<怪物図録>応挙幽霊、侍さらう鷲、真説牡丹灯籠、揚子江の女神、垂水の丘の大師堂、中島飛行機の人魂、女臈ヶ瀬

応挙幽霊
b0116271_12033300.jpg
円山応挙幽霊の図は世に名高い。何故描いたか伝えによれば大津に愛妾あり、遊歴中に死す。互いの思慕の情の余り一夜幽霊として枕元に顕わる、応挙直ちに筆をとり其の真を写したという。当時京の俗人、漢武帝の李夫人故事に倣い美人半身図を描き、掛けて戯れ見る流行りがあり、残る絵も多かったそうで、その流れのものの可能性も。反魂香は李夫人を呼び戻すことのできなかったためこの話とは違ってきますが、反魂香自体の伝説は別途日本に流れ着いてはいますね。
今は同じものが幾つかあると言われるが、この本では東京芳屋留右衛門の所蔵となっているとある。原本といわれるものは青森にあると聞きましたが、谷中の全生庵の圓朝コレクション開帳が8月ですので、やや小ぶりながら至近で見ることができますよ。2017年は90年ぶりに発見された鏑木清方のお菊図が出ているそうです。原典「古今内外逸話文庫第八編」M25、新聞や個人コラム集らしい。

侍さらう鷲
b0116271_12032747.jpg
文政三年9月稲葉対馬守城中馬場での馬術稽古中。一点掻曇ると一人の侍に大鷲が襲い掛かり胸ぐらを掴み飛び去った。霧を抜けると眼下は海、正気を取り戻す。陀羅尼を唱え刀を抜きざま鷲の胸に突き立てると鷲は弱りやがて畑に落ちた。しかし、既に手足利かず髪も縮れ血だらけ、百姓恐れる。博多奉行の計らいで地元に帰った。
藤岡屋日記による。鷲の羽根を土産に持ち帰ったという。身の自由はそれを見せているときもまだきかないほどのダメージだったらしい。子を攫われる場面は歌舞伎にもあるがこれは神気を孕む出現の上3〜5メートルほどの巨大なものだったそうで、荒唐無稽又聞きの、もしくは嘘っぱちの見世物関係の可能性もある。

真説牡丹灯籠
b0116271_12040370.jpg
湯島の金三郎、横川堀向いの寮に肺の養生に来ていたお常と、女中お鍋の取持ちで恋仲になる。七夕の織姫彦星になぞらえ刹那の川越え逢瀬を楽しむが、気づいた寮番の告げ口でお常は本宅で許嫁を取るため呼び戻されることになる。もはやこれまで、と二人して川に飛び込んだものの、男は浅くて足がつき女は杭にひっ掛かり命拾い。だが互いに相手の生存を知らず、自分だけ生き残ってしまったことを気に病む。その枕元には毎夜相手の幽霊が立つようになり、相手の法要を上げるべく寺に出かけると、まさかの生きた姿で鉢合わせた。喜び抱擁後法具をそのまま祝言の道具とした。
矢田挿雲「江戸から東京へ」より圓朝の牡丹燈籠が底本としたもう一つの同時代のニュースとして掲げられている。死して二人で祝言を上げる話を裏返えして使ったという話は別で読んだが、圓朝牡丹燈籠とは気づかなかった。旗本の次男坊で時代柄刀を置いて職人に、とあるので幕末だと思うが、矢田挿雲氏もまだ前時代の踏み込みの浅いジャーナリスティックなところが依然あって(前巻の誤りを後巻で訂正するなど描写が細かい割に精度は鳶魚氏を真面目にした程度に感じる)芝居がかった話を原典載せず書いている。虚実入り交ざる徳川夢声氏よりは良いけど。
入れ子構造でお鍋もまた別の坊主と人知れずの仲で互いに秘密を共有していた。この話の肝は死んでもいない相手の幽霊が共についてまわるという話で、牡丹燈籠という落語の起源を探るという趣向ではござんせん、神経神経と矢鱈いわれたご維新後の「科学的」風潮をよくあらわしているのでほんと、江戸時代としたら幕末も幕末の話でしょう。

揚子江の女神
b0116271_12033963.jpg
4世紀頃江蘇省の陳?は揚子江の岸に魚道の罠を仕掛けた。潮が引くと女が全裸で横たわっていた。顔貌美しく長身だが砂の上で身動きが取れなくなり話しかけても何も喋らない。夜、女は夢枕に立ち、我は揚子江の神である、誤って罠に掛かったが、ある村人に辱めを受けた。天帝に訴え殺してもらう。翌朝?は潮が満ちて泳ぎ去る女を見送った。凌辱した者は病死したという。祖台之等作「志怪」晋の頃。
b0116271_12034431.jpg
竹垣なのでちょっと書き誤った。陸上で身体がフニャフニャなのは、日本の恵比寿神につながるような。蛭子さん。いろいろ呼び名や形態はあるけど、沖縄だと魚垣(ナガキ)っていって潮位変化の激しい遠浅の砂地に袋小路になるような魚道を作って、引いたとき袋小路の潮溜まりに追い込まれた小魚を捕る。揚子江のはもっと大規模なんでしょうか。

垂水の丘の大師堂
b0116271_00523704.jpg
江戸後期宮崎瓜生野に四国八十八箇所を二周し大師石像を背負って帰った者がいた。垂水の丘に堂建つも、三度目といって出かけたまま行方不明。三年後ふと出会った村人が会話した以外は、誰もその姿を見ない。維新あと間もなく飫肥から参拝者が大量に押し寄せる。枕元に白髪老人が立ち、ここへ参れと言われた旨口々に言う。みな野宿までして店屋もたち賽銭は山の様。だが切支丹の警告があると皆去ってしまった(維新後もしばらくは切支丹邪宗門は禁じられた)。

中島飛行機の人魂
b0116271_12035223.jpg
戦争末期空襲激しい夜、木製飛行機試作中の中島飛行機工場辺で人魂が頻繁に目撃された。フワフワ2つ3つ戯れるように青白い光が降り、敵の照明弾と解ったのはずいぶん後だが、そう遠くない被災バラックでは遠雷か時限爆弾か中島空襲の音かと震撼してひしめきあっているとき、毎晩橙色の丸い物が鈍く低く目の前まで来て消えることがあった。みな人魂と呼んでいた。祐川法幢「幽霊・妖怪考」原文「婦人公論」特集記事、他の話も懐疑的に分析していて、これは塩釜と中島飛行機工場をトラックで往復していた経験上さまざまな照明弾に雨あられと降られた中に、似たようなものがあったといい切って捨てている。しかし照明弾が目の前まで来て消えるだろうか?そんな至近で直視できる程度の照度なのは照明弾として無意味では。

女臈ヶ瀬
b0116271_12041171.jpg
新潟県南蒲原郡三條、城跡の下手にあたる信濃川の瀬。平頼盛の孫の三條左衛門の京都にいたとき恋仲であった女が三條城まで訪ね来たものの、兵に妨げられ会うことが叶わず身を投げた。以後川を往来する船は動かなくなったり遭難すること度々、水底に髪を乱した女の顔を見ることもあったという。底本「伝説の越後と佐渡 前」中野城水T14

by r_o_k | 2017-08-17 15:00 | 怪物図録 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31