東海道四谷怪談の産湯〜「四谷雑談集」要約

夏ですね。四谷怪談の底本をいじってみました。全文をどうぞ。


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当時の但し書き(国会図書館から四谷雑談集の大正時代の訳本を入手しました(電子版なので遠隔地の方でも利用可能ですw)。一部欠損がありますが、中公文庫の高田衛版でみられた変更や追記を除く意図で、改めて編集して転記していきたいと思います。これとて原本ではなく早稲田大学が大正時代にまとめた目下最古の一般人の入手可能な訳本ですし、私が手を入れている部分もありますので、かなりややこしくなっていますが、ご了承を。。) 


** 


元禄の頃と言う。御先手組与力伊東喜兵衛、同心田宮伊右衛門、同じく秋山長兵衛の三人の者どもが、人の報いによってその家を永く断絶させられたという話があった。ここにその詳細を記すことにする。 


* 


江戸は四谷左門町に田宮又左衛門という同心がいた。組頭の三宅弥次兵衛にも信頼厚かったが眼が悪くなりお勤めが難しくなったので、幸いお岩という成人の娘がいたからこれに婿を取り隠居しようとかれこれ四、五年良い者を探していた。 


だが、この娘はとても性質が悪く、誰一人嫁に娶ろうと言う者はいなかった。そのうち二十一の春になると疱瘡を患い、辛くも命は助かったが顔は渋紙のように引きつり、髪は年にもあわず白髪交じりに縮み上がって枯野の薄のよう、声は訛り響き狼が友を呼ぶ声に等しく、腰は松の枯れ木のように曲がり、さらには目が潰れて絶えず涙を流す始末。その見苦しいこと例えようも無く、女の数に入れるのもはばかられる風情であったが、本人は悪いとも思わない様子で、道行く人が 


尋常じゃない女の化粧顔 


と立ち止まり見返すと、私に気があってのことかと思い、えもいわれぬ顔をするさまは大きな了見違いというものだ。 


そんな折、父又左衛門がふと病いつき五十一歳で死んでしまった。相続すべき男子を早急にとるべきだと組内で話し合い色々取り持つものの、こんな娘の婿になろうなどと言う者は現れるわけもなく、尼にするか、さもなくば奉公にやって家を出し、その上でどんな者であっても見立てて又左衛門の跡を継がせ母の世話もさせるより他方法は無い。そこでお岩と気安い二、三名が示し合せてその事を言い聞かせようとした。 


だが皆まで言うまでもなくお岩は大いに怒った。 


私は女だがこの家の惣領だ。男子なら女房を呼び迎えるはずのところ、女だから夫を迎え跡を継がせるべきなのに、何ぞ実子を外に出し他人に父の跡を譲るという方法があるものか。私が縁遠いというが父の百ケ日もたっていないではないか、昔から縁遠い女が五十歳六十歳になるまでも娘として暮らすことは珍しくない。女だから侮ったか。この上はお頭にお目にかかりこの事を訴え御裁定を願い出よう。もし強引に言い通すなら私は絶対に家を出まい。とはいえそのままでもいまい。その時深い考えをもって申す 


血眼になって怒るので色々なだめすかしても言葉も無く涙する他無い。皆言うべきこともなくなり帰ると、再び寄合って相談し、この上は婿養子をとって名跡を立てるより他無いが、尋常な事ではなかなか見つからないだろうと思案に暮れた。 


そういえば小股くぐりの又市という者がいる。下谷金杉に住んでいるが、嘘つきの名人でこの手の事には手練れである 


そこでこの者を呼び寄せて談合すると又市は子細を呑み込み、 


これはむつかしい仲人だけれども、必ず礼物をいただけるというならやりとげてみましょう 


と言ったので一同喜び、 


何でもそなたの望むものを遣わそう。精一杯やってくれ 


と頼むと大きく頷き、 


日数十日ばかりのうちには必ず浪人を探し出して婚礼を整え申します 


と事もなげに請け負って帰った。 


* 


又市は昼夜江戸中を聞き回ってようやく伊右衛門という浪人を見つけ出した。すらりとした美男子でこの男を養子に入れようということで話が決まった。伊右衛門はとにかく家を見て、母にもお近づきになろうとやって来た。しかし、お岩は今朝から気分がすぐれない様子だと言って会わせてもらえなかった。伊右衛門は怪しんで仲人にお岩のことを尋ねるが、 


そんなに気にすることは無いですよ、生まれつき十人並みに少し劣り、右の片目の中に少し星がありますが、そのためかえって目つきがしおらしく見え、その上縫い物や書は並ぶ者がいないときている。人柄は至極柔和です 


それを聞いた伊右衛門は、 


女房とは子孫のため家内を治めるためであって、妾として遊ぶものではないのだからそこまで吟味する必要はない 


と以後何も聞かずに取り組むようになった。 


「伊右衛門生国は摂州にて年三十一なる華奢男なり、第一大工の術にも通じている」 


この事を申し立てにして跡目を望み、八月十四日が吉日と、婿入りの日取りも決まった。当日は大勢の者がやってきて至極にぎやかで、お岩も父を思って泣いていたのが今日は婚礼なればと喜びの色を隠せず、朝から部屋に入り渋紙のような顔を悉く白粉で塗りたて、衣にも得も言われぬ香を焚きこめ今や遅しと婿を待つ。かねてからの約束通り、夕方に伊右衛門が家財を持ってやって来た。お岩は近藤六郎兵衛の介錯で座敷へ出て、ついに伊右衛門と顔を合わせた。 


お岩は黄昏時に明るい方を後ろにしてうつむいている。 


伊右衛門は怪しんでちらりと覗き込み、一目見るなり固まった。興が醒めた。 


どうしようと思ったけれども後の祭り。御扶持頂戴の身となるのだから是非もなく、世に良い事二つは無いもの、とすぐに腹を決めた。気色の良さそうな伊右衛門に母も満足しお岩も喜び、 


器量といい体格といい日本には二人といない、三国一じゃ、いい婿を取り済ました 


と、千秋楽を歌いおさめて 無事式を取り納めた。 


* 


御先手組の同じ三宅弥次兵衛組の与力伊東喜兵衛は、生まれつき性格が悪く、ひたすら他人を嘲り痛めることを好み、お気に入りの同心は頭に取り立て少しの事にも褒美を取らせ、合わない者は些細な落ち度を言い立てて思いがけず御扶持を取り上げられる者も多かった。女房も無く、昼夜二人の妾を愛し酒宴に明け暮れていた。裕福なことにまかせて家を作り変えることを好んだことから、大工の術を持つ伊右衛門は自然と呼ばれるようになり、召使いのようにこき使われた。 


頻繁に呼び出され屋敷に出入りするうち、伊右衛門は妾の一人、お花に次第に惹かれるようになっていった。お花は大層な美人であった。しかし喜兵衛は異常に妾を寵愛してやまず、外の人間には決して見せないほどであったから、伊右衛門も思いを伝えられずにいた。 


あるのどかな春の日、近しい者だけ二三人呼び朝から豪華な酒宴というので伊右衛門も呼ばれた。夢うつつに過ごすうちあっという間に一日が過ぎ日も落ち、喜兵衛は大層酔っ払い正体の無い様子であったが、伊右衛門は若くて酒に強くいつまでたっても素面であった。 


伊右衛門さん 


肩にそっと手を置く感触に驚き振り向くとお花だった。 


早や夜も更けました。夜道は危のうございますから、今宵はここにお泊りなさいな・・・ 


伊右衛門はこれ幸いと思った。喜兵衛も酔い潰れて前後もわからぬから今宵こそ酔いにまかせて思いを遂げてやろうといきり立ったが、日ごろ喜兵衛が自分を贔屓にしているのはひとえに律義者と思えばこそだ、こんなことに惑ってもし知られたら何をされるかわからない。三十俵二人扶持を取り上げられてはたまらぬ。女房も一応いることだしこのような所に留まっていてはいけないと気を取り直した。 


今宵はここに泊まりたいとは思いますが、家にどうしても用事があります。もうお暇いたしましょう 


と立ち上がった。お花は重ねて、 


お家に用事があるとは他でもない女房殿のことでございましょう、それを知りながらぜひお泊りあれとは申し難い、明日おいで 


と戯れを言いながら、燭台を持つと伊右衛門に従った。 


二人の姿を喜兵衛の鋭い目が追っていた。 


縁へ出て、伊右衛門も辺りに人がいなくなると、思いを少しでも伝えたくなった。 


立ちすくむが言葉が出てこない。お花は燭台を揚げて伊右衛門の顔を照らした。 


せ、拙者はまだこの御組へ参り間もなく、喜兵衛殿には様々に御心隔てなく御付き合いさせていただいていること、本当にかたじけなく存じます。その上いつもいつも永い永い遊びに、あなた様方にもおつきあいいただき、いつかお礼を申し上げようと・・・この事はお目にかかってお伝えしたいとかねがね思っていたのですが・・・人目が多過ぎます。私が独り身ならば 


と言いかけると慌てて帰って行った。 


喜兵衛は実は試していたのであった。伊右衛門の日々の振る舞いを見るに、我が妾に心を寄せているのではないか。伊右衛門の女房には会ったことが無いが、人の噂するにたいそうな醜女だそうである。空寝入りをして、二人の様子を窺い、お花の戻りが遅いとなると抜き足差し足唐紙の脇に忍んで二人の立ち話に耳をそばだてていた。 


私が独り身ならば、だと? 


何のへんてつもない話の最後に付けられた一言を、喜兵衛は訝しんだ。 


これより喜兵衛は毎日のように伊右衛門を呼んで、二人の妾と同席させた。もう一人のお梅、十八歳になる妾もうすうす喜兵衛の意図がわかってきたので、わざとお花を伊右衛門に差し向けて自分は喜兵衛の相手をした。 


だが、お花と伊右衛門は全く他人行儀のままであった。 


伊右衛門は言うに及ばず、お花も伊右衛門を思い染めていた。しかし伊右衛門が心の内をはっきり言葉にしなかったので、気持ちを心の奥底に留めたのだった。 


そんなこととは知らなかったので、喜兵衛も聞き間違いだったかと疑いの心を止めた。 


* 


これは目出度いわずらいと存じます。今日から油強いもの辛いものはご無用です。おっつけ御平産あるでしょう。めでたしめでたし 


近頃心ここにあらず食事も進まず、苦しげに見えるお花を医者に見せたところ、思いもよらぬ答えが返ってきた。 


喜兵衛はうろたえた。 


懐胎だと。今更男子をもうけたとて、五十の我の何の用に立つ。女子であれば身上の妨げ。さりとて水にして捨てるのもさすがにふびんだ。月の重ならぬうちに早く余所へ縁付けよう 


喜兵衛は諸方へあたったが、腹が目立たぬうちとはいえ孕み女は難しい。土産をたくさんつけたとしてもなかなか呼ぶ人はいず、呼びたがる人に限ってこちらが願い下げ、思うは成らず成らば否といったふうであった。 


そんな折、伊右衛門が訪ねてきた。 


お花の見舞いという。 


喜兵衛は寝間に通すと、襖の裏で一計を案じた。 


この男がいた。「私が独り身ならば」という言葉が脳裏をよぎった。のちに伊右衛門の女房のことも聞き及んでいた。悪妻なら離縁したいことだろう。それならそう算段した上でこのお花を後妻に迎えさせればよいのではないか。 


帰り際を呼び止め、酒を出して気安く雑談をした。そして頃合いを見て、 


・・・これほどの仲、いろいろ頼みごとなどして世話にもなっているのだが、御身の内室とは一度も会ったことがないな。かねがね聞き及ぶ通り、さぞ見かけのように心がけも良いのであろうな 


嘲るように言った。 


大変御懇意にしていただき女房にも挨拶をさせるべきなのですが・・・ 


そこで伊右衛門は口ごもった。 


いやいや悪うござった。顔の事は聞いておる。目がつぶれ、でこぼこの面相をしておられるとのこと。しかし女房は顔で選ぶものではござらぬだろう。心だてさえよければ 


心だてとて顔と似たようなものです!まったく、ひどい! 


