語ると死ぬ怪談・途中経過報告

「語ると死ぬ」田中河内介怪談の伝説についてそろそろまとめたいと思っていたら来月頭に何とちくまの怪談アンソロジー「文豪怪談傑作選・特別篇 文藝怪談実話」にそのまんま田中河内介特集(*が所収予定の文)が組まれたらしいと言う怪異。まータイミングがいいんだか悪いんだか。まだまとまってないので(図表的な資料にまとめたいところ)来週の沖縄のあとに書く予定だが、途中経過と言うことでメモ。

勤皇志士として先駆けた田中河内介の名は戦前戦中派にとっては周知なくらいメジャーであることを付け加えておく。けして怪談と結びついて残っている名前ではない。

基礎資料>

◆田中河内介、続田中河内介:

徳川夢声「世にも不思議な話」実業之日本社1969~初出「怪談・田中河内介」雑誌「宝石」ほか雑誌「大法輪」「週刊朝日」(喜多村緑郎対談「問答有用」)「東京日日新聞」(呉清源対談「同行二人」)所収に脚色・後補*:この話は幽霊肯定派の夢声がさかんに尾鰭を付けて喧伝したために普及した。夢声自身は伝聞だが関連する怪異に出会ったと主張(何やらお岩様ふうの絡み方だが)。名怪談に数えられる。

◆異説田中河内介:

池田彌三郎「日本の幽霊」中公文庫2004改版1964中央公論社初出(高橋克彦編「日本の名随筆別巻64怪談」1996にも所収)*:氏の父親による実見から夢声説を「矯正」したものとして傍流的に知られるようになった話。夢声はこの文を受けて上記「続田中河内介」を書いた。

怪談会の怪異

田中貢太郎(東雅夫編)「日本怪談事典」学研M文庫~底本「日本怪談実話」初出不明、桃源社1974:同時代の文人に最も近しかった実話怪談の事実上の創始者による採録談で、夢声はこの流れを直接汲んでいる。上記文中、因縁を田中という姓に結び付けて書いているのは貢太郎をも意識していると個人的には思う。

・・・けっきょく今度のアンソロジーでほとんど網羅できてしまうわけね。

諸氏(このアンソロジーも?)参考にしている決定版的資料をあげておく。流れ着いた遺体を手厚く祀った小豆島の田中河内介顕彰会系の書籍として、

◆田中稔「田中河内介父子」1997小豆島法人会

田中河内介研究家として知られる田中稔氏の著作の中でもこの幕末の不運な志士にまつわる怪談にふれ、検証し一通り結論づけている項が注目される。

ここに出てくる資料を以下一覧化する。まだ中身をきちんと確認していないものについては上記資料の受け売り推定であることをご容赦。

◆亡父の姿:長田幹彦「霊界五十年」1959大法輪閣*:雑誌「大法輪」自体にその気はあるのだが、脚色・うろ覚えに過ぎるようである。

◆新聞記事:伊藤痴遊「万朝報」1914/7/13:怪談会開催の事実についてのみ。この出来事に一切触れていないのが注目される。夢声の談では死んだのは万朝報の青年記者というが、実際は中堅らしく、敢えて触れられなかった由縁ともとれる。

◆怪談田中河内介:喜多村緑郎 雑誌「上方」1938/1/1維新志士号に寄稿:かなり詳細に事物がかかれ信憑性は高いと思われるが、怪談と銘打っていることから脚色が皆無とも言えまい。夢声の上記基礎資料には大変愛好していたとあるしそこにも詳細に当日の状況が語られている(後述)。怪談会の主役級だったようだ。

◆怪談が生む怪談:鈴木鼓村遺稿「鼓村雑記」1934古賀書店/1996大空社(「アジア業書9」)復刊*:死んだ記者の名前など不明瞭だった情報が明示されている。民俗学的見地を持った人で柳田國男が序文を書いているが、もともと怪談に興味が強く同書にも収録されているとおり自作もたしなんでいるゆえ、脚色が皆無とは言えまい。

