たまの問題」は全集にもあるが青空文庫に入っている。ここで自然物の人面信仰の好例として以下言及されている。「我々の幼い頃、京都辺で、夜、きむすめといふものがよく見えると言はれました。処女の意味と、木が娘の姿に見える、といふ二つを掛けた、しやれた呼び名だったのです。」

木娘(自然相:ゲシュタルト視覚による自然物の誤認)とみなされるほかの例

最終更新2022/9

Commented by karan_coron at 2019-04-16 15:51
「木娘」に見えるモノあり、見えなくもあり。
絵はがきにするほど当時の庶民には娯楽性の有るものだったのか?・・・情報伝達の手段が限られていたからか?

コメントありがとうですので、
Commented by karan_coron at 2019-04-16 15:58
↑ コメントありがとうです。

・・・なので、「ブログ更新」したのね!とフォローの一覧を見ても表示されていなかった。・・・で、直接アクセスすれば「更新確認」・・・どうもスマホのアプリにはタイムラグがあるようだ。
Commented by r_o_k at 2019-04-16 16:02
はい、私もアプリからのお知らせが来なくて、更新のタイミングで気づく次第でした苦笑

木娘はどうもかなり長期にわたり京都を中心に流行った「見立て物」だったようなのですが、新聞記事くらいしか記録がなく、背景が見えません。絵葉書も何種類も出たようです。
by r_o_k | 2021-03-26 12:28 | 怪物図録 | Comments(3)

by ryookabayashi