揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

「ベオウルフ」

バイキングとローマの狭間のベルギー中世に場を置いた、子供が主人公でもヲタクが大活躍するでもない、珍しくほんとの「剣と魔法と血飛沫の」ファンタジー映画(原案は英国の古い叙事詩)。思えばPCのRPGが台頭する前、イマジネーションの場に展開された「テーブルプレイRPG」だの「ゲームブック」だのって、ある程度ちゃんとした設定と時にはかなり歴史的背景の作りこまれた中に展開される「陰惨な殺し合い」だったと思う。

魔物だの怪物だの、ドラゴンなんてのはそんなに頻繁に現れなかったし、現れたときは破滅的な打撃を加えるし死んだら生き返ることもない。生き返ったとしても「レベル」は1から積み上げなおしだ。「レベル」そのものを上げるのがまた大変なのである。だからこそリアリティがあった。

中世ヨーロッパという無数の民族闘争と宗教紛争の未だ起こり続けていた時代、そこにはキリスト教という統一的な支配宗教も安定した政権もなくただ血族と迎合者による土俗的コミュニティの無数な散在があり、性的な示唆やインモラルな行動もその生活にふんぷんに盛り込まれており(映画では多少デフォルメはあるにせよ)、船乗りの虚言が王の英雄譚となり、想像力は現実と混淆しあいまいであった。この映画はそういった様相をつたえる前半が破格にいい。300を思わせるリアリズムが虚と実の狭間に見え隠れする「怪物」や「魔女」や「ツール」に次第に侵食されてゆくまでがいい。じっさいに魔女が姿を現してしまうと、ここで私がシリーズとしてらくがいてる「CALMANDO」の当初設定なんかと同じ、かつてのSFによくあった「混血により子孫をのこそうとする人間(怪物)」という主設定が卑近に出てしまい、謎がなくなってしまう。ドラゴンの杯が光るあたりから「普通のファンタジー」になり始める。アンソニー・ホプキンスの呪われた怪演まではよかった。マッチョな主人公が「ダンジョン」を訪れたときの、アンジョリーナ・ジョリーは必要だったのか?物語の中核を形成する「子孫をのこしたがるもの」ではあるけれど、ほとんど重要な役ではない。CMになぜあんなに大きく??後半ヒーローが老王になってもなおヒーローであることを証明するところがちょっとぐっとくるわけであるが、スピルバーグふうの「お膳だて」にこだわる余り中盤ダレるのも含め、映像的な完璧さは別として、甘い。ドラゴンの「なりそこない」はあんなに怖かったのに(あれって設定含めまさに日本の「鬼」伝説を思わせる・・・そういや虚実確かではない「半熟ヒーロー」の「言い訳」に出てくる回想映像の中で、シーサーペントの腹中から目玉を貫きヒーローが飛び出してくるシーンで、巨大綾波の目玉を貫いて出てくるエヴァンゲリオンを思い浮かべたのは私だけだろうか)、ドラゴンは破壊的ではあるけれど、人間的でないから余り面白みがない。

映画館で見るなら絶対ドラゴンとの格闘シーンだが、映画的にはヒーローが呪いを受け継ぎ老王になるまでが見所だろう。なんで前半あんなに緊迫感あったのに、中盤甘くなるかな・・・。最後の蛇足シーンも余計。あれで魔女がヒーローにくちづけして消えるだけだったら非常に綺麗だったのに、そのあと・・・こういうシーンをくわえてしまうところが「スピルバーグの呪い」だなあと思った。手塚治虫の「百物語」のメフィストみたいでいいシーンなのに、そのあと浮気にも・・・ああ。

正直、キライじゃない。☆ふたつ。映像や設定に300の露骨な影響はあるにせよ、筋もいちおうしっかりしている。剣も鎧もいらない、裸の肉体同志のぶつかりあいじゃないと魔物は倒せない、なんて理にかなってなくてもかなってるように見える台詞とか震える。性欲まみれ食欲まみれ物欲まみれなのにどこか雄雄しい男ども、何かしら腹に持っている女ども、汚くて小規模な王宮、、、あのへんは凄くよかった。

「ベオウルフ」_b0116271_23102194.jpg

by r_o_k | 2007-12-04 23:11 | 映画 | Comments(0)

by ryookabayashi