奇談つれづれ(2002/12/20-2004/9/22)

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2004/9/22「鈍感な私、、しゃがんでいる子供」

最近の話しをしよう。ふたつほど目だったことがあって、某コミュニティサイトに書いたのだが、誰も食い付かないのでこっちにも書きます(泣)

先週はほんとうに忙しいというか睡眠時間を削らざるをえなくて、そうとうきつかった。それまでだいたい1時に寝て7時に起きていたから、まあ個人的には8時間欲しいところだがでも一般的には良く寝ている方だった。睡眠状態もよかったのだが、それが、一月ほど前からちょっと狂ってきた。必ず夜中一回目を覚ますのである。まだ暗く、3時から4時くらいであった。しかし、目を覚ますだけなので、とりあえず便所行って、帰ってきたら既に記憶の無い寝方をしていて、なんで目を覚ましているのか、さっぱり理解していないというか、ほんと、なんの気にもとめていなかったのである。

それが先週、そう、だいたい4、5時までは起きざるを得なくなってしまった。パソコンが壊れてその修理等をするのに毎晩時間がかかっていたのである(それは今も続く・・)。こういう作業はいらつく。気がたってしまい、寝床についてもすぐには眠れないのが常である。作業自体は3時には終わるのだが、寝床に横になって、ビデオを見ながらなんとなく気をしずめていくのである。

そのときだった。そう、3時半くらいだったろうか、最初は。

ええ・・・うう・・・

犬?何か小犬のような声?そんな弱々しい奇妙なひびきの声が、壁の向こうから聞こえてきた。壁は外壁になっているが裏はすぐ裏の家の庭で、犬など飼っていない。

ああ・・・あえ、ああ、ええ・・

・・・いや人だ。弱々しい人の声だ。中年で痩せている。そんな声だ。それが、なぜか・・・あえぎ声をあげている!

うっ・・・うう・・・うえ・・・うっ

・・・変に高いトーンだ。若者の高い声という感じではなく、もともと甲高い中年男の声といった感じだ。これは?・・・一瞬やらしい声に聞こえたがそんなんではない、泣いているのか、うめいている・・・

でも、なぜ?

なぜこんな時間に裏庭に中年男が立って泣いている?

ばたっ!

はっ、ときた。

これは違う!

ばたっ!ばたっ!

外壁が叩かれる。

こんなことをするのは・・・

・・・うえ、うっうっ、うう・・・あえあ!

ばたっ!ばたっ!

ふと、毎晩この時間~3時から4時~に起きていたことを思い出した。たんに睡眠のリズムだったんじゃない、

こいつが毎晩、俺を起こしていたのだ!

しかも、北の外壁から!

・・・俺は鈍感にも、気付かずに寝ていただけだったのだ。今週はこの時間までしっかり起きていなければならなかったがために・・・初めて気が付いたのだ。

断続的だった。それに、弱々しい。だから、私はむしろ気が立っている状態なので、マンガなぞを見て気分を散らすほうに気が行ってしまい、

不幸な男は外壁に放置されたのだった。

それでもときどき耳に聞こえる。

嗚呼・・・あえあ・・

ぱた。

不意に室内で音が鳴った。

北壁だ。

見ると貼ってあるポスターの中央が、まるで人の拳で突き上げたかのように、ぐうっと持ち上がって・・・ばた!と戻る。そしてまた、ぐぐうっ・・・と持ち上がって・・・ばた!と戻る。やめろ、それはお気に入りのポスターだ!

破くなコイツ!

・・・そんなことが何度かつづくとますます目が冴える。結局私はその現象が断続的にも結局終わる5時過ぎ、外が明るくなるまで眠れなくなってしまったのだった。

最初はそんな感じ、でも、次の日も、その次の日も私の寝る時間は遅くならざるをえなかった。毎日2、3時間睡眠の体は辛かった。

そんな日々に拍車を掛ける、あの男の気になる所業。

むかついた。もう3、4日目のことだろうか、疲労困ぱいして、でもそんなときに限って目は益々冴え渡り・・・その目に、あのポスターの中央の盛り上がりが映るのである。

ううっ、うう、という煮え切らない中年男の呻き声とともに。

私は夜中であることをもはや忘れていた。

てめえこいつ!黙ってりゃ毎日毎日来やがって、何ぞ文句でもあるのかいな?おまえ、フユウレイだろ?俺のとこへ来んくらいなら、自分で寺でも神社でも行って、勝手に成仏しやがれこのタコ!

・・・すると、なんとその声がぴたり、と停まったのである。ポスターの中央がふわり、と元に戻り、外壁の気配も、もはや消えていた。

ああ、やった。

私はその日も2時間睡眠だったが、満足して眠ることができた。

・・・

2、3日たって週末がやってきた。私はやっとこの不眠サイクルが終わると思って早めに床についた。すうっと自然な眠りが降りてきて、ああ、気持ちがいい、と思ったものである。楽しく、安らかな気持ちだった。

がくっ

それは突然来た。うつぶせの私の上に、ちょうど人間大の砂袋のようなものが天井の方から、どさっと落ちてきた感覚で目が覚めた。何の理由もないただただ異様な恐怖感だけが全身に響いてきた。金縛りだ!やつらが金縛りをかけてくるのはこっちが気を抜いているまだ浅い睡眠時(深い睡眠だと手が出せないのは周知のとおり)、こちらが動けず強い恐怖感を抱くことをよく知っていて、かけてきやがる。顔はうつぶせだから見えない、でも、これはヤツだ。追い払ったとおもっていたヤツが、どうやったのか室内に入って、俺に復讐をしようとしているのだ。何故?さびしいから。さびしいのに、怒鳴りつけるようなことをしてきたから。たいていの浮遊霊は弱い。人が力を抜いているときしか攻撃してこれない。私は理由の無い絶大な(金縛り特有の)恐怖感に恐怖しながらも、こういうときの対処法を試した。先ずは舌打ちである。舌程度は動くものだ。そして、霊は、霊自身もそういう音を出して現れるくせに、人間が同じ舌打ちのような打音をはっするとひるむ。こっちもはっきりしたパチンという音に耳を打たれ完全覚醒状態に至る。そこで上半身だけでも起きたら、腹の底から歌をうたうのである。今回は「ジャイアンのテーマ」だった。なるべく力強く、ばからしい歌がいい。

おーれっはジャイアーン ガーキだーいっしょー!

砂袋が横にひねれた感覚。右腕が動く。さっと枕元のスタンドのスイッチに伸び、思いっきり捻る。

さーっと音がするように、気配は雲散霧消した。

フユウレイはあまり一個所に留まらないものだときいたが、こんなにしつこいとは思わなかった。

次の日。

もうヤツはあらわれなかった。

でもそれは私が再び1時に寝るようになったせいかもしれない。

もしかしたら、今晩も3時になると、外壁から・・・

気が付くと叔父の命日が数日後に迫っていた。

ついでに別の話し・こちらは夢の話しなので、真実かどうかはよくわからない。とにかく、夜中中えんえんと長い夢を見るのだ。それはふたつのパターンがあった。ひとつは私がなぜか古ぼけて暗く汚い工業都市にいて、方々から煙があがり、いつのまにか軍人に囲まれて、ドオン、ドオンという遠い爆発音を聴きながら、泣きそうになり、絶望に身を引き裂かれそうになっているところに、ごろん、とふたつ、冷たく重い鉄製のWO転がされ、もう、ここまできたら一緒だ、と無言の圧力を掛けられる。左右を見まわし、黒い顔に囲まれて仕方なくその手に持った感覚が実にイヤな・・・重く冷たく固く塗装が禿げ古びたパイナップル型のカタマリ。震える手でレバーのようなものに手をかけるが、びくっとして引っ込める。なぜふたつなんだろう。私はホンモノの人殺し道具が手のうちにある恐怖に凍り付きながらも、もう時間が無い、動くぞ、と命令される。もはや家族とは会えまい。・・・そういうところでいつも、記憶が途切れるのだ。なんでこんな夢を、しかも毎晩毎晩見るのだろう?・・・それがわかったのが、ある日のたぶん朝方のことであった。突然、灰色の部屋のようなところにいて、扉もないのにすっと、痩せた老人が顕れた。顔の大きな染みが恐かった。夢の中で老人は私の前にざっくばらんとあぐらをかき、やがてとうとうと話しを聞かせはじめた。

それは戦争の話しであった。

南方ではないらしい。おそらく大陸で、歩兵として戦ったこと、その中のわずかな心の動きから、あまりにあっけらかんとした人の死の群在について、思い出話を語るように、でもたんたんと、聴かせてくれた。私はえんえんと聞き役であった。老人はなぜか戦争の話ししかしない、でも、ちぎれ飛んだ友人の腕に握られたをはがし取り、渾身の力を込めて投げた話しを聞いたとき、私はふと自分の夢ののことを思い出した。そして初めて口をひらいた。

あの、をふたつ渡されるのって、なぜですか

老人はうなずきも何も反応せず、たんたんと言った。

自分もふたつ持たされたことがある。

よく生き残ったもんだ、上官に渡された二弾を抱えて敵陣に突撃し、一つは敵の中に投げ込み、そして二つ目は、なるべく敵の陣近くまで駆け込み、撃たれながら・・・自爆するためのものなのだと。大義名分はあくまで生きて捕らえられたときの誇り高き自殺用というものでありながら、あれは事実上人間爆弾なのだ、と語った。しかし老人は生き残ったのだなあ、と思ってふと老人の大きな染みが、染みではなく、大きく爛れた傷痕であることに気が付いた。私はふと朝の鳥の声を聞いた。ああ、朝だ、起きなければ。自覚夢をよく見る私はこの物騒な夢を終わらせようと断ちあがった。すると、老人がぐわっとこちらを見上げ、片手を伸ばし、私の手首を強く握った。

話しはおわっていないんじゃ。

・・・どうやってそれから逃れたのか、覚えてはいない。しかし結局朝はきて、あまりにはっきりしている夢の記憶と手首の感触を確かめながら、しばらく何もできずに座っていた。

あれが本当の元兵士の幽霊だったのか、よくはわからない。

ただ、妙にリアルな話しの内容と、其の前の夢・・・をふたつ渡されたときの恐怖感だけが、今も心に深く突き刺さっている。老人はそれきり出てこなかった。そしてを渡される夢も、もう見ることはなかった。

蛇足。

ついでに。某踏み切りに夜中通りかかると、まるで飢餓の国の子供のように骨ばった背中の、裸の子供がしゃがんでいることがある。これは邪悪な感じがするので、見ても見ぬふりをしているが。

さいきんはこんな感じである。

2004/9/12

「信用出来るの?心霊写真鑑定」

テレビのコワ話収集を始めてもう10何年にもなる。他サイトのように(著作権等無視で)ここにそれをそのままアップすることはパソコンのスペック的にも不可能なのだが、「心霊番組批評」というやりかたはアリかもしれないので、ネタ尽きがちなこのサイトのソースのひとつとしてそういうネタも扱わして貰います(て何も今日に始まった事じゃないけど)。

心霊写真の真贋は昔からいろいろ言われてきている事だ。

でも最近思うのだが、「そのとおりじゃん・・・」というのと「え?これ心霊?」というのの差が異様にハッキリしてきている気がする。写真自体はもちろんだが、とくにそれを鑑定する人の言ってる事・・・。敢えてここでは「この番組の鑑定どうよ?」という問いかけを込めて、以下の番組をあげてみる。

ほん怖。

言わずと知れたマンガからのドラマ化+α番組である。10月からはセカンド・シーズンが始まる。番組のスタンスが「ホントでもウソでも怖けりゃいーや」的なイイ感じなので私はとても好きなのだが、そこに出てくる心霊写真鑑定人なるひとびとに、疑問を感じることしきりなのだ。何人か代替わりして出ていたが、最近は女性の方がやっている。でも・・・・その「基準」がわからない。出てくる写真で、「うわヤバ」なものはやけにあっさり、そんで「あきらかに弱いじゃん」的なものがなぜかじっくりと鑑定される傾向があるのだ。「うわヤバ」は何もハッキリ写っているとかそういう意味じゃなくて、雰囲気というか、景色というか、とにかく感覚的にヤバいというやつで、別に顔が写ってるとか、手が何本もあるとか、わかりやすいものに限ったことじゃない。もうこの番組を見ていることを前提に書いてしまうけど、たとえば先週のスペシャルで流れた一枚の写真。

