百鬼夜話1-20

百鬼夜話(1989~2000)~学生時代からのメモ集でまったく他人に見せる気が無かったものです。個人ホームページ全盛期に「怪物図録」というやつとともにお遊びで載せました。webの情報量の少なかった時期ですし、権利云々も全く問題にされなかった時期故ひどい文章や今の感覚だとソース明記しないとダメなんじゃね的なものもあるかもしれませんが、ホームページからブログへの移行の一環として何にも考えず転載します。一部どこかで使ったかもしれないし、使われたかもしれませんがいずれ過去のことです。

(以下原文)

岡林リョウの怪談・怪話集です。昔から真偽に関わらずこの手の話しが好きで、小説よりも好きで、「絶対無いけども、ほんとかもしれない」というワクワク感がこうやって今も収集を続け、小出しにして、遂にネットにまで出させて頂くもとの原動力になっています。

いろいろな思いがあるのですが、それは本文の方に記載していきますので是非!!

では、夜の劇場へどうぞ・・・
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***
夜話0

「夜話」

山のガイドブックを見ていて、ふと思い出した話がある。

かなり前、山小屋に大部隊で泊まった夜。冬の極寒、夜半に寒さで何度も目覚めて、その何度目かに起こったできごと。

雪のため外界の音が遮断され、水を打った静けさの中にわずかな鼾や寝息、シュラフの衣擦れ…誰も起きていない中にひとりぼっちというシチュエーション。眠れないと翌日の行程に響く。困ったなあ、と何も見えない漆黒の虚空を見上げていると、「がさがさ」という音が、入り口の方、上がり縁あたりから聞こえた。動物か虫のようなものが入り込んできたような、低い位置からの物音だった。びくんとして息をひそめる。すると、上がったあたりから、がさ、がさと強い衣擦れが聞こえる。さらに続いて、

おい、おい

と、低くて聞き取りづらいが、切羽詰まったような声が響いてきたのだ。その日そこにいた誰ともつかない声だ。起こそうとしているようなのだ。入り口脇に寝ていた人は、しかし目覚めなかったようだ。闇の中の声は、隣に移って、少し大きな声になった。おい、おいよ。がさ、がさと2回、シュラフの肩のあたりを揺り動かすような音。目覚めない。ひとり、またひとりと、声は近づいてくる。おい、おい。…誰か、ここに来る前に、自分の番までにおきてくれ…祈るような気持ち、泥のような睡魔の前に、不意に薄れ、幸いなことに、声が来る前には寝てしまえたのだった。

あれは何だったのか。本当に人がいたのか。否、あの大雪の中、夜中に訪れる者などいるはずもない。

ただその晩、近くで凍死した登山者がいたと、後で知った。

(1997年8月記)

「狸火」

幼いころ。姉のひざの上で、暗い部屋の中にいた。姉は本を読んでいる。

目の前は障子、ぼうっと見ていると、黒い縦木と横木の十字路に、白い明かりがぼうっと見えてくる。いつもの、錯覚だ。

だが、次に見えたのは、障子と障子のわずかな合間から忍び入った小さな「火の玉」。音一つたてない静かな火。白っぽい橙色の陰火、何かの意志が感じられる、
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「生き物」だった。

こちらを見て、静止する。蝶の形をしていた。この形は紋白蝶だと思った。だが、見る間に形が変わっていった。いろいろな形をとったと思うが明確には記憶していない。

最後に、これが正体だ、と言わんばかりに…「人」の形になった。

ちいさな、火の人。それが決定的な恐怖を巻き起こす。私はぎゃっ、と騒いだ。火は消えた。電気が点き、瘴気が消え失せて、ますます証拠は残らず…姉には、蝶が舞い込んだだけなんだろう、と一笑された。雨戸は閉まっていたのに。

忘れていた。だが小学校高学年のとき、図書室で、水木しげるの妖怪の本を見た。その本の最後の絵に、愕然として思い出したのである。その絵は、人の手の形をした炎の絵だった。二本の手が宙をつかむように向かい合って形作る火の玉。あのときの火も、まったく同じ形をとったことを…思い出したのだ。

さらにのち、大学に入りたてのころ、水木しげるのエッセイを読んで、また思い出した。南方の人の、死んだ後、白い大きな蝶になるという話だった。

あれは誰だったのだろうか、と、今も思う。

(1997年8月記)

「夜の劇場」

英国往年の名指揮者サー・ジョン・バルビローリの名を、こんな本で見かけるとは思わなかった。J.A.ブルックス著「ロンドンのゴースト達」である。セント・マーティン・レーンのコロシアム座にはかつて、第一次大戦で戦死した士官が出たというが、今は見かけない。そのかわりに、サー・ジョンが…よりにもよって「出る」というのだ。例えばデビッド・ヒューズはプッチーニ「蝶々夫人」の舞台で唄っている最中、間近で、サー・ジョンのしわがれ声に“激励”されたのだそうだ。

バルビローリは確かにこの歌劇に情熱を注いでいたし、その録音は「手垢のついた世俗的な劇を、新鮮なアプローチによって高尚なものにリニューアルした」とかで、数ある中の名盤とされている。

急死した人間は死んだ事がわからずにさ迷うというが、穏やかに死んだ人間は雲散霧消してしまうのだろうか。とすれば、急死した方が得だとも考えられるし、残された者にとっても救いがある。

バルビローリは70年万博のさい来日してマーラーの巨人を振る事になっていたが、その直前に急死した。

最後に残されたのはディーリアスの世にも美しい「ブリッグの定期市」の録音、ライヴでは、バルビローリ自身が愛して止まなかったといわれる、英国の粋とも言うべき、エルガー交響曲第1番の実況録音。

- いずれ会いに行ければいいな、と思っている。
(1993記)
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***
第一夜、化物屋敷のこと

慶長(1596ー1615)のころ、現在の三重県北西部にあたる伊賀の国の、とある侍屋敷には、不思議なことが絶えなかった。

夕暮れ時、玄関の前を美しい女が、練の衣を貴人さながら頭にかぶり、するりと歩く。それは首が無くて、胴だけが歩くこともあったという。

又、昼の時分に台所の屋根の煙出し穴から、女と、大きな坊主が下を覗く。

又、やせ衰えた女が白帷子を身に纏い、髪を結わずに散らし広げたまま、四、五人連れで踊っていることもあった。

どれも理由は、さっぱりわからない。このようにいろいろとおそろしいことが起こるものだから、屋敷に住む者はなかった。この話しを伝える「諸国百物語」の書かれた元禄ごろには、そのようなこともなくなったというが、伝説だけが残り、住もうという者は未だいない、とされている。

