江戸怪談 通り悪魔

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私の祖父向陵翁が若いころ、書斎に一人で居ると、忽然として一人の衣冠の人が、桜の枝から降りて来る。よくよく見るに盗賊にも見えない。但し衣冠の官人がこのあたりに居るわけもなく、まして天から降ってきたというわけもあるはずがない。思うに心の迷いからこのようなものが目に映るのだと、瞼を閉じて、しばしおいて瞼を開けば、その人まだも居て、降りても来ず、やはりその辺りにいた。目を見開くと、だんだんと降りて来る。また目を閉じ、しばしあって開けば、まただんだんと近づいて来る。このようなことが三、四度あって遂に縁側まで来て、縁先に手を懸ける。これは一大事と思って目を閉じたまま、家人を呼んで、

気分が悪い、布団を持ってこい

と命じ、そのままうち臥して少しまどろんだ。心が鎮まってのち、起きて出てみると何者もいず、果たして妖怪ではなかったかと書弟子石川乗渓に語ったという、それを後になって乗渓が私に語った。この話、曲淵甲斐守という人にも、同じ事があったということを聞いた。それによると曲淵が心を鎮めて驚かなかったところ、妖気隣家に移って、即時に隣の主人腰元を手打ちにして狂気したこと、語り伝えたという。



これも伯父の酔雪翁の話で、組頭某、屋敷は麹町にあった。その組内の同心某はよく酒を飲み、落し話や身振り手真似などする者であった。春の日の永い頃、同役の会合があり、夕方より酒宴があって、かの同心には接待事だから来なさいと約束してあったが、当日来ず、家人もみなその芸を見るのを楽しみに待っていたけれども来ず、おおいに興が冷めてきた頃、慌てた様子でやって来た。

やむを得ない用向きにて、御門の前に人を待たせているゆえ、本日はお断りのこと申し入れ、直ちに帰ります。

と言って去ろうとしたけれども、家来は許さず、まず主人及び一座の客人にその旨伝える間、待っていてくださいと言えば、はなはだ難渋の様子を見せたが、しぶしぶ意に従った。

そうして主人に告げると、何用かは知らないが、お頭衆の寄合で、先ほどから長らく待っていたのだ、たとえ断り難い用だったとしても、顔も出さずに去ることがあるかと無理に引き出し、何の用なのかと尋ねた。

そのこと、他でもありません、喰違御門内で首をくくる約束をしたゆえ、やむを得ず、と言ってひたすら退出したいことを願った。

主人も客人も怪しんで、思うに乱心と見える、このようなときには強引に引き入れて酒を飲ませるべしと言って、座に引き出し、まず大杯で続けざまに七、八盃飲ませた。もうこれで勘弁してくださいと言うところを、また七、八盃飲ませた。主人が声をかけ、例の声色を所望すると言えば、仕方なく一つ二つ芸を見せて、また出ようとするところを賓客主人おのおのが盃を与え、よほど酩酊の色が見えてきたところで、これを興としてかわるがわるに酒をすすめ、動静をうかがった。一刻ばかりするうちに、先ほどの退出を願うことは忘れた様子で、特に乱心のようにも見えなくなった。

その時家来が入ってきて、

只今喰違御門内に首くくりがあったと組合から連絡がありました、人をやるべきでしょうか

と言った。賓客も主人もこれを聞いて、さては先ごろのは縊鬼、この者を殺すことができなくて、他人を取ったと見える。最早この者の縊鬼は離れたと言って当人に先刻の様子を尋ねたところ、

夢のように感じて定かではありませんが、そのさいは喰違まで来たのは夕刻前でした。一人の人がいて、

ここで首をくくれ

と言ったのですが、私は断ることができず、

確かにくくらなければならない。今日はお頭の元へ接待に行く約束だから、その断りを入れてのち、意に従いましょう

と言うと、その人はそれならといって御門まで付いて来て、早く断りを言って来いと言いました。その言葉は背きがたい義理ある者の言葉のように思えたのですが、その人の義に背きがたく思ったのは、何故なのかというとわかりません

と言った。

お前、今はくくる気はあるか

と聞くと、自分から首に環を掛ける真似をして、

ああ恐ろしい、恐ろしい

と言ったところ、まったく先の約束を重んじたのと、酒を飲んだことの徳によって、命を助かったのだ

と言い合った。

こんなこともままあることなのだろうか。

(鈴木桃野「反古のうらがき」)

~ともに有名な話ですがあえて原文のまま訳しました。
mixiサルベージ

by r_o_k | 2017-07-19 15:54 | 不思議 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
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