駄目になる可能性のほうが大けどね。
来週のうちに決定するかも。
東京は撮りたいところがいっぱいあるな。
展望台いや岩山でしょうか・・・相変わらす茶屋のおでんは高いのでしょうか・・・。
それにしても大変ですねえ。。。
建国のときは世界中の白系音楽家が牧歌的な理想主義にうち震え名だたる指揮者や演奏家が次々と・・・
それすら愚かに思えてきます。
そうか、むかし大船に住んでいた頃、マウンテンバイクで山道に入っていったらハイキング集団に遭遇した。
その人たちと一緒に自転車を担ぎながら歩いたのはここだったのか。
なにやら記念のバッチをあげると言うのでいやいや僕は通りすがりのものですからって言ったけど記念ですからってバッチをもらったのだった。
そのバッチはなくしてしまったけど、そうだそうだ。
今ルートを検索したらなんとなく思い出した。
>愚かさも千年単位
というしかないですね、実際中東は日本の経済に響きますし、別にグレープルーツの出来損ないはいらないが、自動車産業の欧米以外の窓口に影響を及ぼす、周辺の情勢不安になる可能性だけは、避けでほしいですね。
どうも今まで心情的な面で庇いすぎていたような・・・まったく文化芸術面での、牧歌的な理想主義も想像以上に。うらがありありでさらに幻滅しますね。
>あの文盲
それゆえ漫画ばかり読んでいたわけですねwwローゼン閣下は、ww
結局内側にも外側にも何も出来ないで消え行くのでしょうね。
>むかし大船に住んでいた頃、
けんさん随分近いところに居たんですね。
ルミネが出来る前で、海軍燃料廠の引込線の枕木が民家の庭先に転がっていた頃から、界隈は今に至るまでマイフィールド幾つかの一つでございます。
つづく
>自転車を担ぎながら
リアルでのマナーは抜群wwですね。
土地の起伏が魅力的なのか、山道を無理やり乗って登攀して、自然豊富な草を傷つけ、ハイキング者の列を分け入る迷惑者も、いますし、さらにオフロードバイクで、排気ガスを撒き散らす不届き者なども出没しますので、ハイカーの立場では、そのマナーが有難いと思います。
何せ、ハイカー界隈の人々とは少し関連がありまして、もしかすると、記念バッチの集団は、知人の可能性が多いようなww
記念品は、幾つかある鎌倉出口の目的地のお守り等色々ありました。
草を踏みつけるのは何も自転車やバイクだけじゃなく人もです。
ハイカーの後には結構ごみも落ちていたりしています。
山道の植物を切って持ち帰ったりするのはマウンテンバイカーではなくハイカーです。
ハイカーからしたら分け入るマウンテンバイカーは迷惑かもしれませんが、道を占拠しているハイカーもマウンテンバイカーからしたら迷惑なだけ。
こちらは一瞬で消え去るのだからちょっと道を空けてくれればと思います。
共存ですよ。
どちらかだけのものじゃありません。
道に落ちているごみを拾い持ち帰る事は、高校の時からやっている。
そう言う事をやっている自転車競技者は多い。
自分たちの権利を声高に語るよりもまず行動を、が僕のモットーでして。
>共存ですよ。
確かに、コメントしそびれましたが、ハイカーの中にも、いますからね、マナーの無い奴らが。
>おでん屋あたりのゴミ捨て場の壮絶さには同行者が眉をひそめていました。
なるほど、さらに酷くなっていましたか・・・まあそれ以前に、近くに廃屋などもあり、未整理な所でもありまして、その辺であのあたり許されると思っているのでしょうね。
あのコース、近代は狩猟?や樵などぐらいで、戦時中まで軍事要塞地区の扱いだったため、それほどオープンではなかったと聞きますし、自分自身数十年前には、あのコースいずれかで、ここから禁猟区と、猟銃注意の看板を目撃しています。
実際樵は専業ではないのですが・・古都保存法が制定される前後まで、(1986年ごろ?)そうした森林の伐採や、下枝切や草刈など、森の遷移を防ぐ保全諸々を行っていましたが、それらが無くなってからは、役所と趣味のボランティアの大雑把な管理になり、森の雰囲気も変わりましたのを、近隣の立場で感じたものです
どうもかなりお二人と同じものを見て感慨がにておりますねww・・・。
>景色を隠すよう整理された植生にかんしてはかなり面白く
ですね、あとあのルート自体古代の防衛戦略的な要素がありそうな、形をしていますね。おそらく古代から人手を通して出来あがっていた道なのでしょうね。その辺を単なる自然保護や古都景観での範疇で途絶えさせる傍ら、私有地ながらも、マンションなどのデベロップメントにやすやす容認する、矛盾した役所には大いに疑問です。
まさに
>古来人手の入った樹林としては第一級の資料
として、トラストのような民間個人的保護だけでなく。
>近代リゾート林
としての民間と役所双方で、手すりや掲示板設置にとどまらない単なる公園化ではない、原初状態を維持すべきでしょうね。といってももう森もかなり削られてしまっておりますので・・・なんともむなしいところもあります。
>築造理由が明らかにされていないことや
たしかにいまだ明確な研究成果見えませんね。
実に六国峠も修験者の道と生活が諸説ごったになっていますし。
>朝鮮式山城の入ってきていない時期の砦のありようも、
これも、港南区笹下の日野公園墓地の丘陵などが、鎌倉時代の山城跡とされながら、全貌が不明で、これも役所の調査がうやむやですね。
あとは、六国峠の下の荒井沢も色々謎の地形や遺跡の痕跡がありますが、これ道路開発で消えつつあります。