故遠藤周作氏がはじめて幽霊に出遭ったのは熱海の東海道線沿い、崖上の一軒家でのこと。同業の三浦朱門氏と冬の夜小さな離れで床を並べて寝ていた。二方とも幽霊なぞ全く信じず、「この」後でも時々疑ってみることさえあるという。時は12時半を回り、二方は暫く話しをし、灯りを消した。枕元にスタンドと水差し、コップ。氏はうとうととしはじめた。

暫くして、誰かが右の耳にべったりと口を当てる感触がした。

「私は・・・ここで・・・死んだのです」

は、と目がさめた。氏は、イヤな夢を見た、と思い再び目を閉じた。程なくまどろみがやってきて、すると又、右の耳に口が張り付き、

「私は・・・ここで・・・死んだのです」

今度は恐怖を感じたが、ここで三浦氏を起こせば冷笑、嘲笑は免れないだろう。そう思った氏は我慢し再び目を閉じた。ウトウト、・・・とし、

再び口が・・・

「私は・・・ここで・・・」

氏は思わず叫んだ。三浦氏に向かって。

「起きてくれ、三浦。誰かが、気味の悪い声で囁くんだ」

「ほんとか」

「ほんとだ」

「俺は見たんだ、さっきから三回。俺とおまえの寝床の間に座って、セルを着た若い男で、うしろ姿だが。目を開けるたびに見えてんだ」

歯の根が合わない。逃げようという言葉もなかなか浮かんでこない。二人はじっと寝床にうつぶせになって身じろぎもしない。そして一分ほどたって、三浦氏の「逃げよう」という叫びと共に、二人は、この離れを這うようにして出た。庭木の根に吐いた。

氏の死後のインタビューで三浦氏はこのときのことを問われ、明確には覚えていず、何かがいたような気がしたくらいだった、とだけ語られている。少し温度差があるが、小説家だから多少は割り引いて読むべきかもしれない。

氏はこの時以来、幽霊屋敷というものに興味を持ち、暫く各所調べてまわったという。

いくつか泊まってみたものの、幽霊には出遭えなかったらしい。名古屋の旧中村遊郭の某楼の話しを最後に付け加えておこう。

その家はかねてから客の間で、どんな時計でも夜半の12時になると必ず止まってしまうということで噂に上っていた。それは戦後の12月終わりの雪降る日、そこの女に惚れた男が、女に高い時計を買う為に会社の金をつぎこんでしまった。ところが相手にされず、ひとり、自殺した。そういったイワク付きであった。女の剃刀で手首を切り、畳は血の海になった。その念が、時計を止めたのか。

氏はそこで夜をあかした。

はたして、時計は止まらなかった。

***
第二夜、化物屋敷のこと、その二

子供の頃、近所の廃屋を「お化け屋敷」と呼んで、悪ガキ仲間と探検した経験のある方は多いと思う。

今は小洒落た街として知られる東京は自由が丘、ここもつい10数年前までは住宅街のちょっとした繁華街にすぎなかった。駅前のドブにはタニシがいた。「マリ・クレール通り」と呼ばれているアベニュー(笑)も南口商店街だったし、横文字のビルだってもともとは「家具屋」とか「氷屋」といったものだった。マリ・クレール通り(今でもこの名前を使うことに気恥ずかしさを感じる)の真ん中を通る煉瓦の遊歩道は、もともと呑川と呼ばれるドブ川だった。本当は九品仏川といい、最近キナ臭い話題を振り撒いた古刹、九品仏浄真寺の裏手(墓場あたり)にあった大池から流れ出し、東京工業大学脇で本当の呑川に合流する。長さにしてせいぜい2、3キロの元用水路だ。

全て暗渠化されたのはそう昔の話しでもないが、初めは近所の人々によって草花が植えられ、木々もあり気持ちの良い土道であった。しかし駅近辺では次第に自転車やバイクの駐輪場と化してゆき、土は失われ、単なる中央分離帯、もしくは溜まり場のようになってしまった。その九品仏川は東急電鉄の線路で2回ほど分断されるが、一つ目は南口から真っ直ぐ進んで、歩道沿いを右手に行ったすぐのところである。自由が丘にはここ5、6年受験塾が矢次にできて、落ち着いた雰囲気はぶちこわしになってしまったが、その決定打となったのがこのあたりに数軒を構える早稲田塾だ。地元の古い設計事務所とマンションは、うろつく子供の群れに常に囲まれて、遅くまで耳触りの悪い大声が響きわたっている。向かいに店を構える、オープンテラスの先駆けだったイタリア料理店も、ついこのあいだに店を閉じてしまった。近くの他人の駐車場にはタバコの灯が明滅し、他人の住居の階段や路上には意味無く座り込む幼な顔の茶色髪が、コンビニのゴミを散らかしている。

今や通るのさえ躊躇われるそのあたりに、かつて「お化け屋敷」があった。今でも現存する不動産屋の社宅かなにかだったらしいが、私の物心がついたころには既に荒廃していて、十年以上も放っておかれていた。駅に至近のこの場所で、理由は何だかさっぱりわからない。だが小さな砂利道沿いに汚い木に覆われて、薄暗く不気味な匂いがし、子供は滅多に寄らなかった。壁の抜けた骨組みだけの建物の中に、白い便器が転がっていて、腐った畳が立っている。それだけでもう、何を見たとか何が起こったとかいう話しは特段無かったのにも関わらず、あれは「お化けが出る」のだ、という共通認識が、子供たちの間に広まっていた。

ひとりの子がいた。彼は、見たという。何を見たのか、といえば、その敷地に足を踏み入れてまもなく、太陽が色を変え、気持ちの悪い生き物のいる「空間」に移動してしまった、というのだ。気を失うかどうかして、気が付くと戻っていたのだ、と。幼い子供の言うことだから、半分嘘と考えて丁度良いものだが、その不気味な廃虚の佇まいは、日常空間と隔絶された、何か別世界のもののように思えて、疑う気も不思議と起こらなかった。

疑わなかったのは、私自身、「奇妙な世界」に踏み入れるという、おかしな経験をしていたからだ。が、それはまた別記しよう。

その廃屋へ、探検と称して何度も立ち入った。 しかし・・・余りの不気味さにいつも、太陽の色が変わるまで、 居続けることはできなかったのだった。

その廃屋のすぐ近くに、「お化け坂」もあった。舗装されていない狭い私道のようなもので、そこだけ急な坂道になっていて、両脇には人の気配の無い薄気味の悪い古い家や町工場の宿舎が立ち並んでいた。ここで白い服を着た女性らしき影が、夜中、決まって「下から上へ」登るときに、立つ、とされていた。みなこの坂を避けた。今でもこの坂は現存するが、舗装され、真新しいマンションに挟まれて、白い女も立つ隙がなくなってしまったようだ。

