揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆Twitterまとめ日記。過去旅行の整理、歴史・絵画など。

2009/6/3-4雨の三島函南史跡めぐりはじまり>蒲鉾型横穴墓ってほんと蒲鉾

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柏谷横穴群を見てきた。運動不能状態ゆえメタボにひっかかったり血圧の乱高下で脱水症状とか、まあそんなのはいいんだけど、こんな大規模な横穴墓群とは。しかも墓穴が比較的大きい。発祥地の大和周辺ともこないだ行った筑後周辺とも違う、時代が下ったという以外にも何かまったく異なる思想を感じる。表題の蒲鉾型というのは初めて見た。神奈川から東京都に多い羽子板型は産道をもしたようなクジラ型の穴で、蛇腹のようなノミ跡をわざと残し河原石を敷いて納棺施設を特に作り出さないのが特徴だけど、ここも伊豆だから神奈川と同じと思っていたら、時代的にも幅があり形状にも差異がやや認められる。むしろ吉見百穴や黒岩あたりの内陸様に近い密集ぶり、羨道の狭さに比べ玄室が異様に広かったり、あるいは崩落かもしれないものの羨道なしにいきなり整然と凝灰岩(伊豆石?)を切石のように整形している。形はドーム型(子宮を模した千葉なんかにみられるなかなか神秘的な円形の玄室をもつ横穴)よりは羽子板型に近いが大和様が入っているように思える。羨道が下るよ
うにできているのは関東では珍しいように思う。言わずと知れたヨモツヒラサカなのだ。一部残されている閉塞石も、東京などでは小さな切石積みの玄室入口からまっすぐ、ノミで穿った原始的な羽子板型墓穴に入る、なんだか入り口だけ飾ったようなやや時代の下るものでは、きちんと門として作られていたが、ここはもろに穴に割石を積んだらしい。一部棺台のようなものや奥壁への納棺施設といった凝ったもの、きちんと前室を設けているものなど、夥しい羨道からの出土品含め、蒲鉾やドームとはちょっと違う儀礼的なもの、しかも仏教的なものを感じさせる。折しも聖徳太子の時代に作られはじめたようだが、個人的にはもはや古墳時代の横穴式石室の模倣といわれる横穴墓というより、黎明期の武士の火葬墓(ここでは棺室を設けたものから棺室だけを直接崖に穿ったようなもの、果てはミニ横穴と名づけられた火葬壺を納めたと思われる小穴(玄室内に設けたものはいくつかあるが恐らく土葬棺より下るだろう)まで、また奇妙に整然とした整形横穴(まるで奈良の末期古墳の切石積
み石室のような厳密なものさえある)、鎌倉に突如現れたといわれる矢倉という火葬供養墓/私設仏堂と非常に似ておりミッシングリンクになるのではないか?後世改変含めもっと研究してほしいなあ)


それにしても後世どのくらい手を加えてるんだろ。蒲鉾型ってほんとに縦の潰れた丸っこい長四角になっていて、この形状は不思議すぐる。。写真とりまくって地元の管理人さんに話し掛けられてしまった。こちとら横穴墓で卒論通したんじゃこら。ごめんなさい拝んで通してもらった。

吉見の古いものや大和以西のもののような玄室入口を二重にしてゲートにしてるのもあったような。たいてい横長の入口なのだが中には縦長のそういった見慣れたものもあるので、ふしぎ。

こんなとこ歩いてる自分もふしぎ。さすが国指定史跡だけある。甲状腺の水泡も消えるわ。
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by r_o_k | 2009-06-03 23:50 | 旅行 | Comments(0)
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