その他、参考。

◆第三十九「虐殺の下手人」:豊田小八郎(田中河内介に関する書籍を早い時期に書いた)「田中河内介」1941臥龍会
~河内介殺害の真犯人に関する記述中に、真犯人と称する人間が河内介の亡霊に脅かされた話が書かれている。河内介にまつわる畏怖と恐怖が当時どう伝えられていたかがわかる。しかしながら明治天皇幼少期の教父として高名な河内介を刺殺したと言う輩が多いことにも触れ、笑い話のように締めている。

◆呉清源の巻:徳川夢声「連載対談 同行二人」東京日日新聞1950/3/9~16:池田彌三郎氏の随稿に触れられている、河内介怪談に触れた記事(話自体は16日最終回に収録)。挿画(長新太)と注釈を除いたものが同名書籍(養徳社1950)にまとめられている。呉清源氏が幽霊肯定派であることから意気投合した次第。この連載自体が下品とも評された夢声本初期の意地悪な楽文でもあるため深くは書かれていない。前記書籍で十分であるが、幽霊に関するトンデモ説には眉唾しつつ注目。関連する大部分は上記基礎資料中に包含されている。

夢声の関連怪談はほとんどが他愛の無いことなので略。ここに出てくる大久保利通が暗殺に関係している説は既に明治天皇の世にあったことで他にも見られる話。司馬遼太郎は大久保主犯のように断定的に論じた。(大久保が殺されたのはタタリとする話(池田彌三郎))。「続」に出てくるS嬢の家にまつわる話も河内介殺害下手人の一人を自称する祖父のことで、内子の男子が早世するといい、この女性も体が弱いというが、祖父は長生きしたそうである。この人の持ってきた霊媒師の話にも河内介のタタリで水にとられた息子が出てくる。

ほか鋭意なんとなく調べ中。

事実として推定されること。

場所>

画博堂(画商)の三階(京橋、現存せず)(父に聞く、池田彌三郎)

(異説)
二階(長田幹彦)
白画堂の三階(市川猿之助に聞く、田中貢太郎):わざと名称をぼかしているものと思われる。
具足町(京橋中通り)の絵画堂(喜多村緑郎に聞く、夢声)
向島百花園(夢声):例会だったというが脚色。語り手とされるM氏、T氏も実在不明。

出席者>

泉鏡花(主催)、喜多村緑郎、鈴木鼓村、市川猿之介、松崎天民(市川猿之助に聞く、田中貢太郎)
池田金太郎(池田彌三郎の父親)(池田彌三郎、夢声)

趣向>

百物語とされているがどうやら、当時よく行われていた書画展示も兼ねた怪談会だったようである。(池田彌三郎ほか)

時期>

大正初年(父に聞く、池田彌三郎)
大正三年七月十三(二?)日(田中稔)
大正・震災前(市川猿之助に聞く、田中貢太郎)(喜多村緑郎に聞く、夢声)
(昭和初頭(夢声):推定。)

盆の十三日(喜多村緑郎に聞く、夢声)
(夏の夜、お盆前後(夢声):推定。)

死んだ話者>

万朝報社営業部石河某(鈴木鼓村)
:万朝報の記者(河内介の暗殺犯の孫と自称)

背広の肥った男(市川猿之助に聞く、田中貢太郎)
頭の薄い年とった人、経済部にいたらしい(喜多村緑郎に聞く、夢声)
見慣れない男(父に聞く、池田彌三郎)

(異説)
飛び入りの、二十七、八の青い顔をした背のひょろ長い結核患者みたいな青年(長田幹彦)
(野暮ったい見知らぬ青年、後藤彦之進(仮名)の孫(夢声):伝聞か脚色。)

(関連)
この後大流行したスペイン風邪で画博堂主人夫婦が死亡(池田彌三郎)。但し画廊は昭和初期まで維持。記者の死亡により縁起が悪いと事件後3年ばかり怪談の会をやらなかった、との喜多村緑郎の話はこのハプニングのせいもあるのではないか?