同じく近所のマンションの一室に、「ろくろ首」が出る、という噂もあった。何のいわれもなく、ただ、あの部屋が空いているのは、首の伸びる女の人のせいだ、とされていた。この部屋はしかし程なく入居者が入って、噂は無責任に消え去った。

私の生家の脇の母屋には、祖父母が住んでいた。昭和初期の木造で、大正時代の香りを残した趣のある建物だった。入り組んだ小さな部屋の奥に人一人やっと立てるくらいのデッド・ゾーンがあったり、玄関の脇に板で仕切られた狭い書庫があって、奥に抜けると何故か風呂場に突きあたったり、菱形のきゃしゃな木枠にとり付けられた硝子窓、ねじ式の裸電球や戸締まり用の真鍮のねじ廻しなどなど・・・狭い敷地の中に井戸や離れもあって、離れの壁には大きな曾祖父の写真が掲げられていた。夜は近寄るのが怖かった。床は抜けるほどにぎしぎしときしみ、屋根も痛んでいた。祖父の死より数年後、老朽化のため取り壊しになったのだが、狭い縁側のうららかな陽を今でも思い出す。ハンミョウの飛ぶ陽炎の日を、思い出す。

そこは私にとって・・・祖父が亡くなり、誰もいなくなったガランドウの”木組み”になったあとは・・・お化け屋敷、となった。はっきり何かを見たわけではないのだが、誰も居ない母屋へと繋がる、暗い廊下のつきあたりを見るたびに、もう中学生であったにもかかわらず、足の震えが止まらなかったのを覚えている。昼なお暗い中、仕切りの扉は異世界への入口のように映った。誰もいない留守の晩には決まって、何か二本足のモノがあるく音がしたり、ぼそぼそと小さな声が聞こえてきたり、した。日々が過ぎヒトケが失せてゆくに連れそれは高まっていったように思う。亡くなった祖父は晩年足が衰えた為に独特の歩き方をしていた。だがそんな足音ではなかった。しかも喉をやられていたから、喋るわけも無い。何か外からやってきた別のモノが、住み処にしているのではないか、そのように思われて、恐ろしくも有り、またなんとも奇妙な心地がしたものだ。母屋には神棚があった。空虚な畳部屋に掛かる神棚は、わけあってある新興宗教の供え物に侵食されていたのだが、今おもえば、それも作用していたのかもしれない。

お化け屋敷。・・・良く考えてみれば、狭い生家のほうも、結構なお化け屋敷だった。頭をなでたり、私の体から心だけを追い出してみたり(今思うと怖い)、部屋を揺らしたり、人形が跳ねたり、子供の影が走ったり、窓から入った人影が、ぐるぐると部屋の中を飛び回って、何もせずに飛び去ったり、何故か白布が垂れたり、白壁に小さな血痕が散ったり、巨大な影だけが立ちはだかったり、かとおもえばせせこましく蹲っていたり、ブロック塀に顔が浮いたり(嫌なので毎日軟球をぶつけていた。でも晴れても晴れてもしつこく浮き出てきた)・・・幼い頃よりいろいろとおかしなものが見えて、恐ろしくも、楽しかった。私の生家の鬼門(北東)は寝室になっていたのだが、そこから廊下経由で扉を潜り、 母屋に入ったすぐ右脇が、玄関になっていた。母屋と生家が別々の生活圏であったころは、玄関は母屋のもので、生家の出入口は西向きの勝手口しかなかった。母屋の方は細長い形をしていたから、それ単独では、単に東側に玄関があったに過ぎない。・・・やがて廃屋になった母屋と生家が、生活圏としてつながり、玄関は母屋のほうに統一されることになった。

その時点で、生家の玄関は「鬼門」になったのだった。

さらにそのあたりが、江戸時代、「仏山」と呼ばれる墓場だったことも、もう大分後に、聞いた。

もうひとつ。

・・・屋根裏に、猫が干からびていた。

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第三夜、化物屋敷のこと、その三

元和(1615ー24)はじめのころ、浅草の観音堂に化け物が出ると話題になったことがあった。江府御鷹匠において豪胆なる士が居り、「わしが行って見てこよう」と言う。人々は良くないことだと止めるが、意地を張ってその日の暮れには馬にて堂へと向かう。下人たちには明日の早朝来いと言い含めてひとり堂で夜を明かすことになった男、亥の刻(午後9時)と思われる頃に、金棒を突いた二人の夜回りらしき者に見咎められる。俗人が入るのは固く禁じられている、すぐに出よ、と言うから、観音様に宿願があってこもり居るのだ、何とぞ許してくれ、と答える。「ひらに」と言って表に出ると、二人は掻き消すように消えてしまった。さては化け物か、と思い居ると、夜半頃、僧従五、六十人が十余りの提灯に火を燈して、葬式の儀式をしようとやって来る。厳かに現れると士を見て言う。「俗人は法度也。すぐに去れ」どう言い返しても、僧従聞く耳を持たない。男は仕方なく、黙って堪える。するとこれも掻き消えてしまう。

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(現在の浅草観音堂(戦後再建))

やっと夜が明け、七つ頃になると、十六、七ばかりの小僧、後門から内陣に入る。輪灯に火をともして礼拝する。男はそれを見守るうちに、小僧、あるいは面長くなり短くなり、あるいは顔色赤く又白く、背は高くなり天井低く、身幅広くして堂内狭しと成る。しかし士はこれに少しも臆せず、刀の柄をぐっと握り化け物の面を睨み付ける。すると化け物は三度消え失せる。さすがに乱れる心をとりなおしているうちに、鶏が鳴き、追って鐘の音が響く。東雲も明けゆく空となったので、迎えの下人たちが来るだろうと待っていると、馬を引いて唯一人の者がやって来る。「残りの者は」と問うと、下人の言うには皆すぐに来るだろう、とのこと。「某はお身の上が心配で、急いで御馬にて参りました」そうして士がまず馬に乗ると、下人は「昨晩変わったことが起こりましたか」と問い掛ける。「まさに起こったとも。化け物は三度来たが、二度は何とも思わなかった。三度目に小僧が来たとき、面構えをいろいろ変えたのには、おもしろいがさすがに気味が悪かったことよ」士がそう言うと馬取り、「その様子はこんなではなかったですか」と言う。見ればあの恐ろしい小僧の面に違いない。さてはこれも化け物かと腰の刀に手をかけると、馬も変化であったから、跳ね飛ばされてまっさかさまに落ちた。その時さて騙されたと思うと心乱れた、と後に語ったということである。後で約束の下人が迎えに来てみると、士が気絶していたので、薬などを与えて介抱して帰ったのである。その無様が語り広がって、無念と思ったのだろう、士はお暇申し行方知れず出ていった。

