個人的すぎる感想文はファンレターでも書けって話だが、なんかやっぱり連載中の作家先生に下手に勝手な感想を直接送るのは大人のファンとして抵抗がある。純粋な高橋葉介という作家オンリーの作品を読みたい、というわけで、夢幻紳士回帰篇を犠牲にしてまでこっちにやっぱり力が注がれていたんだなあという、一巻とはまた一味違う展開がじつに凄い。多彩で重量感あったなあ、今巻。
![]() 描法や内容にインモラルな表現(最後に差別うんぬんの注記がある現役マンガなんて最近珍しいんじゃないか)、さらに一枚絵に凝っていた最近の先生が、(ひょっとして苦肉の策の新境地かもしれないけど)本来得意のシナリオに凝り始めたのがまた嬉しい。隔月に戻った「ひまわり」以後、本巻では二作ほど、学校怪談の調子よい頃よりももっと前の時代の作品を思わせるかんじで織り交ぜられていて、事実上のリメイク的内容が多かった最近の先生の方法論が(夢の繰り返しパターンはまとめて読むとちょっと多すぎるけど)ここにきて覆ったのがすごくうれしい。戦中戦後に手を出したのは満を持してなんだろうかどうなんだろうか、とにかく強烈だったのは「ひまわり」の首長骸骨で、エヴァ(ヱヴァ)のプロトタイプの印象が影響しているのかもしれないけど、天才健在を感じさせました。ハメルンに持っていくのも素晴らしい。幻想に逃がしているので下手にリアルな戦争残酷物語にならない、直接表現はもちろん避けるべき時代でもあり、きるじゃぷ様にしても賛否あろうけど、シナリオ的には素晴らしいと思う。 このシリーズは学校怪談以来のヒット、しかし学校怪談と違った実験性がけっこう盛り込まれている。すばらしす。表紙の下に小兎の四コマ抜きが昔の漫画っぽくていいな。またもや鉄人が・・・ 休日出勤なのに結局その日のうちにかいてしまったオマージュ。もっとちゃんとかきたい、と思うけど、すばらしい作品に対してはもうその感情をそのままかいたほうがきっといいということで。回帰篇はあんまり正直気合が入らなかったけど、この作品にささぐらくがきはもっとちゃんと書きたいくらいす。つか、コンビニメモ用紙と鉛筆という制約は凄くつらいす。ゲームの話を一日聞いて、サブカルが日本ではちょっと全体的に低調な感を強く持ったけど、葉介先生の位置なら関係ないんだろうなあ。ここはもう、文芸です。児童ポルノなんのそのな挿絵がまた反骨でいいっす。ぶんか社ならではかなあ。ぶんか社にいいイメージを抱かざるをえないなあ。サイン会・・・やらないか・・・ アッー ![]() アヤウクおろされそうになるところからハジマリ養子に出される危機をへて、健全な人嫌いの独善者に育った私であってもさすがに戦争の話にはただこうべをたれて床を見つめきくしかない。墓参りに行き、参道口の喫茶店でふと数年前に90過ぎのモダンガールのかたに話をうかがったことを思い出した。 もう生きているかどうかわからないけど、PTSDの気の溢れる方々に囲まれ戦争の話をさんざ聞いて育った、自分の世代には珍しい、そんな経験柄まったく隣の話のようにきく中のひとつ、南方戦線に向かううらなりびょうたんのサラリーマン、思い出を作って送り出すためにいちにち彼女を演じた美女の割り切った気配、帰ってきた白木の箱のイチアクの小石に落とすまなざしのきわめて醒めたかんじ、すべてに慣れきった中で、生きる原点に忙しく精神的に悩む余裕すら無い人々の話、戦後たくましくと言うより本能でひたすら生き延び生き残るため、貪欲に、失われたものを取り戻すためには敵味方もイデオロギーもポリシーもどうでもいいという大勢の民衆の麻痺的感覚や動物的感覚・・・に理解のないアメリカのセンブを受けたスペクタクル指向スタイリッシュ指向の若手や、大金持ちや権力者やたまたまたいした影響のない地方にいた人々のたぐいには、戦争を描くといいながら、戦中戦後に舞台を借りた現代劇しか描けない。どうも気になる。 むしろ硫黄島からの手紙のアメリカナイズされた過剰な表現のほうがリアルなきがした。