病弱という子供が写っている。その顔を半分覆うように、縦長の「赤い煙」がぶわっとかかっている。そしてその中に・・・子供の顔らしきものが写っているのだ、まさに煙がその形を成したように、自然な形で。別にハッキリしているわけではないが、私にはハッキリしているウンヌンはどうでもよくて、余りにリアルに感じられた。

私はびくっとした。もう今回の最高のヤバ写真だと思った。なぜって、このような濃い赤い色(しかも煙的な色ムラがあり、一定の赤い色で綺麗に出るよくある現像ミスでないことは一目瞭然)をしたものにはロクなものがないからだ。病弱というからこれは恐らくかなり小さい頃からとりついていた子供、たぶん赤ん坊のツキモノで、しかもあまりいい表情はしていないから、ロクな死に方してない、推測だがこの子に嫉妬して、のっとろうとしている、もしくは(こーいう憑依ってよくあるのだが)この子の心に侵入・同化しようとしている、きっと。笑っているけど、とてもイヤな表情だしかし。縊死者の心霊写真によくある、首の関節が外れ不自然に伸び、血でムクレた死に顔の写り方(このての写真を見たことあるだろうか、忘れられない強烈な姿だ)に凄くよく似ている。今まで見た中で一番強烈だったのはとんねるずの生ダラで(確かスーパーマリオ映画版の宣伝をした回だったかなあ)出てきた、母親が橋の上で息子を撮ったやつ、ブクれたおばさんが顔じゅうから液体をしたたらせながら上向き加減で写っているやつだった。これは織田無道が払ったと記憶しているが(この人、俗物だけど私は好きだ。ウソついて能力が強いように言っているけど、たぶん一般人並。でも、払う力はさすが坊主で、あの気合は霊を鎮めるのに凄い効力があると見た)、ほとんどそっくりな写り方の写真がまた別の番組(キンキンが昼にやってたやつだったかな)にも出ていて、こちらのほうはもう一刻の猶予もならないから焼いて塩撒いてどうとか言っていた。連続で別の番組別の写真に同じようなもんが写っていたのが非常に強烈な印象を残していた。今回、そこまでのものではないものの、凶凶しい血の色をした煙に顔をうつしたこの写真、ニヤニヤしてるし、当然「ヤバイヨヤバイヨ」と出川が言うと思っていた。

おばさんの一言。「ご先祖ですね。この子が病気や怪我するかもしれないと警告しています。お墓参りに行って下さい」。

えー!!!

ほん怖の心霊写真、全般にレベル低いけど、鑑定人も眉が唾だらけになる感じです。最後にタイトルバックに使われてる写真の方が怖かったりする。あ、「ほん怖」て言ってるだけで、アノ番組を特定してるわけじゃござんません。名誉毀損勘弁。こんなとこ読んでないか。

先祖の可能性は確かにそうかもと思ったけど。王蟲みたいに霊も赤を警告色としてるって説もあるしなあ。でも見りゃわかるでしょ、こりゃ心配した先祖霊なんてカワイイもんじゃないってこと。

故池田貴族氏がとりまくった心霊スポットに写る凶凶しい煙の数々や、火葬場の少女の顔写真(これはテレ東で95、6年くらいの盆にやった、ここ10年で最強の心霊番組「日本全国おばけマップ」で撮られた史上最強の心霊写真)なんかを見ても、赤だけが必ずしもコワイ色じゃないてことは言うまでもない。

・・・

今後も16年くらいにわたって溜まった心霊番組エアチェックビデオから、ネタないときは抜粋してこうと思います。面白いかどうかわからないけど、ま、更新ないよりはマシでしょ。

「おぎやはぎが死に神見た」

てんでテレビからの剽窃。オカルトネタをコンスタントに取り上げるので要チェックのダウンタウンDX。おぎやはぎのおぎが語る死に神の実見記録。

おぎさん、友人と山梨あたりの高速を走っていた。するとまばゆい光が後ろから近付いてくる。バイクかな、と振り向くと、

黄金バットのようなスキンヘッドが、黒いマントをなびかせながら、大きな人切り鎌を振りかざして走ってきたのだ!路肩を!

おわっ!

お前、見たか?

おぎさん運転席の友人に話し掛けるが、見てないという。

鎌を持った男は脇を摺り抜け、あっというまに抜かしていった。

・・・おぎさんなぜかすぐ忘れてしまいました。

しばらくして、前の方が渋滞している。

なんだろう、と助手席から顔を出すと、そこにはクラッシュしたバイクと、ぴくりともしない男性が倒れている。

その男の頭に、足がかかっていた。さっきの男だ!動けないように踏みつける黒マントの男は、大きく鎌を振りかざし、

ざくっと、振り下ろした!

そして、倒れている男の頭に片手を伸ばし、持ち上げようとしている・・・

ところで脇を通り抜けていったので、後のことはわからない。

こういった話しだった。

「バロン」の死神を思い出した。あるいぱベックリンの「ペスト」。ネタ的にはなかなかイイ話しですね。

・・・ま。

芸人さんの言うことですから。

2004/9/7「こわい地名」

血洗島、という地名が深谷にある。地名の起源は不明だが、利根川の氾濫でいくつもの島ができた、そのうちのひとつに作られた村落であることは確からしい。血洗い、というとまっさきに人を斬った刀を洗った場所、という想像が浮かぶ。ここは渋沢栄一の故郷として有名である。別項に書いたが死人の通るさまを「死人坊」と呼ぶ地域がある。それに対して、同じ「死人坊」という地名が福島にある、との情報をいただいた。調べてみたが地名の起源はやはり不明である。ただ、死人の名をいただいた地名は意外と多い。詳述は避けるが「死人坂」という地名がある。住民紛争が起きていて、それで知ったのだが、ここは寺の裏手の坂にあたり、いわゆる死人を寺に運ぶための裏門側の坂ということでつけられたらしい。こういう即物的な忌名を持つ地名も少なくない。私の実家のある丘は、古地図によると仏山、という名になっている。荒れ野のマークがついており、他の場所が畑となっているのに比べていかにも不思議なさまである。更に溯るとじつはここは墓地であった。そのせいか家を掘ると土器が出たりするわけだが、土器だけでなくコワイものもよく出るのである。仏山というのも一般名詞であったようだ。他地でも意外とそういう呼ばれ方をした場所が多く、たいていは墓地である。アブリコという地名についても別項に書いた。これは炙り子と書くらしい。地方によっては焼き網のことを炙り子と呼び、とくに忌むべき名ではないようだが、この九州の地名に関しては古代の火葬場で、文字どおりの「炙り」「子供」らしい。表意文字によってあらわされる日本の地名は奥深い。恐ろしげな名の奥に秘められた血なまぐさい伝説も、想像力を刺激して面白いし、コワイ。

2004/8/30「岸辺の三人」

ユウレイ話というのはえてして断片的なものである。物語性を求めるとそれはもう脚色された文学作品になってしまう。断片素材だけの話しというものがどれほど希求力が有るのか私もあまり自信がないが、こういう漠然としたものが典型だ、ということでつい一昨日聞いた話しを記述しておく。

カヤックで川を下りながら途中川原でテントを張りキャンプをする、というツアーだったそうである。川原でキャンプというのは増水時を考えると結構危険な行為だが、そのツアーはベテランのガイドによるもので危険はなかった、という。ほんとかどうか私はわからない。とにかくそこでテントを張って一晩過ごしても何も起こらず、次の日再びカヤックで下り、今度は民宿に泊まった。その晩のことである。

彼は異様な雰囲気に目を覚ました。真夜中、窓から月明かりが入り部屋の中を冷え冷えと照らしている。・・・誰かに見られている。視線を感じた、というのだ。だが室内には鼾と寝息が満ちている。彼以外に起きている者はいない。どこからだ?彼は泥棒だと思った。心臓の音が大きくなりひときわ耳を打つ。彼は寝たまま、目だけを部屋のあちこちに向けた。そして、視線の元をたぐる。しかし室内には何も無い。ふと月明かりが揺れる。窓外には川原が広がるばかりで木や草のような遮るものは一切無いのに、影が揺れている。ゆっくりと、目を窓外に向けた。

シルエットがあった。

そこには三つの影があった。

のっぽ、低い、そして普通の背丈の、人影。

徐々に目の焦点が合ってくる。

・・・そこには「人」が三人いた。ガラス窓に顔をべったりとつけた三人のずぶぬれの男。いずれも、何か獲物を探るかのような不気味な悪意を込めて、その6つの見開かれた眼を室内に向けていたのである。

生きている人間じゃない!

気を失った。

翌朝、彼は恐ろしい体験を仲間に話した。するとガイドをしてくれた年かさの人が、何気なく口を開いた。

あ、そうだよ。この川でカヤックをやっていて溺れ死んだ人間が、三人。よく出るんだよね。

・・・その日のカヤックツアーは皆寡黙に、慎重に進められたという。

後日、三人はじつは小屋の前ではなく、前日のテント場のところで溺れ死んだことがわかったそうである。つまり三人は、小屋まで川を、彼等の後を付いてきていたのだ。カヤックを漕ぎながら・・・

話しはこれだけである。

2004/8/26「子供の顔」

夜寝るとき、薄暗い天井の隅を見つめてごらん。

何か見えてこないか?

そこに、子供が見えないか?・・・膝を抱えた小さな子供が、見えてこないか?

彼が私のところへ来たのは、もう10年ほど前のことである。連日遅い日が続き、コンビニ弁当を食べながら寝るという生活をしていたころ。そのときも弁当を食べながらいつのまにか寝てしまっていた。

うー。

?何か声が聞こえる。呻き声が聞こえる。・・・俺か?

眠りに入ったか入らなかったかのとき、よく自分の声が違う方向から聞こえてくるように感じることがある。単なる錯覚なのだが、人によっては「隣で違う人の息遣いが聞こえる!」とか言って怪談にしてしまう。たんに寝ぼけて耳だけが鋭敏になってしまっただけなのだが。私はふと目が覚めてしまっただけだと思った。ちょっと息を潜めてみる。でも、

うー。

さかりのついた猫のような声がする。方向は・・・隅だ。部屋の隅だ。それも、上のほう・・・

目が自然と覚めて、その目にぼんやりとうつる天井の隅。そこに、何か黒っぽい、闇がもっと闇を深めたような影が、蠢いている。

眼鏡を取り、かける。

うわっ

・・・うー。

天井の隅には、黒い子供がいた。膝を抱えて、変な角度で浮かんでいる。思わずあげた声を飲んで、私はそれを観察した。黒くて服とかはわからない、でも表情だけはわかる。何か、全体的に皮膚がグズグズで、右下に流れたような・・・汚れた顔。(実は私はそのとき手元のメモ紙にその顔を書きとめたのだが、どこかへいってしまった。出てきたらここへ載せようと思う)

うー・・・

声の調子が変わる。私が彼を認識したということがわかったのか、地の底から湧き起こるような低い声が、いくぶん高く、尻上がりのようになってくる。だんだんと、姿ははっきりしてきて、それとともに、声は子供らしい高い声で、ちょっと変な言い方だが、甘えるような、情にうったえるような声になってきたのだ。わけもわからず呆然と見ていた私は、恐怖心から次第に同情心に変わっていく心のうつろいを感じていた。ああ、・・・土砂崩れか、洪水か、そういうのでやられた子だ・・・蒼白く汚い顔に浮かぶ想いが伝わってきたような気がした。

う。

と、呻き声が停まった。天井の隅に浮かんでいた少年は、静かにこちらへ向かって大きくなってきた。つまりは、近付いてきた。口がちょっと開いたように見える。顔の皮は、かなり人間らしさを取り戻した表情になっていた。同時に、少年から「現実味」が失せてくる。死者は、夢との境目において初めて人間としての姿を取り戻せる。言い換えれば、死んだときの非人間的な凄惨な姿から、いくぶんこちらの脳の想像力を利用して、人間らしい姿を取り戻す事ができるのだ。少年の顔は、やがて私の視界いっぱいにひろがった。私は半分寝ぼけたようになっていて、ただぼうっとそれを見ているだけだった。恐怖感はもはやなかった。

ないしょだよ。

・・・そのコトバが聞こえるか聞こえないかのうちに、ぱ、っと部屋の雰囲気が変わった。空疎で、冷ややかな空気が肌を刺す。少年は、消えていた。私は眼鏡を外して、しばらく首を振り、夢だったのだ、と信じ込もうとした。でも、手元のメモ帳には、気味の悪い絵が書き残されている。私はメモを裏返すと、ばたん、とそのまま深い眠りに落ちた。

何か私が知っていたと思ったのだろうか。子供のオバケに憑かれることは案外多いのだが、はっきりモノをしゃべるほど大きくなった子供の場合は珍しい。翌日、私はぼーっとした頭で、ないしょだよ、というコトバを反芻しながら、会社へと向かった。

会社で鞄をひらいた。そして、あ、と思った。

そこには石が入っていた。

私が拾ってきたものだ。文鎮に使おうとして多摩川で拾ってきた拳大の石だ。

石の表面。

拾ってきたときには気が付かなかったのだ。

青黒い石の表面に、白い石がざらめのように入っていて、それが、人の顔のように見えた。いや、男の子の歪んだ顔、そのものだった。口元が釣り上がり、何か苦しそうに訴える子供の顔!