荻田安静は「宿直草」でこの逸話を伝え、評して「恐れるべきものを恐れないのは誉めるに値しない」と記している。このようなありがちな説話も、場所が現存する相当の有名なお寺で、しかも何故出て、何故出なくなったのか、はっきりしていないところはいかにも江戸の怪談といったところで面白い。

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(江戸時代の境内、浅草寺はその創建当初から幾度と無く災難に見舞われたが、この図も前記の話しより後の時代の風景となっている。このあたり江戸頃は浅芽ケ原といって、寂しい草原の中にあった。遠い平安の世には鬼女伝説があったが、二本松の安達が原を初め同様の伝説は無数にある。近くの寺には旅人を殺害するのに使われたという石枕が保存されている。

いずれ江戸もまだ初期では、このあたりうら寂しい雰囲気であったから、化け物の付け入る隙も多かったのだろう。今は無理だ。)


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第四夜、化物屋敷のこと、その四

京都の山奥の寺。高校受験を控えた中学生三人が、勉強疲れの憂さを晴らしに奈良からやってきた。なぜそこを選らんだのかといえば、旅賃・泊賃が安いという唯それだけ。朝六時に家を発ち、着いたのが夕方。三人ともひどく疲れ、夕食もとらず寝る。部屋は住職に案内された十八畳敷の大部屋。三人は固まるようにして眠りについた。午前三時ごろ、ひとりが目を覚ます。便所に行きたいが怖い。そこでもうひとりを起こし、二人で部屋を出た。便所まで百メートルくらい、其の途中、付き合わされた方は、幾度と無く猫ほどの小動物が素早く足元を走り抜けたように感じ、そのたびに背筋に寒いものが走った。が、もう一人は便所を堪えて気付かない様子。便所に着き、一人は用を足す後ろでじっと待つ。ところが用を足してもその御仁、動こうともしない。不審に思ったもう一人、早く戻ろうと声をかける。すると用を足した方、声を急に潜めて、

「誰かに見られている」

驚いたのは待っている方、そう言われてみればという気にもなる。胸に言いようの無い恐怖感が募って来る。背中のうしろに何か居るような気がして来る。二人は暫く突っ立っていたが、意を決し、掛け声と共に一緒に振り返ることにする。

「サン、ニイ、イチ、ゼロッ」

・・・そこには、赤いちゃんちゃんこを着た男と、その手を握って泣いている若い女がいて、じっとこちらを睨み居る。其の後ろには一人の幼な子が、

血だらけの飯を口に入れている。

ぎゃー、と二人仲良く便所を飛び出し、部屋に駆け戻ると、残る一人も叩き起こして、かくかくしかじか事の事情を説明する。そうして三人、住職の部屋に行くことにして、再び廊下に出る。が、住職は部屋にいない。どこにも見当たらない。恐怖は益々つのってくる。幽霊の居る寺なんてもう一分たりとも居たくはない、ということで、三人は急ぎ荷物を纏めると、先を争い寺を出る。暗い山道転げるように走り行き、ようよう駅に着いたのは朝の五時。とりあえず荷をおろし、ハタと気が付く。住職は寺には住まず別宅から通っているんじゃないか。電話帳を見る。やはり、と早朝の電話、ようやく出た住職はしばし黙し、やがて口をひらく。

十年前のこと。当時の住職が用事で少しばかり寺を留守にしていたとき、強盗が押し入り、奥さんと幼児を惨殺。用事を終えた住職が帰り来ると、そこには息絶えた妻子が倒れていた。

食事中であったのだろう、茶碗や箸が血まみれとなって散っている。住職は忘我のままに首を吊ってしまった。その恨みが残っていたのだろう。三人は恐怖のうちに寺を後にした。

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第五夜、化物屋敷のこと、その五

奥州小松(山形)の小松城、留守居番をする侍が居た。その妻ある晩雪隠へ向かうところ、むこうから、歯黒黒々と付けた女の首がひとつ、飛び来て、妻を見て、にこにこと笑う。妻は恐ろしがったが、このような物にニラみ負けると悪いと聞いていたので、目を見開き、睨み付けていると、かの首睨み負けて、次第々々に遠ざかり、遂に消え失せてしまった、と。妻は嬉しく思い、厠から出て寝間に返ったところ灯りが消えていた。次の間へ行ったが、そこもともし火が消え暗い。妻、気をとり失って倒れ臥した。夫、他から帰って妻を呼ぶが、気絶して音もたてない。見つけて後人々驚き気付けなどを与えたところ、ようよう息を吹き返した。事の様子を尋ねたところ、上のようなこと。その後かの厠も場所を変え立て直したところ、それ以上の変事は起こらなかった、という。

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第六夜、異界の者たち

江戸の初めの頃の話。伊勢の津に切支丹の信者がいた。江戸から命令が来て、逆さ吊りにして処刑されてしまった。その後津は乙部というところで火葬にしたが、二、三日あとの夕暮れ時に侍が二、三人連れで古河のあたりを通った。美麗の女がかづきを着、下女に袋を持たせて擦れ違った。侍たちはこれを見て不思議に思った。このような貴人は伊勢では余り見慣れない。何処から来たのだろう、とこっそり跡をつけだした。するとこの女、乙部の方へ向かう。そしてあの切支丹を焼いた、穴の側へ行くと、ひたすら骨を拾っている。すると又、どこからともなく下女を連れた女たちが二、三人やって来て、同じように骨を拾っている。

暫くそうしているうちに、女たちはポンと消え失せた。

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第七夜、朝の亡霊

もう起きなきゃならないのに、何だコイツ。

取調室のようなところにいて、こちらは刑事のように、ぶすりと座っている。

相手は若い?女性だ。俯きかげんで、ぴくりとも動かない。細面で頬はこけ、黒々とした髪は長く、ひどくうなだれるようでじつは真っ直ぐにこちらを見ている目玉は、中に埋もれて辛気な景色だ。石膏像のように無機質な顔形が印象的で、ああ、能面みたいだな、と思っていた。

退屈だった。女は自分のことをえんえんと語っている。薄い唇を僅かに震わせながら、北風のような声で囁いている。でも内容はよくわからない。支離滅裂ではないが、少なくとも興味のない話し。辛気臭い。