急に語気を荒げたのは酒のせいだけではあるまい。喜兵衛はにやりとした。 


母が亡くなってからは家に閉じこもって何もしない。何かにつけて癇癪を起し出てこない。私から迎えた女房であれば、とっくに追い出していたでしょう。悲しいことに入り婿の身、思うようにはまいりません。粉糠三合持つ者は入り婿になるな、とはよく言ったもの。彼奴如きのためにあたら身を台無しにしたと思うと、折にふれては人知れず涙にむせび申しております 


伊右衛門は弱弱しく話を終えた。喜兵衛には襖の向こうでお花が聞き耳をたてているのがわかった。 


話の通りであれば子もできなかろう。女房を持つは子孫のため。子がなければ何の用にも立たぬ。 それなら奉公でもすべきところ、閉じこもるばかりとは不忠にも程がある 


伊右衛門の顔を覗き込むように、喜兵衛は語りかけた。 


それならば離別なされ。親御も亡くなられておるのなら誰はばかることはない。気に入るような女房はこちらで世話いたそう。 


伊右衛門は驚いた。 


これはかたじけない思し召し、しかし、、私は入り婿でござります。さようなことは・・・一代の首枷のかかった身、朝夕の一杯の酒だけを楽しみに、今日まで命を繋いでおります 


またも弱弱しく言葉を終えた。 


嫌いな女房を離別できない法もあるものか。入り婿とて、謀をもってすれば成就せぬことはない。こうすればよい 


喜兵衛は伊右衛門の耳に口を寄せ、何事かを囁いた。伊右衛門の顔がぱっと明るくなった。 


私にお世話をしていただけるという女はどのような者でございますか。お聞かせください 


喜兵衛は立ち上がると、寝間へ向かう襖を開いた。 


はっと驚き身をすくめたお花がいた。 


二人の目線が合うのを見て、喜兵衛は確信した。 


白髪の時分で妾腹に子をもうけるのは世間体がよくない。そこであれこれ当たってはみたのだが、適当な相手がいない。そこにそなたが参った。お花をそなたに譲ろう。いや、こういうことであるから、支度も相応にする。貯えも少しある。これには今まで所帯を預けてきたが、間違い無い。随分巧みに切り盛りし、御身の内室にしても相応と思われる。引き取ってはもらえぬか。気に入らないなら、他を当たるまでだが・・・ 


伊右衛門は全て悟られていたのだと思い赤くなった。 


それはお花とて同じであった。 


せ、拙者はえり好みなど申しません。世帯を切り盛りしてくれさえすれば。お花を下さるのは少しの不足も無い。でも女房が。。何事もゆるゆるとご相談申しましょう 


動転して伊右衛門はそそくさと立ち去った。 


少しして、喜兵衛は伊右衛門を呼び返した。 


今の話は隠密にすべし。とにかく御身を妹婿にしようというのだ。だがそなたもいきなりこのような話をされて心が決まらないだろう。我ら親しい仲なのだから、遠慮の気持ちもあろう。私には神にかけて下心は無い。落ち着いてじっくり考えなされ 


そう言うとまたも酒盆を出して歓待した。伊右衛門は安堵のため息をつき挨拶もなく一言、 


よろしくお願いします 


とばかりであった。 


これが喜兵衛伊右衛門両人が家を絶やす初まりと人々は噂した。 


* 


お岩は最近思うことがあった。自分は親類も無く味方になるべき人もいず、これほど広い江戸中で知り合いは大勢いるけれども、しみじみと内緒話をする人はいない。ただ一人、伊右衛門殿を神とも仏とも親とも子とも兄弟とも頼って暮らす他ないのに、いつの頃からか余所歩きして、あまつさえ博打とやらに憂き身をやつし、世間の人は女房に着物を着せるものなのに、伊右衛門殿は一つ二つと剥いでいき、もはや帷子一つになってしまった。何とまあ冷たく酷い夫である。さらには赤坂の勘兵衛長屋の比丘尼娼婦にも剥ぎ取られ、この頃はもはや貧しくなって暮らしの煙も立てられない。 


男の身なら外へ出て稼いで来るのだが、女の身では家の中の物で用立てるしかない。こんな苦しい世帯を持つくらいなら奉公に出て苦労から逃れたいと思うが、よもや伊右衛門殿は自分を外へ出してはくれまい。ああ、男であったなら、この家を伊右衛門殿に取られまいものを、どうして女の身に生まれてしまったのか。 


そのようなことを一人悩んでいたところ、喜兵衛方から使いが来て、まだ一度もお目にかかってはいないが大事な用ゆえ晩にでもおいでください、とのこと。 


女房驚いて、 


わかりましたが、さてどのような御用でございますか 


と使いの者に聞くと、 


わけは存じません。少しもお気遣いなさるような事ではないようです 


と言われ心が落ち着き、日が暮れたので急いで喜兵衛方へ参った。 


喜兵衛が出迎え、初めて見るお岩の容姿に驚きもせず茶など出し、酒を勧めて様々にもてなした。お岩は注がれる端から飲み干す始末、まったく遠慮も無く大酒飲みの噂通りであった。喜兵衛は少し酔いが回ったとみると、話を始めた。 


伊右衛門とは心安くつきあっているが御身とは今日が初めて対面する。聞いていたより年若く随分顔も元気そうに見える。さぞや伊右衛門も喜んでいるだろう。これからは伊右衛門のように心易くおいでなさい。ただ我が方は無妻ゆえ余り出入りすると伊右衛門も立腹するだろうか。そうでなければ心安くおいでなさい 


そして本題に入る。 


さて、御身を呼んだのは他でもない伊右衛門のこと、見かけによらず大道楽者である。この頃は博打打ちの仲間に入り渡世人のように博打しているとかいう。その上比丘尼狂いを好み、なじみを請け出して囲っていると聞いた。夜も昼も入り浸り知らぬ者はいない。家にも帰らないであろう 


お岩はうなづいた。 


第一博打はご法度、これがだんだん知れて頭の耳にでも入ったら追放に逢うだろう。女は男に付くものゆえ、御身も逃れられない 


お岩は酒を喰らうと大粒の涙を流し始めた。 


いたわしや、御身が女であるために、父が取って来た御扶持米を他人に渡すのみならず、夫の悪事に巻き込まれて路頭に迷いなさることのいたわしさよ。御身の親御たちと私は若い頃からの馴染みだ。ことに死なれたお袋様とは遠縁にもあたる。なにとぞ伊右衛門が博打を止め、比丘尼狂いを止めるように御身からも・・・ 


わあ、わあ 


大声で泣き始めたその姿はだらしなく見るに堪えないものであった。 


・・・私から言うと目上目下の関係であるから遠慮がある。このことを御身から言ってもらうために呼び寄せたのだ。伊右衛門などどうでもよい。御身がいたわしく思うからこそ申すのだ。このような内内のことは女房でなくては言わぬもの、よって・・・ 


私よりもよくご存じなのですね 


喜兵衛の言葉を遮るようにお岩は大声をあげた。 


面目も無い。伊右衛門の心にいかなる悪魔が入れ替わったものか、ひと月に五日すらも家にいないんですよ。一人いた下女にも暇を出し、家には一銭も入れてくれない。朝夕の煙もたてかねるほどです。私などが意見しても、なかなか聞き入れるような伊右衛門ではありませんから、誰か心易い人を頼んで意見してもらいます! 


そう言うと残った酒を飲み干して、どたどたと帰って行った。 


・・・ふう。伊右衛門、まったく凄い女房だのう 


喜兵衛の声に、障子がつと開き、現れたのは伊右衛門その人であった。 


仕掛けはできた、と二人は顔を見合わせてうなづき、その晩は喜兵衛宅に泊まった。 


自宅に戻ったお岩を待つ者は誰もいない。深夜の月が寝間を冷たく照らし、蚊帳に木陰がちらちらと映るさまも怖ろしく、何となく胸騒ぎがして寝る気もしない。 


尼になろうか身投げしようか迷っていたところに喜兵衛殿が現れてくれた。頼もしい、この人を頼って伊右衛門殿を追い出すか、または自分が出ていくか、どちらにしても言うままにしてみようか。喜兵衛殿が申されたように、もし伊右衛門殿の悪事がばれ追放にでもなったら、田宮家の跡取りとしての自分はどうなってしまうのだろうか。いらいらが募り眠気も起きず、早く夜よ明けよ、夜よ明けよと待ちかねて、全勝寺の鐘がゴーンと鳴って烏が鳴き出すと、むくりと起きて仏壇に向かって南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経とむやみに唱えているところへ、伊右衛門が帰ってきた。 


夜帰ったのに手前は家を開けっ放しにして、亭主の留守にどこへ行っていた! 


といきなりどやしつけた。 


人のことを言うお前様こそ何日も何日もよく家をあけられますねえ。私は昨夜は伊東喜兵衛様方より呼ばれて出かけておりました。嘘だと言うなら伊東殿に聞いてみなさい 


伊右衛門はお岩の頬を張った。 


何を言う。夫の留守に家をあけ、若い女が夜歩きして、そんなことが許されるものか。喜兵衛が呼んだからって家を無人にしてまで来いとは言わないはずだ。手前、その気味悪い顔に目に物見せてやる 


逃げるお岩をひっつかみ顔を拳で殴った。 


何をする!ああ人殺し。みなさんお出合いなされ。人殺し 


お岩は大声で泣き喚き散らしながら伊右衛門より逃げ回る。しかし伊右衛門はうろたえることもなく今度は手近な棒を取って叩く。近所は知らぬふりをしていて誰も助けに来ない。叩き伏せられたお岩は蹴るやら突き飛ばすやら散々に暴行され半殺しの目にあった。 


ざまあみろ! 


伊右衛門は唾を吐き、煙草を一服して出て行った。 


お岩は自室へ這って入り布団を被って長い事うめいていたが、もう我慢がならなかった。剃刀を取り出して首筋に当てるも、これでは伊右衛門に気が狂って死んだと言われておしまいだ、と捨ててふらりと立ち上がり、髪振り乱した格好で道中見る者が怪しく思うのも構わず、喜兵衛方へ走って行った。 


喜兵衛はひどい姿のお岩を見て屋敷に呼び入れ、どうしたのかと聞く。 


しばらく打ち伏したまま息をつくばかりであったが、ようやく口を開いた。 


すぐにお頭のところへ行きます。伊右衛門の悪事を包み隠さず申し上げ、追い出そうと思いますが、例え門前払いを喰らっても、そのままにはしておけません 


と言うと声をあげて泣き出した。 


喜兵衛は言った。 


それは御身が悪い。昨晩来なさいとは言ったが家を無人にしてまで来いとは言わなかった。伊右衛門の立腹はもっともだ。拙者も迷惑だ。頭に訴えるのもまずい。何事も女の言うことはお上は取り上げないものだ。さて困った。 


お岩はますます声を高くして泣いた。 


・・・この件は拙者にまかせるがよい。両人のためにいろいろと考えたが、伊右衛門の道楽はもう治るまいし、このままでは御身ももつまい。 


縁を切りなされ。 


御身はまだ年も若く、縫い物も上手ときている。私が良い所を紹介するから奉公に入りなさい。女から縁を切るにはそれしかない。ただ伊右衛門から離別状を取らなければならないが、とにかくそのような状況から逃れることじゃ。なに、縁切り奉公というやつだから、二、三年勤め上げたら私が請けとって良い所へ縁付けてあげよう。若く美しい男と結婚させてあげよう。そのような先もあることだから、楽しみに、今回は私の案に従いなさい。 