伊集院光さんの日曜日の秘密基地で証言されたかたによれば、おおかたは戦略的にひたすら持久戦に持ち込み穴を掘るだけの生活で、人間ドラマのへったくれも存在しえなかったらしいが、見方は立場により違うだろうからそれはともかく、塹壕にせよ防空濠にせよ、映画館のサラウンドシステムの迫力の比じゃない爆音だったというのは、限られた人を震撼させられたらGJという音と、地上に存在する人をことごとく掘り出し「確実に殺そうとやっきになっている音」の違いなのだ。 そりゃ戦争ばっかやってる国の映画の表現はリアルだよな。日本がリアルじゃなくてよかった。 こうの史代さんの広島マンガをいまさらすこし読む。昔の同人誌みたいな物凄い描き込みでけしてかきたい画じゃないけど好きな表現。しかし、こんなに感傷的になれただろうか。感傷はあるていどの距離感がないと持てない感情だとおもう。当事者でも時間が冷静さをもたらし感傷に昇華するには何年も必要なものだ。10年の設定は絶妙ではあるが、こう論理的に説明できる感情に昇華できただろうか。 周囲知るかぎりPTSDという感情の暴発でしか、そんな感覚は現れないようにおもったりした。 ただ、生き残って申し訳ない、そんな人は大量にいた。もちろん、徴兵軍人を含む一般庶民の中に・・・士官は知らぬ、としておく。元士官の家がまだたくさんある、なんでみんなまだ偉いんだろう?戦争って裁判があったんじゃないの・・・敢えてそんな疑問も忘れたことにしておく。戦時に士農工商の上位二階が威張っていたのがそのまま戦後もつづき、米屋が太り嫌われた、なんて都市伝説だったということにしておこう。鑑定団に出品する人に時々いるたぐいだ。 まとまらないが、へんなことにならないために常套句を。 まだ書きかけだし、フィクション。 何にせよ殺人は最低だな。
やむを得ないことなんてないが、そうだとしても最悪の判断だ。 ![]() もっと最低なのはそのくせ自分は生き永らえて、根底ではそれを肯定し続けている人生だ。 もっとも、そういう人たちの生き残ったおかげで日本は何とか今の人口まで増え「繁栄」に至っている。 その偽善を追求した人たちもまた世代交代や劣化を繰り返した挙句、小規模ながら同じようなことをやる。 その必要性はずっと少なかったように見えるけれど。 しょせん当事者にしかわからない、それでも冷静に卑近な事実だけを見据えるための「参考材料」として、 こういう本を読む(刷り込まれる、ということではない・・・既出の文章や映像モノに比べずっと感情移入のしにくい作りにはなっているが)・・・のもいいと思う。 3巻という中途半端なところでエントリしてみる。山本直樹先生「レッド」新刊です。 http://blog.excite.co.jp/shokotan/2867508/
さいきんまったく見てなかったが、まさか葉介先生の幽の表紙画が出てくるとは。諸星先生の栞と紙魚子やバイオも。ついでにさくらももこて、80年代サブカルばりばりな顔触れ。。 筋と金が入ってる 諸星先生は最近のは読んでなかったんだな。 幽は花輪和一先生めあてか、ゴッドタンからの流れでしょこリータ見てしまった、、、 しょうじき好きではなかった、理解できない漫画。子供にはギャグが大人すぎた。絵も強すぎた、ひ弱な公害世代の自分にとって赤塚漫画は前の世代の過剰なブームと、後の世代のリバイバルのはざまで一歩引いて見ざるを得ないものだった。今も余り好きではないし、ナンセンスギャグのセンスや(矛盾した言い方)思想的なものなど後代にあたえた影響はおおきいとは思うが、それもひっくるめて別世界のものだった。
絵にそうとう苦しんだと言う話をどこかで聞いた。試行錯誤したからこそのシンプルな独特の画風が生み出されたのだろう。 病が悪い悪い言われながらなんとか、10年しがみついて、今安息のときか。 ご冥福を。 ↓ブログランキング参加してます。よろしければ押していただければと。 バカボン・おそ松くん…「ギャグの神様」赤塚不二夫さん死去 ![]() Excite エキサイト : 訃報 <赤塚不二夫さん>死を悼み800人が記帳…青梅の会館や駅 びっくり、こんなスパンでまた夢幻紳士が読めるとは。しかも前シリーズは完全に完結しているので、どこへ回帰するのかが楽しみでもあり、たぶん、意表を衝かれるはずですね。そういえば新刊でたら差し入れとして編集部経由で送ろうと思っていた酒が酢になっていたら困る(どうも現在連載中のぶんか社は不安があるので送るに送れない事も)。新連載ということで早川なら大丈夫でしょう。やっと酒が部屋から消える。肝臓があまりよくないので、飲んでしまうと自分が部屋から消えるところだったし。