灰色の室内にわずかな灯りが灯り、少しずつ白みかけた小窓の外は、爽やかで澄んだ空気をたたえている。もう起きなきゃならないのに。

でね。

でね、という言葉だけが、妙に耳につく。でねの多い語り部だ。私は椅子をぎしぎしと揺らそうとするけども、立つことはできない。何故かその場を離れない。ぼそぼそ、ぼそぼそと話しは続いた。

そのうち、窓から一条の光が射した。

・・・ほんとうの窓からも、一条の光が射した。

私は目覚めた。

壁を背に横向きに寝ていた。目覚ましも無しに覚めるのは久しぶりだ。気持ちの良い天気を期待して、カーテンに手を伸ばした瞬間、雀の声とオーヴァーラップして、背後から・・・壁から、変な声がするのに気付いた。

ぼそぼそ、ぼそぼそ。

正確には気付いたのではない。

「続いていた」のだ。

振り向きざま、ぎくりとした。いきなり壁の、私の頭と同じ位置に、同じく横向きに、「顔」があった。

石膏のように白い顔が、壁から産まれ出たかのように、ぷくりと盛り上がって、細い口元を、ぱくぱく、ぱくぱくとさせながら、言ったのである。

・・・でね。

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(すぐに消えた。爽やかな朝に、何ちゅう奴だ、と思った。それきり二度と出なかったが、「コイツに言ったってしようがない」とでも思ったのだろう。)

・・・

曰く因縁などどうでもよい。そんな感じがあって、余程身近な人に関することでない限りは、原因を調べるようなことはしない。大抵は勝手に来たものだし、出てこられても「何じゃそりゃ」で終わる場合が多くて、すぐに忘れてしまう(じつは今朝もあったのだけれど、風邪の腹痛と共に忘れてしまった)。見る人間には共通の感覚だと思うのだけれど、それほど感情移入無しに冷静に見てしまうから、人に語るとき、虫か何かの「観察日記」のようになってしまう。

恐怖噺としては面白くならないのだ。

ただ私個人として「面白がる」感覚というのがある。常人には理解し難いその存在の「突飛さ」に惹かれる。たぶん他にもそういう方はいるだろう、という気持ちで、ただ漠然と「起きたこと」を書いて行こうとしている。そう、本来日本の怪話録というのはオチも何も無い噂話のようなものが多いのだから、許されることだろう。

モデルは根岸某の「耳袋」か。


*ちなみに本編、昔学生時代に日記として書いていたものをベースに作成しています。文章力の至らなさはつくずく実感しておりますが、何とぞご容赦を・・・

***
第八夜、いやだ


大きな木があって、うしろに洋館が見えた。

青年は何か惹かれるものを感じた。緑色のとんがり屋根に風見鶏、木造の壁は白いペンキが所々剥げてはいるものの、窓ガラスも綺麗で、人の住んでいる気配はあった。庭は少し雑草が生えているが芝生で、子供用のちいさなブランコがある。こんなお屋敷に住んでいるなんて、どんな家族なんだろう。避暑地の夏、捕虫網片手に迷いこんだ山中でのできごとであった。

おにいちゃん

足元から声がして、ぎくりと後ずさった。気が付かなかった。虫かご片手の男の子が居た。くりくりとした目でこちらを見上げている。

どこいくの。

まだ5、6才くらいだろう。白いシャツには染みひとつなく、サスペンダーに吊られたカーキ色のズボンもお洒落だった。インディゴブルーの靴も、真新しかった。

この家の子?

それには答えずに、子供はにこりと笑うと手を伸ばした。

虫取りにきたんでしょ。いい場所知ってるんだ。

困惑した。でも、それほど急ぐわけでもなし、ちょっと子供の相手でもして、そのあと電話を借りることくらいはできるだろう。案外「秘密の木」を知っていて、目当てのオオクワガタを手に入れられたりして。そんな下心もあり、青年は子供の手をとった。冷たい汗に、湿った手だった。

・・・

驚きだった。天才じゃなかろうか。さもなくば、ここは実はどこぞの業者の養殖場か何かで、怒られるんじゃないか?子供は雑木林の中をまるで草原を歩くようにさっさと進み、

ここ。

ここ。

指差す木の根元を探ると、紛れも無いオオクワガタの黒光りする巨体が、ごろごろ転げ出すのである。どれも、店におろせば数万にはなるだろう。結構な大物がいるのだ。5、6匹も取れた時点で、ふと不思議に思う。子供は指差すばかりで、自分では取ろうとしないのだ。

君は捕まえないの?

子供はニコニコして、言った。

これがいるから、ぼくはいいんだ。

掲げ出す虫かごを見ると、驚いた。大物だった。10センチ?こんな馬鹿でかい代物を見るなんて、しかも野生とは、初めてだ。

すごいね。

思わず手が伸びた。

あげないよ!

子供は後ろを向いてしまった。ははは、と笑った。そんな悪い気は無い。・・・でも手に取ってしまったら気が変わってしまうかもしれない。止めておいた。

・・・そろそろ引き上げようか。

子供はさらに奥へ入っていこうとする。でも汽車の時間もあるし、10匹も取れたら十分だ。青年は肩を制して言った。

もう帰らなきゃ、ほんとにありがとう。

左のポケットから飴玉を出した。が、少し溶けていたせいか子供は受け取らずに、

うん。

と、寂しげな顔をして振り向いた。

ところで、おうちの人はいるの?

・・・

とりあえず帰ろう。おかあさんが心配するよ。

・・・いやだ。

え?

いやだ!

子供は青年の袖を掴むと、引っ張った。物凄い力によろけ、飴玉が落ちた。子供はさらに奥を指差して、

まだいっぱいいるよ!

と叫んだ。鬼気迫るという言葉を子供に使うのは気がひける。でもそんな感じだった。余りの唐突さに驚いて、振りほどく。思わず大声が出た。

帰らなきゃ、駄目だ!

・・・

青年は後悔した。泣くな、これは。それに、それほど奥へ入ったわけでもなし、道もわかる。別に子供を置いていったって良いのだ。

ところが違っていた。

・・・嫌だあっ!

殴り掛かってきたのだ。慌てて掴んだ子供の腕。振り立てたちいさな袖先から、洗い立てのシャツの匂いがする。こんなに汗をかいているのに、汗の臭いがしない。じめっとした感触は汗には違いないが、妙に冷たい。

なぜそんなことをするのか自分でも良くわからないが、子供を抱え上げると、もがく体をずっ、ずっと引きずり出した。

帰るんだ!

いやだ、いやだ

いいから!