喜兵衛はもっともらしく言った。お岩はしばらく考え込んでいたが、 


何かとお世話のほどありがとうございます。さりとて伊右衛門に縁切りを申し入れてもすぐには合点しないでしょう。出ていく所もございませんし、衣類もみんな伊右衛門が持ち出して、遊びの金にしてしまいました。奉公に出るにも出られません。どうしたらいいでしょう 


そう言うしかなく、再び泣き出した。 


とにかく私が間に入って話をつけるから、衣類のこともまかせなさい。とにかく先のことを考えて、今は家に帰りなさい。伊右衛門が何を言っても取り合わないことだ。わかったな 


喜兵衛はほくそ笑んだ。 


お岩が家に帰ると伊右衛門が昼寝をしていた。やにわに起き上がり、 


どこへ行ってた。亭主の留守に出歩くなと言ったろうが、どういうつもりだ 


と喚いたが、お岩は喜兵衛の言いつけどおり、黙ってうつむいて座った。伊右衛門も反応が無いのでそれ以上言葉を継ぐこともできず、黙り込んだ。 


全ては喜兵衛の策略であった。 


喜兵衛は伊右衛門から易々と離別状を受け取りお岩に渡した。そのさい伊右衛門がお岩から取り上げていた衣類なども全て返却された。お岩は喜び、約束通り四谷塩町二丁目の紙売又兵衛へ物縫いの奉公に出た。お岩は鰐の口から逃れたような心地で田宮の家を離れ、奉公にいそしんだという。 


* 


喜兵衛は離縁した伊右衛門とお花の双方に改めて気持ちを確かめた。そのうえで伊右衛門に、仲人を別に立てるよう言った。それは喜兵衛が妾を与えたという評判がたつのを避けるためであった。伊右衛門は仲人を頼んでまわったが、同僚は皆用心深く断ってきた。その中に秋山長右衛門という者がいた。思慮が浅く欲深い男であったが、これがわずかな謝礼目当てに引き受けた。 


六月にお岩を追い出して七月十八日にお花を嫁に迎えた伊右衛門に対して不審感を抱く者は多かった。伊右衛門は同輩近所に「女房が暇を乞うのでやむをえず離縁状を出しました」と告げたのだが、「もともと婿として来ながら、家を横領して女房を追い出すのはいかがなものか」というわけである。権力ある喜兵衛の妹分であるお花に、秋山長右衛門の取り持ちであるから妨げる者はいなかったものの、 


どうせろくなことにならないだろう 


と後ろ指をさした。 


・・・後年、伊右衛門方は七人、喜兵衛方は三人、秋山方では五人、お岩にとり殺されて、その家が長く断絶するようになったのは、このようないきさつがあったからである。 


婚礼は七月十八日、喜兵衛の指図の通り行われた。伊右衛門もお花も互いが想い人、夢見心地であった。 


どうしたものか、これしか来なかったのか 


婚礼の場にあらわれたのはわずか三名であった。今井仁右衛門、水谷庄右衛門、志津女久左衛門はただたっぷり酒が飲めると言うだけでやってきたのであった。


しかし伊右衛門は喜んで、 


まあ飲め飲め 


と酒を勧める。酌をする女も交え夜更けまで飲めや歌えで酒宴は続き、ついには一座の者みな酔い潰れてしまった。酒に強い伊右衛門はお花と睦まじく今後の話などしていた。 


きゃーっ 


若い女の叫び声がした。 


きゃーっ 


お花も声をあげた。 


行灯の影から 


ずるり、ずるり 


と一尺ほどの赤い蛇が宴席に這い出してきた。 


騒ぐ女たちを尻目に伊右衛門は火箸でひっつかみ、庭に投げ落した。 


そうして座に戻ると、お花が 


きゃーっ、また 


見れば行灯の上に、あの小蛇が載って、じーっと伊右衛門の方を睨んでいる。 


今捨てたはずだが、おかしいな。蛇は酒を好くと聞くが。待っておれ 


伊右衛門は再び火箸でつまんで捨てた。 


・・・東の空がしらじらとしてきて、客たちも帰り支度を始めた矢先、宴席の真ん中に天井からどさり、と何かが落ちた。 


あの小蛇だった。今度はまっすぐに伊右衛門に向かって這いずり始めた。 


伊右衛門がむんずとつかむと蛇は右腕に絡みつき首筋へと這い上がろうとする。 


岩か。 


客に悟られぬよう裏の方へまわると言った。 


畜生に成り果てたか。執心を残してももはやどうしようもない事だ。全ては決まっていたのだ。愚かな、これ以上我が目の前に姿を現すならば切り捨てるぞ。いいな。 


伊右衛門は蛇をほどき、遠くへ投げた。鎌首をもたげ、なおもじっと見ていたが、知らぬ顔で宴席に戻った。 


それに聞き耳をたてる者がいた。今井仁右衛門だった。 


あれはお岩だ。伊右衛門も気付いていた。不憫だが、あの夫婦も長くない。田宮の家は絶えるだろう。 


そんな話がたちまち近所に知れ渡り、伊右衛門夫婦は誰からも妙な目で見られるようになった。だが外見だけは、組内きっての美男子に劣らぬ美女、人目を惹く華やかさでお似合いのように見えた。 


* 


四谷と番町の間に住む煙草屋茂助という者が行商の最中、三番町のさる屋敷でお岩の姿を見かけた。 


お久しぶりです。珍しい。しかしなんとまあ・・・お父上の又左衛門様の代からの出入りです、仕方のないことだったとは思いますが・・・気になります。なぜ町をお出になったのですか 


道楽者で乱暴者の伊右衛門から逃げたのですよ。辛い世帯を持って苦労するよりましです。伊右衛門はまだ道楽がやみませんか。比丘尼を引っ張り込んだと聞いています。今頃その比丘尼も苦労しているでしょうね 


お岩は何も知らないようであった。茂助はつい、町の噂を口にしてしまった。 


お岩様、伊右衛門様は道楽も何もしておりません。いっさいは隣の伊東様と秋山様との謀り事と聞いております。 


何、どういうことなのですか。 


伊東様のお妾の、お花様を女房にしようと企まれたのですよ。婿の身ゆえ自ら離縁を切り出すことはできない。貴方様のほうから嫌われて、縁を切られるよう仕組んだのです。道楽などせず衣類など一切がっさいは隣の伊東様のところに隠されておりました。帰らなかったのも伊東様のところに泊まっていたからです。比丘尼などおりません。かわいそうなお岩様、全くご存知なかったのですね。お気の毒に・・・昨日見かけたところ、お花様というのはそれはそれは見れば見るほど美しいお女中で、皆伊右衛門様をうらやましがっておりました 


全てを知ったお岩はさっと青ざめ、わなわなと震え始めた。 


夢にも思わなかった。私は騙されたのか。 


しまった、言うべきではなかったと茂助は口に手をやるが遅かった。 


思い当たることがある。日頃は気の弱い伊右衛門があれほど乱暴をはたらいたのはあの晩だけのこと。それも伊東様の家に呼ばれたがために私は打擲された。伊東様らが謀ったか。うらめしや、腹立たしや、ええ騙してくれたなあ喜兵衛、伊右衛門、長右衛門。この三人を、よもや安穏にしておくものか! 


眼はきりきりと吊り上がり、髪の毛はばらっと拡がり、唇を噛み切り血を吐きながら狼のようにうなり始めた。余りの恐ろしさに茂助はそっと逃げてしまった。 


それからが大変で、お岩はますます狂乱し雲をも突きぬく声で 


ええ、やれ伊右衛門、喜兵衛、その女も、一人も生かしてはおかぬぞや! 


転げまわり身もだえして大声をあげるので、同僚の裁縫女たちがなだめすかして部屋に連れ込もうとするが、少しも聞き入れることなく次第次第に狂乱の度が増す始末。伝六という中間頭が後ろから抑え込もうとしたところ、 


私が絡め取られる理由は無い、さては伊右衛門方の者だな! 


と襟首を掴むと七間(13メートル)ほども投げ飛ばした。伝六は気を失った。これに恐れをなして誰も近づかない。お岩は屋敷中を飛び上がり飛び上がり、台所に入ってはありとあらゆる道具を壊したり投げ打ったり酷い様子だった。ついには主人が立ち出て中間どもが左右から取りついたのを、掻き掴んで投げつける。再び取りつくと突然泡を吹いて引っくり返り失神した。と見ると立ち上がって走り回る。ただ事では無いと男たちが距離をおいて取り囲むと、次第次第に狂いまわり、門外に向かう。小さい屋敷なので門番もいないから、そのままあっという間に駆け出してしまった。大勢で棒など持って後を追いかけても、どこへ行ったかわからなくなってしまい、辻の番人たちに聞いてまわっても誰も行き先を知らない。 


二十五、六ほどの女が髪振り乱して四谷御門の外に駆け出して行った 


と言うばかりであった。 


その辺りは濠の工事も終わり、水が満々と満ちていた。 


お岩の置き請人である又兵衛が呼び寄せられた。 


逃げ出した女を早々に発見すべし 


と言い渡された。又兵衛は江戸中を探し回ったが、行方はついにわからなかった。結局、置き請人一人の責任となり、保証金二両二分を屋敷の主人に返してようやく事が収まった。それ以降も又兵衛は手を尽くして探したが、三十年たってもついに行方は知れない、ということだった。 


お花はしっかりした妻であった。家計も豊かになり、翌年四月には無事女子を出産した。喜兵衛の子であるので、十五歳になるまで伊東家から手当てを出すことになっていた。幸せは続く。伊右衛門は子供を四人も持つことになった。 


長女のお染が十四、次の長男は権八郎といって十三、三番目が次男の鉄之助といって十一、末娘はお菊といって三歳。お染は母の血を受けて飛びぬけた美女であり、教わったわけでもないのに和歌をたしなみ手跡は光悦流を学び、琴も相当な腕前。見る者評判を聞く者皆心奪われた。その時分のことである。 


七月十八日、伊右衛門夫婦に子供、さらに六人の者たちが夕涼みに団らんしていた。 


私は身分の軽い者であったが今は本当に何の不足も無い。こうして四人の子供にも恵まれ、金銀はともかく子に勝る宝は無い。権八が二十歳になったら跡目を譲り隠居させてもらおうか。お染も十四になった。どこかに良縁があればいいと思うが伊東殿のこともあるから自分たちの思うままにもいかないだろう。どうしたものか 


伊右衛門はお花に話しかけた。 


はい、お染のことは伊東様がちゃんと心に掛けていらっしゃいます。先日もいい縁を探しているとおっしゃっておりました。相手方に多少の不足があっても早めに縁づけたいものですね 


それにしても、月日の経つのは早いものでございます。私がこの家に来たのもちょうど七月十八日でございましたね 


お花は当時を懐かしむ様子である。 


その時、伊右衛門の目に妙なものがうつった。 


庭向こうの木陰から何やら白い物がちらちらとして、次第にこちらに近づいて来る。よく見ると、背中が曲がり、顔はでこぼことして片目が潰れ、そのもう片方の目で伊右衛門をじっと見据えている。幸せそうに居並ぶ家族を眺め、うらめしそうな様子で縁先まで来ると、ゆっくり通り過ぎていく。 


お岩か! 


伊右衛門が声をあげた。お花はびっくりして、 


何事でございますか 


と声をかけた。 


あれが見えぬか・・・ 


もっとよく見ようと立ち上がり、目をこらすと、暗がりのほうへすっと消え行ってしまった。 


誰もおりませんよ 


お花は庭を見やると答えた。 


あれは離別後すぐに奉公先から出奔して行方不明になったと聞いている。どうしてここに来たのか。狐狸が自分を化かそうと、怪しいものを見せたのか。 


しばらくして、今度は家の門を 


こと、こと 


と叩く音がする。 


いえもん、いえもん 


いえもん 


と三度まで呼ぶ声が聞こえた。 


誰じゃ! 


