ゆうれいを写す
2007年 08月 05日
ここにひく噺は悟道軒円玉のはなしを田中貢太郎が書き写したものだが、芝居の「送り手」側の苦心を伝える、しかしやはり外道なかんじのいなめないイイ怪談である。春陽堂「新怪談集」(現、春陽文庫「怪奇・伝奇時代小説選集(3)」但し厳密には「新怪談集」として出されたものからの抜粋)所収、但し他の怪談集成にも転用されている。
・・・三世尾上菊五郎は悩んでいた。文化のころ山村座で初めてやった四谷怪談が大当たりとなり、特に三役つとめた中の於岩と小平の陰惨な演技は評判となった。だが天保ごろ中村座の夏芝居からお呼びがかかったとき、衣装を一新してのぞもう、と思ったはいいがなかなかいいのが浮かばない。今までの衣装の印象が強すぎるのと、リアルな幽霊の衣装というものがどんなものなのか、幽霊を信じない菊五郎には皆目見当がつかなかったのである。お岩はまだいいが、小平の衣装が決まらない。
誰か幽霊を見たなんて奴はいないか、幽霊っちゃあどんな柄を着てるんだい?
へい、そういえばさいきんこんな噺を聞きました。蔦屋の芳兵衛ってえのがいまして今、一寸芝居を手伝ってるんでございますが
中村座からの使いが饒舌に語りだした。
潰れた女郎屋に借り住みしている放蕩モンなんですが、吉原から毎日通ってきてまして。数日前、汗かいたっていうんで浴衣を替えに家に戻ったところが、二階への梯子段に若い男が座ってたというんです。いえ夕暮れなもので顔も見えなくて、断りもなしに誰だと蹴飛ばしてあがり、替えて戻ったときにはもう居なかったと。五六日して今度は便所にその男が出た、幽霊だっていうんで、小屋じゅうに言いふらしてるんです。
そうか、蔦芳というやつ、連れてきて貰えまいか。
菊五郎の宅に蔦芳が呼ばれ、こんど出たら着付けをよく見ておくように、どんな柄だったか、どんな衣装だったかを後で知らせてくれ。骨折り賃として二両出そう
えっ、二両ですか。わかりやした!
二つ返事で蔦芳、家路につく。
小屋が開くまでに間に合いますかねえ
何、もう暑くなってきたから幽霊も出番だってんで出るさ
しかしいつまでたっても連絡が無い。とうとう初日の前日になってしまった。
うーん、これはどうしたものかな
と朝から困り顔の菊五郎のもとに、
旦那芳です!
蔦芳が息をきらせてあらわれた。
何、芳、幽霊見たか?
昨日の晩、ぬうと現れて、へえ、寝床に
それでしめたと思って、行灯のあかりでよくよく眺めたら、二十四、五、くらいの若衆で、着物は浅黄の木綿で、三つ柏の単衣でありました、間違いございません。夜が明けるのを待って一番で駆けつけやした
よくやった!おい、浅黄木綿三つ柏の単衣を用意しな。
小平はそれで決めだ!
浅黄木綿石持の着付で芝居に出た菊五郎の小平は相当の好評を博した。
蔦芳、二両を手にホクホク顔で家路につくが、少々気味悪くもあり部屋をかえた。のちに調べてみると、かつて女郎屋だったころに、そこに勤める若衆で徳蔵という者が、病気の親の仕送りにと客の金に手を出したというので、因業亭主に突き出され牢屋に入り病死した。牢に曳かれるときに身につけていたのが店の女に貰った浅黄木綿三つ柏の単衣だったという。
・・・このての噺は、案外と芝居ドラマに多いとも聞く。幽霊に著作権も何もあったものではないから借り放題だ。尤も最近は「実話幽霊」にも著作権が主張される場合、多いらしいが。