怪物図録<江戸褄の怪、最後のキジムナー、千束池の七面天女、吉見の般若、新宿太宗寺の付紐閻魔、不忍池の怪女、貝坂の化け銀杏、夜這い地蔵>

江戸褄の怪
b0116271_16453537.jpg

戦時中の日本橋の話。担ぎの呉服屋(仕入れ元からセレクトした反物を担ぎお得意回りをして仕立てて売る業者)がいた。懇意にしていた芳町の芸妓が、役者衆などにおおいに持て囃されるも着道楽が過ぎ、懇意の客に似合う衣装を仕立ててあげてしまうほど浪費し大きなツケをためてしまい、旦那にも愛想をつかされ、戦火が及ぶに至り役者衆も足が遠のいて、ついには芳町が一斉廃業となってしまった。裏で商売を続けるみずてんもいたが、そういうことのできる性分ではない。いよいよ呉服屋、呼ばれて行くと何とか手元に戻したという江戸妻と丸帯を差出、あとは自分の身でどうかという。こちらも得意先が皆いなくなったことだし一枚でも取り返せればと思うのと、情が移ったため受け容れた。どこへ行くあてもない芸妓に心残りはしたが、柳橋に爆弾が落ちほうほうのていでトラックを調達し熊谷まで逃げた。

終戦後しばらくして戻り、知り合いの居候で商売を立て直そうとする。山の手空襲で全焼した芳町も再興するとなって江戸妻と帯を売ることにした。話に聞くとあの芸妓はおしゃく(見習い)とともに行方不明となり、戦後になって倒れた塀の下から黒焦げの髑髏が二つ出て、これはまさしく、かわいそうに、と近所の寺で弔ってもらったという。その夜、住まわせてもらっている土蔵の二階で妹がろうそくを灯すと悲鳴をあげた。壁に架けてある江戸妻に、彼女が現れたのである。恐ろしかったものの江戸妻と帯は若い芸妓に売り渡された。だが、しばらくして病みつき死んでしまった。それを別の芸妓がまた買うと、またおかしな病となって死んでしまった。土蔵の二階にはいまだにあの女が現れ、喋ることもあるそうである(長田幹彦「幽霊インタービュー」より(うろ覚え))

最後のキジムナー

b0116271_16470434.jpg

ある離島にはキジムナーがいて、島民と物々交換などして洞窟に暮らしていた。戦後みられなくなったが、Nさんは小学生の頃に友達と浜辺で見かけたことがあるという。見えなかった者もいたが、見える者がさまざまな方言で声をかけても応えないから、手元の駄菓子を持って近づくと、奪って林の中に逃げていってしまった。それが最後の目撃談であるが、戦後のことでろくな駄菓子もなく、おばあにもらっても美味しくないので食べなかった。出なくなったのは余程不味かったからだろう、とのことである。(小原猛「琉球怪談」より)

千束池の七面天女

b0116271_16480704.jpg
日蓮上人が高齢となって身延山から池上へ向かう道すがら、千束池の秋の夕景に見惚れて歩を止め、池畔へ降りるとうっそうと茂る松の一本に袈裟を掛け、疲れた足を洗った。するとにわかに竜巻が巻き起こり、池の底から天女が現れた。七面天女が身延山のみならずここにも現れ、しかもお慈悲をとしきりに懇願する。日蓮上人、自分はこのように高齢である、そのようなことはできないと突き放した。天女は哀しい顔をして沈んでいった。土地の者は七面天女に同情し、池畔に七面堂を建てた。そして池の名を洗足池と改め、袈裟掛けの松は枯れては代を重ね間もあいたが今も一応(なぜか二本)池畔の寺の境内に保存されている。悪人に禊の足を洗わせる習慣から「足を洗う」との言葉が生まれたともいう。(戸川幸夫「東京傳説めぐり」より)

吉見の般若

b0116271_16491984.jpg


埼玉県の吉見百穴は上古の横穴墓群で、中世には近く城が築かれ、戦時中は地下工場として転用されようとしたこともあり、心霊スポットとして若者が夜訪ね来、また不良が集まり若者が襲われることもあった。その位置する比企丘陵の一角に稲荷がある。県道からそこに至る細い登り道はカーブが多く走り屋のコースとなっていた。昭和55年頃よりこの一本道で迷う、「脇道」に入ってしまう、ぐるぐると同じ場所を回るといった話が聞かれるようになった。さらに稲荷の前の内側にマンホールのある一番の難所で不思議な老人の目撃が相次ぎ、轢かれて死んだ人じゃないか、稲荷の祟りじゃないかと話題になった。一人の男は般若のような顔をしていたと証言した。皆そこを迂回するようになってほどなく、マンホールのあたりが崩落してしまったという。(室生忠「都市妖怪物語」より)