と答えても返事が無い。 


自ら出てみても、誰もいない。門の外へ出ても、人影が無い。 


さては近所の若い者が通りざまに悪さをしたのだろう、まったく迷惑だと思っていると、また呼ぶ声がした。それ来た、とがらりと戸を開けるがやはり誰もいない。相手にしてもしょうがないと、座へ戻った。念のため、鉄砲を取ってきて脇に置いた。 


狐狸でもあろう、興が醒める。無視に限る・・・ 


「伊右衛門」 


どきっとした。今度ははっきりと聞こえた。 


「伊右衛門、もうすぐじゃ。観念して待っているがよい」 


げらげらげら 


笑い声に伊右衛門はかっとなり、 


おのれ、臆病者め。言いたいことがあるなら目の前に出てはっきり言え! 


鉄砲を掻き掴んだ。 


伊右衛門様、どうなさるおつもりですか! 


お花の声も聞かず伊右衛門は板を壁に立てかけると鉄砲に火薬だけを詰め、構えた。 


ズドン!! 


空砲だが家の中なものだから天井に響いて物凄い音がした。 


や、疫病神め恐れ入ったか! 


と伊右衛門が言うや否や、 


ワッ! 


座敷でうたた寝をしていた三歳の娘が叫び、ひきつけを起こした。 


慌てて鉄砲を投げ捨てお花ともども看病し、水を吹きかけ気付け薬を飲ませた。 


半刻ほどもするとやっと息を吹き返した。しかしどうも様子がおかしい。 


上に下にと騒ぎ医者を呼んだが、 


これはものに驚いて驚風というものを発しておる。なかなか治らないであろう 


と言ってさまざまに療治をしたものの、娘の衰弱はだんだんと酷くなった。 


八月十五日の朝方、ついに死んでしまった。まだ三歳という幼さであった。 


この事件を契機に、伊右衛門の家には次々と奇怪なことが起こるようになった。 


* 


秋になり、妙な噂が流れた。二十歳くらいの男が夜な夜な密かに伊右衛門の家に出入りしているというのである。女房のお花のもとへ通う密夫かもしれない、娘のお染のもとへ通う夜這い男かもしれない。友人たちは伊右衛門を気の毒に思ったが口にはしなかった。だが召使いが聞きつけて伊右衛門に伝えると、たいそう驚き、それから毎晩気を付けるようにしたが、三十日ほどたっても変わったことは起きなかった。 


五月中旬のある夜、雨も晴れて月夜となった夜半頃、伊右衛門がふと目を覚まして横に寝ている妻を見ると、その身に添い臥している見知らぬ男が見えた。伊右衛門ははっと枕元の脇差に手を伸ばしたが、手が震えて思うように動けない。そうして様子を見るうちに、男が前後もわからず深く寝入っている姿にまたカッとして、脇差を握り返したが、ふと、声をもかけずに寝首を討つのは後日の評判も悪かろう、起こしてその正体を見極めてから、女房ともども討ち取ろうと考えた。 


おい! 


その声に目を覚ましたのは妻の方であった。 


何でございます 


お前、その男といつから・・・ 


きゃっ、何をされますか 


脇差を見て女房が叫んだ。 


伊右衛門は驚いた。 


男と見えたのは、妻の枕の上に置かれた瓦焼であった。 


何故これが男に見えたのか。 


震える手で脇差を鞘に納めると、 


どうだ、何か変わった夢でも見なかったか。何かに襲われるような・・・ 


と聞いた。お花は 


いえ何も 


と答えるのみであった。恐れおののくお花を何とかなだめすかして再び床についた。 


伊右衛門は思った。 


もし見間違いで妻を討ち果たしていたら、過ちでは済まない。死罪はおろか、田宮の家も断絶だっただろう。 


頭の片隅にお岩の顔が浮かんだ。 


おのれ、我を破滅させようと幻を見せたのか 


すると庭のほうから、 


ヒヒヒヒ・・・ 


と声がした。 


伊右衛門はぞっとして、一夜を寝ずに明かした。 


* 


お菊の三回忌が来る。七月十八日、法事が執り行われた。 


お菊はお前さまが殺したようなものです 


いつものことだ。伊右衛門はお花の言葉に顔をゆがめた。 


鉄砲など持ち出して、音に驚いて患いついたのですから、だいたい、家の中で鉄砲を撃ったりして 


よよと泣くお花に、伊右衛門はうんざりとして声をかける。 


誰でもいつかは死ぬものだ。子供のうちに死ぬものは子供のうちに死ぬと決まっている、寿命とはそういうものだ。もう三年になる。過ぎたことは過ぎたこととして、余り深く嘆くでない 


お花はしばらく伊右衛門の顔を見ていたが、落ち着いた様子で座り直した。 


そこへ伊東喜兵衛、改名して土快が、 


とにかく酒だ酒だ! 


と言い始めた。法事もそこそこににぎやかに酒宴が始まった。 


ふと座敷から抜け出す者がいた。子供の鉄之助であった。 


何かに呼ばれるように、家の後ろに歩いて行った。 


・・・ 


裏庭にお菊がいるよ!急いで見てきてよ! 


息せき切って酒宴の場に駆け込んできた鉄之助の様子は尋常ではなかった。 


昔とおんなじように、お菊が立っているよ! 


一座の者はそんなことがあるものか、と興ざめしてしまった。 


伊右衛門は首を振った。 


すると鉄之助は再びだだっと駆け出し、裏の方へ向かった。 


しばらくすると、ひどく青ざめた顔で現れ、伊右衛門の膝にしがみついて泣いた。 


恐いよう、恐いよう 


伊右衛門が震える背を抱くと一座の者が声をかける。


どんな物が見える?今もいるのか? 


だが鉄之助は答えもせず泣くばかり。 


どれ、我が行って来よう 


土快が立ち上がり裏庭へ向かった。 


すぐに戻ると、 


何もいないぞ。狐狸にでも化かされたに違いない 


と言う。皆でなだめすかすけれども鉄之助は怯え伊右衛門にしがみついて離れない。これはただ事ではない、と秋山長右衛門が鏡を持ち出し、怪しい物が映らないか座中をいろいろ映して見るが別に変ったものは見えない。鉄之助の震えは頂点に達し、 


今 


ここにいるよ 


恐いよう 


と泣き叫ぶ。どうにも持て余し、仏間から日蓮上人の曼荼羅を持って来て鉄之助に抱かせるが効は無い。脂汗を流し、 


恐ろしい、恐ろしい 


と喚き続けた。 


伊右衛門は、 


このぶんではまだ簡単にはおさまるまい。もう夜も遅い、皆様方にはどうぞお引き取りください 


と言って客を帰し、夫婦で鉄之助の看病にあたった。


夜もしらじらと明ける頃、鉄之助は疲れて眠りこんだ。 


昼ごろに目をさましてぼんやりとしているので、気付け薬など飲ませて、 


いったい何があったのか、どんな物を見たのか 


と問うと、 


昨晩裏庭に行ったら、お菊がいて、 


おんぶしたい 


と言った。懐かしくなり背中に載せたが、ずんずん重くなって、その重い事といったら体がひしゃげるくらいで、恐ろしくて走ってかえったけれど、お菊はここまで追ってきた。そのほかの事はおぼえていません 


そう答えた。お花はそれを聞き、 


もっともなことです。お菊の命日だというのに法事もろくにせず、いかに幼い者とはいえあのような理不尽な死に方ゆえ、中有にさ迷っているのでありましょう・・・ 


と袂を顔に押し当てた。伊右衛門は苦笑いをして、 


いやいやそうではない、去年も今頃おかしなことがあったような気がする。理由は他にある。恨むでない 


と言いつくろい、話を打ち切った。 


しかし、鉄之助の容体は芳しくなかった。何かに取り憑かれたようになり、以後正気にはならなかった。時々何かにうなされるような様子で高熱を出し、医者も色々と手を打ったが、ただ口走るには、 


あれが見えるよう 


あれが見えるよう 


とばかりであった。医者にも何の病とも判じ難くどうにもしようがない。 


段々とやつれていき、これはもう憑かれたのである、として日蓮宗の僧侶を呼び祈祷することになった。だが二夜三日と祈祷をしても効果は無く、食事も進まず、もう手だてがなくなってしまった。 


わずか十三歳の秋、八月十八日の暁、ついには無常の身となってしまった。 


かわいい盛りの娘を失い今度は鉄之助がこの世を去り、お花の嘆きは尋常ではなかった。息を吹き返すのではないかと二十日の朝まで遺骸を寺に送らず家に留めたが、見守っていてもどんどん腐ってゆくばかり、諌められ泣く泣く土中に埋めることになった。一日二日たっても本当に起こったことと信じられず、毎日六ツ刻過ぎは手習いに行く時間だと言って、 


鉄之助、鉄之助 


と呼び、人を驚かせることもあった。 


折しも秋山長右衛門の娘おつねが食あたりで苦しむという事もあった。驚いて医師を呼んでも、日ごろから金にケチな男であったので嫌がられて誰も来ない。手をこまねいている間におつねは泡を吹き手足をもがき、苦しみながら死んでしまった。のちにこれもお岩の怨みが報いたせいだろうということになった。 



不幸が相次いで、伊右衛門はぼうっとすることが多くなった。そして俄かに寺通いを始めた。毎月八日と二十八日に欠かさず雑司ケ谷の鬼子母神へ通う姿を見て、人は「後世願いの伊右衛門」と呼んだ。娘のお染はもう二十歳になっていたが縁談が無い。長男権八郎に跡目を継ぐ気が無いから婿を取ろうか迷っている、というのが伊右衛門の言い分だったが、あの傲慢な伊東土快の実娘であるから、それを知る誰も縁を取り持とうとしないのが実状だった。 


お花は正月の年礼に出た帰り、北風に吹かれて背筋がぞっとしたと思ったら俄かに悪寒に襲われて、 


胸が痛い・・・イタイイタイ 


と倒れこんだ。最初は寝込むほどではなかったが、何の病がわからず、医者をかえて次々と療治させるも日に日に状態が悪くなった。懐胎の徴候かとも思われたが、それにしては様子が悪すぎた。 


四月八日、灌仏会は増上寺の涅槃像が江戸一番とあって、権八郎は母を気遣いつつも友人たちと出かけて行った。帰り道、品川の惣菜屋で酒をあおりそのまま帰って早く休んだが、夜半頃のことである。 


ううううう 


尋常ではない声に家じゅうの者が駆けつけてみると、呻き苦しむ権八郎の姿があった。宙を掻き掴みのたうちまわり、早急に近所の医者が呼ばれた。これは時節による霍乱(腹の病)と言っていろいろ手当てをするが、様子は変わらない。天井を見つめて物を取るような動作をし、何か言おうとするが言葉にならない。顔に水をかけ薬を用いるが翌日の昼になっても正気ではない。頭がおかしくなっている。母を診てもらった医者四、五人が呼ばれたもののいずれも 


大霍乱である 


と言うばかりだった。腹に灸をすえたらどうだろうと、臍に五、六十も灸をすえたところ、口を開いたので耳を傾けると、 


いたい、いたい 


いたい、いた・・・ごふっ 


げぶげぶげぶ 


口から真っ黒な火箸のようなものが飛び出してきた。


呆気にとられてみているとどす、と重い音をたてて畳に落ちた。水をかけるとしゅっと音をたてて蒸気が上がり、焦げ跡をのこして消えてしまった。 


滝のような汗がますます流れおち苦しむさまは見るに堪えないものだった。 


後は祈祷に頼るしかない。赤坂の奇妙院という祈祷坊主が呼ばれた。坊主もここを勝負と汗をだらだら流し一日一夜一心不乱に読経したが、何の効果も無かった。 


なす術がなくなった。権八郎の顔は土気色になり、動かなくなっていった。 


四月九日丑の刻、眠るように息を引き取った。まだ十九であった。 


母は姉もろとも泣き明かした。脇の下がまだ少し温い、と臍の上に灸をすえてみたり、さまざまに理由をつけてはまだ蘇生するのではないかと手を尽くすが、それも意味のないこととわかると、狼谷の菩提所でささやかに葬儀を行った。 


