揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

2007/11/30田中貢太郎「十五より酒飲み習いて」<前哨>

2007/11/30

大正14年早春編纂、酒を中心としたエッセイ、世相批判、随筆や滑稽文小説をまとめたもの。前半が酒にまつわる疾風怒濤の文、大晦日正月にまつわる文、中盤が掌編笑小説で終盤がまじめな随筆で酒というより思い出集のようになっている。田中貢太郎の本はおうおうにして雑な編集をなされているため、怪談と随筆がごっちゃになっていたり酷い。現代は逆に怪談だけが取り出されているので本質ではない部分が批評されている感もある。この人は徹底して野に居るものとして「大衆文学」に拘った(ブンガクという言葉すら忌んだような発言さえある)。博覧強記さは同時代名手とみなされていた「随筆」からよく伺われる。この本もきほんは随筆とユウモア文学にかつての新聞記者時代を思わせる皮肉な文を加えたようなものだが、知識が可也詰め込まれている。その深さと浅さの文章ごとのギャップ、気まぐれな乱立ぶりがくらくらとさせる、これが田中貢太郎である。

有名なのは漢籍への造詣深さだが(怪談は余興だ)、西欧文学にも非常に強かったにもかかわらず「ロシなんとか文学?なんとかフスキー?」などと文学者を侮った一文が見え(多分に情愛小説流行りの当時の文壇批判の一面としてドストエフスキーあたりの情愛小説を想定したのかもしれないが)、粗忽の相を出しているのが毒でもあり、酒を飲めない人間への侮蔑に近い文ともども土佐人の悪いところともいえ、晩年の不遇は人間関係にも起因しているのではないかと少々頭が痛くなるほどの舌鋒の鋭さがある。しかし、終盤の静かな情感をたたえた思い出を綴る随筆は、さすがそれまでの脇の甘すぎる攻撃的なあるいは巫戯山たあるいは教科書のように知識を並べた文章とは全く異なる、すぐれた随筆家としての姿を垣間見させる。そもそも大衆文学のイメージで同時代の「上流階級」「知識階級」に蔑まれたところもあるこの人の本領は実は随筆にあり、怪談を含む「実録もの(自身は「実話」と呼んでいたが実のところは「実話の小説化」である)」のわかりやすい文体とは違う大人向けのものとなっていて、この本を頭痛がしながら読み進めていて「ああもうやめようかな」と思ったところへの随筆群、結局この本の写しを手に入れる手続きをしたのが今である。

いやー、博浪会の追悼号にさかんに「首領」の随筆の達者をたたえ真似したような文体が出没していた理由が、改めてわかった。たぶん貢太郎集というのはまとめられていないので、われわれは貢太郎が晩年達成していた随筆世界の全貌に触れる機会は通常恐らく無いだろう。勿体無いし、再評価の軸がずれている気がするのもここに理由があるように思う。本人は林有造や坂本龍馬の伝記に晩年の力を集中させていたのだが、前者はいちおう波乱ののちに出版はなされているものの後者は資料収集で終わっている。その頃にはもう長文執筆への威勢はなくなっており、無理ではなかったろうか。大衆文学、いわゆる実録モノというエセ臭漂う世界を背に背負った気分を未だ抱いていたのは間違いないが(本人が「意図的に」エセ臭を漂わせようとしていたことは間違い無い)、年と体力は短編、それも随筆のような軽いもの(晩年に実際そのようなことを語ってもいる)を書くべしと示唆していた。だからそのへんをもっとピックアップして、同時代を活写したジャーナリスティックで皮肉っぽい文章を含め~明治末期から大正時代の世俗世相のさまざまがまるで直接見聞きしたかのように生々しくつたわる、これが怪談のジャンルにも応用されたのが「日本怪談全集」なのだ~文庫本ででも出して欲しいもんだ。井伏鱒二やら吉川英治やらに受け継がれたものが何だったのか(太宰は孫弟子にあたる)ちゃんと評価してほしいなあ。

冒頭の「屠蘇盃に映る酒徒の顔」が出色の出来で、初老にさしかかった貢太郎の思い出が、酒を酌み交わした相手の顔が杯の中に浮かぶという言い方で連ねられていく。悪ノリすぎず真面目すぎもせず設計無くつら書きしたわりにすっとまとまっているのでおすすめ。

これは酒を酌み交わすことでしか仲間意識を持てない困った人種(土佐人)の思い出なので、今は考えられないくらい酷く酒におぼれた連中が出てくるし、飲めなくなって(それだけでもないが)交流の途絶えた人間も出てくる。貢太郎の交友関係の特徴としていっとき非常に親しくても大した理由もなしにぷつりと仲が途絶える。それも人生と柳風受け流す感覚があり、愛惜はあっても変に拘らないからこれだけ人を集めその中心にいられたのだろう。そのような感覚の発露について別所にも書いた。

生没構わず只その豪儀で血気盛んな明治大正の酒徒のさまを断章している。今は無名の登場人物たちの個性的な飲み口は現代の酒呑の態様をはるかにこえた、命までかかるほどの方法であったりする。皆帝都東京にいっとき集い、ある者は久しく顔をあわせず、ある者は別所にうつり、ある者は「酒没」する。死ぬことに何か悲惨というものが感じられない。死についての記述も別所にあるが単刀直入人間は生きて死ぬその1サイクルしかない、年末年始も行事も何も無いということで、ありきたりのことだという。時代性もあろう。文体の妙でもある。活活とした「人間」の「生のさま」が雄らしく描かれている。圧巻は幻想の中国を駆ける五の章である。酒盃に走馬灯のように矢継現れる酒豪たちの思い出がいつしか上海で、台湾で、遼東であるいは高知で舟を揺らし街並みを歩く幻想となっている。このあたりが幻想作家としての真骨頂となってくる。茫洋とした場面場面の気まぐれに切り替わる文中に、酒と肴が浮かんでくる。それが酷く旨そうなのだ。七章でいきなり文は冒頭の文体に戻り、奇矯なたち切れ方をするがこれも貢太郎らしい。ただ思いつくがままに書く、そこにこの人の面白みの真髄が有る。酒煙にむせぶ夢想幻想を愉しむことができる。理知的に考えたものより徹夜で直感的に書いたもののほうがよほど踏み越えた面白さをかもすことがある。貢太郎のものはこの調子が出ているのがいい。

貢太郎はよく呑むが強くはないようだ。宿酔いの話が多い。だから体も壊そうもので、土佐人の悪癖である。が、清清しい処でもある。この文中には必ずしも強くないのに吐きながら呑んだり、死の床で呑んだりなどトンでもない酒徒が出没するが、貢太郎もまた同じ道を歩んだ。今は許されないだろうが、この時代はありえた。豪快さというのは死と直結する。死が遠い現代には得られない破天荒のさまが楽しめる、とてもいい頭筆である。この本のほぼメインと言ってもいい。大正13年正月というから出版1年前のどこぞへの寄稿文だろう。

このあと、高知から徳島まで飲み歩いた話なども非常に面白いが、非常に長くなってきたのでとりあえずひとまづ。

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つづきは国会図書館デジタルに入ったので書きませんでした。


by r_o_k | 2021-02-04 10:10 | ご紹介 | Comments(0)

by ryookabayashi