2008/9/15幽霊トンネルに咲く一輪の枯れ尾花。
2008年 09月 15日
朝日コムから珍しい記事。季節はずれだよね。。
~ ■昔は墓地
「秋田中央道路で、武士の幽霊が出るらしい」
秋田市内のタクシー運転手男性(58)は7月、こんなうわさを耳にした。対向車線に大きくはみ出したトンネル内のブレーキ跡を思い出した。脇見運転が原因の事故が多いとも聞いた。「トンネルで、なぜよそ見をしたんだろう」
中央道路での事故を担当する警察官も「事故だけでなくガス欠などが多いのは本当に不思議。『何かいるのでは』という話はよく聞く」。 (以上抜粋)
前フリはこんなものです。
~山王大通り北側にある同市旭北栄町の当福寺。40年前まで、山王口付近はこの寺の墓地だった。木村清志住職(59)によると、当福寺は江戸時代、佐竹氏に請われて土崎から移った。(中略)山王大通り拡幅工事で約900基あった墓を寺の西側へ移転させた。移転後の大通りは事故が多く、「霊が出る」などのうわさが出た。「ちゃんと供養もした。反対もなく、移転はすんなり決まった」と木村住職。うわさは間もなく収まった。
山王大通り南側の真敬寺の入り口には「5人男の墓」と呼ばれる墓石が五つ並んでいる。長崎孝住職(69)によると江戸時代に悪事を働く武士を倒し、打ち首になった侠客(きょうかく)たちの墓という説がある。 (以上抜粋)
いわくいんねん話はこんなものです。
ちなみに江戸時代って寺の事情で墓地移転だのいう話はたくさんあって、庶民は上わ物すなわち墓石だけ(あればの話ですが)移動して済ませるのが普通であり、それこそ昭和まで聞かれたものです。
いんねん話にせよ斬った張ったのこの程度の話はざらなので、とくに飢饉など大規模に酷い目にあっている地域に、人斬りだけが祟るとはバランスの取れない話です。
ただ、武士は祟るという話は各地に多くあります。単純に生前強ければ死んでも強いはず、というイメージとともに、非合理的で奇妙な理由からプライドが高く、些細なことで怨恨を抱き、長い時間かけてでも人を殺しにかかる話が多かったから、怖がられた面もあるのではないでしょうか。生前のイメージが死後のイメージも決定付ける。
とくに地球が氷期に入りかけた19世紀はじめ前後のあたりでは、非生産的な武士階級は庶民からそうとうに恨まれてますから。もちろん武士でも立派なものは多くて、そこが滅私という概念のある「旧日本人」の凄いところでもあったとは思います。必要に迫られてもあるでしょうが侍を捨て農民になる人も多かった。
ちなみに僧侶が祟る、という話はその異様な坊主姿・・・死と結びつけて考えられる・・・とともに法力のイメージからくるものでしょう。得体の知れないオカルト的な能力を想像しての素朴な畏怖感(大師系の法師や日蓮など強烈なキャラクター系宗派の影響が強い)。
あと目の見えない按摩さんや楽器弾き歌謡いなんかの祟り話も(ぼかしてるなー俺)日本ではよく見られた、一種の「裏権力」を持つ職能集団に属しているイメージからくるところはあるでしょう。僧侶同様見た目の異彩な感じや、特殊な技量を持つということに対する畏怖のようなものも、個の弱者としての側面と表裏に存在して祟るというイメージを作ったんでしょう。
もちろん、単純に強盗にとって狙い易く、稼ぎがあって単独移動が多い相手、というところから実際殺されることが多かったからとも言えます。
ただ当時死ぬなんて今考えるほどには重くは無かった。空腹疲労で野垂れ死になんてよくあるのが江戸時代ですからね、「自然風葬」的な状況は各地にあって、たまに近所の坊さんがまとめて施餓鬼やら無縁供養やらをしてくれるわけです。仏法信仰が「あの世」の存在を心に植えつけて、死をさほど恐れなくしているということもあった。