ついに惣領息子の権八郎まで死なせてしまった。 


伊右衛門は嘆くしかなかった。母のお花も先からの患いに加えてこの不幸に枕から頭を上げる事すらできなくなってしまった。伊右衛門はただただ雑司ケ谷の鬼子母神に願掛けをした。日に十二度ずつ三日で三十六度も参詣して祈った。その姿を見た人は 


あれこそ苦しい時の神頼みだ 


と笑った。 


同じ頃に伊東土快の家にも大変なことが起きたが後に語る。お花はますます病が重くなり、気力も衰えていった。危篤も近いと思われる頃、付添いの人を遠ざけ、伊右衛門一人を枕元へ呼んで言った。 


もう私は駄目です。長い間お世話になりました 


何を言う。気をしっかり持つのだ 


・・・いえ、自分のことはよくわかっております。心残りがあります。お染の縁組のことです。権八郎まで死んでしまった今は婿を取るしかありません。何と不幸なことでございましょう。・・・伊右衛門様、お岩さまのことを覚えておいでですか 


伊右衛門はその名にぎくりとした。 


私にも隠しておいででしたのですね。伊東様、秋山様と恐ろしい企てをして、先妻のお岩さまを追い出したこと。子供たちのこと、私のことも、全て御身の心根から出たことと言うしかありません。もしそのことを前もって知っていたら、土快様がどんなにおっしゃろうとも私は決してこの家には参りませんでした 


口惜しい・・・伊右衛門殿 


お岩さまはさぞかし私をお怨みになっていることでしょう。女は互いに立場が変われば相手の口惜しさはよくわかるものです。私が死んだら、お岩さまの行方を探して下さい。もし生きておられれば、私と思ってねんごろになさって下さい。それだけです 


お花! 


私は懐胎しています。このままでは血の池地獄に落ちてしまう。それでも、もしこの願いがかなうなら、成仏できるかもしれません。もし願いを叶えていただけなかったら、必ず浮かばれないことでしょう。そのときは伊右衛門殿、地獄にてお待ち申し上げております・・・ 


六月二十七日未の刻頃、お花は事切れた。四十三歳であった。田宮家は伊右衛門とお染だけを残して、皆死んだ。 


* 


さて、伊東家の顛末について別に語ると書いた。伊東土快の養子は二代目喜兵衛を名乗り、仲間内の評判は悪くは無かった。しかし土快同様妻をめとらずに、吉原通いにいそしんだ。浪費がかさみ、ついには家が傾き始めた。そこでこれも土快同様、隠居して、持参金付きの養子を取ろうと思った。上には病気と称して養子願いを提出し、認められると、じきに新右衛門という者が迎えられた。伊東新右衛門は土快を含み二人の隠居を抱えることになった。 


二代目喜兵衛は隠居の身で誰はばかることなく悪友たちと吉原で遊びほうけた。そのためたちまち持参金を使い果たしてしまった。隠居に渡される決まりの年五十俵の米は土快の方に行ってしまうので、すぐに生活に困るようになった。まだ三十余りの若さであったので、他家に奉公しようとしたが、御家人の隠居を召し抱えようという旗本や大名家はいなかった。やっと見つかった大名家も勤役のための支度金が必要で、ならばと持参金付きの妻を娶ろうとしたが、御家人の隠居に金を抱えて都合よく来る嫁などいるわけがない。 


そのような時、悪友の上村彦之助という浪人が来て、同じ悪友の多田三十郎と明日吉原へ行くが一緒に来ないかと言う。多田三十郎は二十七にして同じ遊び癖で貧乏している男だ。近々婚礼するという話であった。 


今は遊ぶような余裕はないはず。さては我らにたかって吉原で騒ごうと言うのであろう。拙者は行かぬ 


拙者もそう思うが、今度の御内儀の持参金のうち半金を二、三日前に受け取ったという話だ、多分その金で吉原遊びをしようというのだろう。行こうではないか 


喜兵衛は納得して、それなら三十郎に座敷代を払わせて遊び放題だ、もっと人を集めて大勢で行こう、と喜んだ。 


翌日七月六日、伊東喜兵衛は牛込揚場で多田三十郎、笠井源左衛門、寺田平八郎、深井覚兵衛、上村彦之助らと待ち合わせ、吉原へ向かった。いずれも遊び人で評判のよくない若者どもであった。 


多田三十郎の馴染みは茗荷屋の八重菊という遊女であった。そのため最初は茗荷屋でにぎやかに過ごしたが、夜もふけると三々五々となり三十郎と喜兵衛が残った。喜兵衛は別の遊女屋に馴染みがいたのでそちらへ出かけて行った。 


三十郎は八重菊と、今日の遊びの理由を話した。このたび結婚することになったゆえ、今後ここへ来ることはないであろう。今日が別れと、友人を引き連れて豪勢に遊んだのだ、と語ると、まだ十八で、三十郎への誠を貫いてきた八重菊であったが、諒解し、それならば私もすっぱり主さんのことは忘れます。主さんも吉原へは二度と来ないでください。武士が吉原で遊べば必ず身の破滅になりますから、と言い、今宵が最後の遊びならば思い残すことの無いように遊びましょうと、三味線を取り寄せた。 


その声を聞いていたのがこれも悪友の鈴木三太夫という男であった。いい所で会った、とばかりに茗荷屋に入って来て居座ると、飲めや歌えの大騒ぎになった。やがて酔いがまわった三十郎と三太夫は二人して酔い覚ましにと茗荷屋の外へ出た。夜も深いので八重菊は引き止めたが聞かずに出て行ってしまった。 


二人は吉原の廓を覗いて歩き楽しんだ。やがて人気のない土手に出た。 


それにしても今夜はやけに豪勢にやっておられた、どういうわけかな 


三太夫はそれとなく話しかけた。すると三十郎は言った。 


今宵が最後だからじゃ。嫁からの持参金がなければこんなことはでき申さなかった 


三太夫ははっと顔を上げた。実は三十郎は三太夫に三両借りて、のらりくらりと返済を拒んできていたのであった。 


それならば今そこに金があるということか。近日入用がある、例の三両を今返されい 


三十郎はにやにや笑いながら答えた。 


今は無理だ、懐中に持ち合わせはあるがここで算用は勘弁してくれ。近日改めて屋敷に取りに来られよ 


三太夫は語気を強めた。 


何を申す、たびたびの催促にも応えず、屋敷へ行くと家来の取り次ぎになるから細かいことは言えない。それならば明日帰りに屋敷までついて参るから、必ず返してもらえるように願いたい 


三十郎は意にも解さなかった。くるりと背を向けると、 


涼しいのう、三太夫殿 


と言って歩き始めた。 


愚弄するのか三十郎殿、先にも遊女の前で拙者に恥をかかせたことがあったな・・・ 


三十郎は歩みを止めずにぽつりと答えた。 


それは貴殿がまぬけだからじゃ 


三太夫はかっとなった。自分は茗荷屋に顔が知られていない、こんな夜更けに人気のない土手で斬り殺して逃げても、誰にもわからないだろう。 


三太夫は無言で抜き打ちに三十郎に斬りつけた。酔っていたのと初刀が深かったので脇差で払うこともできず振り返りざま、二刀目で顔面を割られて草むらに倒れこんだ。三太夫は息絶えた三十郎の懐から金子を奪って逃げた。 


しばらくして寺田平八郎が茗荷屋に戻ってみると誰もいない。八重菊は、 


夜更けに見知らぬお方と涼みに行くと言って出られたままです。気が変わって別の遊女屋にでもあがられたのでしょう 


と言って笑った。 


三十郎の腰抜けめ、どこへ行ったのか。捨て置け捨て置け、二、三年もしたら戻るであろう 


平八郎はそのまま茗荷屋で寝た。一方、喜兵衛はそのまま別の遊女屋で夜を明かした。 


七月七日夜が明けると三十郎と喜兵衛の迎えの者が舟宿に着いた。喜兵衛の家来は急用のため急いで吉原へ向かうと日本堤で、 


廓の後通りで人が斬られたってよ 


という声を聞いた。行ってみると細道に見慣れた合わせを着た武士がおびただしい血を流して倒れている。すわ主人かと見てみると、主人の友人の三十郎であったので、慌てて喜兵衛の馴染みの店に行って事を伝えた。 


喜兵衛は青くなった。遊びの連れであるから放ってはおけないのだが場所が悪い。吉原で武士が何者かに殺されるというのは言い訳ができない。とばっちりを受けないよう素知らぬふりをして帰ろうと、家来にも言い含め急いで舟宿に帰った。 


舟宿では三十郎の家来が待ちくたびれていた。喜兵衛一人戻って来たので、 


主人はいかがしたのでしょう 


と尋ねた。喜兵衛は 


三十郎と我らは最初は連れ立っていたが、吉原で別れたのでどうしたかは知らない 


と答え、舟宿に預けた刀を受け取り、さっさと自邸に帰ってしまった。 


武士が殺されている、というので吉原の者が集まり検分した。刀を持たず脇差だけだったので、吉原から帰るのではなく涼みに出て斬られたのだろうと、廓の一軒一軒に風貌を含め聞いてまわった。茗荷屋で寝ていた寺田平八郎が、話を聞いて見に行くと、まさしく多田三十郎の死骸であった。 


し、知るものか 


平八郎も逃げ帰ってしまった。 


舟宿に残された三十郎の家来は、とうとう待ちきれずに主人の馴染みの茗荷屋へやって来た。そして主人の顛末を知ると現場に駆けつけ、死骸がまさしく多田三十郎であったので、仰天しながらも涙ながらに立ち帰り、家族や親類に知らせた。親類は集まって相談の上、頭に訴えた。舟宿は預かっていた刀を奉行所に届けた。 


その日のうちに茗荷屋に調査が入った。三十郎の預かり物を差し出し、涼みに出た同行の武士の名は知らないと申し上げた。八重菊や同席の客にもお調べがあった。他の廓の者にも次々とお調べがあり、御詮議の上、三十郎と伴って出た男が、牛込に住む鈴木三太夫という浪人であると結論づけた。 


鈴木三太夫は居宅から逃亡したが、七月二十一日、板橋宿で自分が多田三十郎を斬った顛末を書き置きに残し自害しているところを発見された。 


多田三十郎の死骸は親類が引き取ったが、後家人の身でいながら吉原で斬り殺されるという失態に、家はとりつぶしとなり、跡は絶えた。 


事件の全貌が明らかになった今や、伊東喜兵衛、寺田平八郎の扱いも決まった。 


<<見て見ぬふりをするのは武士としてやってはならないことであった。遊びとはいえ連れが殺されたならば直ちに現場に駆けつけ傷の様子を確かめて、お上に包み隠さず届け出て死骸の引き取り、家族への知らせ、下手人の捜索など始末にあたらねばならない。>> 


伊東喜兵衛はお家とりつぶしの上死罪、寺田平八郎も死罪。 


青山百人町某大名家邸内で斬られた喜兵衛の死骸は、養子である新右衛門のもとに届けられた。寺にて納棺のため湯かんをさせ首を継いでみると、どうも様子がおかしい。胴体の腕には南無阿弥陀仏と刺青があった。当日は牢屋で十数人も斬られたので、死骸さげわたしの際に間違われたのだろう。そうだからといってどうしようもなく、気づかないふりをして葬ったが、昔からのことわざに「首と胴の仲違い」というのがあるがこういう事を言うのだろう、と話を聞く者皆笑った。 


新右衛門もただではすまず江戸所払いとなった。喜兵衛の養父である伊東土快は、老齢なのでお構いなしということになった。但し拝領屋敷である伊東の邸宅をおとりあげになったので、行く所も無く、知己の同心のところに居候として引き取られた。 