きねんにさらっと書こうとしたら案の定夜中特有の「重ねすぎ」でドツボにはまり、修正しては書きのくりかえしでえらく汚くなった・・・やっぱり私は最初の一撃で終わらせるタイプの人間、時間かけてもだめでした。老人少女の表情が難しいのと九段先生の後姿がよくわからないのと、そもそも絵柄の違う二者を並置するのが難しいっす。それにしても、高橋葉介先生の技量がいかにずばぬけているかわかりますわ。少なくともあの立体感浮遊感は出せない。 ![]() ええ、完徹ですよ。本気でコトを始めるとまったく休めなくなる性格。 ![]() インスマスの海岸に打ち上げられし創造主。眠りの都に行ったハシシの男により翼のある尖塔が又一つ建てられた。車窓に揺らぐプレアデスの向こうで魂と魂が喧嘩している。早くしないと戻る線路が失われる。朝を逃した魂が依るべなく灰色の星となって沈む海も覗いた。鎖の音が木霊する。 スイスの医者が言った通りだ。太陽の尾が揺れるたび巨大なフレアが黄色い砂を投げ掛ける。深入りし過ぎている。夢を飲み過ぎてはいけない。悪夢やも知れぬ。誰の夢かもわからぬ。それでも彼はあの窓から飛び立った。 明日にはインスマスの海岸に揚がることになるというのに。 ~「ハシシの男」夢見る人の物語を読んで。 この小品集は初めて。「無為の都」のウウイニ、「オンゴロの仮面」かとおもった。「潮が満ちては引く場所で」なんて諸星大二郎先生の世界そのものじゃないか。 「乞食の一団」が好きですねー。 大正14年早春編纂、酒を中心としたエッセイ、世相批判、随筆や滑稽文小説をまとめたもの。前半が酒にまつわる疾風怒濤の文、大晦日正月にまつわる文、中盤が掌編笑小説で終盤がまじめな随筆で酒というより思い出集のようになっている。田中貢太郎の本はおうおうにして雑な編集をなされているため、怪談と随筆がごっちゃになっていたり酷い。現代は逆に怪談だけが取り出されているので本質ではない部分が批評されている感もある。この人は徹底して野に居るものとして「大衆文学」に拘った(ブンガクという言葉すら忌んだような発言さえある)。博覧強記さは同時代名手とみなされていた「随筆」からよく伺われる。この本もきほんは随筆とユウモア文学にかつての新聞記者時代を思わせる皮肉な文を加えたようなものだが、知識が可也詰め込まれている。その深さと浅さの文章ごとのギャップ、気まぐれな乱立ぶりがくらくらとさせる、これが田中貢太郎である。
有名なのは漢籍への造詣深さだが(怪談は余興だ)、西欧文学にも非常に強かったにもかかわらず「ロシなんとか文学?なんとかフスキー?」などと文学者を侮った一文が見え(多分に情愛小説流行りの当時の文壇批判の一面としてドストエフスキーあたりの情愛小説を想定したのかもしれないが)、粗忽の相を出しているのが毒でもあり、酒を飲めない人間への侮蔑に近い文ともども土佐人の悪いところともいえ、晩年の不遇は人間関係にも起因しているのではないかと少々頭が痛くなるほどの舌鋒の鋭さがある。しかし、終盤の静かな情感をたたえた思い出を綴る随筆は、さすがそれまでの脇の甘すぎる攻撃的なあるいは巫戯山たあるいは教科書のように知識を並べた文章とは全く異なる、すぐれた随筆家としての姿を垣間見させる。そもそも大衆文学のイメージで同時代の「上流階級」「知識階級」に蔑まれたところもあるこの人の本領は実は随筆にあり、怪談を含む「実録もの(自身は「実話」と呼んでいたが実のところは「実話の小説化」である)」のわかりやすい文体とは違う大人向けのものとなっていて、この本を頭痛がしながら読み進めていて「ああもうやめようかな」と思ったところへの随筆群、結局この本の写しを手に入れる手続きをしたのが今である。 いやー、博浪会の追悼号にさかんに「首領」の随筆の達者をたたえ真似したような文体が出没していた理由が、改めてわかった。たぶん貢太郎集というのはまとめられていないので、われわれは貢太郎が晩年達成していた随筆世界の全貌に触れる機会は通常恐らく無いだろう。