・・・ないしょだよ。

帰り道、近所の公園に投げ捨てた。

その石のその後は知らない。

2004/8/25「オオノコウヘイて結局誰だったの?」

しらねごちょうめのみんなごめんね、でお馴染み、オオノコウヘイが流行ったのはもう半年前くらいだったろうか。いかにもヒッキー中坊的で知的障害を装った奇怪な文章の羅列されたホムペが、あらゆる無料プロバイダを使って一斉にだーっと作られた。みんなおんなじ文章、あれって愉快犯が確信犯的にばらまいたのだと思うけど(それにしては特定の地名が指定されているので悪意の存在も感じられるが)、犯人がわからずのまま話題から消えて、そんで今もう無いかというとまだ放置されているのです。興味の有るかたはググれ。検証サイトでもちっとも検証しきれいていない、後味のわりいイカニモネット的なネタだった。ネット・フォークロワの一番有名なものは鮫島伝説だろうか。ていうか2ちゃんだけのフォークロワ、誰も知らないタブーの話題鮫島。あれはやばい、と言われる謎の存在としてはくねくねが記憶に新しい。興味の有るかたはググれ。怪物図録にも載せてますが。牛の首の話しは確かネット前から存在してたと思うからネット・フォークロワの対象外かもしれない。これはあまり書きたくないので書きません。興味のあるかたはググれ。まあ、これからもネットにはふつふつと都市伝説が沸き上ってくるだろう。新しいメディアとしてのネットを使って、新たな妖怪が世に出ようと手ぐすね引いて待っているのが見えるようだ。面白がれるうちが花。まあ、怪談ではありませんが奇談の紹介ということでこんなことを書いてみました。

2004/8/24「細い女、鎧武者、オトロシ」

書こうとしたとたんにパソコンがバグった。。私の小学生のころの話。結局ハッキリした理由はよくわからなかったのだが、女の影に追いかけられた。それも、一ヶ月くらいにわたって。生きている人間ではなかった。なぜわかるかって、そいつは異様な気配を撒き散らしながら背後から近付いて、はっと振り返ると、ささっと側の電柱の影に隠れる。僅か20センチくらいの太さの電柱の後ろに、全身が隠れてしまうのだ。電柱より細い女!蒼白い顔の異常に長い、30くらいの背の高い女。ただ細くて長いだけではない、奇妙に捩じれたような、歪んだ顔をしていたのを覚えている。丁度CGで人の顔を歪ませたような、ちょっと考えられないねじけ方だった。気味が悪いと思えば思うほど気になって、しばらく電柱のほうを見ていると、影からちょっとだけ顔をずらして、じーっと、私を見返してくる。友達と遊んでいるときも、塾へ行くときも、夜道でも、日の高いうちでも、視線を感じて振り向くと5メートルほど離れた所に必ずあの背の高い女がいて、瞬時にそばの電柱の影に隠れるのだ。思い当たる事はあった。ある晩、塾からの帰り道、道端の家から出てきた老人が話し掛けてきて、何か孫がいるとかどうとかいう話しをしてしきりに家へ招き入れようとする。10分も熱心に口説かれて、どうしようかな、という気になったのだが、ふとその家の中を覗いたら、大きな写真が飾ってあって、線香が焚かれていた。・・・怖くなった私は走って逃げたのだが、あきらかにその写真には若い女性がうつっていた(顔までは見えなかった)。あれが、細い女の正体だったのではないか。何かの事情で、私を自分の子供とだぶらせて見ているのではないか。老人が何だったのか、私は怖くてあの夜以来その道を通る事はなかったのでよくわからない。でも多分そういうことだ、と感じた。結構マセガキだった私はそんな女を哀れに感じた。・・・その日も、女はついてきていた。秋陽の長く影をおとす日だった。私は近所の寺に向かっていた。時々振り返ると、さっと電柱に隠れる細い女。たぶんその姿は他の人には見えていないのだろう、夕方の喧騒の中で誰もその女の奇行に目を留めるものはいなかった。境内に入るとすっと空気が変わる。がらんとした広場の清澄な空気が私と女の亡霊を包み込んだ。今でこそ五月蝿い観光寺になってしまったが、そのころは不気味さと崇高さの同居する異界的な雰囲気を持つ寺だった。私はなんとなくそこへくれば何とかなる、と思ったのだ。本堂に向かって手を合わせると同時に、心の中で、横へ来て、と語り掛けた。すると気配がつと横に立った。姿は見えなくなっていたが、あの細い女に違いない。丁度本堂の扉は開かれ、金色に輝く大仏がこちらに向かって鎮座しているのが見える。すると、横の気配が、静かに、まるで砂が崩れるように消えていくのである。同時に私は肩が軽くなっていくのを感じた。その時初めて「肩が重かった」ことに気が付いた。やがて気配が消える。境内には誰も居ない。烏の声だけが響いていた。ちょっと寂しい気もしたが、その女には二度と会うことはなかった。

ちょっと長文にしすぎた。あとの二つは手早く。

小学生の頃、私には霊感らしきものが確かにあって、変なものの訪問をよく受けていた。その変なものの中には、律義にもノックをしたり、呼び鈴を鳴らしたりするものがいた。

ちりりりん。

あ、誰か来た。

かぎっ子だった私以外に家には誰も居ない。

はーい。

玄関に行く。摺り硝子の引き戸のむこうに、黒っぽい大きな影が透けて見える。

かちゃ、がらら。

・・・うわーっ!!

黒々とした鎧を全身に身につけ、頬当てで顔を隠した大きな鎧武者が立っていた。

かっと消えた。

うちの古い玄関は当時北東、鬼門の方角にあった。そのせいか玄関から上がろうとするモノが多かった。別項に書いた化け猫もその玄関に顕れたものである。

これとそっくりな話しをだいぶあとにテレビでタレントが話していて驚いた。それは作り話だったようだが、私は思わずパクリだ!と叫んでいた。

最後。これも古い家での話しだが、小さい頃私は悪い事をすると押し入れに閉じ込められた。まっくらな押し入れは幼い私には恐怖以外の何物でもなかった。それに輪をかけるように兄が私を脅した。

押し入れの中には、”おとろし”が棲んでるぞ

私は”おとろし”が怖くて怖くて仕方なかった。おとろしが何なのか、よくわからなかったが、よくわからないからこそ怖かった。滅多に押し入れに閉じ込められることはなかったが、閉じ込められてもおとろしはついぞ見なかった。

そんなことをもう忘れ掛けていた、小学生高学年のころの話し。

私はその押し入れのある寝室が何故か怖かった。実際にいくつか「見た」せいもあるのだが、何より雰囲気が悪かった。

誰も居ない日にかぎって、その音は聞こえてきた。

あの押し入れのほうから、何かを引っ掻く音。かりかり、かりかり、かりかり。

えんえんと続く音におっかなびっくり近づくと、ぴたり、と止む。

しかし寝室を離れるとまた、

かりかり、かりかり、かりかり

・・・がりがり、がりがり、がりがり

・・・バリバリ、バリバリ、バリバリ!!

ばっと駆け寄ると、またぴたりと止む。しばらく押し入れを開く勇気が無かったが、意を決して開けてみると、そこにはびっちり仕舞われた布団があるだけで、何かイキモノが入り込む隙などなかった。

”おとろし”じゃないか・・・

ふと思い出した。

すっかり忘れられた”おとろし”が、押し入れへの呪縛を解き放ち、外へ出ようともがいているんじゃないか・・・

そんな想像をするにつれ、私は押し入れを開ける事すら怖くなっていった。音はひと月ほども続いた。

音が聞こえなくなってしばらく後のこと、部屋にノミが飛び跳ねるようになった。動物を飼っているわけでもなく、なんでだろう、とプチプチ潰していたのだが、そのうち、嫌な匂いが漂ってくる。数日後堪らず調べることになった。

あの押し入れの天井には、天井裏に上がる穴が開いていた。

そこから入った業者さんが、あ、と声をあげた。

猫ですよ。

腐った子猫の死骸が、そこにはあった。

どうしたものか、屋根裏に入り込んでしまい、押し入れの上から下に脱出しようともがいていた、その形のまま腐っていた。

その音があの「かりかり」だったのか・・・。

”おとろし”はいない。その日以降、私は押し入れが怖くなくなった。

・・・オバケ話じゃなくてすいません。

2004/8/19「ぐるぐる心霊写真の謎」

5、6年前一世を風靡した心霊写真のパターンがある。それは画面がぎゅいーんと回転したように歪んだ写真だ。インパクトの強い画像で、見てそれとはっきりわかる不気味な写真だ。初めて見たのは故池田貴族氏の番組ではなかったか?それ以後、何故かこの回転する写真が次々とマスコミに取り上げられていった。霊道の証拠とか、凶凶しい四次元霊の出現とか、テレビでは霊能者と称するひとびとがまことしやかに解説していたものだ。ワタシはその絵に異様さは感じたが、霊かというとどうも疑問を抱かざるを得なかった。ちょっとキレイすぎるのだ。人間的でない、無機的過ぎるのだ。おりしもパソコンが家庭にすっかり普及した時期、ワタシには余りにもコンピュータ的な「いじり方」に見えた。今週は夏休みで部屋の掃除をしているのだが、ついでに古いビデオを整理しようと色々見ている。その中に、昔のアンビリバボーの心霊写真特集があった。この番組、はっきりした理由は分からないがある時期から霊モノを一切やらなくなったものの、昔は毎回のように心霊写真を紹介していた。立原某さんがよく解説をしていたのを覚えている。この回は観た覚えがなかったので手を止めて見ていると、東北三大霊場で知られる金華山で写した写真が出てきた。中心の人物像が靄で霞み、いくつかのナゾの人影が写っていた。その端っこに、例の回転パターンが出ていたのである。それで思い出したのだ。この写真は確かに不気味さは感じるが、霊と思しき影が余りにハッキリ幻想的に写し出されすぎている。うーむ、最近回転系の心霊写真は全く見なくなった。イコールマスコミさんの中では回転系はやっぱりパソコンでいじった偽写真と判明し排斥されたのではないか。それを思うと、これもやっぱりニセモノだったっぽいな。オカルトは検証することに意味はない。面白がるためにはウソも必要である。でもまあ、思わず検証したくなるのが科学的時代に生きる我々の業、このての写真、ちゃんとマスコミでニセモノと断じた番組をやって欲しいな。ついでにネットにはびこるCG合成の不気味な偽写真についても!(←ほんと気持ち悪い写真が多くて、逆に気持ち悪すぎてバレバレだったりする。)