状況>

話の始め、自分の祖父が、と言ったところで言葉がもつれだし間も無く前のめりに高座から落ちた。会は白けて三々五々、十二時前には終わった。三日ばかりで脳溢血のようなものでなくなった。(市川猿之助に聞く、田中貢太郎)

河内介の話は縁起が悪く、真実を知る者も自分より他にいなくなったと始まり、「この文明開化の世の中に」という印象的なフレーズを入れて前置きしたあと、話がなぜか途中でまた最初に戻るといったふうで、皆だんだんと用事などで席を立ち、父も立ったが、帳場でタバコを吸っていると「まだ「文明開化」をやってますぜ、どうかしたんじゃないか」と降りてきた者が言ったところが慌しく降りてくる者がいて、誰もいなくなった瞬間に前の小机にうつぶせたまま死んでいたという。(父に聞く、池田彌三郎)

十二時には泉さんと帰るつもりだったのだが終わり間際に自席で話を始めた。藩の秘密一家の秘密と言って始めたらしい(トイレに行っていた)。泉さんも自分も身を乗り出したところ、わたしの父は、と始まり河内介とのかかわりを語り、藩に送る最中に血気盛んな若侍が河内介と家族を皆殺しにした、というところで話がぼやけてきて、ちょっと休むとまた、わたしの父は、と始まる。何べん話しても藩の秘密一家の秘密まで行かない。じっと目をつむったり天井をうつろな目で見上げたり気味悪く、しまいに頭を押さえて話が途切れた。途中で立って帰ったあと、泉さんに後日談を聞いたら翌日に死んだという。あの人は頭を押さえたまま皆がいなくなってもそうしていたとのこと。残っていた人が高熱に気づくが医者にも原因がわからず、名前も住所もわからないから困った。夜明けにやっと家人が来て、病院に連れていってそこで死んだ。会はそれから三年ほどやらなかった。(喜多村緑郎に聞く、夢声)

終わり間際に風采も立派な四十五、六くらいの人がすこぶる真面目に「自分の父は」と始め「藩の秘密一家の秘密」といったので皆じっと聞き入ったが、うつむいたまましばらく考え込み、また「自分の父は」と(喜多村緑郎)

何遍かどもって「この話は門外不出」とつぶやいて妙な顔をしていた。河内介を殺したときは船板に寝かせて五寸釘で手足を打ち付け、苦悶していたといったところで唸って仰向けにばったり倒れた。両手で胸をかきむしり、医者を呼んで様子が変だという。帰った後落命したそうだ。(長田幹彦)

(一通り河内介に関する知識と、殺害後関係した人々が次々と死んだ話をタタリとして続けた後、語句が緩慢になり、不明瞭な口調になり、頭が次第に下がって前のめりに膳に伏した。幹事に揺さぶられると同じ場所、河内介が殺される前に恨み言を言わんとする場面に戻る(これは河内介が辞世の句を読んだときのことかもしれない)、それが五回続いて、しまいに死んだ(夢声):脚色。)
Commented by kenz_freetibet at 2008-06-28 02:10
大槻教授的な見方で、正座が体の変調の要因だったりするかもよ。
Commented by 岡林 at 2008-06-28 02:36 x
諸説をまとめるに飲食会のくだけた形というのが正解かと。正座ではなさそう。とはいえ強飯や花提灯を並べ雰囲気は出していた、貢太郎説の高座からとなると正座ではありますが、、、大正元年に正座が苦手な人というのも。偶然だと思います。夏の熱射病か、顔色ゆえもともと病質があったか。科学の原則として再現性は必須です。ところが状況証拠から実はあまたいたと思われる別の関係者による怪談がなされた記録はなく、あっても死んだ例はなさそう。ほんとに子孫だったかすら検証するには材料がなさすぎです。講談夢声の演出により都市伝説化したにすぎないかと。
Commented by kenz_freetibet at 2008-06-28 03:37
稲川淳二の「行き人形」も本人がわーわーあまりにも言うから期待したら肩透かし。
やっぱり怪談で一番の名作は
「牛の首」
じゃなかろうか。
こんな恐ろしい話、今まで「聞いたこともない」w
Commented by 岡林 at 2008-06-28 09:51 x
牛の首は禁じ手ですからねえwあれはしかし一応原話はある。生き人形は話芸ですから、フルバージョンで語られることが少ないゆえ伝わらないことは多いかも。前はビデオで怪談ライブまるごと生き人形とかあったんですけど・・・永久保貴一さんのマンガが忠実に追っていていいですよ。あと、河内介怪談もそうですが、今も進行中、とされる祟り話であるところも魅力的に受け入れられています。
by r_o_k | 2008-06-28 00:00 | 不思議 | Comments(4)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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