いやだ、いやだ

いやだ、いやだ

ずっ、ずっ・・・

・・・

程なくあの洋館の真ん前に出た。思いのほか近かった。青年は逃げようとする子供を羽交い締めにして叫んだ。

どなたかいらっしゃいませんか!

遠く木霊が聞こえる。

イヤダ、イヤダ、イヤダ・・・

子供の声は心なしかちいさく弱々しくなっていた。青年は瀟洒な玄関に向かった。そして気が付いた。ことのほか汚れた扉の郵便受けに、たくさんの郵便物が溜まっている。色褪せた新聞が、山積みになっている。・・・どう見ても、「空き家」だとしか思えない。勘違いだった。

ここの子じゃないのか?それなら何でこんなに嫌がる?

真鍮のノブに手をかけると、かちゃり、と動いた。開いている。

戸を引くと、異様な匂いが飛び出してきた。

うっ、と屈んだすきにするりと抜け出して、たた、と走り去る子供。

いやだ・・・

一言残して、森の奥へと消えてしまった。

青年は子供のことより匂いの原因に注意が向いていた。ぎしり、ぎしりと軋む木の床は、今にも抜け落ちそうで、歩くたびに埃が舞い上がる。何かに取り憑かれたように奥へと向かった。玄関から土足のまま、廊下を進んで、一番奥の居間らしきところへと向かっていた。

居間の入口に近寄るに連れ、卵の腐ったような匂いが堪らなく強まってきた。さらに、うわんという音と共に雲霞の如く小蝿が飛び出してきて、身をすくめ右手の窓を開けようとするが、あかない。とりあえず何があるのかだけ確かめて、すぐに出よう。青年は蝿の中を走り入口をくぐった。

腐れ木のようなものが折り重なっていた。無数の金蝿がたかっている。

紐のような物が2本、欄干から下がっている。

紐はいずれも腐れ落ちて、その片割れが、

腐れ木のようなものに繋がっていた。

悪臭に頭がくらくらする。でも何なんだろう。ぐちゃぐちゃしたヘドロのような塊を前に立ちすくむ青年。その目が、あるものをとらえた。

死んだクワガタ虫だった。

見たこともない大きさのクワガタ虫

・・・いや・・・みたことはある。

虫の亡骸を包み込むようにして、細い枯れ枝のようなものが絡み付いている。

子供の腕・・・

ということに気付いた瞬間、目の前のわけのわからないものが何なのか、撚れ紐をほどくように、わかった。

3体の死骸が腐りきり、混ざり合った姿だった。男、女、そしてその下に・・・子供。

・・・そうとしか見えなかった・・・

青年はそれからどうしたのか、覚えていない。何とか森を抜け山を降り、街へ帰り着いていた。早々に電車に飛び乗った。クワガタは全部捨てた。

後に山中の洋館で心中事件があったという話しを聞いたが、大分に昔の話しだという。洋館自体も一目で分かるほどの完全な廃虚で、人が住んでいると勘違いするような形ではないそうだが、二度と行く気はしない、とのことだ。

(このできすぎた話しは私自身の話しではない。如何にも怪談めいた話しというのは私は疑いを持つが、判断は読者にお任せする。)

***
第八夜、人魂の事
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ある人が葛西に釣りをしに出かけたが、釣り竿その他へおびただしい数の蚋が集まってたまらなかった。そばにいた老人が言うには、このあたりに人魂が落ちたのだろう、だから蚋が多く集まるのだ、と。それを聞いたまたまたある人、たまたま暗いうちに釣りをしていたときに、人魂が飛び来るのに出くわした。そして近くの草叢の中に落ちた。どんなものが落ちたのかしら、と其の場所へ行き草ぐさを掻き分けて見ると、泡立ったものがあり、臭気もするが、やがて蚋と化して飛び散ってしまった。「老人の言うことに偽りはなかった」と後に語ったという。江戸のころのはなし。

***
第十夜、ウグメ

三宅島には七ツ山と呼ばれる場所がある。その名にはいわれがある。ある晩、七つになる子供が泣き出し、いつまでたっても泣き止まない。親は怒って、こらしめのために、外に出して戸を閉めてしまった。

ウエエン、ウエエン・・・

しばらくたって、泣き声がきこえなくなったので、もう よかろうと外に出てみると、子供の姿が見えない。近所を探してもいない。半鐘が鳴り、村中の騒ぎとなった。しかし、夜のうちには遂に見つからなかった。

”ウグメ”のしわざだ・・・

誰からともなくこうささやかれるようになっていた。”ウグメ”とは何なのか、誰も知らない。しかし、ともかく恐ろしい妖怪であるということは、誰もが知っていた。

そうだ、”ウグメ”に違いない。

昼頃。変わり果てた子供の体が見つかった。手や足がもぎれ、体はバラバラになり各々別の場所でみつかった。上顎のみつかった所がウアゴツソウ、腰のみつかった場所が「下腰」、股のみつかった場所が「股が平」という地名になって、今にも残っている。

”ウグメ”に食われたのだ・・・

そうだ、”ウグメ”だ・・・

”ウグメ”・・・

***
第十一夜、幽霊を煮て喰いし事

文化2年の秋のこと。四ツ谷の者、夜半に用事があり歩き行く道中、白い装束をした者が先に立って行くので、よく見てみると、腰から下は見えない。すわ幽霊か、と跡をつけていくと、ふっとふりかえる、その顔、中央に大きく光る眼が一つのみ。すかさず抜打ち、幽霊はきゃっと言って倒れた。取り押さえとどめをさすと、それは大きな”ごい鷺”。そうして鷺をかつぎ帰り、若い友を集めて調理し食べてしまった。これを「幽霊を煮て喰いし話」として、もっぱら巷で評判となっている、という。

***
第十二夜、青い人

筑波を去る直前の話。夕方の話しだ。

いつも通る道。自転車で走っていると、立ち木のかげに

半透明の「何か」が立っている。

色は、この世のものとも思えぬ綺麗な青。すきとおるようなコバルトブルー。それが光り輝く。夕陽に反射するように。人の形は、している。だが、気配は・・・何か、まったくちがうもののような、奇妙としか言いようのないもの。それが、じっと立っている。人の形をした青い光の塊。近付くと消えた。パッ、と。

