
駅から渋谷川へ、明治通りをわたり右に広尾へ向かうと左手に俄かに寺町が展開されています。道を入ると立派な寺門から広尾駅への商店街、門前町だったのか。
これが黒田長政ゆかりの祥雲寺。結局江戸に身を置いた黒田家累代のとてつもなくでかい墓が並んでいます。長政のなんて殆どモノリス。覆い屋がまた異様。他にも名家の墓が並びますが、広尾にもこんな江戸風情が残っているんですな。もちろんあくまで江戸東京での供養墓となります。

猫といえば鼠。
墓地入り口右手すぐに鼠塚なる巨大な石碑があります。

明治時代のことになりますが、ペストが大流行。ということで、あたり根こそぎ鼠が捕らえられ殺されました。その供養ということです。
今とは比較にならないパンデミック対策です。
さて広尾から麻布へ。南部坂を上る、緑あるところたいてい江戸大名屋敷か、寺院なわけですが、このあたりは明らかに大名屋敷です(南部坂だから南部藩・・・だったことがあるらしい、とのこと)。左手に有栖川公園を見つつ上がりきって、テニスコートを過ぎ野球場の向こう尾根道から逆側下りすぐ、麻布七不思議のがま池があります。PONDという言葉にふさわしい湧水による窪地が麻布には各地にありましたが水が残っているのは珍しい。釣堀と井戸とここくらいとか。30年近く前から個人法人敷地に囲まれ一切外から見られなかったのですが、今や少なくなった麻布らしい下町風情の残る宮町で地元のご老人に教えていただいた、がま池が今なら覗ける、一軒家が壊されパーキングになっている!(この周辺は旗本屋敷のまま関係?末裔の方が地主だったような)


冬に来たかった。。草木が邪魔。。でもいかにも擂り鉢状の窪地に水が湧き周囲に草木が生い茂っている、おお蝦蟇が出てきて水菓子盗みそうだ。伝説は錯綜しており詳しくはぐぐるかうちの古い記事を。ここも江戸旗本屋敷跡です。





麻布区史(昭和16年)まだ雰囲気はありますが既に石垣に囲まれた新興宅地内の埋め立て池であったそうです。








尾根道に戻り仙台坂から下る。そのままえんえん歩き道なりに日向坂を上がると、下り返しが綱の手引坂、先に書いたとおりですな。

そして左手の港区立赤羽小学校(と都立三田高校の境目)に猫塚、いちおう元有馬屋敷の「現場」に残るほとんど唯一の「証拠」というんでしょうか。振り仮名付きの標柱がありますが小学生は読まないだろうなあ。。。このあたり大規模な建築によって地形改変甚だしく、周囲を抉っているので日和下駄の風情すらない。池もないし、塚周りに「新しく形成された」鬱蒼とした樹藪だけが僅かに残る。何せ塚の左手は崖で東京タワーが見渡せるっていうんですからね。


芝公園で足を止めましょうか。ぜんぶで3、4キロくらいの道のりでした。
おしまい。
一枚目はこちら
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猫石で偶然撮影されたスカイフィッシュはこちらw