揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

忘れ物

「あれっ」

「又よ」

旅館に帰って一息ついて、へたり込んだ畳にざらっと感触がある。指先に白い粉がうっすら付いた。

昨日もだった。

「ねえ、旅館の人に言った方がいいよ。掃除手抜いてるんじゃない」

「他は綺麗なのにね」

五人部屋に三人、十分すぎるくらい広い。広い窓から海が一面に見渡せて清々しく、振り向けば飲みさしの茶もポットもきちんと片付いているし、座布団も綺麗に並べ直され、ゴミ箱も片づけられている。床も綺麗だ・・・僅かに散った白い粉を除いては。

指を鼻に近づけると、香の焚き滓の様な匂いがした。

「消毒薬かなにかなのかな、虫がいるのかなあ」

ぞっとして塵紙を抜く。

「そんなに汚くはないけどね」

「昨日の夜中、そういえば」

「あ、私も聞いた。なんか、モノオトでしょ」

「そう。こと、こといってた。虫にしては音、大きかったな。

・・・鼠?」

「キャ」

コトミが立ち上がった。

「言って来る」

「あ、私も、飲み物買って来る」

二人を尻目に、拭った塵紙をごみ箱へ投げる。外れてしまうが体に力が入らない。ふと見上げるとケイコの視線がこちらに注がれていた。

「・・・私はいいわ。疲れちゃった。」

「レイコずっと海入ってるんだもん。休んでなよ。何がいい?」

「ウーロン茶」

ふたりが出て行くと、ほっと息が出た。もう一枚ちり紙を抜いて、床の粉を拭い取ろうとするけれども、背中が重くどうにもだるくてやめてしまった。泳ぎ疲れたにしては、何かもやもやとしたスッキリしない気分だ。

「おかしいなあ」

茶卓越しに海のほうを眺めると、霞んだ水平線にむかって銀の波が無数にさざめいている。ぼうっとしてただ眠るでもなく畳に転がったまま、動けないでいた。

ことり。

ぎくり、無防備な気分が吹き飛んだ。何?

ことり。

部屋のどこかで音がする。

こと、こと。

ああ、あの音・・・昨日の音だわ。

鼠だったら、嫌だな。でも近いわ。低い位置を目線が泳ぐ。ふと畳の粉が、筋を作っているのに気付いた。筋を辿ると、テレビの置かれた棚の下に向かっている。

こと。

そこからだ。

「・・・金庫?」

それは貴重品用の金庫だった。コトミがこんなものにお金払うのおかしいって、使わないことになったコイン式の貴重品入れ。

ずる。

蛇のように這いずって金庫に身を寄せる。

すると、

かちゃり・・・

「ひゃ」

勝手に開いた・・・いえ、気のせいだわ、そんなはずない。ちゃんと閉めてなかったのよ。部屋係のせいだわ。掃除のこともあるし、この旅館すごく人気ある割に・・・

ことり。

僅かな闇の中から残響を加えた音がハッキリ響いた。思い切って大きく開く。覗き込んだ中には、何も見えない・・・

いや、小箱がある。

白っぽい布で包まれている。

考えるより先に手が伸びた。だが届くより先にひとりでに結び目が解けて、

ごとりっ・・・

現れたのは白磁の小壷、つまみ付きの平蓋がはずみで落ちて、金庫の底に大きな音をたてる。

中身が見えた。

白い粉・・・

むんと漂うは、線香の香りと、何かをさんざん焼いたあとの、燃え滓のような匂い・・・

灰。

「いや!!」

ばたむ、と金庫を閉める音と、部屋の扉が同時に鳴った。

がたがたと震える前に、不思議そうな顔の友人たちがいた。

「部屋、変えてくれるって・・・変なのよね。もう満室ですって言うところを、無理して空けてもらったでしょ、ここ。なのに他に空き室があるなんて」

「変える必要ないわよ。メンドーだし、明日帰るんだから」

投げ渡されたウーロン茶の冷たさに、我に返った。

「か、変えてもらいましょ・・・」

変に上ずった声が出て、立ち上がる。・・・?、体が動く。金庫の方を見ないように、荷をまとめはじめると、友人二人、顔を見合わせた。

・・・何と最上級の部屋に変わった。さっきの部屋よりさらに2~3畳大きく、景色は山側で少し落ちるけれども、小さな露天風呂が付いている。変わるのを面倒臭がっていた子が、真っ先に飛び込んだ。肩が軽くなったような、今度こそ晴れやかな気分になって、へたり込んだかと思うと、深い溜め息が出た。

笑われた。


翌朝こっそり旅館の主人に、あの部屋と、金庫の話しをしてみた。

真面目な顔でひとしきりきいた後、頭を掻きながら、老人はひとこと、

・・・あの部屋、普段はお客さん入れないんです。

それきり口をつぐんでしまった。無理を言ってあけてもらった、という友人の話しを思い出した。

金庫に何か忘れ物が・・・

もう無いはず、です。

くるりと後ろを向いた主人には声を掛ける隙がなく、そのまま支度をして会計をすませると、旅は終わっていた。

1995
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by r_o_k | 2007-07-22 03:10 | 不思議 | Comments(0)

by ryookabayashi