次の日の夕方にも、いた。そして、消える。

その次の日も。

そして、私は筑波を去った。

「あれ」は、どうしているだろう。

***
第十三夜、はねる花嫁
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夜も遅くなり、帰り道を急いでいると、広い通りに突き当たった。昼間は車で混む道だが、今はしずかだ。渡ろうとすると、むこうのほうからこちらへ向かってくるものがある。白い大きなレースの布切れが、妙に緩慢なうごきをしながら、ポーン、ポーンと跳ねつつ、こちらへ向かって来る。不思議に思い目を凝らすと、それはうつろな目をした女性で、足を動かしているふうでもなく、ボロボロの白いドレスを宙にはためかせながら、はねているのだ。ドレスは大きい。ウェディングドレスだ、と気づいた瞬間、背に寒いものが走る。ゆっくりと近づく花嫁は、こちらを無視しているふうだが、その動きと、異常なシチュエイションが、この世のものでないことを悟らせた。私は逃げた。こんなものを見たのはそれっきりである。

***
第十四夜、骨壷
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埼玉は深谷にある正法寺での話。檀家の子供が亡くなり、妙定尼と妙寵尼という二人の尼僧が、骨壷を祭壇に安置し、経をあげはじめた。すると、コトリ、と音がする。妙定尼は祭壇の一点を見て、思わず声をあげそうになった。

骨壷の蓋があき、そのなかから、3歳ほどのオカッパ頭で目のはっきりとした小児が現れた。そして、二人の尼僧のまわりを、泣き声をあげて走りだしたのだ。泣き声は堂内にひびきわたり、住職や他の男僧が駆けつけたほどであった。

檀家に問い合わせても、心当たりが無い。寺では経をあげ、ねんごろに供養した。同寺では白装束の老婆や女性が出没し、裏の、元本堂があった林は、近所では昔から幽霊が出ると評判であったという。

***
第十五夜、鍵

新しく借りたアパートは、5部屋の並びすべてが空き室だった。扉の番号を確かめると、大家から渡された鍵を差す。ところが、どうやっても入らない。合わないのだ。大家の間違いかもしれない。ふとどの部屋の鍵と間違ったのか気になった。どうせ空き部屋だから、と左の端から差していく。だが合わない。最後の右端の扉に鍵を差す。すると、かちゃり、と音がして、開いた感触があった。

だが何か開けるのがためらわれて、締め直すと大家のところへ向かった。

大家は怪訝な顔をした。間違っていないというのだ。押し問答の挙げ句、大家とともに部屋へ向かった。大家がさきほどの鍵を、借りた筈の部屋の扉に差し込んだ。はたして扉は開いた。ぶつくさ言う大家を尻目に、首をかしげて部屋に入り、引っ越しをはじめた。

手伝いの友人たちを送った後、部屋に戻って鍵を差す。すると、また合わない。もう夜になっていて、洒落にならない。曲がっているのか、扉のほうが壊れているのか。大家のうちに行く。すると先ほどにも増して不機嫌な顔の大家は、スペアキーを投げ渡してきた。2本の鍵を手に、アパートへ戻る。自室の扉にスペアの方を差してみる。

だが、開かない。奥までも入らない。

「・・・」

何かが聞こえたような気がした。ふと昼間開いた気がした右端の部屋に行ってみる。なんだかわからないが、大家の意地悪かもしれない。これで開いたら、開け放したまま呼んでこよう。

かちゃり。

・・・開いた。ノブを握る。右一杯捻ると、たしかに開く感触があった。

「・・・」

何か聞こえる。扉の向こう?

ぞっとした。ノブから手を放すと、開けずにそのまま、大家の家に向かおうとした。

「・・・こっちよ」

背後から、確かに声がした。

振り向くと、

扉が、ぎい、と開いた。

中から青白い手が、ぬるりと突き出し、

手招きをした。そして

隙間の暗がりから、

「こっちで、いいのよ・・・」

という声が、呟くように聞こえたのだ。

ぎゃっ、と叫んで逃げ出した。

遠目に振り返ると、アパートの前に、地味な服装の女が立っていた。じっと、見ている・・・

翌日すぐに解約した。安い部屋などろくなことはない。不動産屋を入れないから安いのだと思っていたが、違った。そのアパートで、夫に逃げられた中年女性の自殺があったということを、あとで知った。
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(こんな話しを書いていると寄ってくるのだ。・・・今、左肩に手をかけている!さっきも隣の小部屋でがさがさ音をたてていた。さすがにコワイ。)

ちなみに私の体験ではないので念のため。。

***
第十六夜、死人坊
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能登では、人の死ぬ2、3日前には死人坊というモノが通るといわれる。檀那寺へお礼参りに行く姿だそうだ。これは死んだ後ではない。生き霊、とでも言おうか。死の直前に魂だけが遊離する。アノ世への旅路の準備をしに、家へ帰るのではないか、とも思う。

私の祖父が亡くなる2、3日前のこと。連夜祖父に付きっきりの両親を待って、夕刻姉と二人家にいた。外は曇りどんよりとしている。

チリン。

ふと、勝手口へ向かう表木戸の鈴が鳴った。誰か帰ってきたのかな、と姉に言う。しかし姉は聞こえなかったようだ。誰だろう、と思って待てど、勝手口は閉ざされたまま開く気配すらない。気のせいか・・・と思ったとき、

ガタン。

母屋の、閉じられた木の雨戸が、大きく鳴ったのだ。まるで表から思い切り開けはなったような、力強い音だった。姉も気付いた。思わず外へ出て、母屋のほうを見た。雨戸は閉まっている。降りしきる雨の中、景色は灰色に歪んだまま停まっていた。

その翌日あたりから祖父は急激にボケはじめ、最早正気の感覚はいずこかへ去ってしまったかのようだった。タオルを指差し、取って持ち寄ると怒って戻せと身振りする。おとつい辺りまでの祖父は、もしかしたら昨日のうちに母屋へ帰って行ってしまい、病院にいるのは抜け殻なのかもしれぬ、と家で思う間に連絡が来て、いってしまったと、知れた。

***
第十七夜、向こうへ行け

(1993記)

最近気配は感じるものの決定的なことがなく、平穏に大阪出張の日々を過ごしていたが、ホテルでのある晩、久方ぶりに例の、寝入りばなに起きる、金縛りがあった。疲れが溜まっていたせいか、とも思ったが、何か異様な気配を感じたのと、昔ツクバでよくあった、「現実と微妙にズレた次元」に連れて行かれるような感覚、「舌打ち」(舌はさすがに動く為、その音で或る程度”覚醒”あるいは”撃退”できる)などして無理矢理「悪夢の次元」から目を覚まそうとせざるをえない、といった状況、つまり、結構「強い」体験だったので、気に掛かっていた。

横を向いて寝ていて、肩をガクガク揺り動かされる、という程度の現象だったのだが、近頃「肩甲骨センサー」(私は何かしら「凶凶しいもモノ」が近づくと、肩甲骨の下から中に手を差し入れられて、ぐいっと持ち上げられるような、気味の悪い肩凝りに襲われることが多い)が頻繁に反応していたのと、その日会社から戻るとき、辻の神様の前でふと、「女性のようなもの」がついてきた感覚があったのが、気になっていた。