伊東家は断絶した。 


人々はこれもお岩の報いであろうとし、怨霊の祟りを恐れた。 



田宮家の先代の頃から親しく付き合っていた近藤六郎兵衛という者がいた。お岩の鉄漿付けの仮親として成年を見届けた人でもあった。最近の伊右衛門にまつわる不幸の数々、伊東家の断絶についても心痛め、ある日の夕刻訪ねてきた。 


伊右衛門殿、御身にかかる数々の不幸、どう思われるか 


しばし雑談をしたあと、六郎兵衛はこう切り出した。 


はい・・・その 


伊右衛門は口ごもった。 


又左衛門以来の仲、いろいろと面倒をみてきたつもりだが、今は何とも悲惨な状況じゃ。率直に言って近所の評判も良くない。気の毒ではあるが・・・ 


これは全て、お岩の恨みからきているとは思われないか 


伊右衛門は全てお見通しとわかると、堰を切ったように話し出した。 


我らもお岩の事は気にして探しているところでございますが、いくら探しても見つかりません。何分どこへ行ってしまったのか、奉公先より狂って出奔したとまでは聞いたのですが、生きているか死んでいるかもわかりません。お花も気にして遺言を遺しました 


六郎兵衛はうなずくと答えた。 


そうだったか。思えばもう二十年余りも昔の話、お岩の生死がわからぬのも仕方がない。死んだ者を探すのも無理というものである。どうじゃ、祈祷山伏に頼んでお岩を占ってはみないか。もし生きているようなら居所を聞きだし我らで行ってなだめて連れ帰ろう。死んでいるのなら是非も無い。同じ一族の霊なのだからねんごろに弔ってやれば恨みも晴れ、これ以上祟ることもなくなるのではないか 


なるほどおっしゃることはごもっともです。そういたしましょう。異存ございません 


伊右衛門は久しぶりの笑顔を見せた。早速手配がなされ、お岩の霊を呼び出す儀式を執り行うこととなった。赤坂の不動院、明王院など総勢八名の山伏が呼び寄せられた。壇が設けられて供物などが飾りたてられた。祭壇には不動明王がさかさまに立てられた。そうして、真ん中に十歳の少女が立った。手には御幣が持たされた。 


山伏たちは錫杖を逆に振り一斉に怨霊調伏の祈祷を始めた。それは朝から夜までぶっ続けに行われた。全員汗だらけであった。 


亥の刻になると少女に変化が現れた。御幣を胸に当て目をかっと見開き、全身がぴんと硬直した。 


霊が憑いた。首尾よし 


山伏たちは錫杖を置き腰をつくと休息した。胸元を扇ぎ手水を使ったりなどした。 


さて、やるか 


準備が済むと、山伏は再び祈りを始めた。するとやにわに少女が声を上げた。 


神々が仰せになるから止む無く来たぞ。我を呼びつけ、一体何の用があるのか、何を聞きたいのか 


霊媒に怨霊が憑いた様子であった。 


その方は未だこの世にいるか、または世を去ったのか。もし世を去ったのならばここで弔って進ぜよう 


山伏が問いかけると、少女は口元を歪め、しわがれた声をあげた。 


勝手なことを。我は田宮又左衛門の娘、この家は父又左衛門の建てた家、我が家である。ただ一つ、我が男子ではなかったために伊右衛門を婿養子に入れた。我の他にこの家の主はいない。伊右衛門は一年はおとなしくしていたが母の死んだ後は我を邪険に扱い、あろうことか伊東喜兵衛の妾に思いを寄せて邪魔者扱いし、家を追い出そうとたくらんだ。たびたび我を毒殺しようとしただろう。お見通しである、我は少しも油断はしなかった・・・ 


そんなことはしていない、濡れ衣だ 


障子の隅で伊右衛門がつぶやくと、霊媒は歯をぎりぎりと食いしばり怨霊の言葉を伝え続けた。 


そのうち伊東喜兵衛の妾が懐胎して、どこかへ片づけようとなったところ、ちょうど伊右衛門がいる、これ幸いと秋山長右衛門とも相談し、よこしまな企てをして我をこの家から追い出した。味方する親戚もいず、中に入って仲裁してくれる者もなく、むざむざと追い出されてしまったのだ。その後伊右衛門は子をもうけ栄華を極めていた。今に見ていろ、三人の者に思い知らせてやる。我、身体は死んでも一念は死なずして生を替え、七生まで恨みを重ねて家を絶やさないではおくものか・・・ 


獣のように歯ぎしりをして続ける。 


そうだ、伊東の家は既に断絶した。伊右衛門の子らも次々と取り殺してやった。残るは伊右衛門と娘のお染だけ。お染は喜兵衛の子だから伊右衛門の血は入っておらぬ。この企みを知るよしもないので恨みは少ないが、永く生かしておくつもりは無い。油断は禁物だからな。秋山長右衛門は我に辛くあたったことはないが、伊右衛門と花の仲人になったから、永くはない・・・ 


幼い子から殺してやったな・・・七年前の七月十八日じゃ。夫婦親子に六人の者どもがこの座敷に集まって、厚かましい酒宴を開いておった。我より他にこのように子宝に恵まれた者はいないなどとぬかしておった。余りに汚らわしい。我、幻のように来て驚かせたが、事もあろうことか伊右衛門は鉄砲を撃って打ち払おうとしおった。それがどうじゃ、幼い子がひきつけおって、患いついて死んでしまった。そういえば伊右衛門婚礼の夜には蛇となって来てやったな、覚えておろうが? 


伊右衛門は逐一すべて霊媒の言うとおりであったので、恥ずかしくも恐ろしく、答えようが無く、呟くように声を返した。 


確かに霊の言うことには覚えがある。しかし、そなたとは一度は夫婦の契りを結んだ間柄、ここまで執念深く恨むことはなかろう。もうずいぶん昔の話だ。恨みを晴らして、この世にいるならばその居所を明らかにし、世を去ったのならばその様子を詳しく語ってくれればいい。もし望みがあるならばかなえてやりたい 


怨霊はこれを聞くと声色を変えて言い放った。 


今更恨みを晴らせなどとおこがましい。その身の悪事は天に通じ、もはや我が恨みではない。天がこれを許さぬのだ。どうしてまだそんなに都合のいい理屈をこねるのか。望みを言えというのならば、一つだけある。この屋敷二百七十六坪の周りに板を立て、その中で二六時中念仏の声を聞くなら、望みが叶ったと思おう。恨みも晴れるでしょう・・・ 


それは寺にしろということか。お岩、そなたは生きているのか、死んでいるのか 


伊右衛門が問いかけると霊は静かに言葉を継いだ。 


この世におるかもしれず、いないかもしれず、在りと思えば在り、無しと思えば無しじゃ。但し、我はこの家の主。もう言いたいことなどない。早く帰ろうぞ 


ばたん、と少女が倒れ、幣がばらばらに散った。もう何を問うても正体はなかった。やむを得ず少女の霊を戻らせたが、疲れ切って、祈祷山伏ともどもその場に横たわって、こんこんと眠り続けた。 


結局、お岩の生死はわからなかった。 


伊右衛門は近藤六郎兵衛にそのことを伝え相談した。


そんな調子であれば例え生きていてもこちらへ来ることはなさそうだ。怨霊の望みだからといって拝領屋敷を寺に作り変えるわけにもいかぬ。いっそお岩は死んだものとしなさい。ひたすら供養するのがよろしかろう 


六郎兵衛の考えは伊右衛門と同じであったので、伊右衛門は菩提寺に行き、二夜三日の法事を執り行った。十二月十一日には僧が勧めるままに自宅で大般若六百巻の転読を行った。その半ばも過ぎた頃、空がごろごろ鳴り出し、家もごとごと家鳴りし始めた。一刻もして鳴り止んだが、その晩の真夜中頃、近所の者が、伊右衛門の家から白い鞠のようなものが光り西の空へ飛び去ったと噂した。お岩の魂魄がやっとこの家から飛び去ったかと、伊右衛門はほっと胸をなでおろした。 


* 


夜半にそこを歩いていたら、田宮の家から女の生首が二、三十火を吹きながら空へ飛び上がった、驚いた驚いた 


あの屋敷はおかしい。昨夜も女の幽霊が二、三人出たとかいう 


・・・奇妙な噂が絶えず流れるようになった。怪異は収まらなかった。伊右衛門は少し痩せた。その姿を見て、 


あの顔色を見ろよ、奴もおおかた年内には取り殺されるだろう 


などと陰口する者もいた。 


お染と二人で心細く暮らしている伊右衛門だったが、ひょんなことから某家の次男坊の源五右衛門という青年が、 


扶持料六十両を持参する。異存がなければお染殿の婿になりたい 


と申し入れてきた。会ってみると背が高く人柄もよいときて、伊右衛門は大いに喜び、さっそく婿養子願いを役所に出した。許可がおりると吉日を選んで婿として迎えることが正式に決まった。伊右衛門は隠居はしないものの、夫婦の部屋とは別に自分用の一室をしつらえようとした。だがほぼ完成しようという五月二十八日、雨風が強く東の庇がめくれあがってしまったので屋根に上って修繕しようとしたところが、足を踏み外して落ち、腰を強く打ってしまった。打身の薬でなんとかしのごうとしたが翌日には酷く痛み、立ったり座ったりにも困るようになって引きこもり、お勤めができなくなってしまった。 


これは養子を急いだ方がいいと六月二十一日に源五右衛門を田宮家に迎え入れた。お染は伊右衛門の跡式を相続する娘となったのである。 


やがていい医者が見つかり伊右衛門の腰痛はかなり回復した。これなら隠居を急ぐ必要もない。二、三年勤めた後で養子に譲ることにしようと考えていた。 


ところが、庇から落ちたさい、耳の際にも小さな傷を負っていたのだが、たいしたことはないと放っておいたため、膿んでしまった。始終頭痛がし、毎日毎日少しずつ膿血が出てくるようになった。 


ある晩伊右衛門が横になっていると、奇妙な感触に目を覚ました。頭を手で払うと、鼠がちょろちょろと逃げた。どうやら膿血の匂いに誘われたらしい。その後も油断していると鼠が現れ、膿血をねぶるようになった。 


最初は一、二匹であった。しかし次第に数が増えてきた。ついには昼間でも伊右衛門が寝ているとやって来ては膿血を舐め瘡蓋を喰うようになった。 


困ったことに、伊右衛門にはそれが苦痛ではなかった。痛みは無くむしろ心地よく感じられ、鼠が傷口を次第に齧り拡げていくことにすら気づかなくなった。その異常なさまに源五右衛門もお染も心を痛め、鼠取りを作って毎日四匹五匹と取れない日はなかったが、鼠の数は増える一方であった。家の者は寝ている伊右衛門のそばにいて鼠の番をしたが、連日連夜のことに疲労困憊してうとうとしかかると、どこからか大鼠小鼠がわっと押し寄せてたかり始めるのであった。 


この頃の伊右衛門はしきりに昔の悪行を悔やみ寺参りを欠かさず、何かといえば信仰に救いを求めていた。もう大分弱っていた。 


* 


伊右衛門の腫物は日増しに酷くなっていった。医者を取り替え取り替えして療治したがその効果もなく、たかる鼠は増え続ける。これは腫物より鼠を何とかすべきだと、猫を四、五匹寝床の前後につないでおいたが、住み慣れない家に人が大勢いるさまを見て萎縮して動かない。鼠の嫌うという甘草を紙に包んで腫物を覆っても、ずれた部分から鼠が齧り散らすうえ、甘草自体が大層痛みを増すのでやめた。昆布が鼠の嫌う物だと言う人があれば昆布の大きいのを買いにやり、頭巾を作ってかぶせてもみたが、蒸れて暑い時期は耐え難く、伊右衛門が跳ね除けてしまう。 


