

以前の積み残しの怪奇四コマがなんか見つかったんで載せとく。
秋の気配ムンムンだから時期外してるなー。
思うんだが怪談とか妖怪とかオカルト好きな人って、イコール怖がりたい人なのかな。笑ったり愉しんだりしたい人って私含めかなり多い気がする。すぐそばにある非日常を求めて、現実逃避の手頃な手段として、卑近なシチュエーションが設定された怪談を聞いたり、簡単に行けそうなミステリースポット探訪記を読んだり。演出を排したストイックな、剥き身の怪談会もいいけど、流行りとしては過ぎてそれも一つの表現方法に過ぎなくなっている。
ハデハデなオカルト番組やカストリ系の毒々しい心霊雑誌を忌避する声は昔から多いけど、これだけ世間に情報が溢れる時代になってくると、単純なキャッチは大事でしょう。演出なしに話芸や筆力だけで引き込める力ある人も限られ、新ネタも出にくいこの業界?は、ストイックさだけでは確実に飽きられすぐまた市場から見放される。色んな愉しみ方をする人がいるのだ、発信者がひたすら我を通して、いつかの成功経験だけを頼りにニッチな部分を食い合うだけなのは、ナンセンスじゃないかなあ。
色々制約や危険を伴う分野ではあるけど、だからといって自ら殻を作り「べきだ論」でオカルト業界を導こうとすることは傲慢な気がする。ますます閉鎖的な雰囲気をつくり、カルトみたいなマニア以外を排除してしまい、ま季節だけは稼げるけど、なんともいびつな袋小路を自ら作っておいて迷い込むことになるんじゃないの。つかなってる。日本人は都合のいい時だけ多様性が必要とか言う上辺だけの平等論者ばかりだからなー。オカルト専科クリエーターでもプロデューサ的な立場の人はそのへん考えてほしい。基本専門バカだらけに見えてしまう。アンチでもカルトでもない中間層の私みたいな古参ゆるマニアはもはや海外ネタか古い文献でもあさるしか愉しみがないですよ。
さっき発禁本「変態交婚史」読み返してたら教訓妖怪であり性差別妖怪でもある飛縁魔のことが書いてあった。あーそか。丙午と洒落てる、つか、当て字からの発想で生まれた観念妖怪なんだな。火の閻魔とか女陰地獄とか転化して呼ばれたらしいが、近代モラリズムが社会から抹殺した俗信が昭和二年のこの本にはまだ口伝として活写されてる。なんか科学とのせめぎあいな微妙な書き方だけど、インモラルを文字にしてウケ狙い、というわけで発禁。変態シリーズでも極めて手にしづらい一冊になりました。近年再版が練馬区図書館にあるけど。戦後書き直された「変態交婚の話」がほぼ別物なのは以前書いたとおり。
なんてことをつらつら。ふつーのブログだ。
地位協定なんてふざけたものは撤廃だ。
ドラッグは売人は死刑。使用者は終身だな。
なんでもかんでも徹底的にやっちゃえ~
ついでに日本も沈没だぁ~w