2004/8/18

「ハンガリー版鬼女伝説の不思議」

古いビデオを見ていた。ふとある再現ドラマが目にとまった。それはハンガリーで大正時代くらいに起こった世にも恐ろしい13人連続殺人事件「クロンベルグ旅館の惨劇」についてのもの。ある貧乏宿屋の夫婦が泊まりに来た客を次々と殺しては山中に遺棄し、金品を奪って生活をしていたというものだ。このての宿屋殺人事件はアメリカにもあったし(但し金品でなく殺人そのものが目的化していたが)決して珍しいタイプではないのだが、話しの流れがちょっと面白いというか、とある伝説の典型的形態をとっているので採録しておくことにした。その日、たまたま近くを通り掛かった猟師が白骨死体を発見した。近くの宿屋に飛び込んだところ、帳場に人はいず、置いてあった日記を読んだところが全ての殺人の詳細が記述されていたのである。日記はまさにその日で終わっていた。身寄りの無い、しかしとても優しい青年が来たということ、彼を殺す事に躊躇する妻の気持ちが書かれていた。猟師は間に合うかもしれないと思い、急いで宿屋の中を探しまわった挙げ句、あるひと部屋に飛び込んだ。彼の目には、青年の毒殺体と、側に崩れ落ちた犯人夫婦の死体が写った。全ては終わってしまっていた。一葉の手紙があった。それは夫婦の遺書だった。身寄りの無い青年の所持品を物色していると、一枚の写真が出てきたということ、写真には20年前に養子に出した一人息子が夫婦に挟まれて立っていた、つまりは夫婦は生き別れた自分たちの実の息子を殺してしまった、ということだったのだ。絶望と後悔の中で夫妻は毒を呷り、息子と共に死ぬことを選んだのだった。

・・・このパターン、聞いてふと思い浮かんだのが、日本各地に残る古い伝説だった。鬼女伝説、浅草の一ツ家、福島二本松の安達が原、などなどの平安時代以前に確立したと思われるもの。女が何らかの理由で人を殺して金品を奪う、もしくは死体そのものを食べて生きるようになる。その家は辺ぴな原野の中にあり、旅人が一夜の宿を借りに来ると快く迎え、夜寝静まった頃を見計らって石枕等で殴り殺す。だがある日、一人の青年が宿を借りに来る。いつも通り石枕で殴り殺した後、所持品を探っていると愕然とする。都で生き別れた一人息子に持たせたお守りが入っていたのだった。女は自ら命を絶つ、もしくは改心して供養のため仏門に入る、などの結末を迎える。女に娘が居て殺人を手伝わせるが、そんな母親を諌めるため娘は旅人に化け自らの命を奪わせる、それを知り狂った母親は自害する、というようなバリエーションもある。おおまかには「人殺し→我が子を殺す」の流れとなっている。このパターンに、ハンガリーの事件がじつによく似ているのだ。事件自体は20世紀になってからのもので恐らく信憑性は高い(ちなみに現在も宿屋は残っているそうである)。ふとユングの共時性を思い出したが、人間そのものの持つ愚かしさを象徴する行動は洋の東西を問わず昔から繰り返されてきたのだな、となんとなく感想するワタシであった。単にそれだけですが。

「今年のお盆。」

アテネオリンピックの話題に隠れてイマイチぱっとしなかった今年のお盆心霊番組。個人的には今年のお盆は変なことが相次いだので印象深かった。いちばん驚いたのは本当に久し振りに金縛りにあったことで、とくに一回は体が「ズレる」という離脱経験を伴うものだったので驚きである。あきらかに第三者が私の体に侵入しようとして押し出してきた感触だった。文章で説明するのは難しいが、うつぶせで寝る私の体を、頭と肩を押さえて、霊体?だけをズルっと足の方向にずらしてしまったのである。金縛りには結構慣れていたのにこんな恐怖感を伴うものも本当に久し振りで、パニックになってしまった。渾身の力を霊体に込めて、頭のほうへぐいっと押し返した。その「何か」はまったく視覚的に捉えられなかったのだが(いつもこのての状況だと目をつぶっていても相手が見えてしまうものだが、恐らく相手が不定形な形しかとっていなかったのだろう)、あっさり押し出されたようだった。頭が「スポッ」というふうに収まり、肩もきちっと体と重なり、体躯も収まり、最後に足のかかとがぴっちり収まる感触が非常に生々しくて、すかさず伸ばした右手でライトを点けた後、しばらくは呆然としてしまった。この現象はお盆1週間前くらいに起こったのだが、前後に金縛りや室内に奇妙な空気が蟠っていたりとおかしなことが集中的に起きて、なんでだろう、と思うのだがこれといった理由がわかない。しいていえば新宿に行ったとき変なものをしょってきた感じがしたので、そのせいかとも思うが、いよいよお盆になると目の前の電球が突然破裂し飛び散ったり(電灯メーカーによると全く原因不明だという)少々危なげなことも起こってきて、これは多分先祖系で、墓参りに来い、ということなのだろうと思ったが、現時点でまだ行っていない。明日明後日には行こうと思う。

そうそう、ビデオを整理していたら心霊写真番組の録画がやたらと出てきた。思わず見ていてとても気になったのが、ネットでよく見るCG系の偽写真ではなく、「紙のような。」で書いたような、妙に平面的で、偽にしては「素朴すぎる」写真の多さである。その素朴さゆえ逆に、それが偽写真でない証拠のように感じられなくもない。そしてああいう平面的なモノは、立体的なモノより多く見られる。瞬間的なイメージで捉えられる多くのユウレイは、まるでスクリーンに映し出されたスライドのような質感のない「画像」として捉えられる。少なくとも私の場合はそうだ(視覚的には)。うーん、ほんとのところはどうなんだろう。よくわかんないや。おしまい。

2004/3/8「紙のような。」

ああいうモノはどういう構造になっているのだろう。

昔から気になっていた。お化けのことである。暖かい空気のカタマリ?特殊な成分の霧?それとも何か別次元のもの(3次元の現世と違うベクトル上のもの)?19世紀の英国では心霊学が大流行りだった。近代科学が世に浸透する狭間に起こった「科学的非科学(似非科学)」である。そのころに物証として撮られた心霊写真なるものを見ると面白いことがわかる。たいてい顔が写っている、それがどれも平面的なのだ。まるで顔の描かれた半紙をくしゃくしゃにして戻し被写体に貼り付けたように見える。何十年もひた隠しにされていた有名な「妖精写真」の原理と同じである(妖精の切り抜き絵を花や手の上にのっけて撮っただけ)。だがここで私は敢えて言いたい。オバケは実際にも平面的な姿で現れることもある。それも影とか映像とかとは違う、「紙」の質感が当てはまる。ここにも昔書いたが、灰色の半透明な、ビリビリいうような紙・・・まるでトレーシングペーパーのようなうすっぺらい人の形のものを、ごくたまにだが見ることがある(その性質上見るのはほとんど昼間)。変な言い方だが、紙に子供のラクガキのような下手な、プリミティブな顔形が、半分書きかけというか、崩れたようになっている。それは恐ろしいというよりユーモラスで、ばかばかしいほど奇妙な姿だ。

これは私だけの感触なんだろうか、他の人にもそういった経験があるのだろうか。たまたまツタヤで心霊ビデオを借りた。たいていがハズレかヤラセなこの手のビデオシリーズの中でも、比較的良心的で、語弊があるかもしれないがテレビ番組並に娯楽性を併せ持ったビデオで、思わず見入ってしまった。その最後に、恐らく伊豆だと思うのだが、旧道の古いトンネルに顕れるという自殺女性・・・かなり昔の時代の・・・霊を求めてわざわざ夜中に探検に行く、という企画があった。きっかけは視聴者からの心霊写真の投稿だったが、その写真はたしかに嫌な気配は満々なものの、目に見えるはっきりとしたヒトガタは無く、強いて言えば振り向きざまの恰幅のいい女、とロールシャッハテストなら見えなくもないような断片が写っているにすぎない。夜中の現場でおびえながらも果敢にトンネルを突き進む女性リポーター。しかしカメラさん以外のスタッフはみな中に入らず入口で指示をするだけ。可哀想だなあ、と思って見ていると、お約束で、トンネルの壁のシミが人の顔に見える、というシーン。こういう自然ソウだかなんだかいうもののコジツケは激しく萎えるのだが(それでもたまにホンモノはある・・・たまたま顔の形になってしまった物に霊が宿ってしまう、ということだと思うけれども)、それ以外は特に何も起こらず何も見えず、怯えきったリポーターがある程度行ったところで手持ちのカメラでトンネルの奥を撮影し逃げ戻る、といういささか拍子抜けな結末に終わった・・・ように見えた。

だが「それ」は起こった。

インスタントカメラの写真にはどこにもなんにも変なものは写っていない。しかし、リポーターがカメラを構え、フラッシュを焚いた、その瞬間を脇で撮っていたビデオカメラに、異様なモノが一瞬だけ写ったのだ。そう、フラッシュが焚かれた瞬間にそのまばゆい光に照らされて、佇む女の姿がハッキリと写っているのである。カメラでは漆黒の闇が続いていたはずのところに、しかも5メートルくらいしか離れてなさそうな場所に、胸をはだけてややだらしない着こなしの着物の女が。だがここで面白いと思ったのは、女はまったくの白黒で構成されており、色彩感が全く無いこと。死人だから、というわけでもなかろう(「赤い」オバケもいる。えてして危険。赤黒いのなんかサイアク)。そしてここが肝要なのだが、どうもその姿、平面的なのである。不器用な人の切り抜いた不格好なヒトガタに、ウロオボエで絵心のない人が顔や着物を墨で描き入れたような感じなのだ。

その姿を見てまっさきに思い出したのは故池田貴族氏が鈴ケ森刑場あとで撮った心霊写真である。これ、確かトゥナイトかなにかの心霊スポット特集だったと思うのだが(10年以上前ですよ)、竹垣のようなものをバックに火刑台を撮った、その竹垣の向こうに、いくつか撮った写真の中の一枚だけに、上半身だけちぎれたような白いヒトガタが写っている。色はまさにモノトーンで、しかもこれが非常に平面的だったのだ。ちょんまげで着物姿なのはわかるが、なんだか熱帯魚にやるフレークのように薄べったく、半透明で、表情をはじめ何か筆で書き足したような奇妙な感じなのだ。その「感じ」がトンネルのオバケとそっくりで、それで思い出したわけである。

閑話休題、池田貴族氏は半分向こうの人のような感じで、ありえないほど夥しい心霊写真を撮っていたが(12chで昔夏にやっていた心霊スペシャルで、火葬場横の写真に少女の明瞭な顔が奇妙な角度で写っていたのが忘れられない!)、ギボさんともども、この分野で凄い人は短命が宿命なのだろう。

まあそういうわけで、平面オバケはいるのだ。最後にもうひとつ。ヒットシリーズほんとにあった呪いのビデオシリーズ、病院編の中の一編。以前老婆が亡くなったという病室で語らうおっさんと見舞いの人、その背後にある鏡に、一瞬だけ、ありえない奇妙なものが写る。静止画像で見るとそれは、私が冒頭で言ったような灰色の、紙のような質感の、恐らく「顔」。目と鼻が子供の絵のように黒い線で描き込まれている(というか普通の人はこれが人の顔とは認識できないのでは?)。角度的にも出現時間の短さからしても作為的に撮るのは不可能な状況であり、ほんとに紙に顔を描いてわざと出したんじゃ、という仮定はほぼ否定される。ここにもまた「平面オバケ」の典型が存在していたのだ。

桜金造創作の怪談で、冷蔵庫と壁の間に平面的な女が隠れている、というのがあった。あとでホラ話と知って落胆したが、この話しも妙にリアルに感じられてならなかった。人は死ぬと3次元のZ軸を失いXとYだけの2次元的存在に落ちるのか?それともじつはオバケとはまったく別の現象・・・過剰な想像力の生んだ虚像が普遍性を得たに過ぎないのか?ナゾはナゾとして残しておこう。久し振りの再開ということで、総花的な話しを書いてみました。

2003/2/11「夜明けの青年」

久し振りに金縛りにあった。午前4:30のことである。深い眠りから不意に引きずり出されたような感覚のところに、透明な青年の上半身がのたりとのしかかってきて、こんなことはここ何年かなかったことで、しかもさっぱり心当たりが無い。だから怖いというより奇妙な気分で、諦めた相手が消えるのを待って電灯をつけた。何か理由があるだろうか、と寝床に座りこみ首をかしげた。強いて言えば、ここのところ眠りは大変深かったのだが、この晩にかぎってなぜか睡眠薬を飲んでいた。でも、睡眠薬を飲んでいればむしろ半睡眠状態の金縛りにはなりにくいのではないか。それから朝まで妙な心持ちで眠れなかった。寝床についたのが11時ごろだったから、それでも十分に睡眠はとれていた。朝10時の電車で静岡に向かった。そこから友人の運転でドライブにでかけた。岸壁の端をうねるように走る車中で、友人が言った。さっきとおった崖下に、黄色い車が落ちてたでしょう。なんとなく見たような気がしたので、うん、と答えた。あの車、事故ってだれか死んだのかな。何度も撤去しようとするんだけど、車の中に手を差し込んだ人に、いろいろと悪い事が起きて、結局今もまだ撤去できずにいるんだって。ふうん。

・・・あ。

”彼”だったのかな?

