(穴の中に逆さ吊りする拷問、これは想像図 役方の八兵衛は収容キリシタンにより改宗。穴吊りのうえ生き埋めにされ、上に大石で封じられた。「八兵衛苦しいか」と問うとカタカタ揺れたという。これは伝承であり、抜け穴説など検証が必要な話ではある。):現在地蔵も破壊されツギハギになっているが、前の黒い石が八兵衛石の残欠ではないか?
中沢新一さんのディープ東京本を感傷的になぞった深夜番組(録画)を見ていたら、古い東京が懐かしくなって何気に手近にあった「東京オリンピック直前の東京」写真集を手に取った。旧軍時代の施設や今は無い戦前建築の崩壊寸前な写真など貴重なんだけど、その中になんとまあ八兵衛の夜泣き石の写真が載っているではないか(詳しくは本サイトのどっかに書いた)。キリシタン遺跡として壊滅した(詳しくは本サイトの江戸東京コラムに書いた)元和キリシタン受難記念碑(碑自体はこの写真集の出版すぐ前に作られた新しいもので、今は少し小さくなりカトリック高輪教会に移設してある(写真))の写真もある。夜泣き石のほうは戦前に比べ明らかに小さくなっているけど(向かって左側の三角石)どうやらこの感じだと今割れた状態で散置されてる石のどれかに相当する石があったように思う。毎日新聞社「写真東京風土記」田中雅夫編昭和39年12月20日発行、最後のページに抽象画が鉛筆でかいてある。子供のころラクガキしたらしい。昔からラクガキばっかな子だったんだなあおれ。ああ風が鳴る、夜が泣く。裏の家が途絶えて空き地になったら風が吹くたび部屋が揺れるようになった。宮沢賢治の夜だ。
2006/2/3
参考:
2014年、切支丹屋敷跡再開発時に発見されたシドッチ神父
(国立博物館寄託の「親指のマリア」シドッチ神父持参、長崎奉行所旧蔵 碑文谷サレジオ教会はこの「江戸のマリア」を奉じている)
切支丹屋敷遺跡全景
〜「特別展キリシタン日本とキリスト教の469年」六一書房2018より
2017/5/27