このようにしているうち、看病で雇った者が嫌気がさして一人二人とやめていった。鼠はますます増え、伊右衛門ははなはだしく衰弱し昏睡しかかっていた。ある日、困り果てる源五右衛門夫婦を前に、朦朧とした伊右衛門が手招きをして、何か言いたげであった。耳を寄せると 


・・・我を長持の中へ入れよ・・・ 


と言う。長持の中ならば鼠の入る隙もない。なるほどと長持を準備しその中に床をしつらえた。蓋には息ができるよう穴をあけた。そうして伊右衛門を入れ蓋をしておくが、残暑の時期でもあり病人もさぞ暑いことだろうと時々蓋をあける。そのたびに伊右衛門が大汗をかき腫物の腐った匂いが耐え難かったが、どこから入ったものか、鼠が四五匹飛び出してくる。布団や衣類に紛れて入ったものだろうと長持の中をよくよく調べてまた蓋をしておくが、次に開けたときには十四五匹飛び出してくる。伊右衛門は呻く。 


この中に鼠が入るわけがない。蓋を開けた時に入るのだ。この後は息が詰まって苦しい時だけ中から叩いて知らせよう。それまでは蓋を開けてはならぬ 


余り強く言うので蓋をきちんと閉めると、長持の周りを看病人が取り囲んだ。七月十一日とあって、看病人たちも残暑に耐え兼ね、じき部屋を出て縁先で涼んだ。残るはお染と源五右衛門の二人だけであった。 


夕刻のこと。 


朦朧とする一同の前に女が現れた。年の頃二十四、五で白いかたびらを着ていた。誰もが看病のために近所から来た者と思った。縁先から座敷にするする入ってくると、長持の前に立ち、青ざめた顔色でじっと見つめていた。 


・・・ 


不意に東の窓の敷居に飛び上がると、障子の破れから外へすーっと消えた。 


皆ぞっとして眠気も吹き飛んだ。 


口をぱくぱくとさせながら互いに顔を見合わせた。気の弱い者はそばの者に身を寄せた。 


お染は連夜の看病にうつらうつらしていて気が付かず、源五右衛門は見るには見たが気付かないふりをして長持に近づいた。 


中はどんな様子だろうか 


恐ろしくなり、蓋を開けようと叩いてみるが返事が無い。中から合図がなければ開けてはならない、との言い付けであったが、近所の女房が心配だから開けてみなさいと言うので、両手で持ち上げた。 


鼠は一匹も出てこなかった。 


いい塩梅だと覗き込むと、伊右衛門はうつぶせになりぴくりとも動かない。いわぬことかと抱き起して顔に水をぶっかけ口をこじあけ気付け薬を含ませるがもう遅い。 


既に白目を剥いて息絶えていた。 


源五右衛門夫婦は自分たちがそばについていながら末期の言葉も交わすことができず泣くに泣けない様子であった。お染は兄弟も両親にもことごとく先立たれ、涙の乾く暇もない。度重なる不祥事に人前に出す顔が無い。しかしもう、こうなっては仕方がないと、人々が集まるままに、お通夜となった。 



伊右衛門の異様な死はまさしくお岩の祟りに違いないという噂が出た。それまでの経緯を含めて話は町に大きく拡がった。 


源五右衛門は噂に耳を傾ける暇もなく、忌が明けた後家督を正式に受け継ぎ御番入りを果たした。田宮の家にはめでたい出来事であるが源五右衛門夫妻は気が晴れなかった。 


十月二日、伊右衛門の百箇日法要に朋輩同役が集まり夜更けまでお題目が唱えられた。その後酒宴となり夫婦で接待したが、賑やかになったところで改めて源五右衛門から挨拶があった。 


このたびは父伊右衛門の法事のためおいでいただき誠に有難く存じます。今後ともよろしくお引きまわしいただきたい 


すると同席していた和田権右衛門という同組の男が酔いに任せて大声で話しかけた。 


源五右衛門殿、この家に起こる不幸の数々はひとえに先妻の怨みから起こったとかねてから評判だったが、伊右衛門殿の死にざまを聞くにそれも間違いないようじゃな 


周囲が止めるのも聞かず権右衛門は、伊右衛門が田宮家に一人娘お岩の婿として迎えられたこと、お岩の悪女ぶりに嫌気がさし伊東喜兵衛と秋山長右衛門と策略して追い出したこと、かわりにお染の母であるお花を迎えたこと、それを聞いたお岩が怒り生きながら鬼となって恨みをなしたことをつぶさに語った。秋山長右衛門の妻が同席していたが、驚き唖然としていた。 


一昨年お岩の霊を呼び出して様子を尋ねたことがあるそうだ。七代まで祟り伊東、秋山、田宮の三家を潰してやると言ったという。若い者は血気はやってこういう事に気を留めないし、源五右衛門殿も昔の事には興味が無いかもしれないが、何事も年寄りの言う事はないがしろにするな。油断せずお岩の菩提を弔い、これ以上祟りが起きぬようにされよ。先ほど伊右衛門殿が亡くなった日この座敷で、幽霊が出たという話を聞いた。お岩に違いない。いっそのこと、お岩は田宮という家にこだわっているのだから、お上に願い上げ苗字を変えられたらいかがだろう 


座はすっかり白けてしまった。人々はどうなることだろうと互いに目を見合わせて固唾を飲んで見守った。源五右衛門は事の顛末をあけすけに聞かされて愕然としたが、場を取り繕うために答えた。 


なるほど、、、しかし、我ら夫婦とも亡父伊右衛門とは親が違います。よってそこまで恨みを受けるとは思っておりません。かといって他人事とも思われません、お染の継母筋の人ですから、おろそかにはいたしません。いかようにも弔って進ぜるつもりです 


宴会が終了し皆が帰ると、源五右衛門はお染の肩をつかみ語気を強めて問いただした。 


初耳のことが沢山あった。これほどまでの怨みを買うわけがあって、だから皆死んでいったのか。おのれ、隠していたな! 


お染はもはやこれまでと全てを語った。源五右衛門は意気消沈して床にへたりこんだ。お染もただ泣くばかりであった。二人とも疲れ切っていた。 


一方、秋山長右衛門の妻は自邸に帰り話を顧みるに改めて肝を冷やし総毛立ち、見るもの全てが恐ろしく感じるようになった。 


うちにもお岩の祟りが来る・・・ 


それからというもの、朝も夕もこのことが頭から離れなくなった。しまいには近い者に、 


ああっあそこにお岩が見える、戸棚の影からこちらを見ている 


今しがた縁先に白いものが揺れた、お岩ではないか 


ひいっ寝ていたらお岩がじーっと覗き込んできた、助けておくれ 


お岩さん、あなたとは近所で親しく付き合っていたじゃないか、なぜ苦しめるのじゃ 


などうわごとのように口にするようになった。気丈な女であったが、すっかりふらふらになり、ついに患いついた。お岩となまじ親交があったために、自分をそんなに恨むはずがないと思っていたことが、逆に思いをつのらせることになった。日増しにやつれていき、病気は重くなっていった。夫の長右衛門は嫌われ者であったので、腕のいい医者は来てくれず、世話をする人もいない。長右衛門が手をこまねいているうちに、四十五歳にして亡くなってしまった。南寺町に葬られたという。 


長右衛門の妻が亡くなったという話は瞬く間に広まり、お岩の祟りは本物だ、いよいよ源五右衛門お染の番だと噂がたった。 


あの一夜の後、源五右衛門の夫婦仲はぎくしゃくしていた。誰がたきつけたでもないのに、源五右衛門はお染を恨み、お染は夫を恨んだ。夫婦はいっさい言葉を交わすことも無くなった。それと共に夫婦の体の調子も傾き始めた。ことにお染の調子がよくなかった。医者にかかろうとしたが伊右衛門の代を知る医者は一人も来なかった。田宮の家の病人は一人も療治したことがないのだから当然である。高柳祐庵という医者が断る間際に、 


この家の患いは結核というものだ。家が悪いのである、今までの家を壊し新しく建て直したうえで改めて療治するならば回復することもあろう。そうでなくてはとても療治はできない 


などと言ったのに他の医者も同調したから、源五右衛門も命永らえるためであればどんな事でもやってみようと思い、家の改築に取り掛かった。とりあえず古い家はそのまま残し南側の空き地に新宅を作り、完成後十分にお祓いをしたうえで今までの家財、夫婦とも衣類や下帯までも古い家に残して新調し、着替えて新宅に移った。夫婦そろって髪を切り月代なども整えて心晴れやかにすべてさっぱり切り替わった心地がして、これならどんな病でも根絶できるに違いないと考えた。源五右衛門は確かに気分が快く元気になり、休んでいた御番に復帰した。 


しかしお染は最初の二、三日気分がよくなっただけで病気は治らず、かえってどんどん重くなる一方であった。実父の伊東土快は親戚から縁を絶たれ某家に厄介になっていて、お染だけが楽しみであったので、色々と援助の手をさしのべるが意味は無かった。 


重態となった。お染は震える手で源五右衛門に料紙を求めた。辞世を書くつもりだったのか、 


「思ひ置くことしなければ終る身の」 


と上句を書いたが、息も絶え絶えで下の句を書くことができず、筆を握ったまま合掌し、絶命してしまった。二月十六日、享年二十五歳であった。 


お染は生まれつきの美貌に加え気質もよく芸能にもすぐれ、四谷の辺りでは並ぶ者無くどんな高位高官の人の側室にもなれるほどの女性であった。それが源五右衛門の妻としてこのような寂しい死を迎えたのも悪霊の仕業に違いない。 


残るは源五右衛門だけであった。 


今や田宮の家に祟り続ける悪霊のことで頭が一杯だった。源五右衛門は新参者でもあり凶宅として嫌われ見舞う者もいなかった。和田権右衛門の言った通り苗字を変えようか、いやそれよりも伊右衛門の遺した持参金の残りと自分の支度金の残りを持って、他家の養子にでも行こう。一年もたてば悪い噂もおさまるだろうから、持参金付きの養子をとって田宮家を譲ってしまえばいいのだ。妻も死んだ、誰にはばかることもない。そのようなことを一人じくじくと思い悩んでいるうちに、奇妙な行動が目立つようになった。 


あれは源五右衛門殿か? 


何をやっているんだ、植木に登って 


枝を落としている。そのようなときは近所に声をかけるものだが 


何の挨拶も無くどういうつもりだ 


薪にしているらしい、代々のお屋敷の木をあのように無残に切って 


それだけではない、今日は先代の大事にしていた牡丹やつつじ、盆栽を切って薪にしていた 


今は独身者であるから薪代などたかが知れておろう。高額の盆栽などを焚き捨てて何の益がある 


木登りは何とかならんのか 


いやらしい、家を覗き見していたわ 


子に乳をやっていたところ目が合いました、にやにやと笑っていました 


おのれ、僭越である 


さては乱心か! 