今日も”彼”は顕れるだろうか。奇妙な心持ちもそのままに、これから床につく。--

2003/1/20 
「よくある車の怪談2話」 
--私の父は青森県のあるハイヤー会社の運転手をしている。その父から聞いた話。
昭和三十三年のこと、若い女が車を運転して、崖から落ちて死んだそうだ。その車が修理されて、中古車で売り出されたそうだ。大変安かったので、一人の男の人がその車を買おうとして、運転席へすわってみたら、後の方から若い女の声で「そこはわたしの席ですから、すわらないでください、ハンドルに手をつけないでください」といわれ、ぎょっとして後をふりむいてみても、車の中には誰もいなかったので、これはこの車の死んだ持ち主のユウレイにちがいないと、おそろしさに背中に汗をびっしょりかいて、いそいで外へ出たそうだ。その車はとうとう誰も買う人がいなかったと。-- 
青森県・北彰介/文 

--姉の友達が三人か四人で車に乗って鎌倉に行く時にトンネルを走っていたら、後から来た車がプープー鳴らす。半ドアだと思って調べたけど閉まっている。その車は行っちゃってまた後になった車がプープーと鳴らす。色々見たけど何ともない。三台位の車がまた鳴らしたので、トンネルから出て道の端に止って、その車も止めて
「さっきから皆がプープー鳴らすんだけど、どうかなってるんですか」って聞いたら、
「お宅の車に、男の人がべったり乗っかってたんで危いからやめさせようと思って鳴らした
けど途中で消えちゃったんだ」と青ざめて言ったんですって。-- 
神奈川県・飯田浩子/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅲ偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」立風書房より) 

*車の怪談は案外少数の典型に分けられる。ここに挙げた話しのうち、とくに後者は
よく語られる怪談といえよう(TVでタレントがこれと全く同じ話しを「自分の体験」として
話しているのを見た事がある)。これに「消えるヒッチハイカー」型の怪談を加えれば
車の怪談の最大公約数をクリアしたことになる。

2003/1/13 
「ジャン」 
--このごろの浦戸湾というたらよごれた水が流れこんで、とれる魚も臭うなったり、
毒をもっちょって、うっかり食えんようになったのう。 
大正時代の浦戸湾の魚の味は格別で、とれだちのボラをすっと料理して姿すしにした味はなんともいえざった。 
その浦戸湾に奇妙な話がある。 
ジャンじゃ。これは物音でジャンと鳴るきにジャンというのじゃ。この頃はジャンの話はとんと聞かんが、昔はようジャンの話を聞いたのう。 
あしのおやじさんが、網船に友だち二、三人と乗って巣山の近くで投網をしよったそうじゃ。その晩は、たいちゃ漁があって、いつでも網がずっしりするほどとれたそうな。 
一人が網から魚をのけよる間に、一人が網を打つという具合にやらんといかざった
というきに、よっぽど入ったことじゃろ。 
それが暗い湾内がパッと明るうなると同時にジャンと一発、雷でも落ちたような音がしたそうじゃ。昔は湾内のあっちこっちに当り、こだまを呼んでジャン、ワンワンというような音じゃったそうな。話には聞いちょったが、本物を聞いたのは初めてでびっくりたそうじゃ。 
その後は、漁がないとは聞いちょったが、本当かためしたが、一尾も魚は入らざったそうじゃ。 
それでさっさと帰ったそうなけんど、ジャンがなんの音か光かわからんそうじゃ。 
浦戸湾のジャンも、土佐の怪奇の一つといわれちょるぜよ。-- 
高知県・岩原文男/談・原著:市原麟一郎編「土佐の怪談」(一声社) 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅲ偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」立風書房より) 

*突然大きな破裂音がするが、何も爆発していない。「怪物図録」に「ブロンティーデス・フェノメノン」という怪異を書いたが、この「ジャン」もそのたぐいの不思議現象である。「ブロンティーデス・・・」の場合、街中で破裂音がひびくというもので、じっさいは戦時中の不発弾が地下で破裂した音だったこともあるようである。近年も東京二十三区内の住宅地で突然怪音がひびき、すわガス爆発かと騒ぎになったが、結局何の音だったのかわからずじまい、という報道があったのを覚えている。この
「ジャン」は、話を聴くかぎりはたとえば雷のような自然現象のたぐいにも思えるが、茫洋とした海上でシンバルを打ち鳴らしたような大音を聞くというのはいっそう奇妙な感じがしただろう。急に魚がとれなくなった、というのも何やら不可思議である。浦戸湾でだけ起こるというのも不可思議だ。さらに、最近は聞かれなくなった、ということはどういうことなのだろう。たんに皆海に出なくなったから聞かれなくなったのか、人間の自然破壊のせいなのか。興味は尽きない。 
<追記>ジャンについては寺田寅彦が研究していたという。数十年に一度起こる土佐沖大地震の発生との関連性を探求したというのだ。地殻のひずみが怪音や妖火をもたらすもととなっているというのがその結論であった。魚がとれなくなる、というのもその前兆現象のひとつの
あらわれ、ということらしい。

2003/1/9 
「森の声」 
月の無い暗い晩だった。黒々とした森の奥から梟の声が響きわたる。テントはいくつかの寝息に包まれていて、私はその中でただ漠然と闇を見つめていた。 
みしっ。 
不意に、頭上で音がした。思わず半身を起こす。みしっ、みしっという音が、テントの脇を通り過ぎる。ああ、誰かトイレだろうか。ほっとして再び身を横たえる。
待てよ、この闇夜にライトも無しに歩く?今の足音はただ闇の中から響いていた。普通このシチュエーションであれば、足元を照らすライトの薄明かりが確認できるはずだ。
鼻をつままれてもわからないような中、どうやって歩けるというのだ。 
・・・動物だったのだろう、と私は頭を振った。だが忘れて眠りに入ろうとすればするほど、もやもやと想像が膨らんで、全身の神経がぴりぴりと鋭敏になっていく。

梟の声が止んだ。

・・・「うあー・・・」・・・ 

がばりと身を起こす。全身が粟立った。何だ?・・・だれだ??遠くで叫び声のような声が聞こえた。確かにきこえた。 
「・・・う、ううああーっ・・・うわっ・・・ううう・・・」 
森に木霊する声。断続的に続く声。あきらかに人の声だ、聞き間違いではない。
闇夜の山中に鳴咽する声。尋常ではない。 
来るな!私は小さく呟いた。こっちに来な!すると、いきなり、 
ぶつぶつ・・・ 
すぐそばで声が聞こえた!私は飛び上がらんばかりに驚いた。・・・傍らで寝込んでいる友人
の声だった。寝言か・・・。ほっとする暇も無く、再び、 
「・・・うううあーっ・・・う、うえっ・・・」 
近づきも遠ざかりもせず、森の声は続く。私は身じろぎせず、固唾を飲んで座っていた。 
・・・ぶつぶつ・・・ 
友人は妙に低い声で、何事かを繰り返し繰り返し呟いている。 
表では遠く苦しげな声が続いている。 
「・・・う、ううう、うっ・・・」 
・・・ぶつぶつ・・・ 
「・・・うあ、うあっ・・・あ・・・」 
・・・なむ・・・ 
「ああ、うあーっ・・・うっ・・・」 
・・・なむあみだ・・・ 
「・・・うえーっ、えっ・・・ううっ・・・」 
・・・なむあみだぶつ・・・なむあみだぶつ・・・ 
息を呑んだ。こいつ、なんでお経なんて唱えてるんだ! 
みしっ。 
おもむろに大きな音がした。私は蛇に睨まれた蛙のように固まった。 
さっきの足音だ。 
テントの傍らを、足音が通り抜ける。闇の中を、足音が戻っていく。 
森の声は消えていた。梟の声がきこえる。
まるで何事もなかったかのように、静かな山の夜が戻っていた。 
あれが何だったのか、今となっては確かめようが無い。視覚の利かない闇夜の中の、音だけの世界のもたらした恐怖であった。・・・

2003/1/7 
「乗せて下さい」 
--昭和十七年頃のこと。西条の東はずれ新居浜市との境に仏崎という峠がありました。その所は、岩場で、海深が十五メートルほどあります。岬を廻って通る船に、必ず美しい娘が声をかけるのです。「乗せて下さい」「寄って行きませんか」真夜中にそう言うのだ。そこを通った船頭たちは、その声を聞いた日から高熱を出すのです。
「仏崎」はその名の通り自殺の名所でもありました。年間三人は、投身自殺をしていました。私の同級生も自殺しました。昭和三十五年頃に、今度そこが埋めたてられると、美女が真夜中に走る自動車に向って手をあげて、乗せてほしいと頼むのです。-- 
愛媛県・大西田傳一郎/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅲ偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」立風書房より) 

*面白いのは海の亡霊が埋め立てによって陸の亡霊に姿を変えている所だ。伝統的な「船幽霊」が現代的な「消えるヒッチハイカー」に変化している。それにしても「寄って行きませんか」とは一体どこに寄っていけと言っているのだろう。

2003/1/6 
「ヌシの行き場所」 
--明治の初め頃の話です。ある夕方、車夫が川越街道を空の人力車を引いて歩いていたら、「もしもし、車屋さん」と鈴をふるような声で呼び止める人がいて、
「石神井まで乗せていっておくれ」ってたのんだってね。あまり見かけないようなみなりの立派な御新造さんだったとよ。車夫は喜んで車に乗せ走ったところ三宝寺池のところで「ここで結構です」と言うんで降ろしたら「お釣りはいいですよ」って小判をくれたそうだ。そして三宝寺池の方へ歩いて行った。夕方で、人家もない方へ行くなんて変だなあと、車夫が思ってしばらく考えていたら、バシャーンと大きな水音がしたんだと。車夫はびっくりしてその音のした池の方に駆けていってみると、御新造と思っていたのは大きなうわばみで、池の中をゆうゆう泳いで消えていった。車屋は動けなくなってヘタヘタとすわりこんでしまったけど、やっとのことで人力車の所に戻りいそいで家へ逃げ帰った。そして腹がけの中にしまってある、さっきもらった小判を出してみると、それはうわばみのうろこにかわっていたと。あとからのうわさでは、これは熊野神社の主が三宝寺池の主に逢いに来たのだろう、ということだ。-- 
東京都練馬区石神井、話者・加藤喜平。回答者・納所とい子 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅲ偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」立風書房より) 

*この話は江戸の本で読んだものによく似ている。三宝寺池は古い伝説をもった池だ。室町時代、石神井城主・豊島泰経という武将が、江戸城を起点に勢力をのばしてきた太田道灌と戦ったが敗れ、落城の憂き目にあう。泰経は愛馬に家宝の黄金の鞍を置き、それにまたがったまま三宝寺池深くに入水、自殺をとげた。以来、よく晴れた日に岸の松に登れば、水底に黄金の鞍が見えると噂になり、その松を照日の松といった。松は枯れ果ててしまったようだが、鞍が沈んでいるのは池の西部の弁天島のあたりとされ、それを手に入れようと画策する輩が昭和になっても後をたたなかったという。死んだ泰経が主に化けたのか、三宝寺池には池の主に関する伝説が数多くあり、鰻に耳がはえたような蛇形の怪物を見たとか、頭に鳥居の形をつけた魚が住んでいて、それを獲るとたちまち足腰が立たなくなり、眼病に苦しむといわれている。この話しで熊野神社のヌシたる蛇は、三宝寺池の不気味なヌシに会いに来た、とされたが、このような古い伝説をふまえての推測だったといえよう。

