大目付伊藤河内守が退出される時、にわかに懐中が重く感じたのであらためて見ると、大きな石が入っていた。不思議に思ったそのときちょうど、土御門(陰陽師)の門弟とはちあわせた。この事を評談すると、重大な火災にお気を付け下さいと言った。これは申十一月の事だった。
しかるに四五日の後、高田の脇源兵衛村に抱えていた屋敷が少しも残らず焼失した。
まったくこの前の評が当たったのだろうと、またまた易者に尋ねると、火難は未だ去っていません。災いにご用心くださいと申した。
間もなく自邸の奥向の縁の下から燃え出て、畳まで焼けたのを、ようやっと止めた。長屋からもおびただしく煙が出てきたので、早速に消し止めて、内々に事をおさめた。
尚も火災は去りませんと易者が言ったので、すべて災いは油断から起こる事だからと、用心を厳しく夜回りの手配も厳しくしたため、近所の人も大いに安堵したという。
(著者不詳「梅翁随筆」)
2013年01月18日17:22 mixiサルベージ
〜奇妙な異変を災いや大事件の前触れとするのは古く中国の考え方による。天子(国家)の危機を予言する現象としての怪異は「捜神記」によく書かれている。木の洞から黒い動物が出た、などとおそらく何の暗示もない変な妖怪に対し、天下の異変を読み取る老人などが出てくるパターン。天体の動きで天子(皇帝)の行く末を占う、もともとの陰陽道のような学問的なものから、流星や皆既日食といったまさに「奇妙な異変」への解釈もある。捜神記ばりの怪物が悪疫を告げに来るクタへや件は派生的なものだろうか。石が投げ込まれるという奇妙な「偶然」に難を読み取るという意味に考えると、また少し違う占術にも読み取れる。この事自体に当時は意味があったのかもしれない。