揺りかごから酒場まで☆少額微動隊

岡林リョウの日記☆旅行、歴史・絵画など。

江戸怪談 津軽サルコ澤の怪獣、屍喰い蛸

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去る嘉永六年九月のことである。目谷の沢の景色を楽しんでいる時、この村市の子之丞の家に宿泊したが、そこに川原平村の者という齢六十歳余りの親父がいて、その風貌はとても大きく筋骨逞しかった。珍しい話はあるかと聞いたところ、親父が言うには、自分が盛りの時は山を家とし谷を生活の場としていたから、どんなに幽玄の山深い陰地といえども歩かなかったところは無く通らなかったところは無い。山々の険しく谷々の危険な所、あるいは各地の特産物に至るまでとてもつまびらかに語った。私は 

そのような深い谷や高い峰を渡って怪しい物を見なかったか 

と聞くと、 

そんな妖物は見た事もなく怪しいものも知らない。恐ろしいと思った事など記憶にない。ただ川で漁をしていて僅かに怪しいと思ったことが一回あった。 

それは去る文化初年の四月の夜の事だが、赤石川の水源サルコ淵という沢に行き、網を下して漁をしていると俄かに波の激しく弾ける音が聞こえたから、網を引き揚げて見ていると、 

身長七尺(2.1m以上)ばかりで一把の蓑を懸けたような物が、沢の真ん中にのっそりと突っ立っていた。おぼろ月にすかしてみたけれど面目も手足もはっきりせず、ただ毛の内部に蛍火のようなものが百ほどもあって満身に付着していた。

何者だろうとそのまま進み寄って掴みかかるに、かの怪物は身を起こして一跳ねして、七八間(15m位)飛び退いたまま水中に潜って再び見えなくなったが、手の中にただ一握の毛が残った。 

夜が明けてみると長さ一尺四五寸、太さは馬の鬣の倍あり色は紅黒く端は全て二又であった。何という怪物だろう、今もって他に見た者がいるとも聞かない。 

さらにおかしいのはこのことを何人かに話したとき、毛が欲しいという者が数十人に及んだことだ。何に使うと問うと、疫病除けのまじないだと言う。世人の物好きはまったく笑ってしまう。 

そうして人々に分けて今は一本も無いと語った。どんな怪獣だったのだろう、その毛を見なかったのは残念だ。 

* 

文化三四年の頃だろう。西の浜にある沢辺村の者が、夜中ひとり馬に乗り眠りながら艫作の浜を通ったとき、馬が足を停めて呻る音に目を覚まして見やると、とてもすさまじく大きな蛸が、馬の脚に絡んでいた。 

そのまま鎌で蛸の足を切り捨て逃げのびて、村の者たちにこのようなことがあったと語ったところ、それはなおざりにしてはおけない、そのままにしていては人をも取るだろう、といって何度も浜を窺ったがそれと見えるような物はあらわれなかった。 

そして五六日も過ぎて、回国修行の六部の者がこの艫作村で病死したので、これを葬ろうと浜辺の小高い土地で火葬にふしていたところ、まだ片刻も経たないうちに十四五町(1k半以上)も先の沖から、波を巻いて岸に寄り来るものがあった。 

これこそあの大蛸だろうと素早く村中に知らせてその波の後に船を漕ぎ寄せ、大網を張って退路を断ち切り、陸では皆で待ち構えていた。 

すると蛸は火をめがけて真一文字に浜辺に揺り上がり、潮を吹いて火葬の火を打消し、死人を絡めて引き返そうとしたから、満を持して村の者たちは鉈や鎌などの刃物を持ち、ずたずたに斬り裂いて殺した。 

しかるにこの蛸は非常に大きなもので、頭は六尺余り(2m)脚の周囲は五六尺もあった。長さは三間余り(6m)だったがこの頭を切り開いて見ると、人の髑髏五個、馬の肋骨一個、骸骨や臓腑、尾や毛髪の類がとても生々しく、未だ血に塗れているありさまはむごたらしく誰しも目をそむけた。 

こうしてこれらのものを掻き集めて俵に入れると五俵余りもあったのをそのまま土中に埋めて葬り、また蛸のむくろをもその傍らに埋め、僧を呼んで回向を行った。地元の人はこれを名づけて蛸塚と言ったという。 

さてこの後地元の老人が言うには、 

世にこのような大きな蛸はまたといるまい。人にも見せ世にも知らせよう 

として吸盤を一つ切り取って鰺ヶ沢の岡部文吉という者に贈った。これを櫃に盛ると縁よりはみ出るほどで、見る者みな驚き奇異の思いを抱いた。また、この吸盤を開いて見ると、二三分ばかりの剃毛のようなものが多くあったと言う。伊勢屋善蔵というものが、鰺ヶ沢に居て間近で見たと語った。 

また、同じような話がある。 

それは去る安政四年四月、医師吉村氏の家で小野某の語ったものである。 

この年から二十年ほど前、越後国でとても大きな蛸が捕獲されたことがあった。 
越後某村の浜の砂丘上に荼毘所があった。ある時土地に亡くなった者がいてこの地において火葬にし、翌日親族の者たちが遺骨を集めようと向かったところ、一かけらの骨もなく四方はまるで箒で掃いたようになっていた。とても訝しく怪しんだけれどもどうしようもなく止む無くやめた。 

そしてまた二十日余りで死人を火葬することがあったが、これも先のように骨とおぼしきものは既に無かった。 

土地の人は不審が晴れず、このままにしておくべきではないと言って村中から集まって評議するに、一人の老人が、 

蛸の年を経たものは陸に上がって牛馬及び人をも捕えて喰うという古い言い伝えがある。これもきっとそのようなものの仕業ではないか 

確かにそういうこともあろう、いざ試してみようと、その日荼毘所に空火を焚き、数十人の者どもが山の手に隠れて窺っていると、申上(午後五時頃)とおぼしき頃、はるか沖の水面から波をたてて来るものがある。かなり近くなって見ると、果たして巨大な蛸であった。 

皆々そうであればこうと示し合わせて用意をしていると、蛸はたちまち波を巻いて陸に上がり、火を打ち消して屍を捕ろうとするが何も無いので、頭をかかげて周囲を見渡し少しして帰ろうとするところ、村の者どもは素早くその帰る道に磨糠を一面撒き散らし、蛸の吸盤に引っ付き苦しんでいるうちに皆々とびかかって散々に斬り殺し、その肉は残らず食ってしまった。 

さて、この蛸の脚の周囲は三尺八寸(1m以上)あったと聞いたが、その他の大きさは聞かなかったと語った。これはよく似た話だけれども、世の中には同じような事件が多いものなので、そんなに疑うこともないだろう。 

(平尾魯遷「谷の響」)

2013年01月22日16:33 mixiサルベージ


by r_o_k | 2017-07-20 14:03 | 不思議 | Comments(0)

by ryookabayashi