2003/1/5 
「猫霊の訪れ」 
--エリオット・オドンネルの動物の幽霊に関する興味深い本によれば、家のなかで最も普通に見られる霊的現象は、幽霊猫であるという。彼は幽霊の出る家で個人的な実験を試みたが、その結果、猫が「信頼できる霊的な指標」として振る舞うということを、彼自身満足するまで証明できたと主張する。これは喜ばしい台詞である。というのは、猫の飼い主の多くは、彼らのペットが霊的な面の乱れに非常に敏感であることを確認するだろうし、また、猫が幽霊や霊的存在の出現にどう反応するかとか、死んだ猫がどんな「霊になって」好きな場所に戻るかという実話も、非常に多くあるからである。このタイプに属する話の好例は、今世紀初頭に起こったある猫の死に関する研究の例で、イタリアの心霊研究家エルネスト・ボッツァーノが語ったものである。 そこでとりあげられた婦人は、猫にたいする強い恐怖心(専門用語では恐猫症)をもっていたが、家に鼠が入り込んできたので、仕方なく猫を手に入れ、世話は使用人に任せていた。猫は役目を十分果たしていたようだったが、ある日、引きつけを起こし始めたので、召使が溺死させる許可を取った。婦人自身が続けて語ったところでは-- 
猫が殺された日の晩、私は独り食堂にいて読書に耽っていたが、突然目を上げるように促された気がして、ドアの横を見た。ドアがゆっくりと開き、今朝犠牲になったばかりの猫を通すのが見えた、あるいは見えたような気がした。それは間違いなしに同じ猫だったが、痩せて、びしょ濡れで、水が滴っているようだった。ただ見つめた表情だけが違っていて、人間のような目でとても悲しそうに私を見たので、私の心は痛んだ。 
--猫が結局死んでいなかったのではないかと疑った婦人は、女中を呼んで、連れていくように言った。しかし、婦人にとって「テーブルや椅子と同じくらい明確に」見えていた猫が、女中には見えなかった。そこで、女中は、下男が死んだ猫を埋めるために庭に持っていったのを見たと言った。女中が出ていった後から猫はゆっくりと消えて、二度と見られなかった。 
--(仔猫の”心霊写真”の話のあと)猫に関するもう一つの同じように魅力的な心霊写真も、一九七四年七月にエセックスのリー=オン=スィーでアルフレッド・ホリッジによって、やはり偶然に撮影されたものである。フラッシュを焚いて撮影された写真は、ホリッジ家の猫モネが暖炉の前のお気に入りの場所にいるところを見せようとしたものだったが、カラーフィルムがまだ数コマ残っていたので、現像するのがいくらか遅れた。そのあいだにホリッジ氏は病気になり、ついにその年の九月に死んでしまった。 
やがて焼き付けられた写真の束を開いたホリッジ夫人は、モネの前を不思議な「エキストラ」が走っているのを見て愕然とした。それは、幽霊のような子猫で、奇妙な線がその体から出て炉端の敷物を横切っていた(ここで原著では実際の写真が提示されているが、はっきりと猫の輪郭をもった黒い影が、黒い筋を引きながら右から左へ走り去る姿と、それを目で追うモネの姿がとらえられている)。ホリッジ家の猫は一匹だけで、写真が撮られたときには、家のなかに他の猫などいなかったことは確かである。モネが鋭く訝しげに侵入者を見つめる様子は、写真を撮影していたときにホリッジ氏がエキストラに気が付かなかったにしても、彼の猫は気が付いていたに違いないことを示している。 モネの写真は、ポール・ハンプソーが一九四-五年の「愛猫家ジャーナル」に掲載した、交通事故で死んだ飼い猫のディーナに関する実話を思い出させる。代わりに、一家はアクェリアス(宝瓶宮)とスコーピオ(天蠍宮)-非常に霊的な名前であることに注意-という二匹のビルマ猫を買った。親類が食事に来ていたある夜の10時頃、突然、二匹の猫は、背中の毛を数インチ逆立てながら、以前ディーナが使っていた籠を真剣に見つめた。彼らは、背中を持ち上げて激しく唸り、四、五分間そうしていた。客が帰ったのち、ハンプソー氏は、騒ぎのあいだ、ディーナが籠のなかに坐り、安らかな眼で周囲を見つめ、やがて消えてなくなるのを見たと言った。-- 
(フレッド・ゲティングズ「猫の不思議な物語」松田幸雄・鶴田文訳・青土社刊より) 

*霊になるのは人間だけではない。「怪物図録」に沖縄のマジムンについていくつかあげたが、家畜の霊というものは案外身近にひしめいているようである。私自身も学生時代に友人と共に、黒い猫の「影」のようなモノが開いた入口からささっと入り込み、室内を走り回るという出来事に出くわした事がある。山岸凉子氏の実録漫画で、死んだ猫がベッドに入り込んで来たというものがあったが、たしかに猫は霊になりやすい動物なのかもしれない。本文中に書かれているがこの本にもあきらかに猫の姿をした(しかし半透明であったりする)モノの写真が二葉あげられており、珍しいので御興味があれば原著にあたって見ていただきたい。動物霊が写真に撮られるということはよく言われることだが、はっきり形をあらわしている写真というのは案外少ない。私の記憶しているところ一番ハッキリしていたのは、もう10年以上前、深夜のテレビ番組で心霊スポット特集が組まれていたとき、伊豆のほうの山間にある旅館の廃虚で撮られた写真だ。
それは館の前の木の葉づえの中にあきらかに猫・・・しかも半分人間化しているような不気味な様相で、怒りの篭った般若の面を思わせるもの・・・の大きな顔がうつっているというものだ。
館の中には猫の死体があった。おそらくそれなのだろう。
この物件は猫に限らずかなりヤバいところだったようで、故池田貴族氏が霊眼をもって迫真の実況を行っていた。このとき旅館の窓を撮った写真に車のテールライトがはっきり写っているものもあって(車の通る道など無い場所でだ!)、車の型式まで特定できるというものだった。この番組を録画してあるのだが、何年もたつうちに、その写真がだんだんとぼやけてきているのに気が付いた。例の猫の写真も、気のせいかもしれないが柔和になったような気がする。同番組の別の日に、心霊関係に明るい芸能人が出演していて、動物の霊に対しては線香を半分に折ってあげるのが作法、と言っていた。もし浮かばれない家畜霊などにつきまとわれたら、試しにそうしてあげてみていただきたい。--


2003/1/3 
「人畜生まれ変わりの話」 
--明治初期か以前でしょう。ある寺で住職が黒い犬を飼っていた。とてもかしこい犬で住職のことばもよく聞きわけるのでわが子のようにかわいがっていた。この犬が病気になって手厚い看病の甲斐なく死んでしまった。死ぬ間際に住職はお経の文句を書いた紙を小さくたたんで犬の手の中に握らせ「必ず必ず人間の子供に生まれてこいよ」と言い聞かせた。その後、遠い村で男の子が生まれたが、片手の握りこぶしの中にお経の書かれた紙を握っていたと言う。その噂を聞いた住職は、さてはあの黒犬の生まれかわりと喜んでその子供を見に行った。成長してから寺に引き取ったが、その子供はあまりかしこくなかったとのこと。人間に生まれるには七度生まれかわってからと言われる。この黒犬はお経の功徳で人間に生まれたものの、時機が早かったから人間としてはかしこくなかったわけである。--
回答者・明石きよ子(滋賀県在住)。 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅴあの世へ行った話・死の話・生まれかわり」立風書房より) 

*杉浦日向子氏の漫画に「白犬」というのがあり、寺で飼われていた白犬が生まれ変わって小坊主になる、というものであったが、この話しによく似ている(原典はいずれ古い説話だろう)。人が人に生まれ変わるならいざしらず、人以外が人に生まれ変わる例は奇異であるからここに採録した。それでは人が人以外のものに生まれ変わった例はあるのだろうか。そこで以下に同書から別の話しを採録しておこう。 

--東京都大田区。古い住民達の一部では、僧侶は死後牛に生れ替るものと信じられている。例えば、明治末年に死んだ今泉町安光寺の住職は、死期迫るに及んで毎日の様に「私はもう直ぐ牛にならねばならぬ」と悲しげに呟いていたといわれる。又、同じ頃、大森の浄法院の住職が死んだ時、予て親しく世話していた同寺の檀家総代の若くて才はじけた男某が、日頃聞いている僧が牛に生れ替る話の真偽を確めようと思って、秘かに屍の背中に「浄法院」と墨書して葬った。彼は其の事を全く忘れていたが、それから数年経った或る日、偶々、今、美原通りと呼ばれている旧東海道の辺を歩いていると通り掛った牛方がしきりに「そら浄法院」「浄法院しっかりしろ」等と叫んでいるので、不思議に思って訳を尋ねると、「此の牛は生れながらに背中に確かに”浄法院”と読める白毛が差しているので、自分の家では”浄法院”と呼び慣わしている」との答があった。其処で総代の男は更めて自分のした事を牛方に話して、二人で奇遇に驚き合ったという。以上の話は今から十年程前(昭和十二年頃)北糀谷町の古老大塚まき氏から聞いたものである。前記の二寺は共に現存しているので仮名を用いた。
文・佐久間昇「入字余聞」。出典・「民間伝承」十四巻七号(民間伝承の会)。-- 
(同書) 

*牛に生まれ変わるという恐ろしげな状況は「件」(くだん)の話を思い起こす。生まれてすぐ数々の予言をすると言い伝えられる人頭牛体の怪物である。明治のころにはその剥製が見世物として各地をまわったというが、真に件が存在したかどうかは不明だ。牛にかぎらず生まれ変わり話の常套として、死んだ者の手や足に何かを書き付けたら、書き付けた文字が新生の子の同部位に浮き上がっていた、というものがある。墓場の土を用いて文字を消すことができる、というのは日本だけの言い伝えのようだ。物質的な繋がりとは別の位相にある生まれ変わり話としていわゆる「前世記憶」モノがある。ここにも以前江戸時代の話をひとつ採録したが、教えられていないのに遠い地のことをしゃべり、遠い人々のことを語る。普通死んだ人の記憶を新生の人が語るというのが「生まれ変わり」なのだが、以前採録した話しによれば既に生まれていた子供に死んだ子供の記憶が乗り移るということもあるようで、単純な生まれ変わりでは説明がつかない模様だ。外国には何代にもわたって自分の前世を語る者もいるというが、どこまで信憑性のある話なのか定かではない。


2002/12/31 
「菊玉出現」 
あれは何だったんだろう。小学生高学年のとき、臨海学校の夜。就寝時間のできごと。騒ぐ子供を諌めるため、先生が一室ずつ巡回していた。その時だけはと電気を消して、息をひそめて待つ子供たち。がらっ、と部屋の扉が開かれ、先生の懐中電灯が室内を照らす。ふと窓のほうに目がいった。海に面したガラス窓。先生の懐中電灯がまばゆく反射して、しかしすぐに消える。扉が閉められる音。安堵する仲間の声を聞きながら、そのまま窓を見ていると、黒々とした闇の向こうに、妙なものがゆっくりと浮かび上がった。それは火の魂のように黄色く光り輝いていた。ざあ、ざあという波音に乗るように、ゆら、ゆらと左から右へ移動している。形はといえば、”菊の花”を上から見たような形。円盤の中心から放射状に切れ込みが入った形。蝸牛のような渦状の筋もうっすらとあった。その不確かな動きに人間的なものを感じた刹那、背に寒いものが走った。ぱっと、部屋の電気がついた。「菊玉」は忽然と消えた。
回りの連中に聞いてみても、誰もこの奇妙な光に気付いたものはいなかった。後日この「菊玉」について、学校で先生への連絡帳に書いた。しかしまともにとりあって貰えなかった。海でなくなった人のさまよえる魂だったのだろうか、などと勝手な解釈をして自分を納得させたことを覚えている。・・・あれは何だったんだろう。

2002/12/29 
「鳩が告げること」 
--昭和十六年頃のこと。旧暦正月で外は屋根まで雪が積っていた。私は祖父と父と母と四人で真中の座敷に寝ていた。そこに突然、まっ白い大きな鳩が飛んで来た。父が「ほれ、つかまえろ」といって、私と母が箒を持って追っかけた。白い鳩はバタバタ座敷のあちこち飛んでいたが「逃げないように戸を閉めろ」と騒いでいるうちに、煙出しから逃げていってしまった。私達三人は大騒ぎをして本気で追いかけたが、不思議なことに、その白い鳩は一緒に寝ていた祖父には見えなかったという。祖父は白い鳩のことを聞くと、「兄っつあん、死んだんでなかんべか」というんで、行ってみたら、やはり祖父の兄が死んでいた。父が家督息子だから祖父の兄の魂が鳩になって父のところに来たんだべっていうことになった。真冬の雪がいっぱい
積もっている時に外から鳩など、飛んで来るはずないものなあ。-- 
宮城県加美郡小野田町・話者:小松仁三郎。山田裕子/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅴあの世へ行った話・死の話・生まれかわり」立風書房より) 