新宿太宗寺の付紐閻魔

b0116271_16502347.jpg


今も残る巨大な閻魔像は顔以外は度重なる災害で失われ、端正で綺麗だが、戦前まで彫りも荒々しく物凄い様相の像で、口元からはボロボロの紐が垂れていた。この境内は江戸時代には庶民の憩いの場として今同様に開放的でにぎやかだった。昼には子守の乳母が多くいた。ある姥、預かった子供があまりに泣くので閻魔様の前へ連れてゆき「閻魔さまに喰われてしまいますよ」と見せた。泣き止んだようなのでうとうととしていて、日も傾いてきたころ子供を呼ぶに返事はなく、人々で境内のどこを探してもいない。これは人さらいにあったかと悲嘆していると、大きな声があがった。見ると、閻魔さまの口から付紐が垂れていた。これは本当に閻魔さまに喰われたのであろうと、以後「付紐閻魔」との名前がついた。この閻魔は水晶の目玉を入れていたが盗賊が抜き去ろうとすると光を発して倒したり、また、この二つの伝承は昭和初期に異様な形に作り替えられた、これも巨大な奪衣婆のものであるという説もある。

不忍池の怪女
b0116271_16512569.jpg
巳之助という若者、朝の不忍池畔で美しい乙女に出会い、招かれるまま池に入った。再び弁天堂の裏から現れた時には憔悴しきっていて、家に戻ると熱病で寝込んでしまう。医者にも原因はわからず、厳しく戸締りのうえ両親の看病を受けるも、うわごとのように毎晩枕元にあの女が現れ手を引かれて出かけていると。ついに死んでしまい、悲嘆に暮れる両親は葬式を執り行うが、巳之助の棺桶の傍に女が離れずにいた。そこにいた誰もそれが誰なのか知らなかった。以後、不忍池の池畔にて、女と巳之助の姿が目撃されることがあったという。(柴田流星「傳説乃江戸」)

貝坂の化け銀杏
b0116271_16522669.jpg
江戸麹町に貝坂という坂があり、二本の大銀杏が聳え立っていた。八幡太郎義家が白幡を掲げたともいい、品川沖から入ってくる船の目印に旗を揚げることもあったという。いつ頃からかその下に夜ごと妖怪が現れるという噂がたった。怪坂とさえ呼ばれるほど話が広まり、五代将軍綱吉の耳に入ると城下にそのような妖怪が出るなどもっての他と怒り、腕に覚えのある旗本の若衆が次々と貝坂を訪れるも、妖女にたぶらかされ溝に落ちる、天狗に出逢い気絶するなど散々、その話は浪人の間にも広まり、名の知れた剣士が退治に訪れ天狗に首根っこを掴まれて逃げ帰るなどした。地元麹町で剣術道場を開いていた鈴木傳内兵衛はこれを聞いて貝坂の大銀杏へ来て、二晩は様々な妖怪変化の出没にじっと耐え、三晩めにここぞとそれを仕留めた。正体は何百年も経たであろう、班狐だったという(他書にも見える斑狐という妖怪、もしくは独特のものか)。綱吉聞き及び天晴と取り立て直参となるも、息子の鈴木主水に祟ったというもっぱらの評判。(佐藤隆三「江戸傳説」)

夜這い地蔵
b0116271_16531382.jpg

農村で隣村の若者同士が夜な夜な行き来して睦まじくすることがあった。延岡ではある娘が子を身ごもり、父は境の地蔵だと言う。無用な諍いを避ける意味もあり夜這地蔵として縄で縛った。のちに縄は解かれたが、ここまでダイレクトではないにせよ同様の伝説をもつ夜這地蔵ないし縛られ地蔵は静岡の袋井、埼玉の所沢、山形など全国に分布し、場所によっては女に化けることもある。悪さの度合いで太い格子で閉じ込めたり、楔を打った所もある。子授けの効果をうたうにいたったものもある。

by r_o_k | 2017-07-03 17:00 | 怪物図録 | Comments(0)

岡林リョウ☆フツーのつれづれをフツーに書きたいという変な欲望が囁きました。


by ryookabayashi
カレンダー