”菊地さん”の話
2010年 09月 30日
長田幹彦は晩年心霊学会を牽引し英国風の神秘学や心霊研究にいそしんだことになっているが、50年代「心霊」がベストセラーになってのち寧ろトーンを落とし、職業霊媒の生臭い実情を綴った末文と、幕末から戦後50年代に至る激動の時代に触れてきた長い人生の経験を貴重な随筆に綴った長い自叙伝を中心としたこの「私の心霊術」では、早くも自己の心霊体験にすら疑念を抱いているさまが読み取れる。人生最後の「霊界五十年」は一応心霊本の形態をとっているものの、最後の文章は自分の頭が「イカれているのだろう」という〆方になっている。老年特有の投遣りな断定調が逆に面白い。
この人の洒脱な文調は捏造スレスレの余分の過剰が読み取れることもあるが巧いから好きだ。東郷元帥との交友録が最も興味深い読みどころになるが、幕末、日露戦争・日本海海戦、関東大震災、二・二六事件から太平洋戦争、東京大空襲、そして戦後高度経済成長に至るまでの政治や社会、特に風俗描写の生々しさとその目で見て耳で聞いてきた人間としての実情報告も貴重。夢のような大正昭和初期の非労働者階級の享楽指向を反省し、しかしまたもやあらわれた戦後の享楽的風潮をうれいて居る。まるで現代のことを書いているようでもある。
たぶん心霊なんてこの本には余分な要素だから、題名も本屋が勝手につけたのかもしれない。とにかく没後70年代に再編再発行されるまで人気をはくした「心霊」(題名は多少変わっている)が戦後の不安定な社会に物凄く受け容れられたのは重版の数にも見て取れる。文才は確かであり、それはむしろ庶民向きの美文とも言うべき平易さが売りで、数々の名士との交友も含め、面白い人物であったのだなあと思う。
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