*この本には人の死にさいして遠隔地で起きた不思議な「知らせ」につき、相当数の話しが収録されている。死を告げるいきものについては、鳩をはじめ蝶、蛾、烏、鼠などさまざまだ。この話しの鳩は実在があやふやな「魂」のようなものとして顕れるが、たとえば烏については群れ集まって騒ぐなど、実在のものとして現われている。
鳩を逃がしてはならない、という言葉はおそらく「魂」を逃がしてはならない、ということなのだろうが、同様の話は江戸時代の昔話にも見られ(鳩ではなく「人魂」であったと思う)、不思議噺のひとつの典型を示している。「魂」的なものとして鳩より有名なものには「白い蝶」がある。「夜話」に書いたが私も幼い頃火の玉が白い蝶の形になり、さまざまに変容したあと「人」の形となったのを見たことがある。水木しげる氏も白い蝶の不思議について書かれていた。鳩や蝶(蛾)はおそらく見る人の脳内で理解可能な形を「見た」と思わせているだけなのではないか、と思う。この話で祖父は鳩が見えなかった(死者といちばん近い立場であったにも関わらず)。そこには多分不定形な白い「もやもや」がいただけなのではなかろうか。などと漠然と思う。そういえば鳩といえば、鳩の鳴き声がいつしか男の声に変わる稲川淳二氏の怪談の一節を思い出す。
-- 

2002/12/28 
「寒いよう」 
--東京都世田谷区代沢小学校で、昭和三十六、七年頃起った話。大雪の夜のこと、電車が不通になったので給食のおばさんがひとり、給食室の休憩所のせまいたたみの部屋で泊った。警備員さんはだいぶはなれた部屋で泊っている。こわいので小母さんは豆電球をつけたまま寝た。夜中、女の子の声で目をさました。窓の外からかわいいおかっぱの女の子が、びっしょりぬれてのぞいている。「寒いよう、お部屋に入れて」という。怖しいのでふとんをかぶっていると、もっと近くで「寒いよう、おふとんのなかに入れて」と声がした。みると女の子は小母さんのそばにいる。赤い朝顔の模様の浴衣を着て、からだからぽたぽたしずくをたらしている。やがてその子はふとんの中へ入ってきた。そして胸のそこからしぼり出すような声で
「おまんじゅうがたべたいよう」といった。 
小母さんはおそろしくなってふとんから這いだした。廊下へとび出すと雪に埋った運動場が見えた。するとその子がうずくまっている。雪でおまんじゅうをつくって遊んでいる。部屋に戻ってみるとその子はもういず、寝ていたあたりのシーツがびっしょりぬれていた。 
このことを話しても誰も信じてくれなかったが、この学校に三十年も勤務してきた女の先生がそれなら思い当たるといった。第二次世界大戦の初期、日本が勝ち進んでいたころ、八幡神社のお祭に戦勝祈願の提灯行列をした。その子は朝顔の浴衣にしぼりの三尺をしめ、日の丸と片手にお母さんのつくってくれたふかしまんじゅうを持って、学校の裏門のところにいた。行列がくるとバンザーイ、バンザーイとさけんではねたとたん、ふたがずれていたマンホールに落ちてしまった。そして何もしらない人がそのマンホールのふたをしめ、その子は行方不明
という事になった。 二年後、マンホールの掃除をしたとき女の子は発見された。水にひたっていたせいか死体はそっくりしていたという。 
給食の小母さんは、きのう出てきた子はその子にちがいないと思った。みんなで神主さんをよんでおはらいをした。小母さんの描いた女の子の絵と、ほかほかのまんじゅうを供えて。-- 
東京都・掘久子/文--

(原著:偕成社「現代の民話おばけシリーズ5・ま夜中に鳴るピアノ」より要約、
松谷みよ子「現代民話考[第二期]学校」笑いと怪談、立風書房より) 
*マンホールの中の少女。「リング」を思い浮かべてしまった。可哀相だが、やはり不気味だ、
「おまんじゅうがたべたいよう」・・・。あわれな女の子は何十年たってもひとりずぶぬれで学校の中をさまよっているのだろう。--

2002/12/26 
「池の怪」 
--祖母と父からいつも聞かされた話です。海とか池とか川とかで誰かが水に溺れて死んだ所は、必ずそこで又溺れて死ぬ、そうしなければその先に死んだ霊は浮かばれない、極楽に行かれないという。ある男の友人が池に溺れて死んだそうです。そうしたら幾月もしてから死んだ友人が現われてその友に知らせたそうです。「私は明日の何時頃あの池を出るよ、極楽に行くよ」と嬉しそうに話したそうです。男は不思議に思って、翌日、その池の近い所に隠れて見ていると、雨が降っていたので雨傘をさした青年が池の畔を歩いて来ます。急に風がぱっと吹いて青年のさしてる傘が池の真中まで飛んで浮かんだので、青年は着物を脱ぎ、泳いでその傘を取りに行く準備を始めました。隠れて見ていた男は急いで出てゆき、その青年に傘を取りに行くなと教えました。すると青年は「では、あの傘は貴方が取る考えか」と。友人は、実はかくかくしかじかで、命が宝か傘が宝かと言うと、青年は「ありがとう」と立ち去ったそうです。すると、死んだ友人が現れ、「私は貴方を親友だと思って嬉しさを伝えたのに。貴方のために僕はいつまでもこの池にいなければならない」と言ったそうです。男は「貴方は死んでいるからしかたがない、私は生きた人を助ける」と。-- 
沖縄県中頭郡読谷村・具志堅タケ/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅴあの世へ行った話・死の話・生まれかわり」立風書房より) 

*水まわりに霊は集まり易い、という。ましてや水で亡くなった人はその水に呪縛され、いつまでも離れられない。「次に誰かが死ぬまで極楽へは行けぬ。」さしずめ負のスパイラルだ。この話しでは、友人の霊が翌日に起こるはずの「事故」を察知して、男に告げに来る。その男は翌日池を見張り、最終的に死ぬはずの青年を救う。
いわば「運命」を変えてしまう。ここで霊は無力である。ただ恨み言を言うことしかできない。半ば民話化しているようなお話だが、救われずに永遠に池に封じ込まれ、次に誰かが死ぬのを絶望的に待っている、その姿は想像するだに凄まじい。こんな池が身近に無いことを願うのみだ。--

2002/12/25 
「真冬の訪問者」 
--白馬岳の山の中に一軒だけ旅館があった。ある吹雪の夜中にドンドン、ドンドンと戸を叩く人がいるので、奥さんが出てみると「道に迷ったから泊めて下さい」と一人の男の人が立っている。「いいですよ」と言おうとしたら、子供が急に出て来て男の人の顔を見て、はげしく泣き出した。泣き声を聞いたおばあさんも奥から出て来た。男の人を見て変な予感がしたのであろう、「泊めるのはやめなさい」と言ったので、奥さんは余り子供も泣くしおばあさんも真剣な顔だし、ちょっと怖くなって「今日はだめなんです」って帰した。次の日の朝、刑事が来て写真を見せて「この男知りませんか」という。「あ、昨夜来た人だ」と答えると、麓の方で女の人を殺した男だという。後で子供に「どうしてあのおじさん恐かったの」って聞いたら、「おじさんの肩に血だらけの女の人がおぶさって笑っているから怖くなった」そういった。-- 
長野県・平岡祟子/文 
(松谷みよ子「現代民話考Ⅴあの世へ行った話・死の話・生まれかわり」立風書房より) 

*このオチの怪談は枚挙に暇がない。よくある話し、でもやはりぞっとする。殺された女の人はなぜ笑っているのだろう。その笑いの意味を考えれば考えるほど、ぞっとする。--

2002/12/24 
「MIB、モスマン」 
--一方、UFOに関連してかなり不気味な話も伝えられ始めた。目撃者によると「政府の役人」が家に来て口を閉ざすよう警告したという。たいていは黒い背広だが、軍服のこともあるらしい。政府の各省庁は、ぜんぜん心当たりがないと言明した。1953年、コネティカット州ブリッジポートのアルバート・K・ベンダーは、自分が主宰している国際空飛ぶ円盤協会を突然閉鎖した。目の大きい皮膚の浅黒い三人の男がやってきて、調査を打ち切るよう圧力をかけたとその根拠を述べた。ほとんどのUFOマニアが政府を非難した。しかし、その十年後にベンダーが出した本によると、かなり不気味な事情がからんでいたらしい。三人の男は彼のマンション内で自由に出現と退去ができるようだった。南極のUFOの基地に連行されたこともある。UFO現象に関心を抱くジャック・ヴァレという科学者は、妖精と「精霊」にかかわる中世の伝承とこの話には類似点があると述べている。 キール(註:UFOジャーナリスト)も妙な雰囲気を感じるようになった。ウェスト・ヴァージニア州で、高速で飛ばす自動車と同じ速度で飛ぶことができる翼がある巨大な鳥男を目撃したという話があった。この調査を開始した頃、曖昧ではあるが自分に敵対感情を持っているらしい相手が彼の周囲にちらつき始めた。写真家が彼の写真を人気のない路上で撮ったが、なぜか直ちに逃亡した。もう一人のUFO専門家グレイ・バーカー女史と会う約束をした直後、共通の友人から変なことを耳にした。バーカー女史は二日前にそのことをすでに知っていたという。その時点ではキールの頭には彼女に会う考えなどまったく浮かんでもいなかった。「連絡先」からよく電話がかかってきた。その説明によると、彼と話したい人がその横にいるという。それから、その電話で変な声の男としばしば会話を交わした(彼は電話の相手が催眠状態ではないかという疑問を感じることが多かった)。住所を指定されて手紙を出すよう求められることもあった。あとで調べるとその住所は架空だった。しかし、活字体で書いた返事は確実に届いた。こんなこともあった。適当にモテルを選んで宿泊することに決めた。ところがレジのカウンターには自分宛のメッセージが待っていた。彼は「モスマンの予言」という著書で次のように書いている。「誰かがどこかで私の動きすべてを承知していると私に思い知らせようとしていた。おそらく私の電話すべてに耳を傾けていた。私の通信手段さえ制御しようとした。彼等はそれに完全に成功した」。その相手は多くの予言を彼に対して行なった。マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺、ロバート・ケネディに対する襲撃、ローマ法王に対する刺殺未遂などである。しかし、多くの場合、現実の事件とは日付けにずれがあった。キールは結論として次のように述べている。「われわれの小さな惑星は、なにか別の四次元時空連続体の力または実在と相互貫入を現在経験しているらしい」。-- 
(コリン・ウィルソン「世界不思議百科」関口篤訳、青土社より) 

*黒服の男MIBはUFO「政府陰謀説」のひとつの証左として扱われ、映画でも有名になった。
矢追純一氏をはじめ、日本人でもMIBの訪問もしくは通信を受けたと主張する人はままいる。
私にはMIBは政府職員などというつまらない存在ではなく、もっと不気味な「実存」に思える。
その不気味をうまく表現しているのが、2002年秋にひっそりと公開された映画「プロフェシー」である。この映画では結論めいたことは何一つ示されない。蛾人間「モスマン」〜蛾という俗称は当時人気の「モスラ」から影響されたものらしくその前は「オウルマン(フクロウ男、ポピュラーな幻想生物)」の一種とみなされていた話も読んだ〜の出現とその不気味な予言について、サブリミナル的な表現手法を駆使して作られた佳作である。この映画の原題は「モスマンの予言」・・・即ちここでキールの著作として紹介されているそのものである。(後註、日本語訳された)いずれにせよUFOは単純な地球外生命体の乗り物というわけではないようだ。この本では妖精や精霊・心霊との近しさを暗示して章を終えている。

2002/12/23 
「フィルムの怪異」 
--昭和五十一年の話。日本アルプスのフィルムを編集していたら、その中の「1コマ」だけ岩場に悄然と腰かけている登山者(男性)の姿が映っていたという。
(TVフィルムは一秒に約40コマ廻ります)そこは登山者の遭難現場だったそうです。-- 
東京都・舟崎克彦(NHKのTVのプロデューサー)/文 
(松谷みよ子「現代民話考[第二期]Ⅲラジオ・テレビ局の笑いと怪談」立風書房より) 

