2009/6/5胴長獅子は国重文
2009年 06月 05日

権現造本殿は震災火災をかい潜った唯一の建物、だけど江戸時代と案外新しい。少ないが彫刻は見事。有名な樹齢1200年の日本一の金木犀や先程書いた楠(1000余歳)のほうがずっと古い。



外陣に控える厩の木彫り神馬は左甚五郎作と言われるが多分ずっと若い、しかし伝承では毎朝三嶋神を箱根権現に載せていくと言われ、時折汗をかいているとか。しかし大雨の中、今日はつるつる涼しい顔だった。厩脇にある頼朝政子の腰掛石は流された頼朝が日参のとき座って休んだといわれるが、形状が大小の椅子に見えることからの民間伝承だろう、扱いもひっそり。しかしこのへん受験祈願の絵馬が激しい。頼朝にあやかってだろうか。三嶋神は元々伊豆七島の新島などが産まれるさいに富士山に連なる明神系の国魂として現れた荒ぶる神だけれども、三は島の数とされる一方で祭神は今はオオヤマツミ命とツミハヤエコトシロヌシ神のニ柱で、数が合わない状況になっている(三嶋という地名が先で島の数や祭神は後付けなのだろう、オオヤマツミというとしまなみ海道の大三島、やはり武家の守護、海中の山神として栄えた日本総鎮守である)。


三嶋暦師の河合家旧宅(そばに新宅があるそうです)は安政大地震あとに、お台場を作った人(頭悪い言い方ごめん)篤姫に出てた人(頭悪い言い方ごめん)韮山の江川太郎左衛門が廃絶関所の廃屋を持ってきた江戸前期のかなり古いもので、北向き玄関の中右手に神棚(大社を向いている)というのも不思議な構造。軒瓦や兜などに九曜紋がみられるが、家紋をいくつも使っていたといい、理由もよくわからないみたい。なかなかに神秘的で、奈良時代に京都から来た社家というのも大社創建時に神主谷田部家と共に集団で来たうちの一族ということになるのか。




またもや写真添付限界につきつづく
やっぱりあれは死後の世界だよねぇ。
銀河鉄道を連想させるような場面がある。
つげのねじ式もあったけどw
外国の人にそこら辺ってわかっているのだろうか・・・
分かってなくてあの賞って事はどうなんだろうね。