勿体無いし、再評価の軸がずれている気がするのもここに理由があるように思う。本人は林有造や坂本龍馬の伝記に晩年の力を集中させていたのだが、前者はいちおう波乱ののちに出版はなされているものの後者は資料収集で終わっている。その頃にはもう長文執筆への威勢はなくなっており、無理ではなかったろうか。大衆文学、いわゆる実録モノというエセ臭漂う世界を背に背負った気分を未だ抱いていたのは間違いないが(本人が「意図的に」エセ臭を漂わせようとしていたことは間違い無い)、年と体力は短編、それも随筆のような軽いもの(晩年に実際そのようなことを語ってもいる)を書くべしと示唆していた。だからそのへんをもっとピックアップして、同時代を活写したジャーナリスティックで皮肉っぽい文章を含め~明治末期から大正時代の世俗世相のさまざまがまるで直接見聞きしたかのように生々しくつたわる、これが怪談のジャンルにも応用されたのが「日本怪談全集」なのだ~文庫本ででも出して欲しいもんだ。井伏鱒二やら吉川英治やらに受け継がれたものが何だったのか(太宰は孫弟子にあたる)ちゃんと評価してほしいなあ。 冒頭の「屠蘇盃に映る酒徒の顔」が出色の出来で、初老にさしかかった貢太郎の思い出が、酒を酌み交わした相手の顔が杯の中に浮かぶという言い方で連ねられていく。悪ノリすぎず真面目すぎもせず設計無くつら書きしたわりにすっとまとまっているのでおすすめ。 これは酒を酌み交わすことでしか仲間意識を持てない困った人種(土佐人)の思い出なので、今は考えられないくらい酷く酒におぼれた連中が出てくるし、飲めなくなって(それだけでもないが)交流の途絶えた人間も出てくる。貢太郎の交友関係の特徴としていっとき非常に親しくても大した理由もなしにぷつりと仲が途絶える。それも人生と柳風受け流す感覚があり、愛惜はあっても変に拘らないからこれだけ人を集めその中心にいられたのだろう。そのような感覚の発露について別所にも書いた。 生没構わず只その豪儀で血気盛んな明治大正の酒徒のさまを断章している。今は無名の登場人物たちの個性的な飲み口は現代の酒呑の態様をはるかにこえた、命までかかるほどの方法であったりする。皆帝都東京にいっとき集い、ある者は久しく顔をあわせず、ある者は別所にうつり、ある者は「酒没」する。死ぬことに何か悲惨というものが感じられない。死についての記述も別所にあるが単刀直入人間は生きて死ぬその1サイクルしかない、年末年始も行事も何も無いということで、ありきたりのことだという。時代性もあろう。文体の妙でもある。活活とした「人間」の「生のさま」が雄らしく描かれている。圧巻は幻想の中国を駆ける五の章である。酒盃に走馬灯のように矢継現れる酒豪たちの思い出がいつしか上海で、台湾で、遼東であるいは高知で舟を揺らし街並みを歩く幻想となっている。このあたりが幻想作家としての真骨頂となってくる。茫洋とした場面場面の気まぐれに切り替わる文中に、酒と肴が浮かんでくる。それが酷く旨そうなのだ。七章でいきなり文は冒頭の文体に戻り、奇矯なたち切れ方をするがこれも貢太郎らしい。ただ思いつくがままに書く、そこにこの人の面白みの真髄が有る。酒煙にむせぶ夢想幻想を愉しむことができる。理知的に考えたものより徹夜で直感的に書いたもののほうがよほど踏み越えた面白さをかもすことがある。貢太郎のものはこの調子が出ているのがいい。 貢太郎はよく呑むが強くはないようだ。宿酔いの話が多い。だから体も壊そうもので、土佐人の悪癖である。が、清清しい処でもある。この文中には必ずしも強くないのに吐きながら呑んだり、死の床で呑んだりなどトンでもない酒徒が出没するが、貢太郎もまた同じ道を歩んだ。今は許されないだろうが、この時代はありえた。豪快さというのは死と直結する。死が遠い現代には得られない破天荒のさまが楽しめる、とてもいい頭筆である。この本のほぼメインと言ってもいい。大正13年正月というから出版1年前のどこぞへの寄稿文だろう。 このあと、高知から徳島まで飲み歩いた話なども非常に面白いが、非常に長くなってきたのでとりあえずひとまづ。 < 前のページ次のページ >
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