源五右衛門はついに庭木を全部切ってしまい、今度は建物を壊し始めた。裏の屋根の庇から少しずつむしり、とうとう屋根を崩し、薪にして焚き捨ててしまった。 


源五右衛門殿、どういうおつもりじゃ。何と心得てこのようなことをなさる 


たまの客人がそう問いかけると、 


我一人住まいなればこれほど大きな家はいりません。薪に金を払うのももったいないから、当分のやりくりのためにこういたす 


などと答える。 


もはや乱心も目の前、気を付けないと危ないと朋輩たちは警戒を怠らず、御番に出るときも同道しようという者はなく、御番所でも皆気を付け、何かあればすぐ取り押さえられるよう見張っていた。最初ははっきりとした乱心の様子はみられなかった。だが日がたつうちに次第に顔色は蒼く、目つきにも異常が現れた。時折気味の悪い独り言をぶつぶつと呟いた。本来なら朋輩でかばい病気などと言って家に閉じこもらせるものだが、家に置くと今度は家を壊し始めるので、結局一同相談の上、乱心を申し立てた。源五右衛門はすぐに御扶持を召し上げられ、家はお上の手で壊され取り払われた。 


こうして田宮の家は絶えた。 


さっそく御先手組五十人の欠員補充が行われることになったが、田宮の没収屋敷は化物屋敷の評判が高く、跡を受けて奉公願い出る者は一人もいなかったという。 


* 


田宮の跡地は荒れるに任せられていたが、隣家ということでしばらく秋山長右衛門にお預けとなった。長右衛門はやがて組頭になった。ある時長右衛門に、源五右衛門の跡の補充のため新規お抱えにあたり、御番を勤めるにふさわしい者を見立てよとの旨お達しがあった。 


長右衛門は喜んで浪人者を探した。だが一旦は喜んで話を受けようとしても、あの田宮の跡地を拝領して住まなければならないと聞くと誰もが恐れて辞退してしまう。これはどうしたものかと思ううちに欲が湧き、自分の跡取りの庄兵衛を田宮の跡へ出し、父子ともども御先手組を勤め、自分は養子に跡を継がせようと思い立った。そのことを願い出たところお許しが出た。父子はまずは同居した。あわせて六十俵四人扶持となり、家計も豊かになって下女を一人雇った。一年を無難に過ごしてのち、頃合いがよかろうと長右衛門は養子願いを出した。これも了承され、探し回っていたところ、某家の次男に小三郎という十一歳になる子が見つかった。これが普請料ということで三十五両を持ってきたので、長右衛門は運がついていると皆がうらやましがった。庄兵衛の方も二十二歳になるので近所より相応の娘を選び結納を取り交わした。 


田宮の跡地は家を建てず庭にしてあったが、もうずいぶん経つから住んでも支障ないだろうとばかりに、春には地鎮祭を行って家を作り、庄兵衛に世帯を持たせようということになった。人々は源五右衛門と長右衛門の栄枯盛衰を語っては、先は知らぬがまずはめでたいと評判した。 


こうして秋山庄兵衛が御番入りして三年目の春がやってきた。冬の内に婚礼の支度をすませ、新居が出来次第挙式することまで決まっていた。一月十五日、田宮家の跡地で地鎮祭が行われた。建築が始まったが、寒気が強くなかなかはかどらなかった。四月には挙式ということで嫁の家にも話がいった。 


ある日のことである。 


庄兵衛が御番明けで朋輩十人余りと共に自宅に帰る途中、道端に痩せ衰えた女乞食がいるのを見た。年の頃五十ほどであろう。近藤六郎兵衛が、 


あの女、どことなく田宮又左衛門の娘のお岩に似ている。年のころもあのくらいだろうし、片目がつぶれているところもそっくりではないか 


するとお岩を知る他の者が、 


いやいやお岩はあれより酷かったぞ。あのくらいなら伊右衛門に追い出されはしなかった。もっと背も低かったし腰も曲がっていた 


などと言い合った。 


庄兵衛は朋輩たちの話を聞きながら、本当にお岩ではないかと思い始めた。お岩はまさにこの三番町近くに勤めていて、突然屋敷から飛び出し行方不明になったと聞く。あれは生きているのではないか。生きて、目の前にいるあの乞食こそそれではないのか。伊右衛門に恨みを残し、数々の者を殺め、ひいては田宮の家を取り潰したという・・・気味が悪い。 


庄兵衛はぞっと寒気がした。そして三日目の夕方、突然発熱し寝込んでしまった。 


番町が・・・番町が・・・ 


とうわごとを繰り返し、 


熱い、熱い 


と大声で喚き散らしては衣服を脱いで裸になって、水を求め昼夜構わず四、五升余りも飲む。医者を呼んで長右衛門、小三郎が看病に当たるが病は癒えず、五日の夕方には危篤となってしまった。 


もう長くは無い、今のうちに庄兵衛の急養子の願いを出しておいた方がいい 


と組の者が言うのも無理はなく、長右衛門はただちに与力に内意を届けた。しかし田宮家の跡目に似た立場で、長右衛門もお岩の恨みを受けているとの噂であったから、誰も庄兵衛の仮養子になろうという者は現れなかった。 


気をもんでいるうちに今度は長右衛門が俄かに発熱した。六日の夕刻のことである。六十歳になろうかという年でいながら、身体はたくましく力が強く、まるで酒に酔ったように真っ赤になり、怪力を振るって狂いまわった。組の者は皆驚き、力ある若い者が両脇から捕えて表に駆け出さないようにしたが、肌が触れると焼けるように熱く煙が立つほどで、伝説の平清盛の熱病もこれほどではなかったろうと思われた。食事も湯も水もとらずさまざまなかっこうをし、最後はうつぶせになって水を泳ぐ真似をしながら悶え苦しみ、三月八日、狂い死んでしまった。 


庄兵衛の方は養子も決まらず、父の死んだことも知らずのまま、三月十日の夜、死んでしまった。庄兵衛は父と違い性格も良かったので惜しむ声もあったが、それもこれもお岩の恨みということであった。 


秋山家の血筋は断たれた。お岩の祟りを受ける身でいながら田宮の跡地に入った秋山長右衛門はその子と共に狂って死んだ。 


小三郎はまだ十三歳で、小柄であるためすぐに元服しても御番入りは無理と思われた。実家からは秋山の家に一人残された小三郎の身を案じて葬式など全て人が駆り出され、その上でしばらく引き取りたいと願いが出された。しかし小三郎は若年といえども一家の主であり、一屋敷を守るのみならず隣の空屋敷の面倒も見なければならないと退けられた。小三郎は是非もなく気味の悪い家に一人で住むより他なかった。庄兵衛の建てかけの家は取り壊され元の庭にされた。小三郎は親類より後見人をつけられ十五歳になるまで御番代を勤めることになった。 


四月二日、養父長右衛門の二十七日には実家からも人が来て法事が執り行われた。その翌日のことである。


早朝六ツ頃であろうか。小三郎が目を覚ますと、まだ薄暗い家の勝手で火を焚く者が見えた。女の後ろ姿で、年のころ五十ばかりであろうか。先に解雇した下女かと思い立ち上がると、近寄って声をかけた。 


暇をとらせたというのに、どうしてきたのだ。今来たのか、昨夜から来ていたのか 


女は返事もせず背を向けたまま、庭先へ出たかと思うとすっと消えてしまった。 


小三郎はぼーっとして夢でも見たのだろうと、そのまま再び床に就いた。 


しかしその翌朝、またも女が今度は囲炉裏の脇に座っているのに、小三郎は眠っていて気付かなかったが、実家から付けられた重右衛門という中間が気が付いて驚いた。 


お前はどこの使いだ! 


ととがめると、女は庭へ出て、振り向きざまにやりと笑って消えた。重右衛門は狐に化かされたと思い、庭へ飛び出ると縁の下を棒で突き回した。 


ごとごとごとごと! 


小三郎は何事かと飛び起きて庭へ行き、わけを聞くと、自分が見たものについても語った。 


やはり狐か。昨日は夢かと思ったが違ったようだ。逃がすな! 


二人して畳を持ち上げ縁の下を隅々まで調べた。 


ひゃっ 


黒いものが飛び出して小三郎は思わず声をあげた。よくよく見るとそれは黒斑の古猫であった。 


さてはこの猫が化けたのであろう。叩き殺せ 


二人して大騒動で追いかけ回しているところに近所の者が集まってきた。よもや猫を追い回しているとは気付かなかったので、小三郎もついに狂気したかなどと囁き合った。猫は窓から跳んで逃げてしまい、小三郎主従が四方の窓を開け放つと人でいっぱいであったので、驚きわけを話したが、かえって秋山の家には化け物が出るという評判がたってしまった。 


* 


数年前までは田宮家が化け物屋敷という評判だったのに、その家が取り壊されて今度は隣の秋山家が化け物屋敷という評判になった。小三郎の実家から大般若の転読の僧侶が送り込まれ悪い気を祓う法事などを執り行ったが、化け物屋敷だという評判は既に江戸中に広がり、遠くからわざわざ見物に来る人まで出てくる始末であった。お岩の件についても既に知らぬ者はいなかったので、これもとりもなおさずお岩の恨みと結びついての評判であったが、それを聞いた小三郎の後見人が病気という口実でやめてしまった。後任を探すうちに長右衛門の四十九日がやって来た。四月二十八日のことである。 


その翌日より小三郎が俄かに発熱した。実家の者が慌てて来ると、長右衛門父子とまったく同じ症状であった。高熱になり、狂ったように悶え苦しんだ。医者の施術や祈祷も効果がなかった。あらゆる手を尽くしても小三郎は次第に弱っていき、五月三日に死んだ。僅か十三歳であった。 


親たちは恨んだ。末子である小三郎によかれと思って秋山家にやったところが、こんな化け物屋敷だとは知らなんだ、仲人が今は恨めしい・・・ 


秋山長右衛門家の名跡は完全に断絶した。 


これは余りに不吉な家であるということで、小三郎の葬儀が終わると親類たちが集まりすっかり打ち壊してしまった。田宮の屋敷跡と並び雑草の生える荒地となったが、左門殿町の化け物屋敷跡として江戸中の物見高い者たちがおびただしく見物に来た。しかし誰もが、この地を見ると何か暗くやりきれない思いが漂っているのを感じたという。 


最後に、伊東土快についてである。 


既に伊東家は断絶し、知人の同心屋敷の間借人として生き延びていたが、年をとってもねじくれた性格は酷くなるばかりであった。引き取った同心は若いころからの友人として見捨てるわけにはいかなかったが、面倒をみる召使たちは皆嫌がって長続きしなかった。女房や子供も二十年の間一度も家賃を払わず我儘ばかり言う土快を嫌った。その頃四谷箪笥町に覚助という町人がいて、その親がかつて伊東家に仕えていたというので、たびたび土快を見舞っていた。某年十二月二十八日、間借り部屋で冷たくなっているのを発見したのも、この覚助であった。八十九歳だった。 


大晦日前のため葬儀もままならず、大晦日になってようやく寺から僧一人が迎えに来た。古い酒樽に死骸を入れ、覚助が先棒を担い、家主の召使が後棒を担って運び出し、夜のうちに葬った。家主からは一貫文の布施が出た。 


一時は人を人とも思わず憎まれ恨みを買い権勢を誇っていたが最後は末期の水を取る者もなく、大晦日雪の降る中まるで犬猫のようにこの世を去った。まこと世の見せしめである、と人々は噂した。 


そもそもお岩の怨念というものを思い返すに、伊東土快が妾の色香に迷い邪な企てを起こしたことに端を発し、伊東、田宮、秋山、三人の家を絶やすことになったのである。その上多くの人がお岩に取り殺されたため後世の語り草になったわけだが、それはお岩の怨みのせいばかりではない。この三人の心がけが邪だったからこそこのような事になったのである。 


<<完結>>


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以上、「四谷怪談」の幹になったといわれる「四谷雑談集」になります。これもおそらく創作だと思われますが、創作というものは細かな事実の組み合わせということで、実在の人物や事件がパッチワークされていると思われます。また、冒頭申しあげましたとおり現代語抄訳にかなりの部分を負っておりますゆえ、もっとも原本に近い近代語によるものとして先んじた早稲田本で、読みやすくするための構成上の改変、倒置法や原文にない説明的表現や注釈など挿入されている部分を最小限に抑え、逆に吉原の場面に代表される省略部分をおぎなおうとしましたが、この企画自体が頓挫してしまい、後半のほとんどが河出の現代語訳のトレースっぽくなってしまっているのはかえすがえすも残念です。


(参考)
近世実録全書第4巻「四谷怪談」早稲田大学出版部
日本怪談集江戸編「四谷雑談集」高田衛編 河出書房新社


2013年02月05日mixiサルベージ


じつはあとから、全文を考証したものが出てきました。しかしミクシィにあげたものと80ページを超える内容の比較をする気が起きないので、このままにしておきます。べつに仕事じゃないし!




by r_o_k | 2017-07-27 17:30 | 不思議 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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