だから弱者が強盗に殺されたり無碍に打ち首にされたりしたことを可哀想に、もしくは不穏に思う優しい庶民の心が祟りの噂を生んだ、と単純にも言えない。ざらにあることにいちいち同情してはいられない。八百屋お七は江戸初期の哀話で後期に起こったならここまで人口に膾炙することはなかったでしょう(芝居や読み本のネタとしては盛んにもてはやされたでしょうが)。
いろいろ調べていると案外、江戸にたんをはっする祟り話には現代の都市伝説のようにぜんぜん無根のことも多いのではないかと思えてくるのです。何か別の、人間の本質的な、非常に厭らしい部分の発露。些細な珍事に理由をつけておどろにふれまわる、もしくは、売名や利益のために利用。。
~■スピードオーバーが原因
事故多発について、県秋田中央道路管理班の竹田恵班長(58)は「運転者のスピードの出しすぎが原因」とみる。
山王口から入り口手前の長い直線と急な下り坂で加速し、直後のS字カーブでハンドル操作を誤る――。その先の直線下り坂で加速した車は、渋滞で減速した車に追突する――。実際、S字カーブでははみ出しや壁への衝突が、直線下り坂では追突事故が、それぞれ多く、トンネルが渋滞する午後6~7時の帰宅ラッシュに集中した。原因の多くは速度超過だった。
(以上抜粋)
祟りの噂の道路やトンネル、なんて殆どこういったものだという統計がかなり前にとられたことがあります。
以下は余計な解説だと思いましたが、典型的な説明ということで・・・
~〈うわさや都市伝説を研究している関西学院大学島村恭則教授(40)の話〉 典型的な都市伝説だ。トンネルだけでなく井戸、橋の上などはうわさがつきもの。秋田中央道路にはくっきりとしたブレーキ跡があり、事故も多い。近くには寺町やお堀がある。人びとは、疑問を科学的な根拠より面白く流布しやすい超自然的な枠組みで理解する傾向がある。道路周辺は68年の山王大通り拡幅工事直後にも霊が出るとうわさされていた場所なので、記憶がよみがえった人もいただろう。こうして想像しやすい武士の幽霊が形づくられたのではないか。 (以上抜粋)
真昼間突如甲冑の武士が馬に乗って現れ、あっけにとられた目撃者のまん前で消えたって事があったのだ。
結構有名な話。
俺は以前、浜松の布橋と言うところに住んでいた時に、枕元に武者が現れ俺はこうこうこうして死んだんだってのを延々と聞かされた事がある。
布橋の由来をその武者に聞いたわけだ。
橋のように見立てた布の橋を渡った武者が多数死んだ場所って事で布橋。
その場所を最近見たけど、確かにって場所だったな。
大空襲のような極端な惨事を経験している各地の都市に、何故今もって武士や島田結いの霊ばかりが出没するのか、ちょっとミステリー的なものを感じます。お岩さんの田宮家跡地近辺にも霊の話が絶えない建物があり、お岩さん自体が単体としては存在に疑問符が付けられているのに、こうなると群集思念が生み出した新たな空想生命体のようなものか、と思いたくなります。
桶狭間も確か行ったことあります。戦場跡といわれる場所にはあきらかに荒地のままずっと人の住まないところがありますね(関が原の一部には完全に「忌み地」があったような)。そういうところには何かあるのかなあ、とは思います。武士を見た、というのはないなあ・・・けっこう重い話ですね。
あれ?忘れただけかも・・・
日本ではバブル騒ぎが無いままバブル崩壊の影響だけ受けるのかよ。
だったらバブルに乗れば良かったのによ。
日銀だな。
変な介入をしたのは。
二度目のバブルはみんな上手い事過ごせたと思うのによ。
余計な事しやがって・・・