そこで、「見よう」としてみた。怖いので余りやらないのだが、そのときは本当に久しぶりだったのと、自分自身のテンションが「強い」方にあって余裕があったので、やってみた。

・・・壁の隅に、白い服を着た女性のシルエットが、浮かんできた。・・・

「き、気のせいだよな。」

中断した。単なる幻覚だろう。そうに違いない。

目を閉じて毛布をひっかぶった。すると程なく深い眠りに落ち、それ以上の何もなく、ぐっすり眠ることが出来た・・・但し、「うつぶせ」で。

(こうするとある程度は”防御”して眠れる)

翌々日の昼間、同宿の同僚と話しをしていて、余りに欠伸をするので聞くと、昨晩、眠れなかったとのことだった。

理由を尋ねた。

彼は豪胆な男で、全く霊のようなものを信じなかったのだが、何と、昨晩に生まれてはじめてそれらしきものに遭って、大変怖い想いをして、それで眠れなかったのだ、という。

夜中の一時過ぎ、廊下で女のすすり泣く声がした。すると突然風呂場のバスタオルが、大きな音をたてて、

ばたん!

と落ちた。泣き声はその後も断続的に続く。得体の知れぬ雰囲気に、結局一睡もできなかったという。

・・・ふと、その前の晩に遭ったコトを思い出した。そう、その前の晩、自分にもあった。そしてそのとき、頭に浮かんだことがあった。そういえばあの時、心の中で、こう思ったのだ。

「女のことなら、俺より○○のところへ行けよ」

”彼女”は律義にも、翌晩彼のところへ行ったのだ。私は気のせいだ、と思っていたので、彼の話しは衝撃だった。

彼には、怒られた。

***
第十八夜、海坊主または浜の住人

(1997記)

西表、中野浜。「A荘」のおばあが、夕方海辺で海草を洗っていると、いつもと違う気配がした。沖の方を見ると、足の立たぬはずの沖に、腰くらいまで水に浸かった男がすっと立っていて、空虚な静けさをもってこちらを見つめている。髪がカッと立っていて、この世ならぬ悪意が感じられ、恐れて浜を離れた。こんなことは90年来生まれて初めて、このとききりらしい。鳩間に向かうこの海を見ながら窓を全開にして寝た夜、知らぬ影が朝までつきまとったことがあったのを、ふと思い出した。今年は首の無い遺体が浮いた、という。

(後記、この年、珊瑚の白化が西表の隅々までを襲い、大きなダメージをあたえた。しかしながら、人家もある浜から歩いて行けるほど至便な位置にあるこの中野のリーフだけは、ほぼ完璧に珊瑚が残っているのだ・・・何故???)
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***
第十九夜、南北お岩の洒落噺

南北の四谷怪談に、伊右衛門が弊したお岩の死骸を「戸板へ打ち付け姿見の川へ流して直ぐに水葬」という台詞があって、後にこの戸板が深川の隠亡掘へ流れ寄るくだりがある。姿見の川とは雑司が谷の辺りに在るを、遥々深川迄流れ来るとは心得ずと、ある人南北に尋ねたところ、南北からからと笑って、

そこが怪談なり

と語った。これは坂野氏の話し(「青々園」、内外古今逸話文庫明治27年刊より)

***
第二十夜、夢魔のこと

真夏の夜の話。

別に寝苦しくも無い夜だったが、明け方頃、不思議な夢を見た。布団の上に寝、窓からの薄明かりをうけてウトウトしている私の前に、不意に半裸の女が現れるのだ。

まどろみの中、そのことに別段不思議も感じなかった。

何故か顔には斜が掛かり良くわからない。しかし、ショートカットの若くて痩せた女だということはわかった。

それが私の上にゆっくりとしなだれかかってくる。

そして誘うように身を摺り寄せて来る。

まどろみの中で、それは微笑んでいたように思う。

私はなすがままにされるのみであった。灰白色の世界の中に妖しい気配が満ちてゆく。熱い吐息が耳をくすぐる・・・

ぺたり。

徐に、何か冷たい「蝙蝠」のようなものが、私の額に貼り付いた。

私は女の方に興味を取られて全く気にも留めなかった。

だが女は俄かに態度を変えた。

私を押し離すと、立ち去ろうとする。引き止めようとしたが、先ほどまでの態度とは打って変わって、まるで汚い物でも扱うように、突き放そうとする。もがき、何とか私の手を振り切ると、窓とは逆の闇の方へ、飛び込むように消えてしまった。後には、刺々しい表情だけが残っていた。

薄明の中で落胆した。つけっぱなしだったラジオが、何かをかたり続けている。より深い眠りに入るのにそう時間はかからなかった。その後、私は別の夢を見た。そして、朝が来て、目覚めた。

薄明の中のできごとはすっかり忘れていた。

朝日の中で、何気なく額に手をやった。異物感があった。

平たく、軽く、そして少しひんやりとした感触の、「蝙蝠」位の大きさのものが、まっすぐに載っていた。

手にとって朝日にかざし、はっとした。

それは、高野山の「御札」だった。

裏には私の名が朱で記されている。祖母が買ってきてくれたものだ。寝床の頭上の壁に、貼り付けてあったものだった。

剥がれて落ちたのは間違い無い。額に巧く命中したことも、そう不思議なことではない。

しかしその時私は薄明の中での出来事が脳裏にまざまざと蘇るのを感じていた。

ラジオが歌を口ずさんでいる。手を伸ばし消した。朝方の幻の中でラジオから流れていた声の主のことが、頭に浮かんだ。あれはたしかFの声だ。しかしFはラジオなどやっていないはずだ。矢張りあれは夢だったのだ。

そう思いながら寝床を後にする。

昨日の夕刊が目に留まる。ラジオ欄を見ると、その夜は特別にFがパーソナリティをつとめていたことが、わかった。

あの出来事は、完全な夢ではなかった。少なくとも「耳」は起きていた。「耳」・・・その時、私はあの夢の中の女の「吐息」が、Fの笑い声と一緒に、再び頭の中に響き渡るのを感じていた。

「耳」は、起きていた。

・・・これは高校生のころの体験である。



西洋には男女の夢魔がいて、思春期の男女に姦淫を及ぼす。中国にも亡霊が夢を借りて若い男又女のもとに通い、精気を吸い取ってゆく噺がある。

そして日本にもこのような話しは必ずあったはずだ、と思う。

現に・・・


by r_o_k | 2017-08-07 12:10 | 不思議 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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