*心霊写真は、人間の目ではとらえられないほんの一瞬だけ姿をあらわした「霊」が、たまたま写真機のシャッター速度にシンクロして映り込んだものだという説を聞いたことがある。また、いわゆる「心霊ビデオ」で、ほんの一瞬(1コマ)だけ「霊」がうつりこんだモノをじっさいに見たことがある。「霊」は「実体化」するために相当の「パワー」を必要とするため、恒常的に姿を見せ続けることはできない。だからほとんどの「霊」は一瞬だけしか「この世」に姿をうつすことができないのだ。そういう説を聞くにつけ、なるほどな、と一人合点する。視界の隅に一瞬だけ姿をあらわすモノに出くわすにつけ、そうなのだろうなあ、と思う。このあいだ、大手町のビルのはざまで、昼日中に、”汚れたトレーシングペーパー”のような「人影」を見た。それはビルの影から一瞬飛び出し、すぐに引っ込んだ。すぐに覗き込んでも、もういなかった。-- 

「家鳴り」 
--秩父両神村、清滝小屋の外は、ひめ蛍がさかんに飛びかっていた。小屋のあかりはランプだった。 
小屋は村営なので、月給とりの番人夫婦がぶっきらぼうに登山者の世話をしている。仏法僧が
しきりにないていた。 
布団は自分達で敷く。どこへ敷こうと勝手。ふかぶかと張りを失った三十敷きはあろうかとおもわれる畳の大部屋である。うろうろしていると、 
「奥に向かって左側は止めたほうがいいよ」 
ええっ、と振り返る。 
「突然、家鳴り、震動が起こるんでね」 
まったくそっけない。そこで布団は右側の入口近くに敷いて、左の隅ばかりが気になってなかなかに寝つけない。今か今かと待っていたが、いつか眠ってしまった。 
翌朝、夕べは家鳴りが起こったのかどうか聞くと、 
「慣れっこになってるからね、天狗のしわざ、といわれていたのが、地質学上面白いことだ、と学者先生にはわかったらしいヨ」と、とぼけている。 
「どこかが、どうかなって、家鳴りになるって言ってたけどネ。それ聞いてから、気が随分と楽になってネ・・・」 
「すどまり百五十円、賄い付き三百円、米は必ず一合だよ、持ってこないと追いかえすよ」 「両神山も大変、手前の天理岳はダメだヨ。谷川岳以上に」 
両神山の上りにはサルオガセが谷からたちのぼる冷風に揺れ、キラキラと青白く広がる。まるで山姥が、破れ衣の袖をひろげて、おいで、おいで、をしているようだ。 
神秘な領域へ足をいれる興奮に、胸がふるえた。三十三年の夏。-- 
(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:大塚安子”上信越・山の怪奇ばなし”より)

*ところで今うちでも「家鳴り」が起きている。キッチンの食器棚が、何もしないのに不意に「かたかたかたかた」と、大きな音をたてるのだ。原因をつきつめれば「枯尾花」なのかもしれないが、それが起こるたびに、奇妙な感覚にとらわれる。

2002/12/21 
「八ヶ岳の犬隠し」 
--ローバ沢の上部に「マモノ沢」と註記された所があります。このあたり権現横手から上部は原生林で、マモノ沢の奥は昼なお暗い鬱蒼たる所で、樹下は火山弾の大石が重なり合い、踏めばふわりと足が沈みこむような何千年とも知れない苔に覆われています。猟仲間の言い伝えで、大昔から鹿を追った犬がここに入れば帰れない「犬隠し」という所だそうです。禁猟区となってからも、行動半径の大きい洋犬は下の猟区からここに鹿を追い込むことはしばしばですが、たいてい戻ってこれません。 
猟友平出藤春氏の猟犬ふじも、何回かここに入りこんだまま帰れませんでした。翌日現場まで
主人が迎えに行って連れ戻す以外にないのです。あるとき、私は平出氏とともに、ふじを連れ戻しに行ったところ、そこに迷いこんでいた黒毛の雑種犬に出会いました。この犬は何度追い払っても私についてきて離れませんので、「黒」と名づけてやがて病死するまで家で飼いました。 
マモノ沢の奥はただ原生林のうす暗い中で別に帰れないほどの危険性もなく、食べ物など全くない所です。犬の飼主も一度は、不思議だなア、と考えても度重なると、あそこはそうゆう所なのだ、と思うようになるらしいのです。実に不思議な場所です。信仰の山のなせるわざ、と言ったら笑われましょうか。--
(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:小林増巳”八ヶ岳マモノ沢の犬隠し”より) 
*この話しに続いて「魔留滝沢の犬隠れ」という話しが書かれている。”魔物沢”といい”魔留滝沢”といい、何か得体の知れない魔物のいる場所に聞こえる。魔留滝沢のほうは犬隠しではなく「犬隠れ」といい、犬が自ら入りこんで戻ってこない場所という。「私は父から、ここで犬が姿を消したら絶対に呼んではいけない、と言われており、またそのときは大火を焚いて、煙をたくさんあげることだとも言われていました。」氏は「四ツ」と呼んだ猟犬を見失ったとき、その通りにしてじっと待ったという。冬至の近い日のこと。日も暮れかかったころ遠吠えを聞く。呼子を吹くと、40~50メートル上方の大木の根元に「四ツ」は姿を見せたが、呼んではいけないという言いつけを守っているうちに、さらに上へと駆け上っていってしまった。それから一週間たって、魔留滝沢の現場に行くと、衰弱しきった「四ツ」がいた。背負って帰ったが、回復してからも以前の様子とは違い、物怖じし、猟犬として使い物にならなくなってしまったのだそうである。

「神隠し」 
--小赤沢の八十歳になるババも話に乗って来た。いつのことだったか、もう三年位はたったかもしれない、と前置きして話しはじめた。 
三つになる親戚の女の子が、どうしたのかいなくなった。なんぼ探してもいない。もうそれは大騒ぎで信越国境にまたがった秋山郷中手分けして探し歩いた。見付からない。 
一昼夜がたった。探し歩いていた誰かが叫んだ。 
「おーい、川の底で動いているのは、あれは猿か子供か」 
「おーい、川の底だぞ」 
秋山郷を右に左にえぐって中津川が流れる。小赤沢から遠からぬ100メートルもありそうな絶壁の底の中津川に、おかっぱ頭らしい子供姿。
川中の大石の上に雛人形のように坐っている模様。大人達は度肝をぬかした。 
到底聞こえるわけはない、と思っても、 
「そこ、動くなよー」と声のかぎり叫んだ。 
大人達は川底まで降りて行くのに、命がけで半日かけた。三つの子を背負って無我夢中で登ってきた親はもちろん、やっと歩くような子がどうしてあの底まで降りて行けたか。泣いていた様子もなく、一昼夜水でも飲んでいたのか、恐ろしくなかったのか。子供は忘れたように大人が持たせた菓子をもくもくと食べている。 
「羽が生えている天狗というものの仕業かねぇ」-- 
(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:大塚安子”上信越・山の怪奇ばなし”より)

2002/12/20 
「光りモノ」 
--寺尾を出て、国道の水名橋で三面川を渡って村上の方へ歩いていた。まだ朝日村の内である。道は下り坂。松並木の左手に墓地が続いている。時折自動車が走って来る。 
雨がジョボジョボ降っていた。 
七時頃だった。 
フッと自分の着ているジャンパーのポケットをまさぐった。自然に目線が上着のあたりにゆく。 
「アレ、なにか光っている。変だ」手で拭きとるようにさすってみる。目もこすってみる。光はとれる様子はない。相変わらず光っている。蛍光塗料を付けてきた覚えはない。そんな派手なジャンパーでもない。よく確かめると、どこ、と一点を指すのではなく、どこといわず光る。 
そのうち、いくらかあわててきて、ポケットに手を入れた用事の方はすっかり忘れて
しまった。蛍が体中に止まって光っているふうである。 
左手が墓地のせいだ、という思いが強くなる。もう夢中で急ぐ。どうも墓地の方は真っ暗で
光るものは何もない。 
道がぐっと右へ曲がった。当人も道なりに曲がった。 
ところが、気が気ではない光がパタッとなくなった。墓地は終わってなだらかな雑草地に
変わっている。 
「狐に化かされるってことはあるものか、と信じていたが、やはりこの世にあるのか」 
「いやいや、墓のせいか」 
「人魂が燃えるというのは、これかな」 
怖いもの見たさに、今歩いて来た方を振り返った。人が歩いてくる。キラキラ光っている。
自分では一向に気付いていない模様である。夜目にも黒っぽい上着の人物だった。 
「それで分かった」 
「あの墓地の横を二、三人で通ったとしたら、ホラ、遠くから見れば、狐の嫁入り、と言うんではないのかネ」 
「これはもしかすると瀬波温泉あたりの明かりが、10キロ離れたあの松並木に当たって、キラキラの光になって砕けるのかな」 
「雨が降らなければどうか」 
「標高のせいだとか」 
「墓は」 
「狐の毛皮はオラたちの背中にホカホカと乗っかってっから」 
「狐化かして捕まえるのは、オレたちの方だべ」 
「ハッハッハッハッ」-- 

*夜話のほうに「牛鬼」という怪異を書いたが、それに似ているように思う。科学的に説明がつくのかも
しれないが、奇異なことであることは確かだ。 

「苗場山の夜」 
--「ワシのジジが山には夜は行くなっ、とこんな話を語って聞かされたことがあった」 
信越国境秋山郷小赤沢のカカは、七十、八十の老人達を前に話しはじめた。 
ジジは魚をとることが好きで、暇をみつけては山の沢へ入って岩魚をよくとってきた。 
ある日、苗場山の沢の一つへ入って行って糸を垂れていた。どうしたのかちっとも魚がかからない。
周囲は深ぶかとした原始林。 
ジジはもう少し、もう少し、と欲をかいて腰を落ち着けていた。 
日が暮れてきた。沢の瀬の音が大きく感じられる。駄目だ。こんな日は今まであったことがない。
なんのせいか、妙な日だ。日の暮れが早過ぎる。やめだ、やめだ、と重い腰をあげた。たす(しなの木皮で編んだリュックサック)をしょって、ここまで来た道の方へ足を向けた。ところが、どうしたのか、かきわけて来た方角に千尺はあると思われる大滝がかかって、ドオーッ、ドオーッと波しぶきがあがっている。どうもこんな滝はこのあたりでは見たこともない。 
おかしい。ばかに瀬の音がすると聞いていたのは、これが正体だったのか。 
と、今坐っていた方を振り返る。と、どうだ、見上げるような大岩が立ちはだかり、見た覚えのない大松が一本、その岩の上にニョッコリ立っている。何度目をこすって見直しても間違いなく前の大滝と後ろの大岩は、自分に向かってのしかかって来る。 
「ワアーッ」と、ジジは叫んだ。 
「化かされたーッ」 
身のけがよだち、夏だというのにブルブル震えがくる。身がすっかりすくんで、動くにも動けない。
死んだようになって夜明けを待った。 
長い夜が明けて来る。鳥の声。 
なんという不思議。塞がれていたはずの道が、なんと、見えて来たのである。もつれる足を励まして、もう転がるように、その道に駆けいった。 
やっと小赤沢の尾根が見えてきた。みんな心配で屋外へ出て行方を話し合っていた。 
そこへ真青な顔で、よろけよろけ山道を降りてジジが帰ってきた。みんなの顔を見た途端、ジジはぺたりと坐りこんでしまった。 
ひと息ついてジジは、今遭遇してきたことを、くぎりくぎり話して聞かせた。 
「日が暮れてきたらいけない。山に化かされるぞい」としみじみと言った。

現実にそんなことがおこったことに腰の抜けるほど驚いた一同は、ジジの言葉に、皆おとなしくうなずいたそうである。三十二年の夏だった。--
*この本によると苗場山は怪異が多いようだ。(山村民俗の会「山の怪奇・百物語」エンタプライズ刊:大塚安子”上信越・山の怪奇ばなし”より)


by r_o_k | 2017-08-12 23:19 | 不思議 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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